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ジャドール

「あっ、いえ、あの……」


 ずいぶん前に聞いた母の教えだった。


 呪文のように何度も何度も聞いた。


 大切な人ができたら……いや、


「ジャドールと申します」


 ここまで間抜けな言い訳があるかと頭を抱えたくなるほどの言葉が咄嗟に飛び出してきた。


「俺の名前です」


 だけど、いきなり好きだと告げてくるおかしな男だとこの人を怖がらせたくなかった。


「………」


 彼女は一瞬口を開きかけたようだったが、すぐにはっとしてへの字を作る。


「魔女様」


 話題はない。


 もともと話題が多いタイプでもなく、今までだって黙々と騎士になるため練習を重ねる日々を送った俺は、女の子に対して何と言ったら良いのかもよくわからない。それでも、


「これからよろしくお願いします」


 自然と笑みが漏れた。


 会いたかったから。


 この人にずっと、会いたかったからだ。


 大きな灰色の瞳が見開かれ、俺を映す。


 彼女はかつて、この世で最も馬鹿な王子のせいで国外追放を言い渡された。


 国外追放と言われたが、実際は呪われた森の中に閉じ込められることになったと聞く。


 その場を選んだのも解けない魔術で彼女をしばったのも彼女の祖母で、彼女もまた偉大な魔女と言われていた。


 すべては、王子に手をかけてしまった孫娘を守るためだったのだろうと今ならわかる。


 幼い頃から彼女のことは知っている。


 いつもいつも、遠くから見ていた。


 花のように笑い、歌うように話し、王子や騎士、城にいる人間たちを笑顔に変えていた。


 近くて、遠い。


 遠い遠い存在だった。


「騎士の滞在場所を伺えますか?」


 橋の向こうに置いてきた荷物を運びたいのだと告げるとぽかんとした様子で、彼女がこちらを見ている。


 震えは止まっているようで安心した。


「庭ですか? それともあなたと同じこちらに……」


「!!」


 ぴょこっと音がしたような気がする。


 慌てて立ち上がる彼女に言葉を遮られた俺は今度は驚いてその挙動不審な動きを見守ることになる。


 こっちに来いということだろうか。


 絡まった黒髪を背に垂らし、ちょこまかと移動し始める彼女の様子を眺め、そのあとを追う。


 奥に進んだところに渡り廊下があり、ちらちらと振り返りながら彼女は足を進める。


「か、可愛い……」


 不審者でしかないと思いつつも、堪えきれなかったものは仕方がない。


 無意識にもその言葉が漏れていた。

 

『呪われた森の恐ろしい魔女』


 その話は何度も何度も聞いていた。


 何度も何度も。


 小さな後ろ姿に恐怖なんて感じられなかった。


 むしろ、こんなところでこの人がひとりで生きてきたのかと思うと胸が痛かった。


「魔女様」


 呪いなんて、かけられるものならかけてみればいい。喜んでかかってやる。


(守ってあげたい)


 この想いが作られたものであっても、あの日の俺はそう思ったのだ。


 この人を苦しめる全てのものからこの人を守り、この人をもう一度笑わせたい。


「あなたを守ります」


 ああ、やっと言える。


 振り返った彼女は困惑した表情でこちらを見て、逃げるように立ち去って行った。


 こうして自分でも引いてしまう形で魔女様と共に生きていくことになる。


 今までとは違う毎日が始まる。


 残念ながら彼女とようやく言葉を交わせるようになったのは、季節がひとつ過ぎた頃だったけど、俺は満足だった。

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