シーズン1 第一章 主人公の力
第一章主人公の力
爆発現場へはものの数分もしないうちに到着した。既に何人もの関係者らしき人物が慌ただしく作業をしていた。辺りは煙や火の粉が立ち込めており、焼け焦げた臭いが鼻を突く。南国のリゾートホテルかと思えるほどの巨大な敷地に、天まで届く高層な造りをした建物が火の元のようだ。建物を取り囲むようにキープアウトの黄色いテープが張り巡らされ、消防隊員がその中で消火活動をしている。消防車は見当たらず、代わりに水色のドラゴンが口から大量の水を吹き出していた。隊員は杖を持ちながら片手でパントマイムをすると、忽ち辺りの水が炎へと向かっていく。瓦礫に埋もれた人々を救出する者もいれば、怪我人の治療に当たっている者も居た。人々は決まって両手を動かして魔法と呼べる力を使っている。異世界の常識に目を見張っていると、僕を捕えた彼女はドラゴンから飛び降りてしまった。着地する直前にピタリと空中で停止してからストンと足を着ける。
「僕も下ろして欲しいなぁ…」
そういうと彼女は僕を睨みつけて、黙れと吐き捨てた。
「なんちってー…」
冗談だと言いながら手を振る僕を無視して、近くにいた男性警官に声を掛けている。僕の方をちらちらと見ながら話しているところを見ると、話題はこの僕だろう。少しして、男性警官が僕の前に飛んできた。
「あなたが痴漢を働いた方です?」
帽子を深く被っていて顔は良く見えなかったが、口元に大きなほくろがあるのが分かった。
「いやいや、冤罪だよ」
すると男は少し笑ってからパチンと指を鳴らす。それを合図に僕とドラゴンの親密な関係が解消されて、バランスを崩しそうになってしまう。魔法を解いてくれたのだろうと推測する。
「やっぱりそうですよね。僕も話を聞いてて、まさか彼女に痴漢する人間がいるなんてって思いましたよ」
「うわぁなんて失礼な男なの」
僕は彼女のモノマネのつもりで引き気味に厳しい口調で言った。ギャグが通じたのか彼は再び笑った。
「面白い方ですね。じゃあ降ろしますんでリラックスしていてください」
やけに簡単に解放するものだなと不審に思うも、まともに言い分を聞いてくれない女に冤罪で拘束されたままというわけにもいかないので、よろしくお願いしますと頼んだ。例の如くパントマイムを終えると、ふわりと体が宙に浮き、静かに着地した。
「ありがとう」
「いえいえ」
「それで、僕はこれからどうしたらいいのかな」
男は少し間を置いて言う。
「それはあなた次第ですよ」
流石にこれ以上面倒は見てくれないらしく、あっさりと突き放された。
「あのー。この人も容疑者ですか?」
ふと、後ろから女性の声がした。振り返ると、細身で高身長の女性が立っていた。僕と同じくらいの身長にも驚いたが、警官の制服を着ていながら、何時間も要したであろう地雷メイクと呼ばれる化粧スタイルを決め、5センチはありそうなハイヒールを履いて、耳にはピアスが左右に3つずつ、右手の小指と薬指に銀色の指輪をはめたその自由な格好に驚愕した。もっと良く観察すると、緑のカラーコンタクトと十ある爪に十色のネイルをし、小さな口にはひょっこりとはみ出る舌ピアスさえ開いている。
嫌いなタイプの女だ。これが正直な感想だった。
「ああ、いや、この人は全然関係ない人ですよ」
帽子の警官はそう言うと、僕がここへ来ることになった経緯を説明した。
「また副隊長は…。毎回早とちりなんだよなぁ。ごめんなさい。もう帰っていいですよ」
副隊長と呼ばれているのが、僕に手錠をした彼女のことなのだろう。この様子だと、他にも色々と面倒事を起こしているに違いない。今度会ったら文句でも言ってやろうと思い、立ち去ろうとするが、肝心なことを思い出す。
「そういえば手錠したままだった」
「あ…」
二人は揃って立ち尽くして、何やら考え事をしている。
「適当に魔法かなんかで外してよ」
「いえ、手錠はその手錠毎の鍵が必要で、鍵は手錠の持ち主しか所持していません。僕らじゃ外せないんですよ」
「手錠までさせられているんじゃ、流石に返すわけにはいかないんじゃないですかね?」
「まぁ。いつものことですし、僕らで頼んでみましょう。また上に文句言われるのも嫌ですし」
「そうね。私が頼んでおくから、あなたはもういいわ」
「はい。分かりました」
