聖女、処刑されるってよ
「神妙にしろ、聖女エフィ!」
「あら、騎士団長様ではありませんか」
神殿に入ってきた一団の先頭に立つ男性を見て、私は首を傾げた。
「いかがなさいまして?」
「お前を捕縛させてもらう!」
団長の部下たちが、渋々といった様子で近寄ってくる。周りにいた神官たちが金切り声を上げた。
「聖女様に何ということを! 神罰が下りますよ!」
「神罰? 反逆者を捕らえるのだ。むしろ感謝していただけるだろうよ」
非難の嵐にも団長は涼しい顔だ。私は皆に「お静かに」と言い渡す。
「全て神に委ねましょう」
こうして私は団長の手によって、罪人として神殿から連れ出されたのだった。
****
「牢獄には先客がいるからな」
王都の片隅にある古びた監獄。石造りの廊下に靴音を響かせながら、団長は上機嫌だった。
「こんな冷たく薄暗い場所に一人では寂しいだろう?」
ある房の前で団長が足を止める。彼の部下がカギを開け、私は団長にきつく背中を押されて中へ押し込められた。
お世辞にも広いとは言えない部屋だ。壁も天井も石で出来ており、廊下とは鉄格子で隔てられている。私の身長よりもずっと高いところにある小さな窓にも、同じく鉄の格子が嵌まっていた。
家具は粗末で小さなベッド一つきり。その上に誰かが座っている。
上背のある鍛え上げられた体。高い鼻梁や眼光の鋭い瞳から、高潔な雰囲気が漂う青年だ。
廊下の松明に照らされた美丈夫の姿に、私は目を丸くした。
「ランスロット様……?」
「そいつが神殿から出て来るところを、たまたまワシの部下が見つけてな。報告を受け、ピンと来たというわけだ。この件には、あの愚かな聖女が絡んでいるだろう、と」
団長はしたり顔だ。
「数日後には、そいつもお前も断頭台送りになる。あの世への道連れ同士、せいぜい仲良くするんだな」
団長は部下を引き連れ、笑いながら去っていく。ランスロット様は立ち上がり、私を信じがたそうな目で見た。
「まさかエフィ殿がここに来るなんて……」
「困惑しているのは私も同じです。先ほど団長様が仰ったことは真実なのですか? ランスロット様は神殿から出て行こうとした?」
ランスロット様とは数ヶ月前、戦場で出会った。重症を負って動けなくなった彼を私が保護したのだ。
――聖女様! その男は敵国の将ではありませんか! 確か、ランスロットとかいう名の……。
――いくらなんでもそのような者まで救うのは……。
皆からは反対されたけど、私は魔法を駆使して懸命に彼を治療した。
私は騎士ではない。けれど戦争の度に従軍しているのは、一人でも多くの人を救うためだ。たとえそれが敵であろうと関係なかった。
昼夜を問わずに看病したお陰で、ランスロット様はどうにか命を取り留めた。しかしその間に敵は自国へと引き揚げてしまい、私たちも少数の兵を残し撤退することとなる。
その際に私は彼を連れ帰り、王都の神殿に匿うことにした。まだ治療は終わっていなかったし、功名心にはやった団長が彼を殺してしまうのを恐れたのだ。
「神殿から逃げ出さなくても、帰る手立てならきちんと用意するつもりでしたよ? あなたを騎士団に引き渡す算段なら、最初から助けてなんかいませんもの」
「別にエフィ殿を信用しなかったわけではない。ただ、いつまでもあなたの世話になっているわけにはいかないだろう」
「逃げる」という表現を不名誉なことだと思ったのか、ランスロット様はちょっと険しい顔になる。
「それに私を囲っていると分かったら、あなたにとって不利になるに決まっているじゃないか。だから怪我が治り次第、騎士たちに見つかる前にさっさとお暇しようとしただけだ。……上手くいかなかったが」
「私を思ってくださったのですか? お気遣いありがとうございます」
私が笑いかけると、ランスロット様は「相変わらずマイペースだな」とため息を吐いた。
「自分がどういう状況に置かれているのか分かっているのか? あなたは敵国の騎士を無断で保護した廉で罪に問われている。……だが、処刑? 仮にも聖女なのに。エフィ殿はこれまで戦場で多くの命を救った。その功績と照らし合わせ、手心を加えても良さそうなものを……」
