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深い夜と魔女の書籍

「ジャドール」


「……はい」


 漆黒の闇が辺りを覆う静かな夜のこと。


 明日の朝食の準備をしようとサラダにいれるための(ようやく芽を出し、実をつけだした)野菜をいくつか庭から採ってきたところだった俺を待ち構えていたのは彼女で、神妙な面持ちでこちらを見ていた。


 もう休んだとばかり思っていたため扉を開いてびっくりしたのは正直なところだ。


「ど、どうかしましたか?」


 こちらから声をかけることはあっても、彼女から声をかけてくることは稀だ。


 何があったのかと驚いてしまう。


「お願いがあります」


「はい。どうぞ」


 離れること以外のお願いなら何でも叶えるといつも言っているのに、彼女は何かを頼みたいときにはこうしておずおずと俺の前にやってくる。


 こちらの気持ちもお構いなしに寝巻き姿で無防備に現れるところも彼女らしい。


「明日、街に連れて行ってくださ……」


「わかりました」


「えっ、あっ……いいんですか?」


「当たり前でしょう。あなたの願いは最優先事項です」


「……ありがとうございます」


 即答すぎてびくっとさせてしまったが、安堵したように口元を綻ばせる。


「ただし、日差しがずいぶん強くなっていますからね。あまり暑くない格好で準備してくださいね」


 今年の夏は特に暑い。


 雲が晴れたせいか、去年の比べて日の光がダイレクトに肌に直撃するようになってしまったため、彼女のいつも着用している真っ黒な衣装は熱がこもる恐れがあり、気をつける必要がある。 


 とはいえ、彼女に黒い服以外の衣装はあるのだろうか。


「あっ、あの……」


「ん?」


「怪しいことをするわけではありません」


「はい」


 彼女は今でも自分は囚人で、俺が監視の騎士であるという関係性をしっかり守っていて、いつもと何かを普段とは違うことを行いたい場合は律儀に報告をしてくれていた。


「こ、これを見つけて……」


 後ろ手に持った一冊の本をこちらに向けてくる。タイトルは外国語なのか何と書いてあるかわからない言葉が並んでいる。


「珍しい文字ですね」


「! ジャドールも読めないんですか?」


 ひょこっと弾むような動作のあと、目を丸くした彼女があまりにも可愛くて、つい見惚れてしまったそんなとき、彼女はひょこひょこ隣にやってきてその書籍を開いてみせた。


「これ、薬草についてたくさんの記述があります」


「へぇ」


 両手に抱えていたかごを置いて手を伸ばすと、すんなり差し出された書籍には表紙以上にわからない言葉がぎっしり書き込まれていて、挿絵を見て、確かにこれは薬草のことなのだろうなとかろうじて判断することができた。


「ここに、いくつか材料やその代用品が記されていて……」


 今回もまた饒舌に彼女が文字を指差し、ペラペラと語りだす。


「あなたはこの文字が読めるのですね」


 驚いてみせると、こちらを見上げた彼女は「はい」と嬉しそうに笑った。


「さすがです! 俺の魔女様はやっぱりすごい!」


「この地でお世話になったものが教えてくれました」


 珍しく得意げに彼女は頷く。


 あの黒猫のことだろう。ということは……


「これは魔女の文字、なのですか?」


 まぁ、そういうことだろう。


「わかりません。外国の言葉だと思っていましたが、ジャドールもわからないのであれば……あっ、いえ……」


 言いかけて、困ったように目をそらす。


 確かに、俺はいくつか異国の言葉を使用することができるが、彼女は知るはずもない。


 そして、この言葉は本当に分からないため、近隣諸国の文字ではないことは明らかだった。


「俺もわからないことばかりですよ。よかったらこの文字についても教えてください」


「わたしが作ろうとしているのは、これです!」


 好きなことはたくさん話したくなってしまう人なのだろう。


 ソファーに腰掛けると同じく隣に腰掛け、彼女は生き生きと気になっているという薬草について語りだす。


 その姿があまりにも魅力的すぎたけど、きっとそんなことを言ってしまったら二度とこうして気を許してもらえないだろうから口が裂けても言えないけど、隣で楽しそうに話す彼女の姿を見る夜も悪くない。


 明日はどんな日になるのか、今からでも緩んでしまう頬を引き締めるのはとても難しかった。


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