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捨てた過去と末王子の苦悩

「す、スチュアート様……」


 後ろから声がした。


 か細くて、今にも倒れてしまいそうな声は聞き覚えがあった。


「ヴィオラ様」


 オリエンダ公爵家のご令嬢が泣きそうな表情でこちらを見ていた。


 明るい金色の髪は一糸乱れずきっちり巻かれていて、大きなリボンで結われている。


 記憶の彼女とさほど変わりはない。


「ご無沙汰しております、ヴィオラ様」


 幼い頃から幾度か顔を合わせていたし、年が近いこともあり、遊んだこともある。


「いっ、一体……一体、今までどこにいってらしたの? わ、わたくし、ずっと……」


「申し訳ございません。騎士となり、魔女様の住む森に仕えておりました」


 年頃になったころ、婚約者候補と言われたこともあったが、すべてが決まる前に俺は騎士となることを決めていた。


 元々去る人間だったから、できるだけ意識をして人には深入りしないようにしていたつもりだったが、彼女にだけは効かなかった。


 いつもこうして、話しかけてくれる。


 すっと心を無にして笑みを浮かべる。


 人間として最低だと思うが、こうして目に見えない壁は作られる。


「先ほど、彼に言ったとおりです」


 結界は張っていたが、こちらの姿は見えていただろうし、声も聞こえていたはずだ。


「そんな……どうして、あなた様が……」


「命よりも大切なものを見つけたからです」


「なっ……」


「もう、王位継承者のひとりでもありません。わたしは……」


「スチュアート、もういい」


「えっ……」


 後ろから兄上……いや、第三王子に遮られる。


「いいのか。目を覚ましたらフローラはわたしのものになっているかもしれないんだぞ」


「あっ……こ、困ります!」


 ほら、と未だぐったりするフローラを抱えた第三王子が苦笑するため、慌てて腕を回し彼女を奪い取る形で自身の腕に収める。


「わざと、馬鹿な王子になろうとするな。おまえを騎士にすることを決めたのは、我らアベンシャールの一族だ。認めてくださった父上の顔に泥を塗る行為はやめろ」


 耳元で言われた言葉に息をのむ。


「ヴィオラ様、わたしが説明しますよ」


 次に見せた第三王子の表情は柔らかなものになっていて、早くいけ……と言わんばかりに背を向けられた。


「彼はこれから、城の外から我々アベンシャール国を守っていくんですよ。ご存知の通り、我が父上からの厳しい難題もすべてこなし、実力をもって認めさせています」


 背中にその言葉が聞こえ、目頭が熱くなった。


 大切な少女を傷つけ、囚人にしてしまい、深い森に閉じ込めることになった。


 今もこうして、好意的に話しかけてきてくれた人を傷つけようとした。


 王子に戻りたくないと、逃げて逃げて逃げて、いつまでも人任せで。


 ひとりではなんともできなくて、結局兄である第三王子に頼ることになった。


 もともと、一国の王子の器ではなかったんだ。そうやって逃げ道も持ち合わせている。


 卑怯なのだ。


 フローラが好きだと騒ぎながら、彼女のためというよりそう言っておけば楽だと自分のためだったのではないかと思えてくる。


 深く深く頭を下げ、その場を立ち去った。


 ずっとずっと、こうして逃げ続けているのだ。


 護衛の兵士たちが後ろについてきたけど、気にせず足早に前に進んだ。


 遠くに行きたい。


 こんな情けない姿を、見せるわけには行かない。


「……ジャドール」


「えっ……」


 いつの間にか、愛おしい人が目を覚ましていたことに気づく。


 深い灰色の瞳が俺を捕らえ、ゆっくり細められる。


「無事だったのですね」


 見られたくなかった。


 でも、俺の女神が笑っただけで、泣きそうなほど胸が温かくなったのだ。 


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