「あなたの仰るその『功績』は、団長様にとっては真逆のもののようですよ」
私は首を振った。
「これまで、『戦場はお前のような小娘が来る場所ではない』と何度叱られたか知れません。それでも私が従軍をやめなかったものですから、団長様は私を目の敵にしていました」
「だからこのちょうどいい機会に排除してやろうと思った、と? なんて奴だ」
ランスロット様は腕組みした。その拍子に、まくった袖から伸びる彼の腕に切り傷があるのが目に入る。捕まった時についたものだろうか。
「ランスロット様、少しの間動かないでください」
ランスロット様の傷に手のひらを当てる。そこから魔力が漏れ出し、私が手を退けた時には怪我は綺麗に治っていた。
「ありがとう」
ランスロット様はお礼を言いつつも困惑の表情だ。
「あなたは親切なんだな。私のせいで死にかけているのに」
「気にしていませんよ。全ては神のご意志。私は与えられた運命を粛々と受け入れるだけです」
ランスロット様は「いかにも聖女だな」と呟いた。
「それなら、私を助けたのも神に導かれてのことか? 私はエフィ殿の眼鏡に適ったと思っていたんだが」
ランスロット様は不満そうだった。軽い嫉妬心のような感情も読み取れ、微笑ましい気持ちになる。神に妬くなんて面白い人だ。
「あなたも随分と丸くなりましたね」
――敵の情けなど受けてたまるか!
――さっさと殺せ!
出会った頃はずっとそんな調子だったのに。動かない体で必死に抵抗して、私の治療を頑として受け付けようとしなかったのだ。
昔のことを考えている内に、彼は病み上がりだったと思い至る。
「慣れない環境でお体は辛くありませんか? 私に構わず、横になってくださいね」
ベッドを手のひらで示したけれど、ランスロット様は「結構だ」と返す。
「あの騎士団長も悪いことを考える。男女で一つの部屋に放り込むなんて」
「でも、あなたは私を傷付けないでしょう?」
「当然だ」
ランスロット様は石造りの床の上に寝そべった。
「こんなところにいても昼寝くらいしかすることがない。困ったものだ」
あらあら、マイペースなのはどちらかしら? さっきの「結構だ」は、ベッドを使うことに対してだったのね。
私は床で丸くなるランスロット様に近づいた。
「私もご一緒しても?」
法衣の上から羽織っていたマントを外し、ランスロット様にかけてあげる。そして、彼の背中に寄り添う形で寝転んだ。
「……エフィ殿?」
「そんな薄着では、お体が冷えてしまいますよ。私のことは、抱き枕かぬいぐるみだとでも思ってくださいね」
「思えるわけないだろう。無茶を言っていないで、マントをつけて早く起きるんだ」
「あら、私だってお昼寝したいです」
しばらく問答は続く。結果、二人で一つのマントを分け合う形で落ち着いた。
「これはこれで温かいですね」
「……もう少し離れてくれないか? その前に、ベッドがあるのに二人して床に寝転がっているのはバカらしいような気もするが……」
「それなら一緒に寝ますか? あの寝台の狭さでは、私がランスロット様の胸の上に乗らないといけなくなるかもしれませんけど」
「……このままでいい」
返ってきた恥ずかしそうな声に「ふふふ」と笑う。ランスロット様は結構な紳士だ。
私はランスロット様の広い背中に頬をくっつけた。彼の呼吸を肌で感じている内に、段々と寂しさが込み上げてくる。
「私はどうなっても構いませんが……。あなたをこのまま冥土へ送ってしまうのは残念でなりません。ねえ、共に祈りませんか? ランスロット様の命をどうかお召しにならないで、と」
「……神頼みは好きじゃない。助かりたければ自分で何とかするつもりだ」
ランスロット様の返事に、私は少し驚いた。
これまでも神を信じない人には会ったことはある。けれど、ここまできっぱりと大いなる存在がもたらす救済を拒んだ人は初めて見た。
何だかランスロット様が眩しく感じられた。彼は、いつでも神に手を引かれるままに歩んできた私にはないものを持っている。そんな気がしたのだ。
何ヶ月も一緒にいたのに、私はまだまだランスロット様のことが分かっているとは言いがたいようだった。
