第51話~大祭当日~
「すっ…ご~~い!」
ポカンと口を開けたまま巨大な建造物を見上げて立ちすくむ私に、ゼウォンは「そうだな」と微苦笑する。
土の神殿は、呆気にとられるくらいに立派なものだった。
神殿の敷地となっている岩丘の上を囲い込むように、繊細で美しい彫刻が施された円柱が2m間隔くらいでズラリと円形に立ち並んでいて、円柱1本1本がかなり大きい。高さ10mくらい幅2mくらいはありそうだよ。
岩丘の中央にある大神殿の本殿はパルテ○ン神殿のような造形だ。
地平線から姿を現した主光と副光の明かりに照らされた土の神殿は荘厳且つ神秘的で、私はしばし見入っていた。
「ユリーナ、行くぞ」
「あ、うん」
ゼウォンに促されて我に返った私は、目だけでキョロキョロしつつも歩を進めた。
大神殿本殿の入り口に到着すると、まだ風の1刻半くらいなのに既に入殿の列が出来ていてちょっとビックリ。
いつもより目深にローブを纏ったゼウォンと私は、手をつなぎながら列の最後尾へと移動して並んだ。
今回の神殿参拝(?)は、ゼウォンの主神である〔土の神〕に“私達は生涯添い遂げます”と宣誓するのが目的なの。
結婚式の誓いの言葉みた~い、なんてドキドキしちゃう。
だけど、こうやって長蛇の列に並んでいると、結婚式というよりはディ○ニーのアトラクション待ちしてるみたいなんですケド。
いや、神殿でのお祈り待ち行列なんだから、むしろ初詣の参拝行列っていった方がいいのか?
いずれにせよ大祭の祈祷が始まるのが風の5刻というから、あと3時間半も待つのか~…
ファ○トパス発行して欲しーよー。
チラリと周囲を窺うと、焦げ茶色の肌に大きな尖り耳の人(土の中位精霊らしい)とか、2足歩行の服を着たウサギさん(下級魔獣らしい)とかがいて、人間だけじゃなくて人型となった精霊や魔物も大勢来ているんだな~と実感。
実は数日前まで、土の神殿には銀狼族も来るかもしれないと思って、私はここを訪れることに躊躇いを感じてた。
でも当のゼウォンが「銀狼族は匂いで相手を判断するから気付かれる可能性は限りなく低い。それに、同伴しているのが人間であるユリーナなんだ。まず、気づかれることはないさ。確かに多少の懸念はあるが、最も霊験あらたかな神殿でユリーナとの関係を確固たるものにしたいんだ」なんて言うから、結局来ちゃったの。
私もゼウォンとしっかりとした関係になりたいしね。えへへ。
視線だけで周囲を観察しつつ、ニマニマする私。
ローブ深く被ってて良かったわ~なんて思っていると、つないでいたゼウォンの手に一瞬力が篭った。
「どうかしたの?」
背の高い彼を見上げて尋ねると、俄かに緊張した様子のゼウォン。
表情は無いけど、纏う気配が若干鋭くなっている気がする。
ゼウォンは私と繫いでいた手を離して、親指と中指を立てると3回振った。
そのサインを見た私も、身体に緊張が走る。
土の神殿に来る前に、もしかしたら銀狼族も来るかもしれないからと、ゼウォンと幾つかのサインを決めておいたのだ。
言葉にして相手に伝えると、聴覚にも優れている銀狼族に聞かれてしまうかもしれないから、手でサインするって方法をとることにしたの。
今、ゼウォンがしたサインは〔銀狼族が来ているが問題無い〕だ。
ゼウォンは再び私の手をとり、ギュッと握って繫いでくれた。
私も繋がれた手に力を入れて、ニコッと笑みを作る。
銀狼族が来るのは想定内だし、大丈夫。
私は早鐘を打つ心臓を静めながら、自分で自分に大丈夫と言い聞かせて、不安になる気持ちを押し殺した。
*****
その匂いを感じ取った瞬間、不覚にも俺は身体を強張らせた。
あまりにも自分の匂いと似通いすぎている。
銀狼族が土の神殿に来る可能性は有りえたから、例え同族の匂いを感じ取っても動揺はしないと自負していた。
だが、この匂いは…まさか、血族か?!