親切な男は足早にテープの中に消えていき、僕と地雷女の二人きりになってしまった。彼女は僕から少し遠ざかると、小さな光の玉を耳に当てて口を動かしていた。何を話しているのか分からなかったので適当に辺りを見渡していると、消防隊でも無く、警官でもなさそうな集団がこちらへ向かっているのが見えた。彼女もそれに気が付いたのか、手を高く上げて大きく振った。
「副隊長~」
気の抜けた声を発すると、正反対の声色で返事が返ってくる。
「痴漢男を捕えてなさい!」
集団の中から一際小さい女性が顔を出す。僕の顔を見るや否や、パントマイムを繰り出し、動きを止めると鋭い声で叫んだ。
「そりゃあ!!」
掛け声とともに両手を前に出すと、小さな光の玉が地面を削りながらこちらへ飛んでくる。速度は速くないものの、コンクリートを破壊するほどの威力を持っていることに間違いはない。当たれば四肢のどこかが吹き飛ぶのは必至だった。
「ちょっ、何それ!」
どうして良いのか分からずにその場で右往左往していると、目の前で地雷女が仁王立ちをして静かに右腕を前に出す。光の玉は進行を止めない。そして、遂に立ちはだかる彼女の右手とぶつかり、周囲に衝撃が走った後に砂埃が静かに舞う。彼女の腕からは煙が立ち上がっており、肉が焼けるような音が聞こえている。
「お…おい…。大丈夫か?」
恐る恐る彼女の様子を覗き込むと、澄ました顔でゆっくり頷いた。
「そちらこそ」
「あ、ああ。おかげさまで」
僕はこの一瞬で彼女に心を掴まれそうになるも、雑念を振り払うように首を振った。
「あれ、どこか痛みますか?」
彼女は少し不安そうな顔を浮かべて僕の体を眺める。
「い、いやそうじゃないんだ。ビックリしちゃって」
「ああ。そうですよね。急に攻撃されたら焦りますよ」
そう言いながら犯人の方を振り返る。
「あの。毎度上司にどやされるの面倒なので、すぐ逮捕するのやめてもらえませんか?」
僕は彼女の後ろに隠れながら大きく首を縦に振る。
「そうだぞ副隊長!」
「なれなれしく呼ぶな変態が!」
副隊長は顔を真っ赤にしながら眉間に皺を寄せている。
「今回は本当にそいつに体を触られたの。馬乗りになってたの本当よ!」
「はいはい」
副隊長の言葉責めを奇麗に受け流し、それでと話を切り替える。
「彼らが例の容疑者五人ですか」
「…そうだけど」
あしらわれたことを根に持っていそうな素振りを見せるが、素直に切り返しについていく。
「じゃあまず、状況の説明をお願いします。私、今来たばかりなので」
「分ったわよ。でもその前にやっぱりそいつどうにかしなさい」
「あ、僕のことはお気になさらず」
「副隊長がさっさと手錠を外せばいいんですよ」
「断る」
今度は僕と揃ってため息を吐く。
「じゃあ早く説明をですね」
「…分ったわ」
副隊長は資料と思われる紙束を当然のように空中から取り出すと、その内容を読み上げる。
「死体は幾つかあるけど、犯人もその中の一つに混じっていたわ。いわゆる、自爆テロね」
「はぁ。目的は何なんですか」
「目的は個人的な恨みという線で見ているとのことよ。旅行会社ジャイパンクの特別支店で、犯人と会社の繋がりはこれから調べる。この五人の証言の中に犯人と支店長が飲み屋で口論しているのを聞いたというのがあったわね」
「そうですか。犯人が分かっているのに、そこの五人はどうして容疑者に?」
「この人たちは爆発現場周辺に居たにもかかわらず無傷で助かっていたり、爆発直前に建物を出た人物だから。協力者であるという可能性もあるし」
そこまで言うと副隊長は、はち切れんばかりのスーツを着たボブカットの中年女性を指で差す。
「彼女が犯人を支店長に合わせた」
「…なるほど」
疑いを向けられた彼女は異論を述べようと口を大きく開けるが、副隊長が手で制止する。
「まだ、可能性の話ですよ」
それに続いて地雷女の追撃がされる。
「口は災いの元です」
女性は二人の気迫に負けてすんなりと下がった。黙って行く末を見守ろうと思っていたが、思わず気になった点を質問する。
「なあ。その建物のどこで爆発があったのか分かるのか?」
発言を許さんと言いたげな副隊長を今度は地雷女が制止した。勿論、副隊長は何事かと地雷女を凝視しており、容疑者五人も手錠が相棒の男に何を話すことがあるのだろうかと首を傾げている。
「話してください」
