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深夜の愛しき来訪者

 フローラの小屋と自室を繋ぐ渡り廊下の方から足音が聞こえ、顔を上げる。


「こんな時間にどうかしましたか?」


 ノックをされる前に扉を開くと珍しい来訪者は驚いた顔を見せた。


「こんばんは、フローラ」


 表情を見るからに、残念ながら夜這いではなさそうだ。


 ふわふわとした温かそうな真っ黒いローブに身を包んだフローラがカップとお茶菓子を載せたトレイを持って立っていた。


「ご用があるなら俺が行きましたのに」


「こ、これ……お夜食です」


 彼女の吐く息は白い。


 それもそのはず。渡り廊下から見える外の景色は白銀の世界だった。


「ああ、あなたにこんなことをさせてしまうなんて、申し訳ないです。こんなに冷えてしまって……さぁ、寒いので入ってください」


 カップがふたつ並んでいるのににやけてしまいそうだ。


 トレイを受け取り、背で扉を開くと彼女は困ったような表情を浮かべながら立ち止まる。


「フローラ?」


「お邪魔になりませんか?」


「あなたが邪魔になることなどありません」


 さ、どうぞ……と、普段は寝泊まりだけをしている室内に彼女を招き入れる。


「この頃遅くまで明かりがついているようだったので」


 遠慮がちに入り口に足を踏み入れ、彼女は躊躇いながら口を開く。


「気にされたならすみません」


「そ、そんなんじゃないんです……お、お勉強……ですか?」


「見ますか?」


「いいんですか?」


 わかりやすくぱぁっと表情を明るくするため、ダメだなんて言えるわけがない。


「兵法について、改めて学び直そうかと思って」


 ろうそくの明かりをもうひとつ足し、手招きをすると彼女がパタパタとやってくる。


「兵法?」


「戦術論ですよ。ほら、この前、まんまと敵の陣地で罠にはまって倒れてしまったでしょう。騎士として第一線を離れて、ずいぶん平和ボケしているなぁと反省しました」


 差し出した書籍に一生懸命目を通す彼女に簡単な説明を加えていくと、徐々にフローラの表情は曇り、眉をひそめていく。


「……わたしのせいですか?」


「え? いえいえいえいえ、俺が単に弱いからですよ。だから増やせる知識があったら増やしたいと思ったんです」


 今までは必要最低限しか連絡を受け付けていなかった部下たちとの連絡を密に取り合うようになってからは彼らへのアドバイスにも繋がり、学びが深ければ深い分、兵法を学ぶことは役に立っている実感もあった。


「学ぶのは好きなんですよ」


「そうなんですか?」


「どちらかというと、思い立って体を動かすというより考えてから行動に移したいタイプでした。前線にいるときも、戦略を練るのは俺の役割でもありましたし」


「……興味深いです」


「他にもありますよ」


 本当に興味を持ってくれたのかはさておき。


 自分について話を聞いてもらえたことが嬉しくて、いくつかノートを取り出すと彼女は言葉通り興味深そうに細い指を伸ばして読み始めたため、その間に彼女が持ってきてくれたお茶をカップに注ぐ。


「いい香りがします」


 甘いバニラのような香りだ。


「………」


「フローラ?」


 俺の姿など見えていないのか、ノートを見つめるなり、夢中でページをめくる彼女は口もとをへの字にしていた。


「ど、どうかしましたか?」


「あなたはどんどん前を行く」


「え?」


「どんどん成長していって、いつも素晴らしいと思う反面、わたしだけ置いていかれた気持ちもあって複雑な想いがあります」


「なっ……」


 頬を赤くした彼女は「すみません」と小さな声で呟いたのが耳に届いた。


「張り合うことでもないのに、あなたを見ていると何もできない自分が嫌になります」


「な、ななな……」


「ジャドールは何でもできるから、嫉妬してしまいます」


 自室だからより一層紳士的に過ごさねばと意気込んで構えていた俺の気持ちなんてお構い無しにまた彼女の無自覚の攻撃は始まる。


「あなたという存在が俺の原動力です」


 今すぐまた抱き寄せて、動きを封じてしまいたいくらい愛らしくて愛おしくてたまらない気持ちをぐっとおさえ、笑顔を作る。


「あなたがいなかったころの自分が想像できません」


「ま、またそんなことを……」


「大切な人がいる男は強くなります」


「は、恥ずかしくないんですか」


「あなたの本音を聞けたんです。俺だけ言わないのはフェアじゃないでしょう」


「……そ、そうですけど」


「あなたは薬草を作って国に貢献をし始めました。俺も何かしたいんですよ」


 一国の王子に戻ると決めた。


 彼女を守りながら、役目を果たすことをまず考えたときにこの方法しか思いつかなかった。


「あなたと過ごしたいという気持ちが少しずつ俺を変えています。感謝しているんです」


 今日のお茶には何も含まれた様子はない。


 それだけに彼女からの応援も感じられる。


「あなたに格好いいと思ってもらえるまで、努力し続けたいんですよ」


 笑いかけると耳まで真っ赤にした彼女は両手で顔を覆う。


 本心である。


 愛おしい人のためだったら、どこまででも頑張れる。


 フローラを守るためなら何だってする。


 もう二度と彼女に手出しはさせない。


 そう思えることが、俺の力となっていた。

 

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