察知した銀狼族の匂いは血族と思しき者と、もう1体。
距離的には離れているから、迂闊に近づかなければ大丈夫だろう。
一瞬身体に力が入ってしまったが、すぐに冷静になり隣のユリーナを見た。
彼女は俺の様子を窺うように、真剣にこちらを見つめている。
俺は事前に決めておいた合図をして彼女の手を握ると、応えるように微笑んでくれた。
列がゆるやかに進んでいき、ようやく俺たちも神殿内に入る。
入殿すると同時に、ユリーナは「ほえぇ…」と小さく感嘆の声をあげた。
彼女は好奇心を漲らせた目線でチラチラと神殿内を観察しはじめる。
あからさまにキョロキョロしないのは、場の雰囲気に配慮してのことだろう。
一通り観察し終わったのか、今度は神殿内に入る時に神官から購入した〔祈石〕を繁々と見つめるユリーナ。
彼女は異世界人だから、この世界では当たり前の物でも興味をそそられるみたいだ。
〔祈石〕とは、主神に祈りを奉げるのに必要不可欠なもので、何処の神殿でも置いてある。
祈りを奉げる者は〔祈石〕を購入し、神官達が主神に祈詞を上げている間に〔祈石〕に祈りを込めて祭壇に奉げるのだ。
〔祈石〕が淡く発光して主神の紋が刻まれたら、神官が祭壇から石を回収して持ち主に返す。
紋が刻まれた〔祈石〕は〔護石〕と呼ばれるものになり、祈りを奉げた証拠ともなるのだ。
俺達魔物は伴侶を変えることなどは有り得ない話なのだが、一部の人間は伴侶変えをすることもあり、その時は祈りを奉げた神殿に〔護石〕を返し、新たに〔祈石〕を購入するらしい。
そういえば〔祈石〕を購入するよりも〔護石〕を返納するほうが料金が高いらしいが、俺には関係ないな。
〔祈石〕を凝視していたユリーナが顔を上げた。彼女は、幸せそうな笑顔を浮かべて俺を見ている。
その笑顔に、俺も幸せな気持ちになる。
微笑み返してユリーナの耳から顎までの輪郭をゆっくり指でなぞると、その滑らかな頬が薄っすらと赤く染まった。
ツガイになり身体を重ねてから1ヶ月以上経つのに、彼女は相変わらず初心で照れ屋だ。
何度も交尾しているのに、俺が触れるといつも恥ずかしがって赤面する。
なのに、俺の手を振り払ったことは1度も無い。
2往復ほど撫でたところで、名残惜しく思いながらも俺は彼女の顔から手を離した。
ここが神殿内じゃなかったらもう少し彼女に触れていたけど…さすがに止めておいた。
*****
大神殿内に響き渡っていた祈詞が、厳かな余波を残して終了した。
約3刻ほどの時間をかけて、入殿者の全員が〔祈石〕を奉げ終えたのだ。
今大祭の司祭である神官長のバロージャは安堵したかのようにフッと一息つくと、祭壇に向けていた体を入殿者達の方へと向け、祈祷終了時に紡ぐ決まり言葉を口にする。
「この善き日に祈りを奉げられました入殿者の皆様に、土の神のご加護を……」
例年通りの言葉を言い終わろうとした、その時。
バロージャの視界がグラリと歪み---神殿内の動きが止まった。
《我はこの地を守護する、土の神。我の地に生まれし銀の三魂よ。汝等がこの地に集う時を待っていた…》
“声”なのだと認識するのが憚れるほど、厳かに身の内に染み渡る音。
高音でも低音でもない不思議な音が、言葉を形成していく。
バロージャは、己の口から洩れる言葉を霞む意識の中で聞いていた。
《今は時を止めている故、我の言が伝わっておるのは汝等三魂と…体を借りている、この神官のみ》
体を借りている…?
恐れ多くも己の体に主神が宿っているということか…?