もっと彼を知りたい、という好奇心にも似た感情が頭をもたげる。だけど、それは叶わぬ願いだろう。処刑の知らせを聞いてから初めて、私は自分に時間がないのを惜しく感じてしまった。
****
「お前たちの処刑は一週間後に行われることとなった」
翌日。監獄へやって来たのは、私たちの死の知らせを携えた騎士団長だった。
「本気でエフィ殿を殺すつもりなのか!?」
ランスロット様が鉄格子の向こうの団長に怒りをぶつける。
「てっきり、『聖女様を捕らえるなんて間違っていた。早くここから出てください』と言いに来たかと思ったんだが。……聖女の処刑など、貴様の独断ではできないはずだ。国王からの許可は下りたのか?」
探るようなランスロット様の言葉に、団長は虚を突かれたようだ。しかし、すぐに不遜な表情になる。
「陛下が渋ったのは事実だ。だが、事を起こしてしまえばこちらのものよ」
団長は肩をそびやかして行ってしまう。ランスロット様は「騎士の風上にも置けない奴め」と罵る。
「まさかここまで横暴だったとは……。……どうするべきだ? このままだとエフィ殿が……」
ランスロット様は苛立ちを紛らわすように房の中をグルグルと歩き回る。前日とは打って変わって焦った顔だ。
どうやら昨日のランスロット様が悠然と構えていたのは、私が直ちに釈放されると判断していたかららしい。
けれどその推測は外れ、彼はすっかり取り乱しているようだった。
「ランスロット様、少し落ち着いて」
「あなたはもっと慌てろ」
ランスロット様が前髪を掻き上げる。円を描きながら歩くのをやめようともしない。取り付く島もない様子だ。
でも、私も人のことは言えないかもしれない。だって、ランスロット様の命が後一週間で失われてしまうと分かったのだから。胸の内に苦いものが広がっていく。
その時、窓から何かが飛び込んできた。暗い感情を持て余していたのも忘れ、私は歓声を上げる。
「まあ、可愛い!」
それは青い小鳥だった。見たことがない種類である。人に馴れているのか、手を差し出すとちょこんと止まってくれた。
「ランスロット様、見てください。小さなお客さんですよ」
「……ああ」
私のほのぼのとした声に、ランスロット様は毒気を抜かれたような顔になった。小鳥は、今度はランスロット様の頭の上に堂々と乗っかる。なんとも和む光景だ。
「……分かったよ。ほら、もう行け」
ランスロット様は小鳥を手のひらで包むと、窓の外に放つ。鳥はバサバサと羽ばたきながら、大空に消えていった。
「……はあ」
ランスロット様は大きく息を吐き出し、壁に背中を預けた。どうやら緊張の糸は切れてしまったらしく、いつもの平静さを取り戻したようだ。
そして、それは私も同じだった。乱れていた心が少し静まったのだ。
「動物の力ってすごいですね。私もペットでも飼おうかしら? ……来世で」
「……羨ましくなるくらいの図太さだな、あなたは」
ランスロット様は肩を竦める。そんな彼に私は笑顔を向けた。
問題は何も解決していない。けれど、見方を変えればまだ一週間は生きていられる。その間、精一杯神に祈ろう。ランスロット様を守ってください、と。
大丈夫だ。きっと神は願いを聞いてくれる。ランスロット様がこんなところで死ぬなんてこと、あっていいはずがないんだから。
房の中には再び平穏が戻って来た。それとは反対に、外から騒がしい声が聞こえてきたのは昼過ぎのことだった。
監獄の中庭辺りで誰かが騒動を起こしたらしい。何事かと思ったけれど、その答えは夕方に不機嫌そうな団長が訪ねてきた時に分かった。
「どこぞの間抜けがお前の処刑のことを漏らしたらしい。市民や神官たちがここに詰めかけてきてな。どうにか追い払ったが、このままだと奴ら、何をしでかすか分からん」
昼間聞いたのは、私が断頭台送りになることに抗議する人たちの声だったようだ。
「また、城まで押しかけた連中もいたようだ。そのせいか、陛下もこの度の処罰に迷いを見せ始めていてな」
「それなら、ランスロット様は殺されずに済むのですね!」
早速お祈りの効果があったのね! 神よ、感謝いたします!
