「もっと撫でて」と夢の中で可愛く甘える彼は、現実では無口な騎士団長様!?
第一幕 :落ちこぼれ聖女、辺境で癒やし令嬢になる
それは、ある冷たい朝のことだった。王都の神殿で開かれた話し合いの場で、神官が静かに告げた。
「聖女リーナ。君の力は王都における職務には不適格と判断された。したがって、今後は辺境騎士団にて“お世話係”として任に当たってもらう」
その通達は、冷徹な現実として私の胸に深くのしかかった。
室内はしんと静まり返り、直後に小さな笑い声が響いた。それが引き金となり、空気はたちまち嘲笑と冷笑に満ちたものへと変わった。私に注がれる視線は、まるで見世物を眺めるようだった。
唇を噛み、私は視線を落とす。耳に届くのは、ひそひそと交わされる冷たい言葉たち。
「いつか、そうなると思ってたけどね……」
悔しさと哀しみが胸を満たし、涙がにじみかけたが、私はそれをどうにか堪えた。ここで涙を流せば、彼らの思うつぼだった。
私は静かにひざを折り、丁寧に礼をして、言葉ひとつ残さずその場をあとにした。
王都で「落ちこぼれ聖女」と蔑まれた日々は、まさに長く厳しい冬だった。石造りの廊下を歩くだけで冷たさが身に沁み、すれ違う人々の冷ややかな視線と言葉が心をすり減らしていった。
「奇跡も使えないの?」
「撫でて寝かせるだけ? そんなの、聖女って言えるの?」
私の力は、相手の額に手を当てて、安らかな眠りをもたらすこと。それだけだった。それを真っ当に評価してくれる者はいなかった。
「辺境の騎士団でお話世話係……ふふっ、無能な貴女にぴったりなんじゃない?」
王都を離れる朝、同じ聖女の同僚が吐き捨てるように言ったその言葉は、今でも胸の奥で刺さっている。
荷造りの最中、幾度も涙がこみ上げた。それでも拳を握りしめ、感情を押しとどめた。
——もう、誰にも期待しない。誰にも必要とされなくても、自分らしく静かに生きていければそれでいい。
そう思っていた。けれど。
辺境騎士団の砦に到着したその瞬間、私の頬を撫でた風は、王都のそれとはまるで異なっていた。冷たさのなかに、どこか澄みきったやさしさを含んでいたのだ。
透き通った空気を大きく吸い込むと、胸の奥の澱が少しだけ晴れていくのを感じた。
「リーナ殿ですね? 団長から伺っております。ようこそ、辺境騎士団へ」
出迎えてくれたのは、若い兵士だった。その人懐っこい笑顔と、真正面から向けられる視線に、不意に胸が温かくなる。
王都では決して得られなかった種類のまなざし。疑念や侮蔑の色を含まず、純粋な歓迎だけがそこにあった。
その瞬間、長く張りつめていた心の糸が、かすかに緩んだ。
——ここでなら、自分を偽らずに生きていけるかもしれない。
そう思えたのは、生まれてから初めてだった。
与えられた役目は騎士団のお世話係。雑用や掃除、配膳に洗濯……王都で培った忍耐力を活かし、一つひとつ丁寧にこなしていった。最初は目立たぬようにと努めていたけれど、ある日——
疲れ切ってソファに沈み込む騎士の肩に「お疲れ様」と声をかけながら、思わず手を伸ばし撫でてしまった。
その瞬間、彼はほっと安堵の息を吐き、ふわりとした寝息を立てて眠りについた。
慌てて顔を覗き込んだ私に、しばらくして目を覚ました彼は優しく微笑んで言った。
「こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりです。ありがとうございます、リーナ殿」
その出来事をきっかけに、私の特技は噂となって団員たちの間に広まっていった。
「リーナ殿の撫では魔法よりも効くって、本当らしいぞ」
「次の夜番の後にお願いしたいな」
最初は恥ずかしかったけれど、誰かに頼られることがこんなに嬉しいなんて知らなかった。だんだんと私も、自分の存在を少しだけ肯定できるようになっていった。
夜には「ありがとう」と感謝の言葉をもらい、昼には笑顔で挨拶される。それだけで心があたたかくなった。
——けれど、一人だけ違う人がいた。
冷徹無口な団長、カイゼル様。
銀色の瞳で静かにこちらを見つめるだけで、一切の言葉もなく、私を避けるように背を向けてしまう。そのたびに胸がちくりと痛んだ。
「迷惑なのかな……やっぱり」
そんな不安を抱えたまま眠りについた夜。
私は夢の中で、一人の男性と出会った。漆黒の髪と鋭い瞳。辺境騎士団、団長のカイゼル様。
けれど、その表情は驚くほど無防備で、どこか子どものように甘えた色を含んでいた。
「少しだけ……俺を撫でてくれないか?」
その声に心臓が跳ね上がった。夢なのに、妙に現実味を帯びている。
戸惑いながらも膝枕を差し出し、優しく髪を撫でると、彼は小さく「気持ちいい……」と呟き、子犬のように頬を緩ませた。
目が覚めても、その感触が残っていて顔が熱くなる。耳元に残る声の響きが、今でもリアルによみがえるほどだった。
(あんなはしたない夢……ううっ、恥ずかしい! でもカイゼル様、可愛かったな……)
そしてその日の朝。
(う、嘘でしょう……?)