バロージャは、覚束ない意識下で状況を理解した。
《まもなく、この地に禍大なる災いが蘇ろうとしている…汝等一族の業である災い…百年前に一度は封印された災い…此度は完全に消滅させよ…》
土の神の言は続く。
《災いは恐るべき力…だが現し世にて我が力を直に揮うことは適わぬ故、汝等三魂に我の力を授けよう…一魂を受け皿とするには我の力は重すぎる…だが、同日に同母体より我が地に出でし三魂に分け授けることは可である…我の力は汝等が一体化する時にこそ顕れよう…授けし力を以って禍大なる災いを滅せよ…この地を滅することなかれ…》
土の神の言は、それで終わったようだった。バロージャの視界が再び歪む。
「--様、--官長様?!バロージャ神官長様っ、どうなさったんですか?!」
気付くと、焦燥の表情を浮かべた中堅神官達がバロージャの周りにいた。
ザワザワとさざめく入殿者達。
神殿内の時は、すでに動き始めていたらしい。
「あ、いや、何でもない…」
まだ微かにぼんやりする意識を懸命に奮い立たせたバロージャは、威厳を損なわないように態度を取り繕うと、改めて祈祷終了の言葉を述べたのだった。
*****
ゼウォンの様子がヘン。
土の神殿でお祈りして〔祈石〕はちゃんと刻印付きの〔護石〕になったのに、ゼウォンは祈祷終了後から今に至るまでずっと心此処にあらずといったカンジなの。
お祈りが終わったら神殿前広場に建ち並んでいる露店を見てまわろうねって言ってたのに、結局すぐに神殿から離れようとするし…
もしかしたら銀狼族に見つかったの?!ってサインしてみたけど、微妙な表情を返されただけだった。
どうして露店見るのを止めちゃったのか分かんないけど、無表情を貫いている彼の雰囲気は何かを警戒しているようにも思えて「露店見たいよ~。お腹も空いたし食屋台で何か買お~よ~」なんて我侭言える感じじゃない。
私としっかり手を繋いでいるゼウォンは、人込みの波を乱さない程度にサクサクと歩く。
私は通り過ぎる露店を横目でチラチラ見ながら、無言で彼に着いて行った。
そのまましばらく歩き続けて、神殿が建つ岩丘の外れまで来たところで、今度は岩丘を囲む大森林へと繋がる階段を下りる。
森林を少し進んだところで、ようやくゼウォンが口を開いた。
「すまないな、ユリーナ。俺もちょっと混乱してて…だけど何とか整理できたかな」
「混乱?!一体どうしたっていうの?」
「…もうすこし神殿から離れた方が落ち着くから、後で話す」
「そう…わかったわ」
ゼウォンが混乱だなんて、何があったんだろう?
大祭の祈祷が始まる前までの彼はいつも通りだった。祈祷中も特に問題なかったし…
思い当たることなんて何もないけど、彼が混乱だなんて余程のことだ。
心して話を聞かなくちゃ。
岩丘の神殿の全貌が見えるくらいまで遠のくと、ゼウォンは亜空間から結界石を取り出し発動させた。
「この結界石の効果は6刻程度だが、時間としては充分だろう。…ユリーナ」
「はい」
真剣な瞳で私を見るゼウォンに、思わず居住まいを正す。
ゼウォンは瞬きもせず、私に言い含めるようにハッキリとした口調で一言。
「神命が、下された」
……
……え?神命って…何?
イマイチ言葉の意味が理解できない。
「神命って…神様からのお告げみたいなもの?」
キョトンとして尋ねるとゼウォンは少し訝しげな顔をした。
でも、すぐに「そっか」と何かに納得したかのように表情を緩めた。
「異世界に生まれたユリーナには馴染み無いよな。神命っていうのは主神から下された命令みたいなものだ」
「命令…?って、何を命じられたの?」
ゼウォンの答えを恐々としながら待つ。
とてつもなく嫌な予感がするけど、聞かないわけにはいかない。
「“禍大なる災い”を消滅させよ、と」
「禍大なる、災い…?」
「あぁ。100年前に封印された災いが蘇るらしい。消滅させるための御力も賜った」
「……ど、して?どうしてゼウォンなの…?」
呟くような私の問いかけに、ゼウォンは落ち着いた声色で神命内容を全て話してくれたけど、その内容は私にとっては到底得心のいくものではなかった。
ゼウォン達3兄弟が集うのを待っていたって…彼に神命下されるのは決定事項だったというの?!
一族の業…って、ゼウォン関係ないじゃない!!
