ある星の綺麗な日
星が降るようで…………
「綺麗な空だ……」
ここは都内から離れた、ある田舎町の都会とは縁遠い夜の道である。俺達は地元から電車に二時間揺られ、わざわざこんな何もない田舎町までやってきた。
「ホント……、でも天文台から見る星はまた違うと思うよ」
「晴れて良かった……」
街灯も少ない真っ暗な道を、三人分の足跡を響かせて歩く。空気の汚れた都会とは違い、ここは星が良く見える。星ってこんなにあったっけ……都会育ちの俺にしてそんなことを思うくらいの、星の綺麗な日の夜だった。
「けど真っ暗だね、若林、道わかってる? 迷ったら最悪だよ」
「それは大丈夫、間違えるような道じゃねえし、もう……ほらあれだろ」
真っ暗な道の先に見えてきた、山の麓の広場への入り口。あそこから入れるらしい。天文台の看板も立っている。
「そだね、すぐ分かって良かった」
「ドキドキする……」
「さっさと行くか」
俺達は、学校の天文部に在籍している高校一年生である。天文部といっても部員は俺達だけだ。
先輩はいない。星好きの三人が集まって即席でできた部だ。だからまだ部ではなく愛好会。その記念すべき初活動として遠路遥々遠くの天文台まで足を運んだわけだ。
「わ、虫除けスプレー持ってくれば良かった~。ううカユイ」
部員その1、大日向蓮華。変な名前だろう。俺も最初にクラス名簿を見た時にはどう読むのか迷った程だ。
オオヒナタレンゲ、地方ではよくある苗字らしいが、それにしたって珍しい名前だ。蓮華……バトル漫画の必殺技みたいだな、と言ったら殴られたことがある。彼女の家系は代々変な名前を子供につける風習でもあるのか。
ちなみに彼女は元柔道部。ケンカでは一方的に負ける。容姿は、柔道を止めた後から伸ばし始めた黒髪が腰まで届く大和撫子だ。整った輪郭にパッチリと大きな目。
正直な感想を述べれば綺麗な女の子……格好良い美少女だ。夏休みに入る前に三人に告られたらしい。本人談「いやなんか地味だし……」地味じゃなければ、お前と付き合えるのか。「そういう問題じゃなくてっ……もお、だから……」だからなんだよ。「うるさいっ、もう嫌いっ」俺を嫌いかどうかの話だったか……
終了式が終わった後で部室に二人っきりになったときの会話である。同時に三人からの誘いを蹴ってまでここに来る程の愛部精神は、まあ嬉しいけれど。
我が部は別に、芸能事務所みたいに恋愛を禁止しているわけじゃあ、ないのだが。彼女の真面目な取り組み方には素直に感心するべきだろう。
「私、持ってきた。……貸す?」
部員その2。有岡美緒。こっちは普通に読めばいい。……いや世の中変な名前ばかりとは言わないけれど。彼女は形だけでも部長だ。
最初に天文部の話を言い出したのは彼女だ。自分の天体望遠鏡を持っているくらいの星好きで、その望遠鏡は今俺が担いでいる。
……いや古臭い男尊女卑を持ち出したりするほどに、俺は明治天皇万歳ではないが、それにしたって不公平な気がしないでもない。
腕力だけなら絶対大日向が強いだろうに、男だという理由で荷物持ちを押し付けられる俺。はあ別にいいけどな。
アリオカミオ。セミロングの薄い茶色の髪の毛。我が校は校則により染色を禁じられているが、彼女のそれは元々だ。遺伝、ということらしい。
やはり整った綺麗な顔に、クリクリした目。綺麗な大日向と並ぶと可愛さが目立つ彼女。
俺を天文部に誘ったのは彼女だ。大人しそうな外見だが、意外と行動力のあるお姉さんキャラである。クラスの中には大日向より彼女の方がいいという人間もいる。納得の意見だと思った。
「わ~ありがと有岡さん。すっごい気が利くね。……結婚してください」
「……はあ、私ですか? 女の子同士は……ちょっと……」
「大日向、有岡を困らすな。お前はもう帰れよ、ここからは二人きりで……」
「あっ、有岡さんを独り占めにする気? 私のだからねこの娘はっっ」
「……誰のでもありません」
毎日を部室で過ごす俺達には既に、互いに気を使うことのない人間関係が構築されていた。その代わり、ろくな男友達ができない俺だった。……触れて欲しくない現実だった。
ふうやれやれ。友達が少ないわけじゃあっ、ないからなっ。……少数精鋭な、だけだからな……
……自己嫌悪。