食堂でふと視線を向けた先でカイゼル様が見せた仕草——今まで意識なんてしたことも無かったけれど、それらは夢で見たものとまったく同じだった。
話すときの小さな癖。無意識に右手を口元に沿えて考える動き。眉間に寄せる優しいしわ。
心臓が、強く跳ねた。
(単なる偶然? でも……)
そのあともカイゼル様は、私の夢の中に現れた。時には静かに寄り添い、時には微笑み、甘い声で私を呼んだ。
「リーナ殿との会話は、不思議と心が落ち着く」
現実の彼とのギャップに戸惑いを胸に抱えたまま過ごしていたある日、王都から一通の手紙が届いた。
『王都の視察団に同行するから、貴女の田舎暮らしを見させてちょうだい』
くすりと笑うような文字に、唇を噛んだ。悔しさと同時に、心の奥に火が灯る。
もう、あの頃の私じゃない。
この胸に小さな誓いを立てた。
絶対に、私の力を証明してみせる。
そして、ここは素敵な場所なんだって胸を張って言ってやるんだ。
第二幕:夢で甘える冷徹団長様と秘密の時間
夢の中のカイゼル様は、日を追うごとにますます素直で愛らしくなっていった。
「もう少しだけ……撫でてくれないか?」
「リーナの手があると、不思議と心がほどけるんだ」
その囁きに胸がふわりと温かくなり、私は思わず微笑んでしまう。
そっと髪に手を滑らせれば、彼は私の膝に頬を寄せ、うっとりと目を閉じる。その姿はまるで甘えん坊な子犬のようで、愛おしさが込み上げてくる。
夢の中では、もっと近くで彼を感じられる。彼の声色や呼吸、体温さえもリアルに伝わってきて、現実と夢の境目が曖昧になるほどだった。
現実でもその影響は少しずつ現れていた。
冷徹で近寄りがたいと評判だったカイゼル様が、ふとした瞬間に私にだけ見せる柔らかな微笑み。
その一瞬を見逃すたびに、胸が高鳴り、まるで夢と現実が繋がったかのような不思議な感覚に包まれた。
「団長が最近優しすぎて……逆に怖いくらいだよな」
「リーナ殿がここに来てからじゃないか?」
騎士団員たちのひそひそ声が耳に届くたび、私は顔を赤くして視線を逸らし、必死に平静を装った。だけど、胸の奥底では甘く蕩けるような幸福が静かに芽吹いていた。
そんな温かい日々にひびが入ったのは、王都からの視察団が訪れた時だった。
その一行に混じっていたのは、かつて私を冷たく笑い、傷つけた完璧聖女、ミレーユ。
『王都の視察団に同行するから、貴女の田舎暮らしを見に行ってあげるわ』
そんな手紙が届いていたことを思い出し、胸の奥が冷たくなる。それでも、私は穏やかに彼女に向き合った。
「こんな田舎で地味なお世話係なんて、相変わらずね」
冷たい笑みを浮かべて放たれた言葉。それでも私は笑顔で答えた。
「ここで、大切な人たちの役に立てていることが……私の誇りです」
「なっ、強がっちゃって……」
「強がりじゃないですよ!」
「だよな! 俺たち実際にリーナ殿にかなり感謝してるし」
その言葉に呼応するように、騎士たちが堂々と胸を張り、温かな視線を私に向けてくれた。その瞬間、胸の奥にじんわりと広がる安堵と感謝の気持ち。涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
しかし、その夜——事件は起きた。
深夜、ミレーユの部屋から苦しげな声が響いたという報せ。駆けつけた付き人たちが「カイゼル様が……追いかけてくる……許して……」とうわごとを言う彼女を見て怯えていた。
「これってもしかして、『夢魔』の仕業……!?」
「夢魔、ですか?」
付き人の一人が、手を震わせながらそんなことを呟く。
「幼い頃、祖母が子守唄代わりに話してくれたんです。相手の夢に出てきて、悪さやイタズラをしてくる悪魔がいるって……」
(……あれ? カイゼル様が? そんなはずない……でも、夢の中のあの姿……)
「普段は普通の人間として生活していて、見た目じゃ夢魔か分からないんだとか……」
胸がざわめき、私は急いで彼の寝室へ向かった。
「カイゼル様……!」
