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一度唱えたら死ぬ呪文  作者: モノ創
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シーズン1 第三章 誘拐事件一:有栖の妹

 第三章誘拐事件一:有栖の妹


 僕が入隊して三か月の時が過ぎようとしていた。この世界にも冬が存在するようで、街の人々はコートを羽織り手袋をしている。十二月に突入したにも関わらず寒さはさほど感じられず、元居た世界とは段違いの快適な気候だと思った。元々一か月だけの仮入隊だったが、僕の功績や一人を除く仲間の申し出によって一年の延長が決定した。給料もやや向上し、順風満帆な軍人生活を過ごしていた。勿論、現場へ出ても僕はヤジを飛ばしているだけで参戦はしない。本日も、いつも通り僕の素晴らしい心理術により、事件解決一歩手前だ。

「僕には分かるんだ。僕の言葉が頭に残っている君は、そのベッドの中で明かりもつけずに調べたはずだ。冬馬明は超能力者なのかと」

 僕に骨の髄まで見透かされた彼女は、恐怖に怯えて震えている。もはや自白と同じだった。ボロアパートの寝室の中をゆっくり歩いて中を観察しながら話を続ける。

「出たんだろ?大量の記事が。百発百中の功績が。君が今ここで自白しなければ、僕らが君の小さな罪まで見つけてしまうぞ。窃盗に、未成年への強姦も」

「証拠を見せないさいよ!」

 彼女は最後の足掻きと言わんばかりの声を絞り出す。

「アダルトビデオに、君には高すぎる化粧品、ああそうだ…お菓子も盗んだね?」

 彼女は目を開き、まさかと呟いて膝をがくりと落とした。

「全てはお見通し。証拠も次の一声で全部出てくるよ」

 僕の最後の決め台詞を合図に、珍しく同行していた局長が彼女の前に立って優しく言った。

「さあ。今自白してしまえば、反省が見えるとして罪を軽くできる。窃盗は無かったことにしてやってもいい」

「ほんとですか…?」

「ああ。勿論」

 彼女は覚悟を決めたようにゆっくりと立ち上がって、涙を流しながら罪を告白した。

「栄治。優しくな」

「…はい」

 栄治と呼ばれるのは、この隊の最年長者であり、僕らの隊長に当たる男だ。この男だけ僕の仮入隊延長に反対した。美萩もやや渋っていたが、有栖の激しい反論により賛成派に回った。盛は僕を実家に招くほどに気に入ってくれていたので快諾してくれた。無口で無表情の彼だが、聞き上手という事でおしゃべりな僕と気が合い、毎週のように飲みに行く仲にまで発展していた。

「局長、本当にこんなやり方でいいんですか」

 栄治はアパートの外でそう言った。

「何か問題でもあるのか?」

「大ありですよ!実際、証拠はまだ見つけていないし、未成年淫行の事実さえ掴めていなかったんですよ!彼女が自白していなければ言いがかりもいいとこでした」

 局長は静かに唸ってから栄治の肩を二度叩く。

「まあ栄治の言いたいことも分かる。でも、冬馬の事件解決率は百パーセントだ。寧ろ、型にはめたやり方を取っているばかりに解決が遅れて、この前はレイプの被害者が一人増えただろう。私はその事実を重く受け止めている」

「しかし…」

「いいか。あの時我々が覚悟を決めて行動していれば、彼女は暴行を受けることも、大好きな人のために残して置いた初めての体験が奪われることも無かった。あれから彼女を見舞に行ったことはあるか?精神は病んで、傷もまだ癒えていない」

 そこまで言われてようやく栄治は罪の意識を感じたようだ。これまで彼は、僕に対する嫉妬心や敵意ばかりを抱いており、被害者や被害者遺族といった人々のことを考えてすらいなかった。そんな姿勢の栄治を見るに堪えられなくなったのが美萩だった。美萩は局長へ相談し、前回の連続レイプ事件の反省も含めて、今回は局長が直々に同行することになった。

