換気扇OFFと、沈黙の結界
深夜の『デイリー・ネクサス』。客足は途絶え、真木 悠斗はバックヤード(休憩室)で至福のサボり時間を満喫していた。
(…あー、やっと休憩だ。仮眠でもとるか…)
彼が安物のパイプ椅子に深くもたれかかり、スマホを構えた、その時。
「ガガガガ…」
「キィィィィ……」
天井の業務用換気扇が、不快な異音を立て始めた。
(…うるさいな)
悠斗は顔をしかめる。異音は止まるどころか、徐々に大きくなっていく。
(これじゃスマホの音も聞こえないし、仮眠もできない。かといって、店長に報告して修理を呼ぶのも面倒だ…)
彼の「安眠」という「最重要事項」が、無慈悲な騒音によって妨害された。
悠斗は舌打ちしながら立ち上がると、壁際にある分電盤の蓋を乱暴に開けた。
(確か、これだったか…)
彼は「換気扇・業務用」と書かれたラベルのスイッチ(ブレーカー)を見つけると、一切の躊躇いなく指をかけ、「切(OFF)」に倒した。
ピタリ、と異音が止まり、完璧な静寂が訪れる。
(よし、静かになった。これで安眠できる)
悠斗は満足げに頷くと、パイプ椅子に戻った。
(シフトが終わる朝までに「入(ON)」に戻しておけば、誰も気づかないだろ。完璧だ)
◇
その頃、シスター・アリアの司令室。
「シスター! 聖域の空調・換気システムが、全停止!」
監視班の一人が叫んだ。ディスプレイには、聖域のエネルギーフローを示す図が、一部「沈黙」していることを示していた。
「同時刻、新たな敵性組織『深淵の囁き(しんえんのささやき)』の活動を補足!」
別のオペレーターが緊迫した声で報告を続ける。
「彼らは、都市全体の空調ダクト網を利用し、高周波の異能音波『不協和音』を散布! 周辺住民の精神汚染を計画しています!」
アリアは、二つの報告を聞き、目を見開いた。
「…! 聖域の『息吹』が、止まった…!」
彼女は、悠斗がブレーカーを落とす(監視)映像を再生させる。
「『深淵の囁き』は『風(空気)』に乗せて災厄を運ぶ…。導き手は、敵の『不協和音』が聖域に侵入するのを予見し、自ら聖域の『風』を断ち切られたのだ!」
アリアは戦慄していた。
「これぞ、あらゆる音(=災厄)を拒絶する、『沈黙の結界』…!」
◇
一方、その『深淵の囁き』の司令部。指揮官が、精神汚染作戦の実行を監視していた。
「指揮官。市内A、B、C地区へ『不協和音』の伝播を開始します」
「うむ。して、最重要中継ノード(コンビニ)の状況は?」
「はっ。安定した電源と広域へのダクトが確認できており、これ以上ない増幅中継地点です。これより、本隊の信号を…」
オペレーターの声が、突如として裏返る。
「…エラー! エラー! 最重要中継ノード(コンビニ)からの信号が、ロスト!」
「何だと!?」
指揮官がモニターを睨む。そこには、アリアの組織とは別ルートで盗撮していた、コンビニのバックヤードの映像が映し出されていた。
無気力な店員(悠斗)が、ブレーカーを「切」にする瞬間が。
(バカな…!? なぜ、このタイミングでピンポイントに電源が落とされる!?)
(まさか…我々が数年かけて構築した『不協和音』のネットワークが…)
指揮官は、悠斗の(眠たそうな)顔を見て、恐怖に引きつった。
(あの男…『終焉の導き手』…! あの無感動な表情…! まさか、我々の『不協和音』のネットワーク網そのものを『雑音』として認識し、その存在ごと『無』に帰そうとしているのか…!?)
最重要中継点を失った「不協和音」の周波数は制御を失い、逆流を開始した。
「指揮官! 増幅装置が! 周波数の逆流で自壊していきます!」
司令部は阿鼻叫喚の地獄と化した。
「神託(=換気扇OFF)に従え!」
アリアの厳命が飛ぶ。
「敵の『風』は止まった! 今こそ『沈黙』の鉄槌を! 混乱する敵の増幅アンテナを叩け!」
アリアの部隊は、自滅してパニックに陥る『深淵の囁き』の拠点を、電撃的に(かつ楽々と)制圧した。
◇
朝。シフト終了の時間が近づく。
悠斗は大きな欠伸をしながらバックヤードに戻り、分電盤の「換気扇・業務用」のブレーカーを「入(ON)」に戻した。
換気扇が、静かに回り始める。
(…あれ?)
悠斗は首を傾げた。
(異音が、直ってる。…なんでだ? まあ、ラッキーか。修理代浮いたな)
彼は、異音が消えた快適な静けさ(と、よく寝られた満足感)に浸りながら、タイムカードを押した。
「(あー、よく寝た。早く帰ろ…)」




