恋の劇薬 〜湖底の白百合〜
これは乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』に登場する攻略対象、セザール・リップルの物語。
フォレスト国の冬は寒かった。
王族として生きていた頃には知らなかった寒さだ。
革命軍の拠点として使っている古びた教会。
その片隅で俺は一人、机に向かっていた。
姉の捜索記録、元王家使用人の聞き込みの報告書。当時のフォレスト国の地図。
何度見返しても進展はない。
もう何年になるだろう。
兄は国王になった。自分も帰れば王族として迎えられる。
アデライトを見つけるまでは帰れないと心に決めていた。
「また寝てないんですか?」
声がした。振り返るとユア・スタールが立っていた。いつものように紅茶を持っている。
「……書類がたまっているんだ」
「嘘ですね。書類のせいじゃなくて、眠れないんでしょう?」
セザールは苦笑した。
この少女には隠し事が通用しない。
「革命軍の皆はあなたを英雄だと思っていますよ」
「英雄?俺が?」
「移民の為に立ち上がった人」
「違う。そんな格好いいものじゃない」
即座に否定する。
「だいたい、俺はそんな立派な人間じゃないんだ」
ユアは黙って聞いていた。だからつい続けてしまった。
「姉を探しているんだ」
誰にも話したことのない本音だった。
「民衆も革命もついでの話で、姉のアデライトを見つけたいだけだ」
革命軍の指導者がそんな個人的な理由で動いているなんて失望するだろう。
でも、ユアは違った。
「素敵だと思います」
ユアは微笑んだ。
「大切な人を諦めないって素敵じゃないですか」
セザールは言葉を失った。
兄も家臣もそして革命軍のメンバーでさえ、皆、俺に前を向けと言った。
諦めろとは言わなかったが、いつまでも過去を追うなと言った。
「私のお母様も目の前で死んだんです」
ぽつりとユアが言う。
セザールの胸が痛んだ。
彼女も失った側だった。
「だから少し分かる気がするんです。会いたいですよね」
寂しそうで悲しそうに、そして優しく。
「今日は本当に冷えますね。こんなに寒いのに、どこかで一人でいるのなら……悲しいですね」
その言葉で、セザールの心は決壊した。
もし、姉が今も苦しんでいるのなら、俺は……世界を敵に回してでも見つけ出す。
「ユア……お前に頼みがある。二十二年前、現国王アイゼンが王太子時代に見合いが行われたはずなんだ。その情報が欲しい」
その時の俺は悪魔とだって契約してでもアデライトの居場所を知りたかった。
「二十二年前の記録ですか……」
ユアは少し考え込んだ。
「もし知ってしまったら、今まで通りではいられないかもしれませんよ」
「構わない。とっくの昔にそんな幻想はなくなっている」
「……そうですか」
ユアは男爵家の令嬢だが、少し特殊らしい。王家にも自由に行き来が出来る自由な鳥のような令嬢。そんな彼女なら俺の願いも叶えられると思った。
◇
数日後。ユアは一枚の内部報告書の写しを持ってきた。リップル王国とフォレスト国で交わされた密約だった。その密約内容は、アデライトに関するものだった。
アデライトの手がかりが掴めた喜びと自国の関係者が意図的に事実を隠した裏切りがショックだった。
「メンバーを集めてくれ。王家所有の湖に行く」
◇
王家の湖を囲むように、俺についてきたメンバーが円匙を持って集まった。
白い息を吐きながら、シャーベット状になった湖の水を抜いていく。剣で水草を切り、数時間をかけて湖底が姿を現した。
その時だった――。
「リーダー!人形のような物があります!」
俺はズボンが濡れるのも気にせず、指差す方向に駆け出した。
泥の中に埋もれていたそれは、水草が絡まった人形のように見えた。
色褪せた布切れ、朽ちたレース、あまりにも小さな骨……。
誰かが息を呑む。
(違う……人形なんかじゃない)
震える手で泥を払い、慎重に水草を取り除く。
首元から現れたのは見覚えのあるリップル王家の証である紋章だった。
頭の中が真っ白になる。
「……姉上?」
返事はない……あるはずもない……。
目の前にいるのは小さな、本当に小さな白骨だった。
記憶の中の姉上は背が俺より高くて、いつも笑っていた。泣き虫だった俺の手を引いてくれた姉上の手は俺の手を包むくらいあった。
俺の記憶の中のアデライトは、いつだって大きかった。誰よりも強くて、誰よりも優しかった。
なのに……
今、俺の腕の中で眠る姉は驚くほど小さかった。
こんなに小さかったんだな、姉上は……。
こんな小さな少女が二十二年も暗い湖の底に一人で縛りつけられていた。
もしかしたら、生きているかもしれない。
もしかしたら、記憶を失ってどこかで暮らしているかもしれない。そんな願いは、この小さな白骨の前では無力だった。
「姉上……遅くなって申し訳ありません。不甲斐ない弟をお許しください」
声が震える。謝罪も姉上に伝えたい言葉も今はもう届かない。
ただ小さな小さな姉上を抱き締めることしか出来なかった。
失ってから二十二年も経って、ようやく。
俺は姉を取り戻した。
「セザール……」
ユアは白骨を見つめたまま、小さく呟いた。
「やっと会えたのね……」
俺は何も答えられなかった。
ただ、震えていた。冬の湖で冷えた身体の震えか、アデライトと再会した心の震えか、それは喜びか?悲しみか?俺自身、分からなかった。
冷たい冬の風だけが吹く。
ユアが自分のストールを包むように掛けた。不思議とアデライトも暖かそうに見えた。
「ねえ、セザール」
ユアの声は優しく寄り添うような声だった。
「あなたのお姉さんは、どうしてここにいたの?」
俺の肩が震える。
「どうして、こんな所で二十二年も……」
ユアは白骨に視線を落としたまま続ける。
「ねえ、セザール」
「これで、お姉さんは報われたのかな?」
(……)
「本当に?」
そして静かに俺の顔を覗き込む。
――その瞬間、俺は初めて考えた。
『誰が姉上を殺したのか……』
ユアは震える俺の肩にそっと身を寄せた。
そして、囁いた。
「ねえ、セザール。もし私がお姉さんだったら……」
ユアは白骨を見つめながら、小さく呟く。
「二十二年も湖の底に置き去りにされたままなんて、悲しいよ」
◇
「ありがとう。ユア、君のおかげで姉を取り戻せた」
「ううん」
セザールは家族に姉が見つかった事を報告する為、母国に向かった。
残されたユアは湖を見下ろした。
「二十二年かぁ」
そして笑う。
「人って、本当に大切なもののためなら何でも出来るんだね」
先ほどまでアデライトの遺体に掛けていたストールを手放した。
ストールは風に攫われ、静かな湖面へ落ちた。水を吸いながら、ゆっくりと沈んでいく。
まるで二十二年前、そこで起きた出来事のように。
あとがき
ここまで読んで頂きありがとうございます。
今回の短編は、“もし誰も彼を救えなかったら”という可能性の一つとして書きました。
本編『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』では、セザールもまた別の未来を歩んでいます。むしろ180度違うかもしれません。
少しでも【恋蜜】の世界に興味を持っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると今後の執筆の励みになります。
よろしければ、本編の方も読んで頂けると嬉しいです。