地雷女が五人に促すと、ぽつりぽつりと口を開き始める。
「建物の…十二階です。最上階は二十六階になって…地下二階、塔屋一階の構造です。高さや、敷地面積まで知りたいですか?」
「いや、いいや。建物の上半分が吹き飛ぶほどの火力を出した爆発なのに、わざわざ支店長の隣で花火しなくたっていいと思わないか?副隊長が言ってたその女性は協力者じゃないよ」
我慢できないと言わんばかりの表情で副隊長が反論する。
「確実に殺したかったとしたら?現にこうやって生きてる人もいるんだし、有り得る話じゃない。第一、あんたが口出ししな」
再び文句が始まりそうという所で地雷女のフォローが飛んでくる。
「確かに、彼の言う通りだと思います」
彼女の言葉を盾に推理を続ける。
「特別支店って他の支店とは違うって意味だろ?そこの長を務めるなんて重役を任されているのに、その人やその会社を守るためのセキュリティがガバガバなはずは無いだろう。それで、何で特別支店なんて名付けられているんだ?」
即座に地雷女が答えようとするが、僕の方が早かった。
「あなたが答えてください」
僕は疑われている女性の前に立って、自分の中で分かりやすいように勝手に名付ける。君はビッグボブだ。
「ええ。確かに他の支店とは少し違って、支店長が社長の娘の元恋人の親父さんなんですよ。業務内容は特に他の店舗と変わりないですが、強いて言えばビルが本社並みに大きいということくらいでしょうか」
ビッグボブは腕を両手で組みながら端的に話した。不自然なくらいに表情が変わらない。時折、事実を思い出しているのか右上に目線が行くくらいだ。
「随分と遠い関係ですね…。因みに、昨日の夕食は何でした?」
何の前触れもない唐突な質問に、ようやく顔の筋肉が動いて自然な顔つきになった。目と目が合い、初めてビッグボブの素顔を拝見する。
「それを聞いて何になるんだって顔ですね」
「自分でも分かってるんじゃない。聞いてどうすんの」
「何か不味いことでも?」
彼女の顔には、不快であると書かれている。少し間を置いてから左上に目線を上げ、友達とイタリアン料理を食べたわと答えた。
「ではその友達の名前と、お店の名前を教えてくれますか?」
ビッグボブは先ほどより明らかに不機嫌そうな顔をしながら鋭い口調で言い返してくる。
「いい加減にしてください!」
続いて副隊長が後ろから腕を引っ張ってくる。
「その通りよ。いい加減にしなさい。そもそもあなた人と会話する気ある?嚙み合ってないところがしばしばあるんだけど」
「君はどっちの味方なんだい?さっきまでビッグ…じゃなくてそこの女性を犯罪者として見てたじゃないか」
「疑わしいってだけよ。あなたは確定で犯罪者よ」
そう言うと、僕を後ろへ下げてから女性に言葉を掛ける。
「犯人を通したあなたにも責任がありますし、同行をお願いできますか」
「丁寧なようで丁寧でない言葉遣い」
野次を飛ばすとこちらに対して中指を立てて再び彼女の方へ直る。
僕は副隊長の後ろから、ビッグボブの隣にいる男性にウィンクを送る。ビッグボブと年齢が近いであろう老け具合で、ぽっちゃりとしたお腹と丸眼鏡が特徴的な中年男性だ。短い腕を小さく上げて会釈を返している。ビッグボクと名付けよう。
「ちょっと。その男邪魔だから連れてって」
副隊長が地雷女に命じると、今度は文句を垂れることなく従順に従おうとしたので少し距離を取った。
「待ってくれ。最後に一つだけ」
「嫌よ」
「いいですよ」
副隊長と地雷女で意見が割れた。
「副隊長。この人面白いですよ。もう少し見てみたいです」
なんて良い子なのだろうか。メイクを何とかすればモテるだろうに。
「…あなたがそこまで言うなら」
「ありがとう」
僕は再び五人に近付いて、一人一人の腕を優しく二度叩く。僕に警戒心を向ける人ほど、触られたときに嫌がるはずだ。左から順に、ビッグボブ、ビッグボク、マジメガネ、チャラオ、チャラコと命名し、拒絶反応を示したのは、チャラオとチャラコ以外の三人だった。
「うん…今ので大体わかったよ」
この場にいる全員が妙な顔を浮かべながら僕に集中しているのが分かった。
「この事件の全貌がね」
小声で嘘だろう、何なんだと言うのが聞こえる。
「この質問で、誰が犯人と関りがあって誰が無関係なのかはっきりする」
僕から集中が逸れた人物が三人いた。彼らは互いの顔をちらちらと見合わせている。