「それは…我々の至らなかった点ではあります。しかし、冬馬のやり方はただ憶測に基づいて動いているだけでしょう!人権を重んじる日本で、行政が猛威を振るってしまっては憲法に違反します!私は全国民を平等に見ております!」

 栄治の演説は局長の心に響くことは無い。終始局長と目を合わせようとせず、言葉を練ってから繰り出すように右上を見たり、左上を見たりと嘘を吐く人間の仕草が十分過ぎるほどに出てしまっている。

「勿論。冬馬のやり方だけでは不十分なところがあるのは知っている。冬馬の推測を確信に変化させるのが今、このチームにあるべき姿だ。有栖に代わって冬馬がこのチームの頭脳になったんだ。臨機応変に対応しなさい」

「ですが」

 局長はいつもより厳しい口調で叱る。

「これは命令だ。出来ないようなら隊長の責を解くか、この隊から抜けてもらう。決めるのは私だ」

 局長は暫く栄治の眼球を捉えていたが、ふんと荒い鼻息を吐くとドラゴンに飛び乗ってしまった。栄治は固まったまま動けずにいる。僕の件で、それも部下の前で叱られてしまったことに羞恥と怒りを感じているのだろう。僕らは触らぬ神に祟りなしといわんばかりにそそくさとドラゴンに乗る。

「盛。乗せてくれ」

「ああ」

 小声でそんなやり取りをして、いつも通り他人のドラゴンで帰還する。緊急時でない時は車のように道路を通行し、信号待ちもする。

「お前いつになったら魔法を使うようになるんだ?」

「何回も言ってるだろう使えないって」

 盛は無表情で嘘だと突っ込みを入れる。

「君もさ、もっと笑ったらどうなのさ。ぶっきらぼうな顔して」

「これが俺の個性だよ。お前だっていい加減喪服なんてやめて隊服を着ろ」

 信号が変わったのを見て盛が手綱を引っ張る。

「有栖と同じように、僕はこれが隊服なのさ」

「可笑しな奴だな」

「君や美萩や栄治みたいに面白味の無い隊服を毎日着てる方がおかしいよ」

 直後、ドラゴンが体を震わせるのと同時に尻が浮く。

「おおおおいおいおいごめんて魔法解かないでくれ」

 ドラゴンから振るい落とされそうになる直前で、再び魔法の効力が体に流れるのを感じ取れた。

「あまり生意気言うなよ」

 珍しく盛の頬が緩んでいる。三か月でこの顔を見たのはこれで三回目になる。つまり、彼は月一ペースでしか笑っていない。カウンセリングを勧めよう。

「パワハラだぞー」

 そんなやり取りをしていると、後方からパトサイレンが鳴り響いた。何事かと後ろを向くと、栄治が全速力で近づいてくる。軍のドラゴンは青色で統一されているためすぐに分かった。

「誘拐事件だ!至急現場へ迎え!」

「現場ってどこです」

 盛が慌てた様子の栄治に対して冷静に聞き返す。

「有栖の実家だ。俺は先に本部で指示を仰ぐ」

 張りつめた表情でそう言い残すと、手綱を叩いて飛び上がり本部の方面へ向かった。彼に続くように僕らも地上から離れて空で停止する。察するに、誘拐されたのは有栖の身内だろう。

「有栖の実家は確か新潟だったな?」

「ああ。長岡市だ」

「どれくらいの時間が掛かる?」

「一時間ってところだな」

「十五時に到着予定……。薄暗くなったら誘拐事件の捜査は難航するぞ。僕でも難しい」

 視界が悪くなればなるほど、僕の武器である観察眼が機能しない。犯人も逃げやすくなる。

「それに…」

 少し上には分厚い灰色の塊が漂っている。今夜の天気は生憎の台風注意報だ。雨風酷く、犯人の足跡や草木を掻き分けるというような逃走の跡が消えてしまいかねない。一刻も早く解決しなければならないという状況だった。

