「他の人だったら、もっと幸せになれたのに」—忘れられた誕生日と、すれ違う心
放課後の廊下。 雨の雫が街灯の白い光をぼんやりと反射させている窓のそばで、和人は沙耶に声をかけた。
「今日、俺の誕生日なんだ」
その一言に、沙耶の目が一瞬だけ揺れた。
「えっ?」
「……やっぱり、忘れてたんだな」
和人は笑った。 唇の端がかすかに震えていた。
「別に、何かしてほしかったわけじゃない。ただ……覚えててくれたら、それだけで嬉しかった」
沙耶は視線を落とし、白いブラウスの服の袖を握る。
「ごめん。最近、いろいろあって」
「うん、わかってる。君が最近サークルで忙しいのも、大会が近くて余裕がないのも。でも……なんかさ。俺のこと、もう前ほど考えてくれなくなったのかなって思っちゃって」
沙耶にとって、その“思っちゃって”の部分が、どうしようもなく悲しかった。胸がチクリと痛んだ。
「……じゃあ何? 私が悪いって言いたいの?ちょっと、誕生日を忘れただけで!」
胸がチクリと痛み、思わず声を荒げてしまった。
「そんなつもりじゃ——」
「そんなつもりじゃないのなら、どうしてそういう言い方するの?」
言いながら、自分でも何を言いたいのかわからなかった。そのくせ、止めることもできなかった。
「今日くらい、覚えててほしかっただけだよ。責めたいわけじゃない。ただ沙耶にとって、俺ってその程度だったのかなって、思っちゃったんだ。」
(……その程度だなんて思っていない。なぜか分からないけど和人の誕生日は本当に忘れていただけ)
「ふーん。和人って私のことをそんな風に考えていたの?」
沙耶はうつむき、その両手をぎゅっと握っていた。両手はかすかに震えている。
「……だったら和人の彼女、私じゃなくて、他の人だったら、もっと幸せになれたのにね!」
その一言で、その場の空気が、凍りついた。
「……今、なんて言った?」
沙耶は、はっとして口を押さえた。 でも、もう遅かった。
「……ごめん、違うの。今のは……」
「いや、いいよ。俺のほうこそごめん。」
和人の声は、もう笑っていなかった。そして、静かに背を向けた。
「俺は、君に何かを求めすぎてたのかもしれない。でも……君だけがずっと好きだった俺にとって、その言葉は、さすがにきついよ」
和人は、そのまま歩き去った。
雨粒が窓を叩く音だけが、二人の間に残る。
沙耶は、追いかけることができなかった。
自分の言葉が、彼の心をどれほど傷つけたか—— その背中が、すべてを語っていた。
天井の影の中、黒いドローンのモノアイカメラが静かにその光景を見つめていた。




