「初恋とEclipseプロジェクト始動」 - 1年前の蓮の邂逅
―1年前。
大学の競技プログラミングサークル。蓮は、静かにプログラムを書き続けるのが好きな学生だった。
人と深く関わることは少なく、コードの中にしか自分を置けない——そんな青年だった。
ある春の日、沙耶がサークルに入ってきた。 明るく、まっすぐで、澄んだ瞳をした彼女は、蓮の書くコードに真っ直ぐな感想と惜しみない賛辞をくれた。
「蓮くんのコード、すごく好き。シンプルできれいでまったく無駄がない。コードを読んでると、いつも感心しちゃう」
その一言が、蓮の胸に灯をともした。 彼女の透き通った声、髪を撫でる仕草、言葉の選び方——すべてが、蓮の世界を満たしていった。初恋だった。
だが、沙耶の隣にはいつも、沙耶の幼馴染の和人がいた。
沙耶から和人を紹介されたときに、「あの勉強嫌いが、猛勉強して私が行く大学についてきた」と言っていたのを覚えている。
快活で、誰とでも自然に打ち解ける男。 蓮は、彼を“自分とは違う世界の人間”だと感じていた。
それでも、沙耶の笑顔をすぐ隣で見たくて、蓮はそっと距離を詰めていった。
ある雨の日の午後。 蓮は、決意を胸に沙耶を呼び出した。 雨音が静かに響く中、彼は言葉を絞り出す。
「……僕は、君のことが好きだ」
沙耶は、驚いたように目を見開いた。 そして、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「ありがとう。気持ちはとてもうれしい。でもごめんなさい。私、好きな人がいるの」
その言葉は、優しかった。 だが、蓮の胸には鋭く突き刺さった。
——やっぱり、そうか。
彼は微笑みを保とうとした。 だが、心の奥では、何かが崩れ始めていた。
沙耶の表情に、ほんの一瞬の“同情”が見えた気がした。 それが、蓮の自尊心を深く傷つけた。
その数週間後、沙耶と和人が付き合い始めたことを知った蓮は、二人に声をかけた。
「付き合い始めたんだってね。おめでとう。お似合いだね」
沙耶は、少し驚いたように微笑み、和人は軽く肩をすくめて言った。
「蓮さんって、本当にすごいと思います。沙耶ともよく蓮さんの話をしてました。……その、気を遣わせたならごめんなさい」
「あ、あとですね。知的で物静かな蓮さんは、こんなお転婆さんより、同じように知的で物静かな女性を彼女にした方ががきっと幸せになりますよ」
「お転婆さんはひどいと思う!」
その瞬間——蓮の中で、何かが音を立てて崩れた。
“本当にすごい” それは、称賛の言葉だったのかもしれない。 だが、蓮には“慰め”に聞こえた。
— —ああ、やっぱり。 僕は“負けた”側の人間なんだ。 哀れまれて、気を遣われて、笑われてる。
そしてやり場のない怒りもこみ上げてくる。
“他の女を彼女にすれば幸せになれる?” 沙耶とそこらへんにいる不特定多数と一緒にするな!
お前が僕と同じことを言われても、今のようにヘラヘラ笑っていられるのか?
沙耶は、蓮の世界に初めて差し込んだ、光そのものだった。
彼女に肯定されることで、蓮は初めて“自分はここにいていい”と思えた。
だからこそ——和人の何気ない一言は、“居場所の喪失”として蓮を襲った。
沙耶の笑顔も、和人の蓮を気遣う冗談も、すべてが“嘲笑”に変質していった。
「……見下された」
その確信が、蓮の心を静かに蝕んでいった。
蓮は、サークルを辞めた。 誰にも告げず、静かに姿を消した。
その後、彼は自室にこもり、あるプロジェクトを始める。
「人の感情は、操作できる。 ならば——“愛”も、“信頼”も、“正しい形”に、再構成できるはずだ」
すなわち、感情操作AI《Eclipse》プロジェクトの始動である。
その目的はただひとつ。
——"歪んだ感情の形"を、“正しい形”に戻すだけ。
日蝕を意味するEclipse - 沙耶の光を僕の愛ですべて覆い被せ、僕と沙耶の二人だけの世界を創造する。