でも団長は「そうはいくか」と冷たく返す。
「処刑は陛下の気が変わらん内に早めに行うことにした。決行は明日だ」
「あ、明日……?」
「残り少ない人生、せいぜい楽しむんだな」
伝言が終わると、団長は帰ってしまった。
……どういうこと?
明日になればランスロット様は死んでしまうの? どうして? どうして神はランスロット様を助けてくれないの? 私の祈りは届かなかったの?
「ふざけないで!」
突如、嵐のような怒りが体を突き抜けた。
力任せに拳を壁に打ち付ける。石の尖った部分が肉に食い込む感触がして、私は歯を食いしばり、どすんとベッドに腰掛けた。
「あなたもそんな癇癪を起こすことがあるんだな」
ランスロット様は物珍しそうにしていた。私の隣に腰を落とす。
「怪我をしてるじゃないか。大丈夫か?」
ランスロット様は私の手の傷に気付いたようだ。立腹が収まらない私は何も答えない。彼は顎に手を当てた。
「処刑を明日にするなんて随分急な話だ。団長も相当焦っているな」
「……どう転んでもランスロット様は助からないのでしょうか」
怪我をした場所に手をあてがい、治療魔法を使う。でも、もうすぐランスロット様の首が落ちてしまうのに、こんな小さな傷なんか気にしてどうしようって言うのかしら?
……いけないわ。今の私、すっかり心が荒んでしまっている。
「困ったものですね。最期だというのに、少しも穏やかな気分になれないなんて。私たちの命は神から与えられたもの。死は、ただそれを天に返すだけだと言いますのに。……ランスロット様の存在が、私の絆しとなっているようです」
「まさか、エフィ殿から恨み言を引き出せる日が来るなんてな。ここまで来た甲斐もあったというものだ」
ランスロット様は房の中を見渡しながら、鷹揚に笑った。
「昨日は『あなたを憎んでいない』と言いたげな態度だったのに。エフィ殿にとって、私はそれほど重要な人物だと解釈してもいいんだな? 神を信じる心よりも私が大切だ、と?」
「何故そんなに嬉しそうなのですか。あなた、命が危ないのですよ?」
私たち、昨日とは立場が逆転していないかしら? 私はランスロット様を見つめた。
「仰る通り、あなたのことは大事です。最期の時間を過ごした相手がランスロット様で良かったと思っていますよ。今までありがとうございました」
「……まるで遺言だな。私は後悔しているが。私のせいであなたをこんな目に遭わせてしまったんだから。……エフィ殿。最期だから、頼みを聞いてくれないか?」
思い付いたようにランスロット様が付け加える。「最期」という言葉に胸の痛みを覚えつつも、私は「何ですか?」と返した。
「あなたのこと、抱きしめてみたいんだ」
「ご自由にどうぞ」
その程度のお願いならいつでも聞き届けたのに、と思いながら、私は両手を広げる。
照れているのかランスロット様がぎこちない動きで近づいてきたので、おかしくなって自分から彼を抱擁してあげた。
「どうか奇跡が起きますように」
ランスロット様の頭を胸に抱きかかえ、髪を撫でてあげながら呟く。
「ランスロット様が明日も明後日も、健やかでありますように」
そんな祈りの文句を口にしながらも、どこか虚しい気分にならざるを得ない。
神は本当に私の願いを聞き届けて下さるだろうか? ランスロット様の寿命を一週間から一日に縮めてしまったような非道な行いを、またするのではないだろうか?