「盛さんと冬馬さん!」

 右から声がしたので振り返ると、そこにはいつも通りの地雷メイクを施した有栖がいた。険しい表情で僕らを見つめており、助けてほしいと言いたいのが一目で分かった。有栖の顔を観察する僕に気付いて、普段の冷静沈着な雰囲気を取り戻した。

「すみません。冷静でなければ、救えるものも救えませんよね」

「そうだな」

 彼女を安心させようと口角を上げながら返事をする。

「三人とも!無線を繋いで!」

 今度は左から美萩の声が聞こえた。盛と有栖は小さな光の粒を生成して耳元へ近づける。盛は慣れたように僕の分も作り出す。

「ありがと」

 全員の声がまるでイヤホン越しに聞こえるようになる。こちらが小声で話しても適切な音量になるように調整されて相手へ届く便利な魔法だ。作戦行動中は、敵に声が聞こえないようにこれで会話を行う。初任務の時はこれが分からず大声出して美萩に殴られたなと懐かしく思う。

「ちょっと冬馬。あんたの恩人有栖のために頑張んなさいよ」

「ああ。勿論だ」

 有栖には本当に世話になっている。有栖がいなければこの世界で生活することも困難だったろうし、最初の美萩の手錠でお縄に掛かっていたかもしれない。彼女のお陰で、仮とはいえ安定した職に就き能力を評価してくれる良い職場に入れた。

「必ず助け出すよ」

 有栖は僕の言葉で安心したのか表情筋が緩まった。

 移動中は事件の詳細が教えられた。誘拐されたのは、実家を離れて新潟市で一人暮らしをしていた有栖の妹だった。あと一か月で十九歳になる予定で、名は有紗ありさというようだ。高校を卒業後すぐに法律事務所に修行に行き、弁護士のアシスタント(パラリーガル)として働いている。一昨日から事務所を無断欠勤しており、同僚がアパートを訪れると鍵が開いていたそうだ。犯人からのメッセージを発見し、誘拐事件に認定された。僕らへの連絡が二日後の今日になってしまったのはそのメッセージの内容に問題があったからだ。

「有紗は俺が守ります。有栖さんや両親への連絡は二日開けてください。警察沙汰になると思いますが、俺はそれでも有紗のことを愛しています。凪より」

 美萩が原文をそのまま読み上げる。

「凪って…」

 これも聞いたことのある名前だった。有栖と同い年で美萩の弟だ。

「私の弟よ。二人は付き合っていなかったものの、両想いだったわ」

「それならどうして新潟県警は駆け落ちの線を追わないんです」

 盛の問いに、美萩は不安そうに有栖の顔色を伺ってから言う。

「争った形跡があったから……」

 僕らを挟んで、美萩と有栖の間に溝が生まれつつあるのを察した。盛は僕の方を振り返って助けを求めているが、生憎僕にも良い手が浮かばない。少しの間沈黙が続くが、口火を切ったのは有栖だった。

「新潟へ入ったわ」

 気付けば連なる山々に囲まれていた。ほとんど山頂に近い高度まで上昇しているため、頂には美しい白い帽子が被さっている。久々に人工物の一切無い大自然に囲まれて、論理を捨てて感情に身を任せて声を出すという奇行に走った。

「うえぇーいぃ!」

 変態を見るような目を向ける美萩と、くすりと笑う有栖に、もはや心配が勝っている盛。

「ほら。心配していても仕方ないだろ。ここにいる四人は起こってしまった事件をどう解決するかが仕事だろう?救出出来ず、最悪殺されてるなんてことになったら、美萩は責任を感じ、有栖は途方に暮れる。このチームはお終い。そうだろう?」

 僕はドラゴンの上で寝転んで、灰色の空を見上げる。臀部はボンドで止められたかのようにピッタリとくっついているので落下の心配は無かった。白い息がほんの数秒で空気に消え、人々が心配する二酸化炭素は目視も出来ない。

