惚れ薬
目に見えてフローラは怯えていた。
悪夢が現実になった。
彼女の目に、今の俺はどう映っているのだろうか。
フローラは青ざめた表情で後ずさろうとして、足を取られて倒れ込んだ。
「ああ、フローラ、大丈夫ですか?」
今さらもう無理だとわかっていても、平静を装うしかなかった。
「びっくりしましたよね。連絡もなしに、王子の使いが来たみたいで」
白々しくもおどけて見せ、差し出した手を彼女が取ってくれないのは、すでに彼女にはすべて気づかれているからなのだろう。
フローラは震えていた。
とてもとても、恐ろしいものを見る目で。
「あなたが拒むのならもちろんお引き取り願うつもりです。あなたの意見を聞いてから……」
「お、おばあちゃんが倒れてしまったって……この前……連絡が来て……」
予想通り、彼女はすべて知っているようだ。確信に変わる。
「大丈夫です。今は目を覚ました状態だそうです。命に別状はないと外の者たちも申しておりました。ただ、フローラが心配なのであれば、俺も付き添って……」
「王宮に戻れ、そう言いたいんですか?」
「え?」
ズキッと肩の方から嫌な痛みが走った。
まさか……。
考えたくないことが起こった。
「あなたも知っている通り、わたしには大きな力はありません」
フローラは今にも泣き出しそうな声で俺に向かって叫んでいた。
「フローラ……」
ズキズキズキ……と、想像を絶する痛みが広がり始める。
「だっ、だから、戻ったって……み、みなさんの役に立てるとは思えません。わたしは、おばあちゃんのような偉大な魔女じゃないんです。あなたもわかっているはずです」
潤んだ瞳には大きな涙がたまっていた。
「うっ……」
まだ何か言いたいようだけど、言葉にならないのだろうフローラは歯を食いしばる。
「か、叶うものなら恩返しがしたいと思っています。一生仕えろというのならそうします。だけど、怖いんです。あそこに戻ってまた感情が爆発してしまったらって。人の一生を操ってしまったらって……」
「あなたは誰も操っていません。大丈夫ですから……」
痛みでどうにかなってしまいそうだったけど、必死に言葉を並べるフローラに力を振り絞って手を差し伸べるも、勢い良く振り払われる。
自分でも想像していない行動だったのだろう。あっ……という表情を浮かべたあと、フローラは顔をくしゃくしゃにして両手で顔をおおった。
「もう少し、もう少しなんです……」
ズキズキ……ズキズキズキ……。
肩の皮が無理やり剥がされているように痛い。痛いというよりも、燃えるように熱い。
王宮の魔女の術が発動している。
嫌でも察するしかなかった。
「もう少しで、解毒薬が完成する」
すなわち、魔女が騎士を拒絶している。
その合図だった。
「知ってるんでしょう」
ついに、終わりが来たのを悟った。
「わたしが末王子様に使用したのは、惚れ薬よ」
フローラは大粒の涙をこぼす。
すべてを諦めたように、声は落ち着いているが、とてもとてもつらそうに顔をゆがませている。
「フロ……」
「ここにいてもどちらにしても、末王子様の……あなたの人生を狂わせることは間違いない」
フローラは泣いていた。
痛みとともに、意識が朦朧とするのを感じる。
「解毒薬が完成するまで、待ってもらえませんか?」
懇願するように彼女にしがみつかれても、もう動けない。
「お願いします! もう少し、もう少しなんです……」
涙で頬を濡らして、それでもなお頭を下げ続けているのに、抱きしめて大丈夫だと言ってあげられない。
彼女の声が遠くに遠くに感じる。
「すぐに、あなたにかかった呪いを解きますから」
フローラは気づいていた。
それでいて、俺との生活を守ってくれていた。
「ごめん……」
泣きじゃくる彼女にそう言うのが精一杯で、少しずつ俺は動けなくなってしまった。