それはともかくとして、俺達はさっきから山の中腹に位置する天文台に繋がる山中に造られた石階段を登っている。十数分ほど経っただろうか? 白い建物が見えてきた。
「あれだ」「そだね」
月島天文台。インターネットで調べた通りだ。通に人気の天文台らしい。まばらに人の影も観察できる。彼等も星を見にきたのだろうか。……まあ観察するのは星で間に合っているけれど。
「こっちが入り口だな。……おいどこ行くんだよ、おい」
大日向が正規の道を外れて行った。そっちは天文台とは反対方向だ。
「私後で行くよ。少し探検してくる」
「探検? っておい、一人じゃあ……」
その後ろ姿が妙に寂しそうで、何故か心が締め付けられるようだった。
「じゃあね。また後で……」
おいおい何だよ。折角三人で来たのに、彼女は一人でいってしまう。Tシャツとスカートの後ろ姿はやはり何か切なくて、後ろめたい感情が俺の心を支配していった。……このまま行かせてはいけない気がする。
どうしてそんなことを思うのか分からなかった。行きたいというのなら行かせてやればいい。止める理由なんてないのだから、でも……俺は……
「行きますか、若林君。天文台はあっちですけれど……」
「あ、ああ」
俺は彼女の方を一瞬振り返りながらも、もう一度大日向の小さくなっていく背中を見た。
「ならはやく、行ってあげなさい」
「……?」
「私といても、楽しくないでしょう?」
「いや、そんなことは……」
そんなことはない。そんなことは……ないけれど……
「彼女、きっと待ってますよ。行ってあげなきゃ可哀想ですよ。それも、持っていって、ね」
俺の背中の望遠鏡を指して言う。
「……有岡は……」
「私は、一人で平気です。一人でも平気でした。……でも」
彼女はその表情を無理矢理笑顔にして言った。
「あなた達が部に入ってくれて良かったと思ってます。邪魔する気はありませんよ。ほらはやくしないと、間に合わなくなって……」
言葉の途中で俺は駆け出していた。去り際に、一言だけ。
「ごめん」
大日向が消えた方に向かって走った。……有岡は独りで天文台に向かっていった。……ったく、あいつはいつも勝手ばかりする。
人の気も知らないで……大日向蓮華。
俺はひたすら走った。彼女の消えた方向をただひたすら行く。道なき道を、彼女の姿を探して走った。はあはあ、やばいな。どこいったあいつ。見つからない。
……それにこの暗さ、ミイラ取りがミイラになるとも知れない。これ以上は危険か、そんな思考が頭を過ぎり、そこで奇妙な音が聞こえてきた。
それは鼻をすする音だったり、何かを擦るような音であったり、誰かが呻くような音だった。少なくとも人の気配だった。……ったく。
「お前、ここにいた……?」
彼女は木陰にうずくまるようにしてしゃがみこんでいた。
「……わか、林?」
その目は何故か赤く腫れ上がり、涙が頬を濡らしていた。それをはっと拭う彼女。赤い目を隠すように後ろを向いた。
「これ、は……」
「大、日向……」
彼女は語り始めた。吐き出すように、語り始めた。
「……若林……この前有岡さんと一緒に帰ってたでしょ……」
…………
「あの日、……今日は部活ないからって、有岡さんも言ってて……だから私、若林のこと待ってたのに……」
…………
「二人がこそこそしてるから、私、……追いかけて……」
……なら、まさか……
「有岡さんに、告白された、でしよ……」
…………夏休み前の、ある日のことだった。彼女は、有岡美緒が言ったのだ。今日は部活動はないのだと。
部活動とは言え、部室で談笑しているだけだが……、とにかく部活がないのなら大日向でも誘って帰ろうかと……そう思っていたら、有岡が言った。
相談したいことがある。と、言われた。一緒に帰らないか、と言われた。その帰り道だった。彼女に告白されたのは。
……まさかその場に彼女もいたとは考えもしなかったけれど、あれを見られていたか。……思いもしなかった。だが彼女は一体どこまでを……
「……大日向、お前……どこまで」
「……若林がなんて返したか、聞いてない。……恐かった、から」
「……」
「でも、次の日も、部活で有岡さんと若林……」
「……」
「……普通に話して、たから。私、怖くて……怖くて」
ならば、彼女は誤解をしている。俺達は、擦れ違っている。互いの思いが、見当違いの方向を向いて……いる。