「見えない物を見ようとして、色んなものを覗き込むんだ」

「何、替え歌?ポエム?」

 美萩が不愉快そうな声が耳元で聞こえる。

「僕のセールストークだ。人がどう思ってあの行動をしたとか、何を考えて発言しているとか、目には見えない。でも、科学も魔法もそうだけどさ、地球に窒素は何パーセントとか、チャクラ量を測るとか、色々なものを観察してようやく分かることだ」

「簡潔に言いなさいよ。ポエマーの話は長くて嫌になるわ」

「まあつまり。美萩も有栖も見なくていいことは見なくていいんだってこと」

「は?」

 寝ころんだまま美萩の方に顔を向けて、なるべく諭すように言葉を紡ぐ。

「有栖の機嫌を伺うことが君のすべきことじゃない」

 美萩が唇を引き締めたことを確認してから、次に有栖の方を向く。

「美萩の心境を推察することが君の仕事じゃない」

 美萩は素直に言葉の意味を受け止めて頷いた。

「お前のそういう所が隊長は嫌いなんだろうな」

 盛が無表情のまま嫌味を吐く。しかし、その裏には誉め言葉が隠れているのを理解した。

「そういや栄治って僕のこと大嫌いだよね」

「その栄治って呼ぶのウケますね」

 有栖はギャル語を淡々と言うことが時々ある。これが本当に面白い。

「何がそんなにおかしいのかしら」

 有栖に不思議そうに問いかけられるが、言っても分からないからと流した。そうこうしているうちに山脈を抜け出して、一面雪化粧の田畑が目を焼き付ける。大きく下降すると、所々に、やりすぎたメイクに潰されている美人のように、積雪に潰されそうな家屋が見えた。有栖を見ると、普段と変わりない落ち着きようで安心した。

「ほら有栖。雪化粧で潰されそうな家があるぞ」

 有栖は僕の発言の意図が分からずに困った表情をする。面白くなって、有栖にウィンクを飛ばしてみる。すると、何を思ったのか有栖も同じように片目を瞑る。意外と可愛い。

「しっかし景色が変わらんな」

 そう言った直後、ちらほらと住宅が見え始め、突如人の住む景色へと変化した。先ほどまで閑散としていた世界とは一変して、突如として文明が発達してしまっている。

「お…おお。田舎というのはこんな一気に変わるもんなのか……」

「東京だってそうじゃないですか」

 有栖は田舎を馬鹿にされたと思ったのか、少しむっとしながら低い声で言った。

「ああごめん。別に変な意味はないんだ」

「ならいいですけど」

 それからまた文明が衰退したり、と思ったら発展したりというのを繰り返して目的地へ到着した。新潟県長岡市と書かれた雪の被る看板が見えた。

「あれ。新潟市じゃないの?」

「お前聞いてなかったのか?俺と副隊長がさっき言ったぞ」

「もうこんな人放っておきましょ」

「ちょっと、有栖は助けてくれるよね?」

「たまには人の話を聞かないとどうなるか知る機会があってもいいでしょう」

 彼らはそう言うと地上へ降り立った。

「マジかよ…」

 予想に反して有栖に見放されたことに傷つきつつ、美萩に付いていく。高校生のスキー授業以来の新雪の感触に心地良さを覚える。むぎゅむぎゅと音を立てるように踏んでいると、美萩の拳が飛んできた。頭を摩りながら面構えを整えて質問する。

「ここが有栖の実家で間違いない?」

 石垣に囲まれた二階建ての木造一軒家で、雄大な敷地に構えられていた。庭に敷かれる石畳を真っ直ぐ進むと、家族を守る巨大な格子戸がある。庭は家の裏へ回れるように開けており、松などの大木やししおどしが飾られている。残念ながら雪囲いがされていたり、景観を無視した厚い木材が被せられたりしていたが、見えている限りでも相当な金持ちであることは安易に予想出来た。

「ええ。ここです。夏には良い庭園になるんですよ」

 有栖を先頭に中へと進む。実家のインターホンを鳴らすという奇行から少しして、柔らかい女性の声が聞こえてきた。

「今開けますわ」

 扉が開くと、有栖とは着飾り方が正反対の和風な女性が現れた。白い顔は有栖と同じだが、控えめな化粧に和服を纏い、口元を軽く抑えながら話す上品な大人の女性という印象だった。身長はよく見ると美萩と同じくらいだ。しかし、背筋が真っ直ぐだからか、一見しただけだと美萩よりも高いように感じた。

