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足元注意の看板と、見えざる境界線

カラン、カラン、とけたたましくドアベルが鳴り、深夜の静寂が破られた。


「ウェーイ!」


「マジ、腹減ったわー!」


騒がしい若者グループが、酒盛り帰りなのか、やけに大きな声で騒ぎながら入店してきた。


真木まき 悠斗ゆうとは、(うるさいな…)と顔をしかめる。


案の定、面倒ごとが起きた。


グループの一人がふざけて仲間を押した弾みで、Lサイズのオレンジソーダを自動ドアのすぐ内側に盛大にぶちまけたのだ。


「うわっ、冷た!」


「お前、やべーよ!」


若者たちはひとしきり笑うと、悠斗に「あー、すんません、こぼしましたー」と軽く謝罪だけして、お菓子コーナーへと消えていった。


「………」


悠斗は、自動ドアの真ん前に広がるオレンジ色のソーダを見て、深いため息をついた。


(うわ、最悪だ…。入り口のど真ん中。ベトベトするし、これから来る客全員が踏む場所じゃん…)


これを全部モップで拭き上げる労力を想像し、悠斗は即座に(面倒くさすぎる…)と結論づけた。


悠斗はバックヤードに向かうと、黄色の折り畳み式「足元注意(WET FLOOR)」と書かれた看板を掴んできた。


そして、ベトベトに汚れた床(オレンジソーダの海)を一切拭くことなく、その真上に「ドン」と看板を設置した。


こぼれた液体は、看板によって巧妙に隠された。


(よし。これなら誰も踏まないだろ。客は勝手にこの看板を避けて通る)


悠斗は完璧な(サボりの)対処に満足した。


(掃除は…朝のシフトの奴が気づいてやってくれるだろ…。俺の仕事じゃない)



その頃、シスター・アリアの司令室。


「シスター! 聖域コンビニの『ゲート』、すなわち自動ドア直下に、導き手が警告の『しるし』を設置されました!」


オペレーターが、悠斗が看板を置く映像をアップにして報告する。


同時刻、別班から緊急情報が飛び込んだ。


「敵性組織、『無形の侵入者インビジブル・ストーカー』の動向をキャッチ! 彼らは『幽体離脱』の異能を用い、あらゆる物理防壁をすり抜けて潜入する、最悪の密偵集団です!」


アリアは、二つの情報を即座に結びつけた。


「…! 聖域の『門』に、警告の印…!」


彼女は、黄色の看板(印)を睨みつける。


「(『足元注意』…! あれは我々、物理存在みえるものへの警告ではない! あれは『見えざる者(=無形の侵入者)』への警告だ!)」


アリアは戦慄していた。


「(導き手は、不可視の敵の侵入を予見し、彼らだけが認識できる『聖域の境界線』を、あのしるしを持って示されたのだ! 『ここから先は神域なり』と!)」



一方、その『無形の侵入者』の司令部。


「エージェント・ゴースト、これより聖域コンビニ霊的侵入アストラル・ダイブを開始する」


「了解。目的は『終焉の導き手』が記したとされる『未来予知のメモ(=ただの廃棄メモ)』の奪取だ」


『無形の侵入者』の精鋭エージェントが、幽体形態となってコンビニの自動ドアをすり抜けた。


(よし、侵入成功…)


エージェントが、店内に一歩足を踏み入れようとした、その瞬間。


彼の目の前に、物理世界で悠斗が「ドン」と看板を置いた。


幽体形態のエージェントの目には、その黄色の看板は、物理的なプラスチックとしては映っていなかった。


悠斗の「面倒くさい(=因果律操作)」のオーラを纏ったそれは、エージェントにとって「灼熱に輝く『絶対拒絶の壁』」のように見えた。


「なっ…!? こ、これは…!?」


エージェントが恐慌状態に陥り、司令部に報告する。


「し、指揮官! 侵入不能! 『門』が閉じられた! 目の前に『絶対拒絶の結界』が!!」


司令部で待機していたリーダーは、その報告に耳を疑った。


「(バカな!? 我々の『幽体経路アストラル・パス』をピンポイントで塞いだだと!?)」


リーダーは、入手していたコンビニの(物理)監視映像を見る。そこには、あの店員(悠斗)が、ただ黄色の看板を置くだけの姿が映っていた。


「(あの店員…我々の不可視の侵入すら『視て』いるのか! あれはただの看板ではない…対霊的侵入用の『魔術結界』だ!)」


「ひぃっ…!」


エージェント・ゴーストは、目の前の「灼熱の壁(=ただの看板)」の威圧感に耐えきれず、接続ダイブを強制解除。恐怖のあまり逃走した。


(リーダーの誤解:「エージェントが消滅した…! あの結界に触れ、存在ごと焼かれたか!」)


「全計画を中止! あの聖域は、物理的にも霊的にも難攻不落だ! 二度と近づくな!」



「導き手ご自身が『門』を閉じられた!」


アリアは、悠斗の(看板設置という)神業に感動していた。


「我々も支援する! 聖域周辺の『霊脈』を攪乱し、『無形の侵入者』どもが二度と聖域を認識できぬようにせよ!」



シフト終了時間。悠斗は、入り口に置かれたままの看板をちらりと見た。看板の下では、オレンジソーダがいい感じに乾き始めている。


(よし、結局誰も踏なかったな。ベトベトが広がらなくて済んでラッキーだ)


悠斗は満足げに頷くと、タイムカードを押した。


「(さて、帰ろ。掃除は、まあ、次の人がんばれ)」


数分後、新人バイトの佐藤が出勤してきた。


「おはようございまーす。…ん? なんだこの看板」


彼が「足元注意」の看板を(何も注意せずに)どかした瞬間、床にこびりついた最悪のベトベトを発見し、早朝のコンビニに悲鳴が響き渡った。

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