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新月の朝も前向きに

「ひっ!」


 腕の中で何かがもぞもぞと動く気配がして軽く目を開けると世にも可愛い生き物がいて、これが夢ならもっと見ていたいと身を寄せ、再び目を閉じる……前に、


「ジャ……ジャドール!」


 という悲痛な叫びに今度こそ目を覚ますこととなる。


「……あれ。魔女様、おはようござ……」


「ちっ、近い! 近い! 近すぎます! どっ、どうしてまたここにいるのですか!」


 ぼんやり見ていた世界が少しずつ鮮明に色づき始め、ここが彼女の部屋でなおかつ愛おしい人は腕の中で頬を真っ赤に染め、慌てふためいている状態だった。


「か、勝手に寝室に入りこまないでくださいとあれほど言っているのに……って、聞いているんですか?」


「ん……かわいい……」


「ひっ!」


 久しぶりによく眠れた気がする。


 もちろん、寝ぼけている自覚はある。


「ああ、朝から見える景色があまりにも幸せすぎて、毎日これでもいいです」


「よくありません!」


「もう少しこのまま……」


「ジャドール!」


 起きてください!と一生懸命拒絶してくる姿は可愛いものの徐々に思考が戻ってきたこともあり、観念して身を起こす。


 昨晩は月の出ない夜だった。


 それだけに、彼女の身に何もなかったのだと、内心ほっとしていた。


「ジャドール、聞いていますか?」


「ああ、おはようの口づけですね」


「ちっ、違います! って、きゃーーーー!」


 そのまま引き寄せて頬に唇を寄せる。


 泣いたあともなさそうだ。


「ジャドールっ!」


「あなたが誘ってきたのですよ」


「なっ!」


「心配で見に来たら、抱きついてきたから……」


「なっ! というか、心配って……かっ、勝手に入ってくるあなたの方が心配ですよっ!」


 出てってください!とそのあと俺は頬を膨らませた彼女に追い出されることになる。


 さっと切り替えて朝食の準備に取り掛かりながら、最近の新月の夜を思い返す。


 そういえばここ2ヶ月ほど、彼女は新月の夜に苦しみ泣きわめくことがなくなった。


 何があってもすぐに対応できるよう彼女の部屋の前で待機するのが新月の夜の過ごし方だったが、あまりにも静かで心配になったため、昨晩は様子を見に行ったのだ。


 思ったよりも穏やかに彼女が眠っていたことに安堵して、可愛いなぁと彼女の寝顔に見惚れてしまって一瞬油断をしたとき、寝ぼけた彼女に引き寄せられてしまい、あと少し……あと少し……と思っている間に幸せな朝を迎えてしまっていた。


 カチャッと扉が開く音がして、洗面室から彼女が出てくる気配がした。


 焼いたばかりのパンやサラダを並べたプレートをテーブルに移し、慌てて彼女がやってくるのを待つ。


「魔女様、おはようございます! 改めておはようの口づけを……」


「もうしません! 寝ぼけて自身の寝室を間違えるくせをどうにかしてください!」


 むすっとしている姿も非常に可愛いが新月はまだ終わったわけではない。


 あまり煽らないようにと言い聞かせる。


「あっ、あなたはいつもこうなのですか?」


「こう……とは?」


「そ、その……よ、夜な夜な……じょ、女性の部屋に忍び込んで……あの……その……」


 再びみるみる真っ赤になった彼女は言いづらそうにこちらを見上げた。


「夜な夜な? 一ヶ月に一度あなたの部屋に忍び込むことを言っていますか?」


 夜な夜なもなにも彼女以外の女性と夜に顔を合わすことがない。


「えっと……その、違って……って、そんなに頻繁にわたしの部屋にも来ないでください!」


「えー!」


「えー、じゃありませんよ! 今回も、相手がわたしじゃなかったらどうなっていたか……」


 うるんだ瞳に吸い込まれそうになって我に返り、改めてその意味を考えて吹き出しそうになったのをこらえる。


「えっ? どうって……」


 どうにかなることはあるのだろうか。


「もっと自分を大切にしてください!」


「………」


 つっこんでいいのかそうでないのか。


「魔女様、何度も言いますが、あなた以外の相手のときは万が一の可能性もないので大丈夫ですよ」


「なっ!」


「もちろん、あなたにならどうにかされても問題ありません」


「問題しかありません!」


 ぷっと思わず吹き出してしまってまた彼女を怒らせることとなった。


「お元気そうで安心しました」


「え?」


「いえ、こちらのお話です。さぁ、朝ごはんにしましょう。今日は手抜きで申し訳ないですけど」 


「……いつもおいしいです」


「そうですか。よかった」


 彼女の心にどんな変化があったのかはわからない。


 腹立たしいのは想像するたびにあの忌々しくも爽やかで美しい第三王子の顔がちらつくが、それでも彼女が笑顔ならそれでいい。


 不覚にも、そう思ってしまった。



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