第一部:個の物語 ―内省の時代― 第4話 「拓――わからないと言う男」
金曜日の夜、雨が降っていた。
拓は駅前の本屋で時間を潰していた。
文庫本コーナーで、一人の女性(瞳)が何冊もの本を手に取っては戻すのを、ぼんやり見ていた。
彼女の横顔が、なぜか胸に引っかかった。
(何か、探しているんだろうな……俺と同じように、何を探していいかわからない顔をしている)
声をかけることはできなかった。
拓は結局何も買わずに店を出た。
その夜、拓はカフェ「あおい」に来た。
窓際の席に座り、ブレンドコーヒーを注文した。
向かいの席の気配を感じながら、拓はぽつりと言った。
「……誰もいないのに、いる気がするんですよね、あなた」
彼はコーヒーの湯気を見つめながら、ゆっくり話し始めた。
「今日、本屋で一人の女性を見かけました。何かを必死に探しているような顔をしていて……声をかけようかと思ったけど、やめました。
俺はいつもそうです。何を考えているのか、自分でもわからない。
考えていないのか、考えすぎてわからなくなっているのか、それすらわからない。
会社では『拓さんならできる』って言われるけど、本当は自分が何をしたいのか、何ができるのか、まるで見当がつかないんです」
コーヒーカップを握る手に力が入る。
「でも、わからなくていいのかもしれない。何かを探している人に、答えを出せるわけじゃない。俺にできるのは、せめて『わからない』って言うことくらいだ。それが、誰かの役に立つかどうかはわからないけど。
今日のあの女性も、誰かに『わからない』って言ってもらえたら、少しは楽になったのかな。『わからない』って言うことが、答えを出すことよりも、難しい気がする」
拓は静かに微笑んだ。
「ありがとう。また来ます」