「そこの二人は帰ってもらって構わない」
チャラオとチャラコを指してそう言うと、副隊長がストップをかけた。
「勝手に返さないで。探偵ごっこがしたいならせめて理由も言いながらにしなさい」
「はいはい」
僕は二人を手招きして副隊長に近付くように促す。
「ほら見てごらん。しっかりと化粧を決めて出社してて、毎日着用している制服にしては皺が少ない。身だしなみに気を使っている証拠だ」
「はい、間違いね」
副隊長は調子良さげに異論を唱える。それから勝ったと言わんばかりの笑顔で続ける。
「彼女、口紅してないわ」
してやったりと言いたそうにこちらを見る。
「そう。そこだよ」
「何を言ってるの?」
「そう慌てなさんな。ほら、彼の唇を見てごらんよチャラオの唇は不規則に赤みがかっていて、口元に鼻を近づけると唾液の臭みが分かる」
その説明を聞いた地雷女は、男の顔を引き寄せる。正直、羨ましいと思ったが、彼女の目はチャラコを捉えていた。
「君、賢いね」
地雷女は僕が言わんとしていることを理解していた。僕の誉め言葉に、真顔のまま頷いてチャラオを離す。
「彼女、明らかに嫌そうな顔をしました」
「まあ君みたいに奇麗な若い女の子に嫉妬するのも無理ないさ。君たちは恋仲だよね?爆発が起きた時に無傷でいたのも、物陰に隠れてコソコソと微笑ましいことをしていたからだろうね」
二人は目を合わせると、互いに苦笑いをしてからそうですと声を揃えた。僕の勝ちだと心で呟きながら副隊長を見ると、悔しそうに眉間に皺を寄せ、ストレス発散に石を蹴飛ばした。
「さて、次にそこの二人」
気持ちを切り替えて、ビッグボブとビッグボクを呼び、前の二人と同じように副隊長の前に立たせる。
「二人の匂いを嗅いでみて」
先に地雷女がクンクンとしてから副隊長が渋々続く。
「同じ柔軟剤の香りがするだろう。同じような太り方をしているし、二人とも結婚指輪をはめている。副隊長がここへ連れて来た時も二人は自然な距離を保っていたし、意識した素振りも見せずに隣に立った。今もほら、そっちのカップルに比べて距離感が自然だろう?伝わるかな」
「ええ。カップルの二人は肩が寄っては少し離れてっていうのを繰り返していますが、二人は互いにパーソナルスペースを理解しているのか、不快感を与えない距離感を常に保っていますね」
地雷女が上手く言語化してくれたお陰で、苛立っていた副隊長がなるほどと声を漏らした。
「だけど、奥さんの方は旦那さんに飽きてるみたいだ。男がいる」
彼女は音を立てながら口で空気を吸って、少ししてからゆっくりと吐き出した。それから先ほどと同様に腕を前に組んで僕を睨む。
「その腕を前に組む仕草が物語っているよ。僕から真実を守り抜きたいってね」
彼女は分かりやすくはっとした表情をして腕を垂らした。不自然な立ち姿である。
「人は自然と人と壁を作ろうとする。特に、自分にとって不都合な相手に対しては顕著にそれが出る。僕が最初に質問をした時も腕を組んでたし、昨晩の食事の話をした時なんて腕に力が入りすぎなくらいだったよ。それから、支店長のことを話すときは右上を見てから言葉を発していたのに対して、昨晩の話の時は左上を向いてから話したんだ。言いたいこと伝わるよね」
ビッグボブの顔は次第に青ざめる。旦那の顔色を伺ってから首を横に振って弁明を図る。
「そんなのたまたまよ!そんな仕草や目の動きなんてこじつけでどうにでもなるわ!」
「そう言われると思ったのでさっき確認したんです」
「え?」
「友達の名前とお店の名前ですよ。遮りましたよね自分で」
ビッグボブは口をぱくぱくと開閉しながら次の嘘を考えている。一方旦那は、既に妻の不倫に気が付いているのかじっと黙って遠くを見ている。
「旦那さんはあなたの不倫に気付いているようですよ。正直に言ったらどうです?」
しかし、一向に事実を語ろうとせず頑なに嘘を通そうとしている。
「もういいですよ。旦那さんも何か隠しているみたいですが、僕の見立てじゃあなたも不倫ですよね?」
それを聞いたビッグボブは、安堵と苛立ちが入り混じったような表情を見せた。救いようのない夫婦である。
「あなた本当なの?」
落ち着きを取り繕った声色で旦那に尋ねる。
「ああ。お前の不倫のことも知っていた。だから僕も他の女性に手を出したんだ」
