惚れ薬と真実の涙
「ジャドール、座れますか?」
「はっ、はい!!」
穏やかな声でそう言われ、慌てて近くの石段に腰掛ける。
「そんな顔……しないでください」
「えっ?」
そっと頬に触れられ、びくんとする。
「末王子様が、現れたんですか?」
「どうして?」
「夢の中で、あの方を呼ぶ声が聞こえた気がしました」
「ま……」
言いかけて、ぐっと喉の奥が詰まる感覚を感じた。
王宮の魔女の術式が作動しているのだろう。自身の正体さえ明かせない。でも、
「現れましたよ」
本当は、彼女も末王子の正体を知っているのではないかと思えることはある。
「追い返してやりましたけどね」
「ふふ、ジャドールらしい」
口にはしないだけで、こちらの動向を探っているのではないかと思えることが何度かあった。
それでも、彼女が気づかないようにしてくれるのであればそれでもいいかと思っていた。
つい先程までは。
「ジャドール、好きですよ」
「え?」
何を突然……と、目を凝らすと少しずつ深い深い灰色の瞳は光を失い、頬がふんわり桃色に染まっていた。
「ジャドールが一番好きです」
彼女の小さな手が俺の頬に触れる。
(ああ……これか……)
「俺も好きですよ。大好きです」
今のこの人に言うべきなのかは迷ったものの、こればかりは嘘がつけなかった。
しかしながら、後悔をしたのはそのすぐあとだった。
ふふっと笑って、嬉しそうに頬を染めた彼女が俺の首元に手を回してきた。
(ああ、ちょっとこれは……)
「魔女様、聞いてください」
本能のままに行動したいのは山々だったけど、あとですべてが戻ってしまった状態で二度と口を利いてもらえなかったら耐えられない。
「あなたは惚れ薬をかけられています」
それに、彼女を傷つけるのはもっとも嫌だ。
「ちゃんと解毒薬を持っているので、明日には普通の魔女様に戻ると思います」
男に渡された小瓶を見せると、彼女は瞳を大きく見開き、それを手に取る。
「解毒薬……どうやって……」
一生懸命いろんな角度から眺めるその様子が可愛い。
「香りは本物のようです」
匂いだけでも分かるのかと驚き、眺めながら不思議そうにする彼女を前に続ける。
「彼が独自に作り上げたのか、何処かで手に入れたのか定かではありませんが、後者であれば調べる必要があります。このあとの取り調べで少しずつ判明していくかと思います」
「わかりました。はい」
「え?」
「飲んでください」
突然返されて、唖然とする。
「……魔女様、あなた」
(気づいている……)
朦朧とした瞳の彼女は、正気ではない。
だからこそ、いつもより油断をしてしまっているのだと思う。
「不要です。俺にかけられたものは、もう解かれています」
どこまでなら言えるのか、探りながら言葉を発する。
「それに、今だってこの気持ちが操られたものであるのなら、そのままでいたいです。今が一番、俺にとっては幸せなひとときですから」
「嘘だ……」
「え?」
「あなたを大好きな可愛い方がたくさんいるじゃないですか」
大きな瞳がじわじわと潤んででいく。
「それなのにわたしが好きだって言うのは間違っています」
理性を試されているのなら、今この瞬間なのだと思う。
頬を伝う大きな涙を小さな手で拭って、彼女は声を殺して泣き出したのだ。
「あなたのことは大好きだし、そばにいてほしいけど、幸せにもなってほしい」
「魔女様……」
「もっともっと素敵な人に触れたらわかってしまう……そしたら……あなたは森を出ていくでしょう……そしたらわたし……」
「フローラ!」
思ったよりも大きな声がでてしまい、彼女がビクッとしたため申し訳ないなと思ったが、大切な人にこれ以上は言わせるわけにはいかなかった。
「他の誰が何と思っていても構わない。でも、あなただけは……あなただけは俺の気持ちを疑わないでください」
あふれる涙は止まることを知らない。
大きな瞳は情けなく弱々しい表情をした男を写している。
「嫌なら殴ってください」
「えっ……」
「口付けます」
今の彼女に判断力が残されていないことを知っていたのに、彼女がぎゅっと目を閉じたのをいいことに俺はその愛おしい人の唇にゆっくり自分の唇を重ねたのだった。