寝台の上で苦悶の表情を浮かべるカイゼル様。その唇からは低くうわごとのような声が漏れていた。
「……リーナを傷つけた奴は……許さない……」
私は彼の頬にそっと手を当て、優しく撫でながら囁いた。
「もう、大丈夫。怒らなくていいの。私は平気よ……あなたは本当に優しい人なんだから」
何度も撫で続けるうちに、彼の表情が少しずつ緩み、やがて穏やかな寝息を立て始めた。
「……リーナ……ありがとう」
その寝言を聞いた瞬間、胸が熱くなり、自然と笑みがこぼれた。思わず肩の力が抜け、ほっと安心した気持ちで胸が満たされた。
——しかし、翌朝。
「団長が……目を覚まされません!」
その声に砦中が騒然となった。私は胸が締めつけられるような思いで駆けつけた。
寝台の上で静かに眠り続けるカイゼル様。その様子はただの眠りとは違い、深い深い夢の底に囚われているようだった。
「原因は……わかりません」
神官の言葉は冷たく響いたが、私はすでに理解していた。
(きっとカイゼル様は自分が夢魔だと気付いてしまったのだわ。優しいあの人はきっと、それで苦しんでいる)
彼は夢魔の力に飲まれ、自ら夢に囚われてしまっている。
侍女たちの「ミレーユ様が苦しんでいたときと同じだわ」というささやきが耳に届く。その声がまるで責めるようで、私の心もざわついた。
私はゆっくりと胸に手を置いた。
心に浮かぶのは、これまで夢の中で彼が見せてくれた柔らかな笑顔、無防備な瞳、甘えるような声。誰よりも彼の素顔を知っているのは、私だ——その確信が心に灯をともした。
「きっと……私の夢になら、来てくれる」
自分自身に言い聞かせるように囁き、私は自室の寝台に向かい、身体を横にしてゆっくりと右手を額に当てた。
「今度は、私があなたを助けに行くわ」
全身がふわりとした浮遊感に包まれ、暗闇の中に溶け込んでいく——その先に彼がいると信じて。私の手は、もう決して離さないと決めていた。
暗闇の中で、遠くから彼の声が微かに聞こえた。
「……リーナなのか?」
「ええ、必ず——あなたを連れ戻しに行く」
夢の世界に足を踏み入れた瞬間、静かな光が差し込み、私を包み込んだ。
第三幕:闇に囚われた彼を救えるのは、ただひとり
私は深く息を吸い込み、夢の世界へと静かに足を踏み入れた。
そこは漆黒の霧が漂い、冷たく湿った空気が肌を刺すように感じられる場所だった。
足元はかすかな光に照らされているものの、一歩進むごとに闇は深まり、視界を覆っていく。遠くから微かに、すすり泣くような声が聞こえてきた。
(カイゼル様……待っていてください)
不安と恐れが胸を満たしそうになる。
でも、何度も夢で寄り添った彼を救いたいという思いが、それを上回って私を前へと進ませた。
ようやく辿り着いた先で見つけたのは、闇に包まれて震えるカイゼル様の姿。
普段は誰よりも強く堂々とした人が、今は小さくうずくまり、怯えた子どものように見えた。
「カイゼル様……」
そっと呼びかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。銀色の瞳は恐れに曇り、戸惑いと孤独がにじんでいた。
「……リーナ?」
掠れた声が私の名を呼んだ瞬間、胸が痛むほどに締め付けられた。迷わず駆け寄って彼を抱きしめると、その体は思ったよりも冷たく震えていた。
「迎えに来ました。もう怖がらなくていい。あなたは一人じゃありません」
私の言葉に、彼は信じられないというように瞬きをし、ゆっくりと腕を回して抱き返してきた。その手はかすかに震えていたけれど、私の温もりを感じて少しずつ落ち着いていくのがわかった。
「……怖かったんだ。無意識に誰かを傷つけてしまう自分が」
その弱い告白に、涙が頬を伝いそうになった。強くあろうとする人ほど、一人で苦しみを抱える。そんな彼を、私は決して独りにさせないと誓った。
「大丈夫。これからは私がそばにいます。辛いときも、迷うときも、一緒に前を向いて歩いていきましょう」
私は彼の髪を優しく撫でた。すると、周囲の闇が少しずつ薄れ、暖かな光が差し込んできた。まるで、希望が芽吹くように——柔らかな花の香りが辺りに漂い始めた。