ビッグボクは妻の顔を見ようとしない。覚悟をしていたかのように常に一点を見つめながら淡々と告げた。逆にビッグボブは感情的になっており、旦那に強い口調をぶつけた。
「私が悪者みたいに言わないで!あなたにも責任があるのよ!」
ビッグボクは静かに頷く。鳴き声を上げていた彼女は冷静沈着な旦那に呆気にとられてしまい、それから言葉が続かなくなってしまう。
「まあ。夫婦喧嘩はその辺にして、詳しく聞きましょうか。っとその前に、最後に残ったあなた。あなたは全てを知っていましたね。特にそちらの奥さんの味方になるおつもりで」
取り残されたマジメガネにそう言うと、これまでの推理の的中率に観念したのかすんなりとイエスと答える。
「まあみんな支店長を殺そうとは思わなさそうだし、そんな勇気もない人たちだ。密かに奥さんを狙う眼鏡警備員さんに、不仲の夫婦従業員と恋に忙しい若者労働者…。みんなそれぞれのことで忙しいよ。奥さんと眼鏡さんは不倫の件で相談していたために人が来なさそうな個室なり廊下の角なり、開けたところにいなかったからだろう。旦那さんは正直分からないけどたまたま外出しようとしたのか」
含んだように言うと、ビッグボクは僕の方を向いてから首を横に振った。
「いいんです。おおよそ当たってますから」
「そうですか。じゃあ会社の金庫に保管してある不倫の証拠を弁護士に見せるなり、彼女に従うなりご自由に」
副隊長の方を見ると、険しい顔をしながら大きな手振りを見せ、ぶっきらぼうに言葉を発する。
「え、なんなの?」
「ちょっと手伝っただけだよ。君の痴漢冤罪のお詫びにね」
「あら、どうもね」
表情を急変させて不器用に口角を上げているのが分かった。
「皮肉だよ」
こちらもニヤリと笑うと、案の定表情筋を引き締めて、私もよと言う。
「それで、僕はこれからどうするんだ」
「好きにさせてあげたんだから、今度は私の番」
僕は地雷女を見ると、彼女は好きにしてと言わんばかりの呆れた表情をした後、ドラゴンに飛び乗って去ってしまった。唯一の味方が、副隊長の横暴っぷりに尻尾を撒いてしまってはどうしようもない。僕は大人しく降参してその場に立ち尽くした。
「はいはい仰せのままに。女王様」
「次言ったら殺すわよ」
彼女は容疑者三人を連れてくるようにと周囲の警察官に指示を出して、僕にパントマイムを披露した。数十分前と同様にドラゴンに跨り空を飛んだ。
「あなたの言う通り三人だけに事情を聞いてみることにするわ。ってあの子が言ってたから」
あの子というのは地雷女の事だろう。
「あの子はこのチームの脳を担っているわ。あの子がいなければこのチームは回っていないの…」
彼女の声のトーンは心なしか下がっている。自分に非があるかのような話し方だった。だから彼女は、地雷女の言うことに大きく文句は言えないのだろう。それから副隊長も僕も沈黙が続いた。
空から見る景色は、飛行機が撮影する東京の街とほとんど変わりはない。東京タワーがあって、スカイツリーの方が高くて、東京ドームはちゃんと丸い。魔法の城があるわけでもなければ、箒に跨りながら杖を振り回すわけでもない。パントマイムが流行していることとドラゴンが飛んでいること以外は日本の東京そのものだった。
「そういえば、今日って何月何日?」
「十月の三十日だけど」
「そう」
この場所へ来る前の日付と同じだった。ただ、肌寒さは頷くように感じなくなり、気温という概念が存在しないかのような快適さである。夜から一転して晴天が身を包み、日の温かさとドラゴンの体温を共に味わえた。滑らかな鱗もまるでデジタルであるかのように触り心地に癖は無く、プラスチックを柔らかくしたかのような感触だった。人工の物に体温が伝わったかのような感覚に近い。生物特有の臭みも一切なかった。空を飛んでいるドラゴンは数えるほどしか存在せず、律儀に整備された道路を走っているのがほとんどだ。信号も存在し、バス停と似た場所もあり、列を作って並ぶ人々も見える。何と呼ぶのだろうか。ドラゴン停だろうかなどと考えているうちに、ドラゴンが緩やかに降下を始めた。東京にしては珍しい小ぶりの建物で横に長く、上空からはコの字を左に四十五度回転させて引き延ばした形をしている。お洒落と無縁の無機質な灰色に塗られており、窓は数か所に設置されているだけで中はほとんど見えない。近づくにつれて敷地を囲む塀の高さが明らかになる。