心が嵐のように荒び、頭がクラクラする。
さっき、ゼウォンが「混乱してて…」なんて言ってたけど、私は混乱どころか取り乱しそうだよっ。
「主神のお言葉を受けたのは、俺達3兄弟と司祭を務めていた神官長のみだが…それはつまり、俺と弟が生存していると兄に知られてしまったということでもある」
そう言うと、ゼウォンは目を閉じて深く息を吐いた。
ゆっくりと目を開いた彼は、若干声のトーンを落として再び話しだす。
「弟も生きていたんだな…。一度も会った事がなく、名すら知らないから今まで気にかけたことは無かったが…同じ憂苦を抱えている身としては弟の生存は喜ばしい。おそらく何処かに隠れていたか、俺と同じく何らかの偽装をして暮らしてきたのだろうな…」
地面におとしていた視線を私に向けるゼウォン。
真っ直ぐに私を見るアメジストの瞳には、混乱も迷いも感じられない。
「銀狼族の掟では、俺と弟は生きていてはならない。だが、俺と弟は神命を下された身となった。一族の掟よりも主神の神命の方が重大だ。禍大なる災いとやらを消すまでは、一族に狙われることは無い」
未だに内心パニックで言葉も出ない私に、冷静な口調で自己考察を語るゼウォン。
「こんな形で自分の存在を知られてしまう日がくるなどと思ってもみなかったが、神命を下されたことは俺にとって---どうした?ユリーナ」
ゼウォンの話の最中だったけど、私は詰め寄るように彼が羽織っているローブの胸部を握り締めた。
「納得できないっ!」
訴えるように、私は声を荒げた。唐突に大声をあげた私に驚くゼウォン。
「どうして?!どうしてゼウォンはそんなに冷静でいられるの?!ふざけるなって、理不尽だって、こっちの都合無視して勝手に決めるなって、腹立たしく思わないの?!掟だかなんだか知らないけど、今まで常に同族に殺されるかもしれないって恐怖を背負って生きてきて…なのに結局神様に存在を暴露されてっ、封印されてた災い消せって…何それ?!ゼウォンにヘンな使命を与えないでよっ、ゼウォンを振り回さないでよっっ、ううぅっっ…」
悔しくて、遣る瀬無くて、気付けば泣き叫んでた。
泣きたくなんかないのに、昂る気持ちと溢れる涙を堪え切れない。
醜態を晒したくなくて、彼のローブに顔を埋めて嗚咽を漏らした。
悔し泣きなんて、人生初だよ。
ゼウォンが絡むと、私は泣き虫になっちゃうみたい。
ヒックヒックとしゃくり上げる私の背中をゆっくりと擦ってくれるゼウォン。
宥める様な優しい手の動きに、私の嗚咽は徐々に小さくなっていった。
「神命を理不尽だなんて言って憤るなんて、ユリーナは本当に異世界人なんだなぁ」
私の背中を撫でながら、ゼウォンは面白がるような口調でそんなことを言う。
「ヘアグで生まれてても、私きっと怒ってるよ…?」
「ははっ、それはどうだかな」
「どうもこうも無いっ。絶対怒るに決まってる」
「断言したな?」
「したよ!…だって、災い消滅なんてかなり危険そうな使命を一方的に押し付けてさっ。ゼウォンになんてことすんのよーーって、腸煮えくり返っちゃうよ!」
からかい口調のゼウォンに、ムッとして言い返す。
すると彼は痛々しい笑顔を浮かべ、私をギュッと抱きしめてくれた。
「俺のことなのに…オマエは本気で泣いて怒ってくれるんだな…」
耳元で囁かれた彼の声は切なさを含んでいて、私は思わず縋るように彼のローブを掴み直した。
「だって…自分の事以上に感情的になっちゃうんだもん。子供っぽくて情けないよね…」
「情けないなんて思うわけないだろ。だが…オマエが心を痛めるのは辛い」
辛いと言われて顔をあげると、ゼウォンはホントに辛そうな顔をしていて。
実は彼もそんなに冷静じゃないのに、努めて落ち着いてる風を装ってるだけなのかも…って思った。
「…ツガイが俺で、すまない」
少しだけ震えがちに呟かれた謝罪の言葉は、ようやく聞き取れるくらいの微かな声で。
私は声を出さずに静かに涙を流しながら、振り子人形のように只管首を横に振り続けた。