そんな心配が胸を占め、私は何も言えなくなってしまった。
****
「時が来たぞ」
次の日の朝方に牢獄へやって来た団長は、顔に喜色をたたえていた。
「さあ、死出の旅に出る準備は良いか?」
房の中に処刑の執行人が入ってくる。私とランスロット様は縄をかけられ、外に連れ出された。
そこに団長が、「待て」と声をかける。
「執行人、処刑の前には罪人の髪を切るものだろう」
団長は私を顎で差す。しかし処刑人は震え上がって、「どうかお許しを」と懇願した。
「聖女様を殺すなどただでさえ恐れ多いと言いますのに、これ以上はとても……」
「情けない奴だ。……仕方ない」
団長は私の長い髪を無造作に掴んだ。痛みにギクリと肩を強ばらせる。
「エフィ殿!」
ランスロット様が叫ぶのと同時に、団長が剣を抜く。それが振り下ろされ、足元に金髪の束がバサリと落ちた。
「貴様……」
ランスロット様が団長を憎悪を込めて睨む。団長はそれを意に介さず、「連れて行け」と処刑人に命じた。
「エフィ殿、大丈夫か?」
「ええ。少し頭が軽くなっただけですよ」
眉根を寄せるランスロット様に、私は微笑みかける。
ランスロット様の髪が長くなくて良かった。彼もこんなことをされていたら、きっと私は傷付いたに違いない。
荷馬車とそっくりな見た目の護送馬車に乗せられ、私たちは処刑が行われる広場へと向かう。
荷台には囚人の他に処刑人が乗り込み、団長は馬で並走していた。他にも何人もの騎兵や歩兵の姿もあった。何とも物々しい警備だ。
「ああ、聖女様だ」
「お労しや。あんなお姿になられて……」
「神よ、どうかあの方を守り給え」
街頭には大勢の市民が立って、涙ぐみながらこちらを見ていた。
兵たちが彼らを牽制するように道に等間隔で並んでいなかったら、馬車の方にどっと押し寄せて来そうだ。「なるほどな」とランスロット様が言う。
「騎士団長がありったけの兵を集めてきたように見えるのはこのためか。エフィ殿は愛されているんだな。団長は、誰かがあなたを助け出そうと実力行使に出るのを恐れているんだろう」
実力行使? もしそうなったら、混乱に乗じてランスロットを助けられるかしら?
でも、こんなに兵がいたんじゃ、何か騒ぎがあれば市民たちに怪我人が出てしまうかもしれない。それも困る。
ランスロット様の命も市民の安全も守りたいと思う私はワガママなのだろうか?
「聖女様」
とりとめもないことを考えていると、処刑人がほとんど囁くような声で話しかけてきた。
「お逃げください」
不意に手を縛っていた縄が緩む感覚がする。私は瞠目した。
「あなた様を殺すことなど、できそうもありません。ですから、どうか逃げてください。聖女様は武器を扱えますか?」
「え、ええ、少しなら。従軍中に騎士の方から『自分の身は自分で守りなさい』と言われて教わったことがありますので……」
まだ状況がよく呑み込めない私は、しどろもどろになりながら頷く。「良かった」と処刑人は呟いた。
「どうか護身用にお持ち下さい」
処刑人は私の着衣の乱れを直すふりをして、懐に鞘に入った短剣を忍ばせた。
その硬い感触を肌で感じている内に、私の頭も正常に働き出す。口元がほころばないように頬に力を入れた。
神は私を見捨てていなかったんだわ。この人の協力があれば、ランスロット様は助かるに違いない。
希望に胸を膨らませながら、私は団長に聞こえないように声を落とした。
「ランスロット様の縄も切ってあげてください。そうすれば一緒に……」
「それはできかねます」
処刑人は静かに目を伏せる。まさかの返事に私は凍り付いた。
「聖女様はあの騎士の処刑が行われている間に、密かに刑場を後にするのです。刑が執行されている最中は兵たちの注意も逸れるはずですし、それが最も安全な方法でしょう」
「それなら、その逆だって同じことが言えます!」
私は大声を上げそうになるのを必死で自制した。
「私の処刑が行われている隙に、ランスロット様が逃げたっていいではありませんか」
「何も良くはありません」
処刑人は硬い表情になる。
「あなた様は聖女。対するあの青年は敵国の民です。神がどちらをお救いになりたいのかなど、言わずとも分かりましょう?」
私の中に芽吹いた希望は、たちまちの内に消え去ってしまった。