「なるほど、軍事基地みたいなところか」
こんな建物東京にあっただろうかと記憶を辿ると、確かこの入り組んだ道に覚えがあると思い、さらに脳の深くに潜り込む。ニコニコ本社があった場所だ。
「そうよ。あなた私のことを警察とか言ったわね。普段は警察っぽいことしてるけど位が違うのよ。私は…まああの子もだけど、軍の隊員よ」
「あの子…ってええ!?」
メイクのせいで実年齢は分からなかったが、恰好から軍隊であることなど想像する余地もない。
「自由が売りなのよ」
「それにしたって自由過ぎないか?それに君もそうだけど、戦う人間って感じはしないぞ」
確かに見た目以上の力があるのは確かだったが、国の脅威と闘う軍人には足らない程度の力だと思われる。僕を捉えた時は加減をしていたとしても、その体では限界が目に見えた。
「あなたどこまで私を馬鹿にしたら気が済むの」
そう言いながら両手を広げて、いくつかの手順を踏んでから円を描くと二人の体が浮き上がる。僕らの着地と同時にドラゴンも足を着きそのまま寝転んでしまった。
「さ、入るわよ」
両開きの自動ドアに歓迎され、金属探知機を潜り抜けてから受付嬢にカードを渡されてエレベーターへ案内される。ほんの四畳ほどしかないロビーだった。カードには魔法化学特別合同防衛軍と立派に記載されていた。
「これが、君たちの名称か…」
「ええ」
エレベーターに乗り込むと、副隊長はカードをポケットに入れてしまう。
「僕は部外者だし、見えるように持っておいた方がいい?」
「まあ私の隣にいれば大丈夫よ」
「流石副隊長だね」
褒めているのに不機嫌そうな顔を崩さない。最上階の三階を押して上がっていく。建物のサイズに比例しないボタンの数に驚いてむせてしまう。
「おいおい…地下何階まであるんだ」
「見て分からない?地下二十階、地上三階よ」
「ここはいったい何の施設なんだよ」
「軍事基地って言ったでしょう?」
扉が開くと、中は最先端の科学技術が集合した極秘施設のようなテンションで設置された未知のマシンが並んでおり、奥には従業員のデスクがずらりと並んでいる。彼女の制服とは異なり、皆一様に白衣を着ていた。建物の構造通りに左へ曲がり、突き当りをもう一度左にターンすると、怪しげな引き戸が鎮座していた。内装に全く似合わない手書きのメッセージが張り付けてある。
「ノックしなさい…?」
彼女は慣れた手つきで三度ノックして、返事が来ないうちに勢いよく扉を開いてしまう。
「ちょっまだ返事してない」
中ではてっぺんの禿げた小太りの中年オヤジが鬘を片手に焦っていた。茶色のスーツに身を包み、高価な木製のデスクに腰を掛けている。小さなサボテンのような観葉植物を右手側に置き、左手前には赤色の小時計が飾ってあった。部屋の片隅に設置された背丈よりも高い黒色の棚には書類やファイルが詰まっている。最低限の物だけ揃えた部屋だが、一つ一つが高価な品だとすぐに分かる。一見緩そうに見える人柄も素ではないことが見て取れた。ただ、そのキャラクターを演じて長いのか、人格の一つとして染み付いている気配を感じられた。僕らが入って真っ先に彼女の顔を確認し、胸元からふくらはぎにかけて視線を移しているのが分かった。次に僕へと注意を移して、同じように目を動かした。
「局長私です」
「何だ君か」
局長と呼ばれるオヤジは彼女の顔をわざとらしく確認すると、ほっと胸を撫で下ろして鬘を机の上に置いてしまう。彼女が名乗るよりも先に顔を確認したと思ったが、どうしてそんな反応をしたのだろうか。それから僕に気付いたような素振りを見せて室内へ手招きする。局長は僕らが武器か何かを持っていないかを確認したのだろうか。そういうシーンが海外ドラマであったような気がする。
「君が記念すべき百番目の被害者だね」
局長は半分困ったような、半分呆れたような表情でそう呟いた。
「はぁ」
何のことかわからず適当な相槌を打つ。
「いやね。彼女が冤罪で連れてきた人の数」
なるほど、地雷女と帽子の男の対応に合点がいく。
「いいですか!彼は本当に私に触れたんです!」
局長の応対に納得のいかない副隊長は激昂する。
「まあまあそう怒鳴らないでくれよ」
「ほんっと信じらんない。有栖も局長みたいに私の味方をしてくれないし」
察するに、有栖というのが地雷女の名なのだろう。
