【ひと休み編】〜恐ろしい魔女のお話〜
「ああ、美味しい! こんなに美味しいケーキを食べたのは初めてです!」
目の前の男は本当に幸せそうにうっとり瞳を細める。
どこから見ても完璧で美しい所作は、どこからどう見ても育ちの良さを物語っている。
まわりの女の子たちはいつでもチラチラと彼を視線で追っていて、彼は彼で気づいているのに気づかないフリをしているのか、徹底してこちらしか見ていない。
下手なことを言うとまた「口づけがしたい!」だの「あなたが一番だ!」などと騒ぎ出すため、余計なことは言えない。
「美味しい美味しい美味しいです!」
味覚音痴と言っていなかっただろうか。
未だにマイナスな考えでしか彼を見られない自分がやっぱり嫌いだった。
春にまた異国の舞台が行われるらしい。
また観劇に来ようと彼は言ってくれた。
春も変わらず近くにいてくれるのだろうか。
ため息にならないように気をつけ、心の中で謝罪をする。
今までの騎士たちは一刻も早くわたしの元を去りたがったし、極力関わらないようにしていた。
触れただけで呪われるとのたうち回って騒いでいたくらいだし、口づけがしたいなどといって隙あらば抱きついてくる騎士が現れるなんて、想像すらしなかっただろう。
絶望してすべてを諦めていた毎日だったのに、誰か共に過ごしてくれる人をわたしは望んでいたのだろうか。
いきなり感情を操ってしまったのだろう。
まんまと魔女の力に影響されて、好きだ好きだと言っている彼に申し訳なさでいっぱいだった。
「? どうかしましたか?」
「いえ、美味しそうに食べるなぁと思って」
またこんなことを言ったら何をされるかわからないし、そんなことになったら心臓が保たない。
「不思議ですよね。あなたと食べるとなんでも美味しく思える」
言うと思った。
瞳を見る限りでは嘘偽りのない言葉に思えるのだけど、素直に信じてあとで泣くのは自分である。
「食べ物がこんなに美味しく思えるなんて、幸せなことですね!」
柔らかな笑みとともに銀色の髪がさらっと揺れる。
物語から出てきた王子様かと思えるくらいの魅力を持って、この場の空気を一変させていることを本人は気づいていないのか。
この人が望めば、わたしに望むすべてのことはある程度は叶うだろう。
もっともっと素敵な女性が彼のお相手を、むしろ向こうから懇願してやってくるはずだ。
恋人になることだって、ハグだって、口づけだって、きっと思いのままにできるだろうのに。だって、この人は……
「また、浮かない顔をしていますね」
「えっ!」
「気になることでもありますか?」
「あっ……えっと……」
「モヤモヤしてしまう前に言ってくださいね。あなたを悲しませるほうが嫌ですから」
わたしの変化をいち早く気づける人だ。
今ここで考えてしまったことは間違いだったとさえ思わせられる。
「……あなたには、感謝をしています」
「えっ、あっ! はい……」
「何をしたら喜んでくれるかとずっと考えていて」
「あなたとのことならなんでも喜びしか……」
「………」
テンプレートなのだろうか。
毎度毎度言われてしまうと白々しい。
「あなたの言う通り、口づけをしたら喜んでくれるのかとも考えました」
「!! ……ええ!?」
後ろにひっくり返ってしまうのではないかと思うほど、彼は驚きの声を上げる。
「ちょっと待って、い、いきなり何を……」
珍しく動揺した様子が見られて思わず見入ってしまった。
「口づけるのは難しくないかもしれません。でも、それではなんだか違うなと思って、それで……あの……」
「い、いえ、いえいえいえ、違わなくないです。気持ちが変わっても困りますからね。ぜひとも、お願いします!」
あろうことかそのまま席を立ち、こちらに回り込んでくる。
「ちょっ、違います! するとは言っていません!」
自然な動作で頬に手を添えられたため、今度はこちらが動揺させられることとなる。
ここは街のカフェである。
周りの視線も一気に集めた気がするし、そもそもこの場所ではあるまじき距離感で飛び上がる。
「ち、近い! 近いです!」
「……あっ、あなたも人が悪い。俺をどうしたいんですか!」
「こ、これ……」
「えっ?」
「これを……」
先ほど購入した包み紙を手に取り、彼の前に差し出す。……もはや盾のように、とは言わない。
「こ、こんなことしかできませんが……こ、これをあなたに渡したくて……」
「ええっ! えええええっ!」
初めてのお給金で何かしたいと思っていた。
「えっ、あっ……これ、俺の……」
「ええ。その柄を選ぶとは思いませんでしたが」
花柄のエプロンを取り出し、彼が動きを止める。
なんでも持っていて望めば手に入れる彼に何が必要か、いつも考えていた。
視線を向けてしまうと気づかれてしまって、いつものように甘い言葉を並べて絡みにやってきてしまうから、なかなか考えられなかったけど、以前立ち寄ったあのお店で彼がぼんやり眺めていたのを思い出したのだった。
「お気に召しましたか?」
「も、もちろん! もちろんもちろん! 喜んで使用いたします!」
「そ、それならよかったです」
彼と過ごして半年が過ぎた。
彼はいつも新しい可能性を運んできてくれる。
まるで夢のような人だった。
わたしにもまだ前を向いていいのだと言ってくれている気がして嬉しくなることが増えた。
「感謝しています。本当に」
圧倒的な魅力を持つ人だ。
わたしの側にいてくれることがもったいないくらいに。
でも、もう一度、もう一度すべてのことを信じてみたくなった。
「……罪な方だ」
「え?」
彼の本当の気持ちも事情もなにもかも知ることもなく、今日のわたしは久しぶりに心の底から浮かれていた。




