3. レイラとの日々②
レイラは目を覚ました瞬間、しまったと自分の心の中で思った。カーテンからは光が漏れだしており、太陽は既に高く昇っていた。寝過ごしてしまったと、心の中で大いに焦る。ベッドで眠ったのは生まれて初めてで、あまりの寝心地の良さについ熟睡してしまったのだ。盗賊に襲われ、前の主人が目の前で殺され、命が助かったと思ったら今度はダウンズという人物に拾われた。正直怒涛の一日で、疲れ切っていたってのもあるだろう。
レイラは慌ててベッドから起き上がった。ダウンズという男、彼は見た感じは優しくレイラに接してくれている。だが、レイラはそれだけで信用はしない。何故なら前の主人である女性は、何度もレイラに優しく接し、それで希望を持ったところを何度もたたき落としてきたからだ。もう騙されない、希望を持たない、そう固く決意しているレイラには、ダウンズの笑顔は嘘にしか見えないのだ。
すぐに身支度を整えて部屋を出る。部屋を出てすぐの場所にはリビングとダイニングキッチンがあり、ダウンズはそこで何やら料理をしている様子であった。男性にしては長いさらさらとした金髪を後ろで纏めた、身長は190センチ程の長身の男だ。ちょっと細身に見えるが、ちらちらと見える肉体はよく鍛えられているように感じる。正直、前の女性主人よりも恐怖を感じてしまう。彼が本性を表せば、レイラには前よりもっと辛い地獄が待っているであろう。
「おはようございます、ダウンズさん」
レイラはそんな恐怖を押し殺し、今日も無表情に、何の感情も載せないよう、ダウンズに話し掛けた。
「おう、おはよう。腹減ってるだろ?丁度サンドイッチができた所だ」
そう言ってダウンズはテーブルに、サンドイッチが二切れずつ乗った皿を2つ並べた。
「―――?どうした?座っていいぞ?」
立ったまま、一向に動こうとしないレイラを見かねて、ダウンズがテーブルの席に座るよう促す。
「えっと、2人の分の食事があるみたいですけど、どなたか来客があるんでしょうか?私の姿は見られぬよう、隠れていた方が良いですよね?」
レイラは思っていたことを口にした。ダウンズが用意した美味しそうなサンドイッチは、奴隷が座れるはずもないテーブルの上に載せてある。前の主人の所での食事は毎回床で、固いパンと水しか与えられてこなかった。今回もそうであると、レイラは思い込んでいるのだ。
また、前の主人は来客があるたびに、レイラの姿を隠したがった。レイラの傷だらけでみすぼらしい姿を、来客の目に入れたくなかったのであろう。来客の度にレイラは腕を無理やり引かれ、暗い牢のような蔵に閉じ込められたのだ。
そんな経験をしてきたレイラにとって、ダウンズが用意したサンドイッチが、自らの為に用意されたものであるなどわかるはずもない。
レイラの言葉を聞いて、ダウンズは表情を歪ませた。何か彼の機嫌を損ねるようなことを言ってしまったかと、レイラは内心で焦り、恐怖する。
「―――このサンドイッチはレイラに用意したものだ。レイラが食べていいんだよ」
「―――え?」
レイラはダウンズの予想外の言葉に、驚いた表情を見せてしまった。レイラは意識して感情を表に出さない様にしているのだ。感情を表に出せば、前のご主人様は喜んでレイラを虐待したからだ。
レイラは自身の失態に内心で焦り、すぐに表情を元に戻す。ダウンズの前で感情を出してしまうのは、「レイラはもう奴隷じゃない」と言われた時と、今回で2度目だ。自身の意志の弱さに、レイラは歯噛みをする。
そんな無表情を装うレイラにダウンズは微笑みかけ、サンドイッチの置かれた席の椅子を引き、まるでお嬢様を座らせるがごとくレイラを招く。
「どうぞこちらへ。レイラ」
ここに座れという事であろう。レイラはダウンズを警戒しつつ、恐る恐る用意してもらった席に座った。レイラが席に座るのを確認すると、ダウンズも向かいの席に座る。
「どうぞ食べて。自信作だ」