「いいんです。特徴的なメイクの女の子に助けられましたし、ずっとやってみてかった刑事さんの真似事もやらせてもらいましたから」
局長が興味深そうに小さい眼を開く。
「そうか。君が頭の良い青年ですか。有栖ちゃんから話は聞きました。お陰で事件がかなり進展したと報告を受けましてね」
副隊長と話す時とは異なり、お客様のような扱いをされる。権力を振りかざさない素晴らしい人物だと感心した。
「そうですか。力に慣れて良かったです。それで、僕は釈放っていう感じで大丈夫ですか?」
「ああ。勿論だ」
「局長!」
耳元で甲高い声が爆発して鼓膜が痛む。彼女は頑なに食い下がり、話をややこしい方へと引っ張りたいようだ。仕事が増えるだけだろうにどうしてそこまでこだわるのだろうか。
「なあ。君の仕事が増えるだけなんだぞ?ノルマでもあるの?人をぶち込んだ数で昇給とか」
普段温厚な僕でも流石に腹が立ってきて嫌味な言い方をしてしまう。彼女の整った顔は鬼の形相に変化して、僕の頬を思い切り平手打ちする。鋭い音が響き渡ると同時に我に返ったのか、彼女に宿った鬼は身を隠す。
「あ…私は……ただ…」
局長は大きく溜め息を吐いて唸り声を上げている。
「ごめんなさい。ただ、正義を貫きたいだけなの…」
彼女の行動の源は正義感から来るようだ。しかし、重すぎる信念を背負って空回りしているように見えてしまう。実際に、僕を含めて百人もの人を冤罪で訴えているわけだ。他人の言い分を聞こうともせずに行動が先走ってしまうのは失敗する人間の典型例である。感情的で早とちりな彼女の部隊は大丈夫なのだろうかという心配さえ芽生えてくる。ただ、今のは僕も良くなかった。
「僕の方も、悪い言い方を選んでしまった」
「申し訳ありません。いつも言い聞かせているんですがね。良ければお茶でもお出ししましょうか」
無駄なトラブルを避けようと必死で接待しようとしているのが顔に出てしまっている。キャラクターを作るのは上手くとも、相当に器用であるというわけでもなさそうだ。局長は足早に部屋を後にして、マグカップやらお茶を用意するように部下に指示を出している。当の本人は反省しているように俯いて暗い表情を浮かべていた。
「副隊長は…なんていう名前なの」
慰めるように優しい声で話しかける。彼女は少しだけ顔を上げて答える。
「美萩よ。訴えられても仕方ないわよね。でも、あなたは本当に私の体を下敷きにしたわ」
「そういうつもりで名前を聞いたんじゃない。あと君は僕の言い分を聞いてみようと思わないのかい?」
「何よ。なんかいい言い訳があるのかしら」
本当に反省しているのか疑問が残る口調である。
「両親が事故で死んで心身ともに参ってたんだ。ふらふら歩いてたら人に当たりそうになって避けた先に君がいたってわけ」
そう説明すると彼女はハッと言って目を見開き、僕の首から下を一周すると深々と頭を下げた。
「自分の事ばかりで申し訳なかった。その恰好に気付くべきだった」
「いや、いいんだ。お互いバタバタしてたし、出会った人みんな気付いてなかったようだしさ」
喪服を着ていることを僕自身でさえ忘れてしまっていた。いい加減着替えなければとも思うが、銀行でお金を下ろせるのかと不安が過る。良く考えてみれば自分の家や口座さえも無くなっているかもしれないのだ。通貨が同じなのかも不明である。
「失礼します」
どうしたものかと頭を悩ませていると、聞き覚えのある声の持ち主が入室した。振り返ると相変わらずのメイクにハイヒールの有栖が立っていた。
「私は、あなたが喪服というのに気づいていましたよ。だから気の毒に思って優しく接しました」
「そ、そうかありがとう」
端的で正直なのは良いことだが、人形と話しているみたいでどうも苦手意識が拭えない。
「有栖は気付いてたのなら言ってくれてもいいじゃない」
再び不機嫌そうに有栖に当たる。この二人の辞書に愛嬌という言葉は無いのだろう。
「すみません。それより、あなたの言った通り、三人は共通した秘め事があると裏が取れました」
有栖は慣れたように美萩の言葉をかわして話題を切り替える。美萩が不快そうに眉を顰めるのが見えたが、彼女はどうにか堪えたようで有栖の言葉を待った。
