8. 元騎士ダウンズと深夜の密会
しつこいナンパ男からレイラを助けた後、泣き止んだレイラと共に家に帰ったダウンズ。レイラは泣き止みはしたが、何やら自分の中で吹っ切れたみたいで、家に帰ってからはずっとダウンズの後をついてきた。
ダウンズが移動するたびにレイラも立ち上がり、ダウンズの後をとことことついて回り、常にダウンズの隣を陣取るのだ。本を読むときや料理の時はまだいい。トイレや水浴びにも付いて行こうとしたので、流石にそれは止めた。
もう夜も更けて、寝る時間になったため、ダウンズについて回るレイラに自分の寝室で寝るように言ったのが数十分前。寝付けなかったのか、突如レイラが自らの寝室から出てきて、ダウンズにこんなお願いをしてきた。
「その、ダウンズさん。………1人じゃ寝付けないので、傍にいてくれませんか?」
レイラと出会ってはや一週間。レイラは初めて、ダウンズにお願いをしてきたのだ。自分のして欲しいことを、ダウンズに求めてきたのだ。ダウンズは初めての彼女からのお願いに、心の中で飛び上がるほど喜ぶ。
「もちろん!」
ダウンズは心の中の興奮を表に出さぬよう注意しながら、彼女の寝室に入る。ダウンズが貸し与えた時のままの質素な部屋で、ベッドに横になり、毛布にくるまったレイラを見守る。1人だと心細かったのだろうか、レイラはダウンズの右手を握ってきたため、ダウンズも彼女の手を握り返し、にっこりとほほ笑む。
「おやすみ。レイラ」
「はい、おやすみなさい。ダウンズさん」
初めは少し恥ずかしそうにしていたレイラであるが、時間が経つにつれ慣れてきたのか、少しずつ彼女は眠そうな表情に変わっていく。そんな彼女の表情を、ダウンズは愛おしそうに見つめ続けた。
数十分後、レイラが深い眠りに就いたのを確認し、彼女の寝室を出て、そのまま家の外に出る。ダウンズの家を囲む林の中を進み、歩くこと十分、お目当ての場所に到着した。
そこには木以外、何もない場所であったが、木陰から姿を見せる小さな人影が1つ。
「遅いっすよ。もう30分も遅刻っす」
「悪いなアプヒズ。カワイ子ちゃんを寝かしつけてたもんで」
姿を現したのは身長140センチくらいの、ローブのフードを深く被った小さな女性だった。
「例の奴隷の子っすか。死人が保護者の真似事なんて、するもんじゃないっすよ」
「別にいいだろ?死人にだって、同情する心くらいはあるさ」
「あと、そのしゃべり方、違和感凄いっす。クソ真面目なくせに、遊び人気取ってんの痛々しいっすよ?」
「え、マジ?そんなに違和感ある?」
ずかずかと辛らつな言葉を言うアプヒズは、同じ隊に所属していた騎士団時代の後輩である。今騎士団に属しているのはアプヒズのみであるが、奇妙な関係が続いている腐れ縁でもある。
「こっちも言いたいことがあるんだ。レイラとのデート中に呼び出してくれるなよ。危うく彼女が誘拐されるところだった」
「それはすまないっすね。なんせここ一週間の先輩、一度も外に出てこなかったんすから」
「あーあー、きーこーえーなーいー」
アプヒズはここ一週間、ダウンズとコンタクトを取る隙を探していたのだろう。だがダウンズは、レイラとずっと家にいたため、アプヒズがダウンズと接触する機会があそこしか無かったのだろう。
「それで?何の用なんだ?」
「いつものように、騎士団長からの命令っす」
アプヒズから手渡された紙を受け取り、中を見る。中に書いてある騎士団長からの指令を呼んだ後、魔法で紙に火を付け、証拠を隠滅する。
「―――暗殺か。隣町の貴族、ね」
「そうっす。先輩なら1日で済むでしょ?」
「俺を神様かなんかだと思ってる?まあできるけど」
「ですよね。パパっとやっちゃってください」
「簡単に言ってくれるなぁ………」
騎士団長からの命令で慣れているとはいえ、暗殺は暗殺である。事前に情報収集とか準備とか、色々必要なのだが。
「期限は?」
「2週間以内。まあ早い方が良いっす」
「2週間か………。急げば日帰りで帰れるし、機を見てレイラは誰かに預けるか………」
そんな風にレイラを心配するダウンズの姿を見て、アプヒズは少し驚く。
「マジでその子の事、大切にしてるんすね」
「ああ、まあね。成り行きとはいえ保護者になったんだ。責任は持つさ」
「なんかシンパシーでも感じたんすか?」
「―――目が俺に似てると思ってね。まあ、もう治っちまったみたいだけど」
「良かったっすね。先輩みたいな死人にならなくて」