ダウンズが満面の笑みでレイラを促す。だがレイラは、そのサンドイッチにどうしても手を伸ばすことができない。これを食べたら最後、ダウンズによる暴力が始まるのではないかと、怖くて体が動かないのだ。
震えそうになる身体と唇を何とか抑え、レイラはゆっくりと口を動かした。
「あの………食べても殴られない………でしょうか………?」
レイラは恐る恐るダウンズに尋ねた。そのレイラの言葉を聞いた瞬間、ダウンズの表情が満面の笑みから、レイラを憐れむ表情に変わり、そして真剣な表情に変わった。
「レイラ、大丈夫だ。約束しただろ?俺は絶対に、お前に暴力は振るわない」
真剣な顔つきでレイラを見るダウンズ。その表情に嘘は感じられないが、ずっと奴隷であったレイラに人を見る目は養われていない。ダウンズの言葉を、完全には信用しきることはできなかった。
ダウンズがレイラに優しく接してくれているのはわかる。だが、その真意をレイラは読み取ることができないのだ。彼は本当にレイラに優しくしてくれているだけなのか、それとも何か思惑があって、優しくしてくれているのか。それを判断できる経験と審美眼を、レイラは持たない。
だが、それでも、彼の優しい言葉でレイラの身体の震え自体は止まった。レイラは怯えつつも、ゆっくりとサンドイッチに手を伸ばした。ダウンズはそんなレイラを真剣に見守る。
皿の上に盛りつけられたサンドイッチを一切れ掴む。中にはレタスと卵とトマトが入った、贅沢なサンドイッチだ。美味しそうだと、喉の奥が鳴る。
ゆっくり、ゆっくりとサンドイッチを口に近づけ、口を小さく開け、思い切ってサンドイッチを口に入れた。
歯でサンドイッチを噛みちぎり、口の中で咀嚼する。中に入っていたふわふわの卵は塩で味付けされていて、レタスとトマトの野菜の味が混ざり合い、塩味がその美味しさを際立たせていた。
口の中に幸せが広がり、レイラは我を忘れて、再度サンドイッチにかぶりついた。こんなに美味しいご飯を食べたのは何年ぶりだろう。もう思い出せないほど昔に食べた以来の料理の味覚に、サンドイッチを口に運ぶ手が止まらない。
無我夢中でサンドイッチを食べていると、気付けば既に一切れのサンドイッチを食べ終わってしまっていた。
恐る恐るレイラは、ダウンズの方を見た。だがダウンズは、先ほどまでのレイラの夢中っぷりを見ていないかのように、サンドイッチを彼も頬張って視線を逸らしていた。これは特別な事ではない、これからはそれが普通なんだ。そう示すかのように。
サンドイッチを食べたくらいでは殴られる心配はない、そうようやく察したレイラは、残った一切れも手で鷲掴みにし、夢中で食べた。
すぐにもう一切れも食べつくしてしまった。贅沢で幸せな時間は、もう終わりを告げてしまったらしい。
思えば昨日から何も食べてないため、レイラの腹はまだ満足していない様子だ。サンドイッチを二切れも食べても、まだ満足しない胃袋にレイラは苦笑した。贅沢を覚えれば、内臓もどうやら贅沢になるようだ。
そんなレイラの様子を察したのか、一切れサンドイッチが残っていたダウンズの皿が、いつの間にかレイラの前に置かれていた。
「あ、あの、これ………」
「腹いっぱいなんだ。食べてくれないか?」
ダウンズがレイラに微笑みかけながら、そんな事を言う。これは流石にレイラでも真意がわかった。成人男性がサンドイッチ一切れで満足するわけがない。レイラのお腹の具合を察して、自分の分の一切れを差し出してくれたのだ。
「で、でも………」
レイラはそれでも断ろうとした。だが、レイラのお腹が、それを許さなかった。
ぐぅ~~~~~~~~。
レイラのお腹から腹の虫が盛大に鳴いた。その予想外の大きさに、レイラもダウンズも目を丸くした。
「「……………」」
しばらく続く静寂。それを破ったのは、ダウンズの笑い声だった。
「あはははは!ほら、腹の虫も食いたいって言ってるじゃないか!遠慮せずに食ってくれ!」
「―――はい。いただきます」
レイラは恥ずかしさで顔を少し赤くしながら、サンドイッチに手を伸ばした。