「……帰りましょう、一緒に」
私がそう囁くと、彼は小さく頷き、私の手をぎゅっと握りしめた。その手の温かさが心に沁みわたり、不安を消してくれた。
一瞬だけ、「本当に現実に戻れるのか」という恐れが胸をかすめた。でも、彼の優しい声がその不安を払った。
「君がいるから、俺はもう怖くない」
私はその言葉を胸に刻み、目を閉じた。
次に瞼を開いたとき、目の前には現実の世界が広がっていた。
「カイゼル様!」
思わず声を上げると、彼のまぶたがわずかに動き、ゆっくりと開かれた。銀の瞳が私を映し、安堵と優しさが混ざった微笑みを見せてくれた。
「迎えに来てくれて、ありがとう……本当に、君は俺の光だ」
胸がじんわりと熱くなり、自然と笑みがこぼれた。彼が無事に戻ってきたことに、心の底から感謝した。
「もう夢の中だけじゃ足りません。現実でもずっと、あなたのそばにいたい」
震える声で伝えると、彼はそっと私の頬に手を添えてくれた。
「これからは、ずっとそばにいてほしい。夢でも現実でも、変わらずに——俺の隣で」
私の胸が高鳴り、涙が溢れそうになった瞬間、周囲からあたたかな拍手が広がった。騎士団の仲間たちが優しく見守ってくれているのがわかった。
そしてカイゼル様は私を腕の中に引き寄せ、皆に向かって力強く言った。
「この人は私にとってかけがえのない存在だ。これからは俺が守り抜く」
その言葉に歓声と祝福の声が沸き起こり、砦全体が優しい空気に包まれた。
私はその腕の中で静かに瞳を閉じた。あたたかさと幸福で満たされながら、心の中でそっと誓う。
(これからは、一緒に未来を紡いでいこう——)
終幕:辺境のお世話係は幸せです
数日後、王都から再び使者が訪れた。
「リーナ殿、神官長からのご命令です。大臣方が慢性的な睡眠不足に悩まされており、あなたの特別な癒しの力をぜひ王都で役立ててほしいと仰せです」
かつて私を嘲り追放した人々が、今は私を頼りにして呼び戻そうとしている。その姿を見ても、不思議と心は穏やかだった。隣にいるカイゼル様が、私の手を優しく包み込み、微笑んでくれているからだ。
「申し訳ないが、彼女を手放すつもりはない」
カイゼル様の低く静かな声に、場がぴんと張り詰めた。
彼の瞳には揺るぎない決意が宿り、凛としたその姿に胸が高鳴った。
騎士団員たちもそれに倣い、「リーナ殿は我々にとってなくてはならない存在です」と真剣に告げてくれる。その言葉に、こみ上げるものを感じて思わず唇を噛みしめた。
使者は焦りの色を隠せず、「しかし、王都の重鎮たちが心身を崩し始めております。このままでは国政に支障が出かねません」と懇願するように言った。
「辺境の防衛も国を支える一部だ。そしてなにより、俺にとって彼女はかけがえのない存在だ。これ以上離れることは考えられない」
その言葉に場が静まり返り、私は胸がいっぱいになり、思わず視線を落として涙をこらえた。
その夜、砦では色とりどりのランタンが飾られ、小さな祝宴が開かれた。
騎士たちは皆笑顔で杯を交わし、「リーナ殿がここにいてくれるだけで心が安らぎます」と優しい言葉をかけてくれる。そのひとつひとつが温かくて、心の奥がじんわりとあたたかくなった。
でも一番心に残ったのは、祝宴の終わり、静かな月明かりの下でカイゼル様が人目を気にせず私の手を取り、「君がいてくれて、本当に良かった」と耳元で優しく囁いてくれた瞬間だった。
彼の瞳は柔らかく、まるで夢の中のように甘やかだった。
「これからも、夢でも現実でも、ずっとそばにいてくれるか?」
「はい、ずっとです」
二人で誓い合ったその夜は、忘れられない甘くあたたかな記憶となった。
——落ちこぼれと言われていた私が、大切な人と共に見つけたこの場所。
それは何よりも温かく、心からの宝物となり、新しい未来への扉を開く始まりでもあった。
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