やっぱり神はランスロット様を助ける気がないんだ。彼に死んで欲しいと思っているんだ。
そんなこと、あっていいはずがないのに。
苦悩する私の目に、広場に据え付けられた断頭台が映る。もうすぐ刑場に着くのね。
私は正面に座るランスロット様をじっと見つめた。
死を前にしても、ランスロット様は落ち着き払っている。その姿を見ている内に、昨日処刑の前倒しを知らされた時と同じく、激情が私を貫くのが分かった。
けれど、今回感じたのは怒りではなく愛情だった。今さらのように、私は彼のことがとても好きだと気付いたのだ。
この人を死なせたくない。死なせてたまるものですか。
広場に入った馬車が止まる。私は処刑人に「ランスロット様の縄を切っておいてください」と言い残し、素早く荷台から降りようとした。
「団長! 騎士団長!」
泡を食った騎兵が駆け込んできたのはその時だった。
「は、早く城にお戻りください! 敵が……隣国の兵が攻めて参りました!」
「何だと!?」
団長だけではなく、市民たちの間にも動揺が走る。私も信じがたい気持ちで耳をそばだてた。
「城内は大混乱で、伝令もまともに行き渡りません! どうか帰城して指揮を……」
「手遅れだ」
ランスロット様が呟く。彼の視線の先には、向こうの通りから馬を駆ってこちらに向かってくる一団があった。
その集団が広場になだれ込んでくる。隣国の軍服に身を固めた騎士たちだ。
「武器を捨てて降伏せよ。王城はすでに制圧した。貴殿らの王も投降を呼びかけているぞ」
騎士たちのリーダーと思しき若い男性が、広場にいた兵に呼びかける。掲げたのは、玉座の間に飾ってある国章入りの旗だった。
どうやら彼の言葉に偽りはないらしい。兵たちは愕然としつつも武器を手放し始めた。騎士団長も、屈辱に顔を歪ませながら剣を置く。
「ランスロット殿! まだ首は繋がっていたか!」
リーダーの青年は馬を下りると嬉しそうに護送馬車に乗り込んできて、ランスロット様の縄を切った。
「いやぁ、良かった良かった。あなたの身が心配で、最近は夜しか眠れなくてね」
「それはどうも。……将軍、エフィ殿の縄も解いてあげてくれ」
ランスロット様がこちらを手のひらで示す。いかにも親しげに話す二人に気を取られていた私ははっとなって、「平気です」と両手を天に向かって挙げてみせた。
「抜け目のないお嬢さんだね。確か聖女殿だったかい?」
ランスロット様は呆気にとられているようだったけど、将軍は面白そうに笑った。
「……一体何があったのですか?」
聞いても教えてくれないかも、と思いつつも将軍に質問を投げかける。でも、彼は何でもなさそうに答えてくれた。
「どこから話せばいいかな? 我々が撤退したと見せかけて、実は別のルートを通って進軍していたこと? それとも、密偵を放って常にそちらの状況を探っていたこと? はたまた、聖女の処刑で皆が浮き足立っている隙を突いて王城を攻撃したこと?」
「……被害はどのくらい出たのですか?」
「市民は誰も傷付けていないよ。街はもぬけの殻になっていたからね。皆処刑の見物にでも出かけていたんだろう。城だってほとんど無血開城だ。我々が現われたと聞いて、そちらの王は臆病風に吹かれたらしくてね」
私たちが話していると小鳥がどこからともなく飛んで来て、将軍の肩に止まる。牢獄に入ってきた青い鳥だった。
将軍はニヤリと笑って、「僕のメッセージ、受け取ってくれたかい?」とランスロット様の方を見た。
「メッセージ?」
私は訝しむ。将軍は愉快そうに「僕の鳥は中々優秀でね。尋ね人をすぐに見つけてくれるんだよ」と言った。
「おい、将軍……」
「おやおや、少し話しすぎたかな? じゃあ、また後でね」
ランスロット様に怖い顔をされ、将軍は軽く手を振って仲間の方へ戻っていく。
一方の私は、彼の言ったことの意味を考えていた。
「尋ね人……」
私の視線がランスロット様に行き着くと、彼は気まずそうに目を逸らした。
その瞬間、私の中で何かが繋がった。
「ランスロット様、この襲撃のことを知っていたのですか?」
私は昨日の出来事に思いを馳せる。