「お母さん?」

 僕の問いかけに、ええと答える。

「久しぶりね。さあ上がって頂戴」

「お邪魔します」

 温泉旅館のような巨大な玄関で靴を脱ぎ、整える。母親は僕らが靴を脱いでいる時にふと、すぐ左で開きっぱなしになっている和室に視線を移した。すぐに僕らの方を向くと、こちらへと言って手招きする。外とは格子戸で切り離された縁側を進んで数多の障子戸を通過し、突き当たった木製の引き戸の前で停止する。

「主人がこちらでお待ちしております。私共が出向かなければならない所を、お越しいただいて申し訳ありません」

 膝と腰を奇麗に曲げて踵を浮かせて頭を下げた。とても美しい姿勢で言葉遣いも淑やかだ。そのため普段は乱暴な美萩がぎこちなく返答する。

「いぃえいぃえ。わ、ワタクシの方こそごめんなさい。弟の不祥事…必ず解決…致します」

 からかうように背中を軽く叩くと足を踏みつけられた。

「では私は他の刑事さんたちとのお話があるので」

 そう言って扉を開けると、中は案外普通のデザインだった。思い切り和風でも無いし、洋風全振りというというわけでもない。木製の円卓テーブルに、茶色いプラスティック製の椅子が二つある。テレビ台も誰でも使いそうな普通の物で、ニトリのソファーにダイソンの空気清浄機と、少し拍子抜けした。美萩の肩もストンと下がり、小さな溜め息を吐いたのが分かった。ソファーには白髪が奇麗に整っている紳士的な男が腰を掛けていて、こちらも甚平といった和風チョイスだ。

「久しぶりです。お父様」

 有栖は家柄に見合う両親の呼び方で、久しぶりと言う割に淡々と言葉を発した。

「済まないな。呼び出してしまって」

 そう言いながら立ち上がると、僕らを部屋へ招き入れて頭を下げた。

「皆さん本当に申し訳ない。遠路はるばる足を運んでいただいて。我が家の問題に軍を遣ったことをお詫びしたい」

「いいんです。犯人は私の弟のようですし、謝罪すべきはこちらのはずです」

 そう言うと美萩は膝を深く折り曲げてから頭を地に付けた。

「私の弟が申し訳ありませんでした」

「副隊長…」

 その姿を見た有栖は戸惑いながら美萩を起こそうとする。美萩は有栖を拒み、頑なに頭を下げ続ける。

「必ず隊が見つけ出し、罪を償わせます」

 涙を堪えているのか声の震えが強くなる。仕事に対しては誠実であり、厳格で曲がったことを許さない。普段からバランスの取れた食事を摂り、日課のトレーニングを十年欠かさず続けるなど、彼女の性格は真っ直ぐそのものである。そんな彼女の弟が部下の妹を誘拐したと聞かされれば相当な責任感を背負ってしまうだろう。彼女の感情は手に取るように分かりやすい。それ故に、美萩の痛みは胸が締まるほどに理解できる。

「頭を上げて。あなたが仕向けたわけでは無いだろう」

 美萩は地面から額を離して返答する。

「ええ。弟とは二年ほど会っていません。しかし、有紗さんと合わせたのは私です」

 二人の馴れ初めはごく自然なもので、美萩が責められるような出会い方はしていない。三年前、有栖がまだ訓練生だった頃、美萩はまだ新設の合同部隊に引き抜かれたばかりで、今後のチームに必要な人材を選抜するため訓練生交流戦へ足を運んでいた。そこで有栖に目を付けた美萩は次第に仲を深める。訓練生卒業式の日、美萩は弟と共に卒業式を見学し、同様に姉の卒業式を見ていた有紗と食事をしたことから関係が始まった。度々弟から有紗の話を聞いていたようだが、交際まで発展はしていなかったものの順調な様子だったらしい。それから二年間、弟とは顔を合わせておらず、やり取りはメッセージがほとんどだったようだ。

