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魔女の呪いと黒猫と

「この娘は王子に呪いをかけた」


 いつの間に現れたのか、黒猫が低い声でつぶやいていた。


 この人《黒猫》は満月の日でもないのに現れるのかとようやく寝息が落ち着いてきた彼女を抱きかかえて座りこんでいた俺は、思考回路が停止した頭でぼんやり顔を上げる。


「同時に、彼女も自分自身の深い深い呪いにかかった。呪いとは、そういうものだ。力が十分に備わっていない者が安易に使えるものではない。人を操るということは、必ずなにかリスクが伴う。この娘は、永遠に末王子の残像に囚われることになるだろう」


「……最悪だ」


「まぁ、わたしに言わせりゃ四方八方から手を回し、隙あらば容赦なく手を出してくる変態騎士に狙われるのとどっちもどっちだが……」


「………」


 腕の中で眠る彼女に視線を落とし、無意識にも支える手に力を入れすぎていたことに気づき、大きく深呼吸をする。


「聞いたことがある」


 黒猫はいつの間にか妖艶な美女に姿を変えていて、形のいい真っ赤な唇が楽しそうに両端に上がる。


「この娘が慕う末王子は、文武両道で人望も厚く、騎士に劣らないくらいの戦闘力を持ち、気品に満ちたお方と言われているらしい」


 今、もっとも聞きたくない名前だ。


「わたしの知っているのは虫が大好きでひねくれたくそガキだったが、今ではずいぶん評価も変わったようだ」


「……それが、なんなんですか」


「地位も名声もあるだけに、いち騎士よりは向こうの方が良いかもしれないな」


「腰抜け王子に渡すつもりはありません」


「ほう。勝ち目があるとでも?」


「あなたもおっしゃったとおり、彼は過去の残像だ。でも俺は違う。彼女とのこれからの時間を十分に一緒に楽しむことはできる」


 本人から直接その名を聞かされてしまった今としては、俺自身もどうしたらいいかわからなかったけど、言わざるを得なかった。


 ここで引くわけには行かない。


 そう思ってしまった。


「遠くにいるものに負ける気はありません」


「相変わらず、気持ちが悪いな」


「彼女の中に印象付けられればなんだっていい」


「はは、救いようがない」


 心なしか黒猫の魔女は嬉しそうに見えた。


「フローラは、あの一件以来、魔女の力を使うことを嫌がって極力使わないようにしていた。だからこんな簡単なことさえできていない」


 長い指先をさっと彼女の額に添える黒猫の魔女。


 何かを唱えたかと思えばすっと上空に引き上げる動作を行う。


 滑らかな指の動きとそれを追うように白い煙のような塊がふわっと宙に舞い、即座に長い指で握りつぶされる。


「熱は抜き取った」


「ほ、本当ですか!?」


 確かに、心なしか彼女から熱が引き、荒かった呼吸が落ち着いたように感じられた。


「フローラには、必ず末王子の影がついて回る。おまえはどうする? それを受け入れられないのなら、今のうちに諦めるんだな」


「愚問ですよ。彼女なら彼女の思い出ごと大切にできます。なんなら塗り替えてやるまでですよ」


「気持ちの悪さもここまでくると返答に困るな」


 ハハッと彼女は声を上げる。


「おまえが因縁の王子を超えられることを楽しみにしているよ」


 彼女を頼む、と黒猫の魔女は笑った。


「……ルシファー様?」


「なんだ、知っていたのか」


「よく似ています」


「それならば、話は早い。満月の夜以外に姿を現したわたしは規則を犯した。ここを去らねばならない。存在していないはずの姿が感知され、じきにババアにも存在が把握されて追われることになるだろう」


「えっ……」


「あとは、おまえに任せるよ」


「で、でも、あなたがいないと……」


「もう心配はしていないさ」


 いつの間にか黒猫は窓の側にいた。


 動きを封じられたのか動けなくなり、背を向けて彼女が去っていく様子を俺は声もなく見守る。


「もうこの娘はひとりじゃない」


 最後に聞いたのはそのセリフで、それから二度とあの黒猫が満月の日に現れることはなかった。

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