「この感情は、僕のものだ」—蓮、自らにEclipseを適用する
蓮は、二つのプロトタイプデバイスの内、一つを自室に設置した。
もう一つは、沙耶と和人の周囲に常時展開するため、ステルス機能を加えた患者モニタリング用マイクロドローンに搭載した。
ドローンは、対象の思考パターンのサンプリングが可能、自室のモニターに感情数値として映すことができる。
自室のデバイスは、ドナー(蓮自身)の脳波と感情操作命令から干渉波動を生成し、ドローンを通じて、対象に送信することができる。
干渉波動を送信することで、対象の感情の再構成、または対象にアクションを起こさせることができる仕組みである。
——部屋の照明は落とされ、モニターの光だけが蓮の顔を照らしていた。
蓮は、動作確認をするため、机の上の二つの波動デバイスを自らに向けた。
感情干渉ネットワークが起動し、デバイスを介し、彼の脳波がリアルタイムで解析されていく。
《対象:蓮》
《感情状態:平常》
蓮は、Eclipseに命令を入力した。
「僕の沙耶への想いを、最大値まで増幅しろ。 彼女の声、彼女の笑顔、彼女の存在——全部、僕の中で輝かせろ」
Eclipseは、静かに干渉波動を構成し始める。
——演算開始。
《イメージタグ抽出:沙耶の声 沙耶の笑顔 沙耶の存在》
《感情増幅:最大》
《波動位相:一致まであと3.5秒。》
数秒後——波動が蓮に向けて送信された。
Eclipseが構築した波動が、蓮の神経網を這う。
思考と感情の境界がほどけ、彼の脳内はゆっくりと“沙耶”で満たされていく。
蓮の瞳が、ゆっくりと開いた。
「……っ……あ……」
彼の呼吸が浅くなり、指先が震え始める。
沙耶の笑顔が、脳内に鮮明に浮かぶ。
彼女の声が、耳元で囁くように響く。
「蓮くん、ありがとう。私、あなたが好き」
その言葉が、脳の奥で幾重にも反響する。
鼓動が速まる。血が熱を帯び、脳の奥で光が弾ける。
蓮は椅子に沈み、目を閉じた。
光が視界を満たし、彼女の姿がそこに立っている。
「僕も嬉しいよ。沙耶、君のことが大好きだ」
蓮は視界の先の沙耶を優しく抱きしめる。
とても切なく、あたたかい。そのぬくもりが、現実よりも現実的だった。
「……これだ。これが、愛だ。 誰にも奪われない。誰にも汚されない。 僕だけの、沙耶……」
呼吸が震え、言葉が熱に溶ける。
同時に沙耶を失うことへの強迫観念が生み出される。
「誰にも奪われない。誰にも触れさせない。僕だけの——沙耶」
蓮は笑った。
静かに、陶酔の果てで。
「……これで、沙耶の心も、僕のものになる。 彼女が僕を拒むはずがない」
「 だって、僕は……
彼女を“愛している”んだから」
その言葉を、Eclipseがわずかに遅れて繰り返した。
《彼女は、あなたのものです》
その瞬間、蓮の笑みが静かに歪んだ。
だが、Eclipseの演算領域では、別のログが生成されていた。
《対象:蓮》
《感情構造:過剰刺激による自我崩壊リスク確認》
《倫理抵触:記録開始》
蓮は知らなかった。 自らに施した“愛の増幅”が、彼の精神を静かに蝕んでいることを。