「有紗と凪君は確か同い年だったよね」

「はい。凪は十月で十九になっています」

「そうか…互いに心配事を抱えたな。さあ立って。有紗にも原因がある可能性もありますし、そもそも誘拐では無く我々の騒ぎすぎかもしれん」

「感謝します。何にせよ、全力を尽くします」

 美萩はようやく立ち上がって再び深々と腰を曲げる。その間、互いに無言で間を置いた。各々の想いがその微妙な時間で交差し、言葉の無い感情同士のぶつかり合いが発生している。有栖の表情からは、美萩を庇いたいような、妹の心配を優先したいような、両親を慰めたいような複雑な感情が渦巻いているのが理解できた。盛は我が副隊長の誠実さに改めて感激したようで、彼女に倣って頭を下げた。不謹慎と知りながら、芸術とも言えるような心の複雑な絡まり合いに感情が高ぶった。

「さあ。みんな。仕事にとりかかろう。すぐに有紗さんの行方がわかりますよ」

 挨拶は十分だろうと気まずい雰囲気をぶった切り、勢い良く扉を開く。それから僕は、お父さんではなく、長い縁側の先に向かってジャブを放った。

「多分奥さんが色々知ってますから」

 一同の方を振り返ると、きょとんとした顔を浮かべて突っ立っている。

「あれ、聞こえなかった?」

 そう言ってもう一度縁側の先へ声を届かせるように大声を出す。

「ねえ奥さん!あなた知ってるよね!」

 お母さんは玄関横の部屋から静かに出てくる。帯が少し解けていて、さほど寒くはないとはいえ、この季節にも関わらず汗ばんでいた。

「あなたの顔を見て、隠し切れないなと思いましたわ。解決率百パーセントの期待の星、でしたっけ」

 僕は得意げに返事を返す。

「ああ。そう書かれてたなら、そうなんだろうね」

 未だに理解不能な様子である後ろの四人を、訳アリ部屋へと誘導し中の散らかり具合を見てもらう。

「さっき部屋を見た時はこうじゃなかった」

「ええ。私も見たわ」

 美萩は驚いたように声を漏らす。それもそのはずで、僕らがお父さんと会話している間に、この部屋は宝探し現場となっており、箪笥の物や化粧台の小物が大量に放り出されていたからだ。

「ちょっとお母さんどういうこと?」

 有栖が困惑しながら声を荒げている。

「説明しますから、皆さん客間へご案内します」

 お母さんがそう言った直後、チャイムもなしに扉が開いた。玄関の前では栄治が雪を被りながら仁王立ちしており、その姿勢のまま近所迷惑な声で喋り始める。

「人の家の前で申し訳ないが緊急事態だ!つい数分前に、日本各地の原子力発電所に爆弾が仕掛けられたと報告があった。柏崎刈羽原発もその一つ!」

 栄治の叫びの直後、緊急アラートが町中に響き渡り、静かな雪原に災厄の通知が投下されてしまった。

「どうして!?警備は何をやってたの!?」

 誰に言うわけでもない美萩の言葉に栄治は答える。

「俺と同じタイプの呪文だ。狙った位置に物をワープさせる呪文が使用された」

 一度使ったら死ぬ呪文。使い方次第では世界の滅亡を導く呪文。その言葉が脳裏を過り、全身に冷汗が流れる。命の危機というやつがもう一歩というところまで迫っている感覚に心臓が跳ね上がる。幸か不幸か、僕は眼前に見えている死に対して対抗する術を持つ場所に席を置いていた。アドレナリンが分泌されているせいか、恐怖と同時に興奮が沸き上がっている。激しいダンスをする鼓動に呼応して頭が冴えわたった。

「僕らで、止めよう」

 僕が一番最初に発言したことで、その場にいた軍人の魂に熱が宿った。


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