「そうだな。こんな国なんだ。せめて子供には夢と希望を持ってもらいたいもんだ」
ダウンズは自嘲しながら、ぎこちない笑顔を見せた。そんなダウンズを見て、アプヒズは溜息をつく。
「あんまり入れ込まないでくださいよ。騎士団をやめた今、先輩は騎士団長の所有物なんですから」
「わかってるよ。彼女が自立できるようになるまで。それまでだ」
「わかってるならいいっす。騎士団長の理想の為の駒、それが我々なんですから」
騎士団をやめた今、ダウンズは騎士団長の命令を聞くだけの道具である。騎士団長にとって邪魔な政敵や貴族を消す。誰かを守れと言われれば守る。そんな騎士団長の隠し玉なのだ。
「ほんじゃ、よろしくお願いしますね。先輩」
「あいよ。騎士団長にはよろしく伝えといてくれ」
「うぃっす」
そう言ってアプヒズは帰っていった。
「―――そんなに違和感あるかね?このしゃべり方………」
アプヒズに言われた言葉に、ダウンズは今さら落ち込むのであった。
翌日の朝、ダウンズは朝の5時ごろに目を覚ました。ダウンズの朝は早い。いつもこの時間に起きるよう、身体が慣らされているのだ。
ベッドから身を起こし、鏡を見る。いつも通り、そこに映るのは死人だ。夢も希望も失った死人だ。だが最近は少しだけ、目に生気が宿っているような気になる。たぶん、レイラのお陰だろう。彼女のお陰で、ダウンズ自身も救われているのだ。
ダウンズは運動用のウェアに着替え、外に出る。家の外に広がる林の中を、ただひたすらに、でたらめに走る。道も何もない、舗装もされていない、でこぼこの木々の間を、縦横無尽に走り回る。それを大よそ1時間程度、ただひたすらに、休憩もせず全力で走り回る。
林の中でのランニングが終わると、今度は剣の鍛錬だ。騎士団時代から使っているお気に入りの剣を手に取り、素振りを開始する。
十回、百回、千回と、これは2時間ほどの時間をかけて、丁寧に素振りをする。剣の基本の型というのは、何をするにしても大切だ。反復練習こそ、その人の礎となる。暗殺でも、護衛でも、咄嗟の判断が必要な場面で己が身を助けるのは、自らの体に染みついた剣技なのだ。それは騎士をやめてしまった今でも、変わらない。
剣の鍛錬が終わると家に戻る。そろそろレイラが起きる頃だ。彼女を喜ばせるために買った料理本を手に取り、今日の朝は何を作ろうかとページをめくる。
ハムとチーズと卵を乗っけたトースト。これにしよう。今までほとんど家事などやってこなかったため、簡単な料理しかできないが、いずれはおしゃれな料理も作れるようになりたいなと願う。
「おはようございます」
そんな事を考えながらトーストを焼いていると、どうやらレイラが起きてきたようだ。
「おはよう。昨日はよく眠れたか?」
「はい。おかげさまで、ぐっすりと眠れました」
ダウンズと朝の挨拶を交わしたレイラは、とことことダウンズの立つキッチンに歩いてくると、突如ダウンズに後ろから抱き着いてきた。
「ん?どうしたんだレイラ?」
「………いや、ですか?」
「いいや、嫌じゃないさ。好きに抱き着いてこい」
「では、遠慮なく」
レイラはダウンズの許可を得ると、更にぎゅっと抱き着いてきた。ダウンズもトーストが焼けるまで、レイラの事を抱き締め返してあげる。するとレイラは嬉しそうに目を細めた。
レイラはごく最近まで奴隷として生きてきて、誰かに甘える機会なんてほとんど無かったのだろう。甘えたい年頃をずっと、奴隷として過ごしてきたのだ。
その揺り戻しが今、ここで来ているのだろう。ダウンズがレイラを保護し、彼女の信頼を得たことで、今まで甘えられず溜まっていた欲が、ここにきて一気に開放されたのだ。
「「いただきます」」
焼き上がったトーストを皿に乗せ、テーブルについて手を合わせる。焼き上がったトーストにはハムと溶けたチーズと目玉焼きが乗っかっている。少しトースト部分が焦げてしまっているが、これは気にしないでおこう。
ダウンズとレイラ、2人で一斉にトーストにかぶりつき、一緒に顔をほころばせる。少し焦げているが、それでも美味しく出来上がっている。
「美味しい」
レイラの方も美味しいと思っているみたいで、夢中でトーストにかぶりついている。
思えばレイラの口から、自らの料理の感想を聞いたのは初めてだ。直接美味しいという言葉を聞くと、こんなにも嬉しいものなんだなと初めて気付く。勉強して作った甲斐があったということだ。
夢中でトーストを食べるレイラの微笑ましい姿を見ながら、ダウンズもトーストにかじりつく。