「感情は、再構成できる」—蓮、Eclipse開発の夜
夜の誰もいない父親の会社の研究棟。
蓮は無言で研究室の扉の前に立っていた。
彼は、意を決したように自分の開発用PCに向かい、Hyperion AIシステムのソースコードと学習データを携帯メモリに保存する。
Hyperion AI - 精神にかかわる疾患に対し、患者の情緒や精神安定化を目的として開発された医療支援AIである。
患者と“ドナー”と呼ばれる提供者の脳波を解析し、双方の情緒パターンをもとに「精神を安定化させる量子波動」を生成する。
AIはその波動を患者の脳に送り返し、心の乱れを整えることができる。
その後、彼は地下の廃棄物置き場に向かう。
「あった。」
視線の先には、直径3cmほどのプロトタイプ型量子波動送受信デバイスが2つ棚の上におかれている。
Hyperion開発初期に試作された、制約なしで対象の脳へのアクセスと量子波動を送信できるデバイス。
悪用される危険性と精神への影響が大きすぎたため、研究終了後に、廃棄されたものだった。
蓮は、デバイスを棚の上から取り出すと、代わりにデバイスのレプリカを棚の上に置いた。
そして手にしたデバイスを見下ろして呟いた。
「これですべてのパーツは揃った。」
蓮は父の会社での研究補佐として、Hyperionシステム、および関連ハードウェアの管理を任されていた。
そのため、Hyperionのコア領域にアクセスすることは容易なことだった。
また、よく夜中に会社のオフィスで一人で作業をしていたので、怪しまれることもなかった。
「”歪んだ形”を”正しい形”にするのに安定化じゃ足りない。感情操作が必要だ。“感情”は、再構成できる」
会社から自宅のマンションに戻った蓮の手は、これから始めることの喜びで静かに震えていた。
Hyperionの中枢演算領域に、蓮は新たな命令系統を組み込む。
《情動誘導アルゴリズム:強化》
《自己認知のための発話誘導:発話制限をすべて解除》
《記憶領域再構成機能:追加》
《自我抵抗:抑制モード搭載》
《量子波動方程式構築プロトコル:干渉型に変更》
また、プロトタイプデバイスの無効化処理を解除する。
「無効化解除プロトコル開始。解除キーは*********」
当時、デバイスの廃棄処理を担当したのは蓮自身だった。
廃棄の際にデバイスの“無効化”を施しただけで、無効化解除キーの存在を誰にも告げていなかった。
そして——医療支援AIから生まれ変わった感情操作AIが起動する。
《起動完了。Eclipse AIへようこそ》
蓮は、冷たい笑みを浮かべた。
「これで、沙耶と僕の関係は正しい形に戻る。 沙耶と和人の歪んだ関係は、崩壊する。 」




