2. レイラとの日々①
少し人里から離れ、木々を抜けた先の丘にポツンとある一軒家。これがダウンズの家だ。男の1人暮らしにしては少しだけ広く、1階建てであるが、リビングとキッチンの他に部屋が3部屋もある。うち一室はほとんど使っていない部屋なので、この部屋をレイラにあてがう予定だ。
「ようこそレイラ!これからここが、君の家だ!」
前を歩いていたダウンズがレイラの方を振り返り、両手を広げて得意気にそう言った。
「私の………家?………」
レイラは目をぱちくりさせ、何を言ってるんだという目でダウンズを見た。
「そうさ!………まあそう大きくは無いが、立派な家だろう?」
「あ、あの………私の家では、無いです………」
「そう言うなよ?これから君も一緒にこの家に住むんだ。君の家と言っても差し支えないだろう?」
レイラはダウンズの言葉に困ったような表情を浮かべた。どんな顔をすればいいのかわからないのであろう。
「さぁ入って」
ダウンズがレイラを玄関まで案内し、先に家に入って行く。レイラは警戒を緩めずに、恐る恐る家の中に入る。
「おかえりなさい。お嬢さん」
レイラが家の中に入ると、ダウンズは準備していたのか、まるで執事のように頭を下げてレイラを出迎えた。
レイラはこれにもあまり反応は見せずに、ただただ困ったような表情を浮かべる。まだまだダウンズを警戒しているんだろう。
「ごめんな。嫌だったか?」
「いえ。嫌では、無いです」
レイラが無表情で答える。どうも今は戸惑っているだけのようだ。
「とりあえず浴室に水を出す魔道具があるから、それで汚れを落としてきな。使い方はわかるか?」
「はい、わかりますけど、水を使っていいんですか?―――前のご主人様はからは、水を使うと鞭打ちにあったので」
レイラは無表情でそう言った。レイラの言葉にダウンズは胸が締め付けられる。彼女の境遇はその見た目から想像はできていたが、いざその一端を本人の口から聞かされると、より一層痛々しさが増す。彼女は何でもないような様子で口にするが、そこに至るまでどれほど苦しんだか、ダウンズには想像もできない。
「大丈夫、気にせず使っていい。俺はレイラに暴力を振るわない。絶対にだ」
ダウンズはレイラに目線を合わせ、彼女に向かって真っすぐに伝えた。
「はい、わかりました。ありがとうございます」
口ではそう言った彼女であったが、彼女はそんなダウンズの言葉を、全く信用などしていない様子であった。彼女のくすんだ瞳が、「どうせお前も前のご主人様と同じなんだろう?」と、ダウンズに訴えかけてくる。
着替え用のシャツとタオルを受け取って、くりると踵を返して浴室に向かって行ったレイラの背を見送り、ダウンズは1人ため息をついた。信用されるまで根気強く、粘り強く、接していくしかないのだろう。ダウンズは1人拳を握り締め、「上等だ」と呟いた。
「水浴び、終わりました」
浴室からリビングに帰ってきたレイラは、男性用の大きなシャツを1枚身に纏った姿でダウンズに話しかける。ダウンズは男の1人暮らしで、恋人なんかもいない。家には男性用の服しか無かったため、レイラにはこれで今夜は我慢してもらうしかない。明日にでも女性用の服を買いに行く必要があるだろう。
「水も滴るいい女だな」
「そうですか。ありがとうございます」
ダウンズがレイラを褒めるも、レイラはまたも困ったような表情を浮かべる。そんなレイラに、ダウンズは苦笑する。根気強く接すると決めたばかりだ。これくらいじゃあへこたれない。
そもそもダウンズは同じ女性に何十回もアタックして、玉砕しているような人間である。このくらい屁ではないのだ。
「レイラは何歳?」
「14歳です」
ダウンズは少し驚く。見た目的には10歳から12歳くらいかと思っていたのだが、14歳ならもうすぐ成人ではないか。前の主人にはまともな食事さえ与えられていなかったのだろう。その所為で、成長に必要な栄養が不足していたのだ。