彼女は、大日向蓮華は……後ろを向きながらも、きっと悲しい顔をしているのが分かる程に、今にも崩れ落ちそうだった。
「……だから、もう私は……」
「……断った」
「……え?」
は~あ、もう逃げられない、か。もう駄目だな。そんな彼女の顔は……俺は見たくない。なら道は一つしかない。
「断ったよ。お前とは付き合えないって……」
「……? なん、で……」
「いや、……なんていうか、まあ……なんでだろな」
理由なんて一つしか思い当たらないだろうが。こいつも鈍感だよな。大日向蓮華は、不器用な女の子だった。教室で始めて話したときは、こいつは大人しいキャラなのか、と勘違いするくらいの人見知りだった。
人間関係を上手く扱えない彼女。思いつめて一人で泣いていた彼女。彼女の弱さを見たような気がして、少し胸が熱くなる。
そこで俺はあることに気がついた。そして悪巧みを思いつく。……やるか。
「大日向、こっち……」
「……何?」
そうして俺達は止まっていた道を再び歩きだす。来た道の延長線上をなぞるように。すると、そこは
……星が降るようで……眩しいくらいの星、星、星、だった。二人で息を呑んだ。
「……すげ」「……明るい」
夏の夜空に満天の星星が輝いていた。……星ってこんなにあったのか……改めてそう思った。
空一面が余すことなく星空だった。何の出し惜しみをすることなく星達は光輝いていた。
そこは高い木々がなく、空を見渡せる広場のようになっていた。辺りには人は誰もいない。どうやら穴場らしい。
「……来て良かったな」
「……うん」
そして俺は担いでいた望遠鏡を取り出し、組み立て始める。仕組みはだいたい分かっている。それはすぐに終わった。
望遠鏡を覗き込んだ。……すごい。こんなに綺麗に見えたのは初めてだった。田舎で空を見上げたときよりも、綺麗かもしれない。
だが星の知識はそこまであるわけではない。そういうのは部長が解説してくれるはずだったのだか……
まあいい。彼女にも望遠鏡を勧めた。
「ほら、お前も覗いて見ろよ」
「……」
彼女はおずおずとそれに従った。覗き穴に右目をあてて左目をつぶる。そして感嘆の表情。……大日向も綺麗だな。
「……キレイ」
望遠鏡の筒に両手を添えている彼女は、視界を遮られている今の彼女はこの上なく無防備だった。
隙だらけの彼女。……全く、油断しすぎなんだよ。隣に俺がいることを忘れるな。
俺は彼女に気づかれないように、望遠鏡の下に潜り込むようにして、……横向きになって彼女の唇を……軽く奪った。……そっと触れるくらいの、控え目な口づけだった。……初めてだった。
びくっと望遠鏡から離れる大日向。戸惑いを隠せない彼女。その顔は泣き腫らした瞳に合わせるように真っ赤だった。
「……え、いま……何して、う、うあ……」
「……」
彼女の後ろを、満天の星空が彩るように光る。何だか紛らわしい。どっちが星何だか……分からないじゃないか。ここに一番明るく光る《星》がいた。
真っ赤だから火星だろうか。いや、ここは太陽にしておこうか……何か可愛くないな太陽って……
怒られたくないから、秘密にしておこう。今はまだ、彼女のそんな顔を見ていたいから……
どんな風に切り出そうか、望遠鏡でお前のことずっと見てて良いか? ……いやクサいか。でも天文部らしい告白の仕方だと思うけれど……
俺だけの太陽になって、ずっと照らしてくれないか? ……駄目だ。俺にはセンスがないらしい。ほら考えている間に、彼女が呆然としているじゃないか。
……でも彼女という《星》をずっと見ていられたらそれでいいか。それだけでいいか。そういう風に、伝えれば、いいのかもしれない。
「……若林」
「ええと……」
素直な気持ちを伝えてみることにする。率直な想いを、ぶつけてみることにする。彼女に、ちゃんと届いたらいい。
例え俺達の間が何億光年離れていたって、望遠鏡を覗き込めば、そこに見える。空を見上げれば、そこで光っている。……けれど。
よし決まった。彼女にはこう言おう。遠くの空で光ってなんか、欲しくない。見上げれば確かに見えるかもしれないが、それでも俺は……
彼女の側にいたいから、だから……
「……俺の隣で、いつまでも輝いている……星になってください」
周りのどんな星よりも、綺麗な《星》が今目の前で光った。