「まず夫婦の内の奥さんですが、特別支店の事務員で犯人と不倫していたことを認めました。犯人は本社の社長令嬢と付き合っていたようです。社長の娘と支店長の息子は元恋仲で二年前に分かれており、その一年後に犯人と付き合い始めます。それを気に食わないと作戦を企てたのが支店長で、息子をどうにかして復縁させようと社長に媚を売っていたようでした。それを犯人に教えていたのがあの奥さんです。犯人は支店長に何度も呼び出されており、金を渡そうとしたり脅したりとあの手この手で引き剥がそうとしていたようです。勿論、支店長に会うには奥さんや警備員さんの案内が必要ですし、そもそも支店長が許可しなければ門前払いされます。犯人が支店長と会いたいときは奥さんに上手く話しを作ってもらい、逆に支店長が犯人に会いたいときは奥さんから話を通す、といった具合で二人の仲介役を担っていたみたいです。奥さんは頻繁に来る犯人に対して事情を聞き、親しくなりますが、協力する代わりに私と寝ろと強要していたと話しています」
「なんでまたそんなこと」
美萩が呆れたように呟いた。
「あの奥さん、旦那さんを尻に敷くタイプだろうしプライド高いんだろうね。女としても。次いでだけど、質問の度に眼鏡の男性の方を見る回数が多かった。彼とも寝てるね。ここまでくると、男という生き物が好きなんだろう。眼鏡の男は明らかに奥さんの顔色を伺ってたのが証拠さ」
有栖はなるほどと一つ頷いて、照明が当たる角度にいるせいか、心なしか目を輝かせているように感じた。対して美萩は不満の声を漏らす。
「それは証拠と言わないわ」
「だから不倫ってわかったんですね」
「ううん。それはちょっと違うかな。奥さんが、旦那さんより眼鏡の男を見る回数が多いのは確かだけど、それだけでは不倫とは確定しない」
「じゃあなんなのさ」
「彼女たちが自分で言えば不倫の証拠で確定だ。だから言わせるように仕向けたのさ。まずは大きく振りかぶる」
そう言ってピッチャーのポーズを真似してみる。
「三人に隠し事があるのは見て明らかだった。特に夫婦間で起こる隠し事の一番大きな問題は、ズバリ不倫。法的に裁かれるし金も莫大に取られるからね。だから不倫だろと言って様子をみたんだ」
「不倫じゃなかったらどうするつもりだったのよ」
「そんなの向こうが勝手に話してくれるよ。不倫より重大な隠し事って何がある?人を殺したとか?それなら不倫を真っ先に暴露するさ。人ってのは一番重要そうな問題を言われてもないのに提示するもんだ。この人はこれだけのことを暴露したんだから正直者なのだろうって思われるからね」
そろそろ振りかぶったまま停止するのも辛くなってきたので投げる体制に入る。
「次に狙いを定めて…投げる」
腕を思い切り振って右足を前に出す。
「旦那さんに切り込むんだ。彼は奥さんの発言に対して一切動じなかった。普通愛する妻が不倫なんてしてたらキレるだろう?でも彼は動かない。不倫を知った旦那が取る行動は、復讐か離婚手続きかはたまたやり返すかの三パターン。こういう時もさっきの理論を使う。一番問題となりそうな、やり返すを選択して投げると上手く行くんだ」
そして遠くに見えるバッターとキャッチャーを指さしてボールの行方を見届ける。
「投げてしまえばあとはバッターの問題だ。僕はヒットを撃たれないようなボールを投げた。バッターはファールをするか、突破口を見つけて打ち返すか、三振するかだ。僕を相手にしたバッターは大体三振。メジャーリーガーの誕生ってわけさ」
美萩は僕の言葉の節々で何か文句を言いたそうにそわそわしていたが、喪服の件があったからか声には出さなかった。
「凄いですね。やっぱりあなたを現場へ行かせて良かった」
「ありがとう。それで、続きは」
質問の答えは有栖の奇麗な声では無く、おっさんの枯れた声で返って来た。
「旦那さんは別の女性と寝ていて、眼鏡の男は奥さんと寝ていた。あなたの言う通りですよ。そうそう、犯人の身元も分かりましたよ」
そこで美萩と有栖がとあることに気が付いて二人で目を合わせる。局長は二人の態度に気付いて彼も大事なこと忘れているのを理解した。
「鬘…」
僕を抜かした三人が声を揃えて、デスクに無残に取り残された鬘の方を見る。僕は親切心で鬘を掴み、固まったまま動かない局長の頭にそっと被せた。彼を励ますつもりで肩を二回叩いて局長を室内へ案内して扉を閉める。外ではクスクスと笑う声が聞こえるが、局長には届いていないだろう。