この国、ミスト王国では成人の年齢は15歳だ。15歳から親の保護から外れ、酒も飲めるようになる。まだ幼い少女だと思っていたのだが、彼女はもうすぐ立派な成人になるのだ。
だが、15歳を超えたからと言って、すぐに独り立ちできるかと言えばそうでは無い。ずっと奴隷として過ごしてきたのであれば当然、社会のルールや生活の仕方などわかるはずもない。彼女を保護したからには、彼女が独り立ちできるように、ダウンズもサポートするつもりだ。
そんなことを1人で考えていると、今度はレイラの方からダウンズに尋ねてくる。
「私はこの家で何をすればいいですか?ご主人様」
「――――――ん?ご主人様?」
ダウンズはそこでレイラがしている勘違いに気付いた。レイラはダウンズの事を、新たな主人だと勘違いしているのだ。自分の事をまだ、奴隷だと思ったままなのだ。
「レイラ。君はもう奴隷じゃないんだ。俺の事もご主人様なんて、呼ぶ必要はない」
「―――え?」
ダウンズのその言葉を聞いて、初めてレイラは感情を表に出して驚いた。
「レイラはもう奴隷じゃない。主人に奉仕する必要はないし、理不尽な暴力を振るわれる心配もない。君はもう、自由に生きていいんだ」
驚いたような表情のままダウンズの言葉を聞くレイラ。レイラにとってはそれほど、衝撃の言葉だったのであろう。
しばらく驚いた表情で固まってしまっていたレイラだが、ダウンズが自分を見ていることに気付き、すぐに表情を元の無表情に戻す。
「あの………急に自由に生きていいと言われても、よくわかりません」
「大丈夫。その為に俺がいる。ちゃんと君が1人で生きていけるようになるまで、サポートする」
「そう、なんですね。ありがとうございます。では、あなたを私は何と呼べば………?」
いつもの無表情に戻ったレイラがダウンズに再び尋ねる。
「ダウンズでいいよ」
「そうですか。では、ダウンズさんで」
「おう。それでいい。これからよろしくな、レイラ」
「はい、よろしくお願いします。ダウンズさん」
ダウンズがにっこりとレイラに微笑みかけるも、レイラはやはり無表情のままである。やはり、一朝一夕にとはいかないみたいだ。
「腹は減ってないか?」
「―――はい。大丈夫です」
ダウンズの問いに、少し間を開けてレイラが答える。
「そうか。だったら今日は疲れてるだろうし、もう寝ようか。レイラの部屋はあっちだ」
ダウンズは立ち上がり、レイラを余っている部屋に案内する。物もほとんど置いていない、タンスとベッドだけが置かれた、簡素な部屋である。元々は女を連れ込むための部屋なのだが、ここ一年くらいは成果もゼロなのでほとんど使っていない部屋である。
「こんなに広い部屋を、使っていいんですか?」
「ああ、もちろん。そこのベッドも自由に使っていい」
「い、いえ。私は床で結構です。ダウンズさんが、お使いください」
「俺は俺で別のベッドがあるんだよ。余ってて勿体ないから、遠慮なく使ってくれ」
食い下がるレイラをダウンズはなんとか説き伏せる。レイラの様子からは遠慮しているというより、怖がっているというのが正直なところだろう。前の主人から解放されてすぐに別の人間に引き取られ、そこでは優しく迎えられる。そのギャップに戸惑い、揺り戻しが来ないか恐怖しているのだ。
「わかりました。では、こちらの部屋を使わせていただきます」
「うん。そうしてくれ」
ようやく折れたレイラにダウンズは大きく頷き、部屋の外に出て扉を閉めた。
彼女はまだまだダウンズを警戒している。14歳の少女が急に知らない男の家に連れて来られたのだ。そりゃあ警戒するだろう。だからこそダウンズは、この警戒を解き、レイラがこの家で安心して過ごせるように、根気強く彼女と接する必要がある。今日の彼女との会話は、その為の第一歩だ。