「将軍は自分たちが近くまで来ていることを知らせるために小鳥を放った。この子を見た後であなたが急に落ち着きを取り戻したのはそのためだったんですね。自分たちが助かる可能性に気付いたんです。私に何も言わなかったのは……どこで誰が聞き耳を立てているか分からなかったから?」
そこまで推測した時、私はあることを思い出し「ちょっと待ってください」と唸った。
「それならどうして、『最期の頼み』なんて言ったんですか? そんなに念入りに私を騙す必要なんてなかったでしょう」
「あ、あれは……」
ランスロット様は体をモゾモゾさせた。
「ああいう機会でもなければ、できないことかと思っただけだ」
「聖女を抱擁することがですか?」
「あなたを抱擁することだ」
ランスロット様は少し赤くなっていた。
「あなたからすれば私なんて、大勢救った命の中の一つだ。でも、私にとってあなたは特別な人なんだ。それを少しでいいから知って欲しかった。それだけだ」
「……そんなに気を回す必要なんてありませんでしたのに」
ランスロット様の大胆かつ謙虚な想いに触れ、私は温かな気持ちになる。そっと彼の手を取った。
「私にとってもあなたは特別ですもの。最期の時だけではなく、これからも一緒に過ごせたら嬉しいです」
そう、私たちには「これから」があるんだ。
口から自然と出てきたセリフに、心が一気に軽くなったのが分かる。
死ぬはずだったランスロット様に未来が訪れる。それだけじゃなく、私もその未来の一員として加わることができる。
それって本当に素晴らしいことだ。
「さあ、行きましょう? 私は聖女として、あなたは占領軍の将としてやるべきことがあるのですから。……愛を語らうのはその後にしましょうね」
私とランスロット様は護送馬車を降りる。
けれど、ふらりとした足取りで近づいてくる男性に行く手を阻まれた。騎士団長だ。
「お前のせいか、小娘」
団長は怒りを全身にみなぎらせていた。
「大方、お前が手引きして敵兵を王都へ入れたんだろう。聖女が工作員の役を買って出ていたとはな」
「工作員? 一体何の……」
「黙れ、逆賊が! 神に代わり、ワシが裁きを下す!」
一戦も交えることなく敵に敗北したことを、団長は受け入れられていないようだった。傍に転がっていた剣を手に取り、飛びかかってくる。
「エフィ殿!」
ランスロット様がとっさに前に出ようとした。けれど、私は彼を押しのける。そのまま黙って団長の刃を受け止めた。
「そんな、エフィ殿……!」
ランスロット様が掠れた声を出した。きっと、最悪の事態を想像したのだろう。
でも、すぐに何が起きているのかに気付いて「あっ……」と小さな声を上げた。
「神が私の死を望んでも、それを受け入れるつもりはありません。だって私、ランスロット様と幸せになるって決めましたから」
私は懐の短剣を抜いて、団長の刃を防いでいた。私が無事だと分かったランスロット様が、団長に体当たりを食らわせる。
その手から武器が落ち、団長は地面に背をつけた。異変を察知したランスロット様の仲間たちが団長を縛り上げる。
「それ、いつから持っていたんだ?」
ランスロット様が短剣を見て言った。私は笑いながら「後で教えてあげますよ」と返す。
「ただ祈っているだけよりも、こちらの方がずっといいですね。ランスロット様の気持ちが分かった気がします」
私とランスロット様は、寄り添って広場を後にした。
****
その後、私の国は正式に隣国の傘下に入ることが決定した。王都には総督府が置かれ、隣国から様々な人が派遣されてくる。ランスロット様もその内の一人だった。
そんな彼を私が公私にわたって支えたのは言うまでもない。両国の架け橋となった私を、皆は口々に褒め称えた。「流石は聖女様」と。
けれど、私はただ自分の望みを叶えるために行動を起こしたに過ぎなかった。
また戦争が起こったりしたら、ランスロット様と敵同士になってしまうでしょう? そうなれば彼と引き離されてしまうもの。
恋をすると、ちょっと身勝手になってしまうみたいだ。もしかしたらあの日の処刑は本当は実行されていて、それまでのただ運命に従順だった私を殺してしまったのかもしれない。
今の私は、きっとあまり聖女らしくないのだろう。
でも、ランスロット様と幸せな日々を過ごせるのなら、それでもいいと思ってしまうのだった。