7.ようこそ最後の舞台へ
目を開いたら、普段閉じたときと変わらない黒が待っているはずだった。照明のないこの部屋は、ずっと暗いままだ。しかし、今は明るい。
そうだった。
昨晩、ユノアが灯りを置いていったことを思い出す。寝台の隣に照明が置いてある。籠と、黒い物体の乗った石も記憶のとおりだ。
体を起こし、伸びをする。あまり深く眠れた気がしない。
照明の橙色が、部屋全体を染めている。木目が雰囲気に合う温かい部屋で、自分が違う場所にいることを再認識する。
目覚めてすぐに場所を理解すると、夢だと思えなくなるらしい。
夢でないのならばと、クレヨンを見ることにした。黒い物体である。
指先で軽く小突く。固まっている。持ち上げてみるが、形が崩れる様子はない。触り心地は、クレヨンと言うよりロウに近い。石のように冷たかった。
白紙だらけの本を開く。試しに『1』と書いてみる。角が削れ、代わりに紙に文字が出る。粗悪品レベルだが、上手くいったようだ。
数十分の間、クレヨンで白紙を汚すことに勤しんだ。最近の出来事を大まかに記す、言ってしまえば日記である。文字のある紙を目にする度、気持ちが高ぶるのを抑えられなくなった。
昨日までの分を書き終えると、本を閉じ片付けた。
長い廊下を通り過ぎ、ユノアがいるであろうダイニング兼リビングに行く。
「おはよう、ヴァイオレット」
ティーカップに茶を注ぎながら、蜂蜜を思わせる甘い声をかけてくる。それに対し、私は小さくおはよ、と返す。そんな挨拶でも、ユノアは満足そうに笑みを深める。
朝食を二人で摂り、しばらくしてからユノアは出掛ける。見送った後の私は、フリータイムを弄ぶ……ことはできなかった。
ユノアから宿題が出た。出掛ける直前、一冊の本を渡された。国語辞典を軽く越えるようなボリューム。お腹いっぱいですと突き返したい。
そんな風に思わせる理由が、この本にはあった。表紙を捲り、一頁、また一頁と目を通す。そこにあったのは、文字と言うより数字だ。
逃げるのは止めよう。算術をやれ、そういうことである。
文字をほぼ一日で覚えた私なら、算術をやらせておいた方がいい。そう考えられているのだろう。
この世界での数字と、数をわかりやすく見る為であろう棒状の記号がある。先ず解き方が書かれており、それから、簡単なそれに準ずる問題、最後に難しい問題とある。小学校の算数ドリルを彷彿とさせる。
この程度ならどれほどで終わるか……。
この本に奪われる時間を計算する。
うん、問題を解き始めるべきだ。
朝飯前と言うまでもない問題を解いていく。本と共に渡されたペンを使った。魔石をエネルギーとした魔道具らしい。こんなことに使っていいのか、疑問だ。
大賢者・AIの補助なのか、思考能力と記憶力が上がっているようだった。オンオフが切り替え可能な、便利機能となっている。どちらにしても変わらないので、使わずに計算していく。文字が違ってやりづらいが、一秒の差もなく解く。
手だけを動かすのも勿体ないので、使っていると言えないくらいしか使っていない脳も動かすことにした。
魔法の発動条件について、以前ユノアが話してくれていた。
魔法の発動条件は、大まかに分けて三つ。
一、魔力の認識
ニ、魔力の操作と放出
三、魔法の想像と構築
である。
私の場合、ニの途中までといったところだろうか。
魔力の操作と放出がどれだけ速く行えるかによって、魔法の発動スピードが変わる。
また、創造は個人で大差がつく点だ。人が何かをイメージするとき、元となるものは必ず記憶からとなる。その点、私は多少有利になるわけだ。
魔法はできる限り早く習得しておきたい。
使ってみたい。その一言で終わるようなものだが、他にも理由は多々ある。
私の現状を振り返ってみよう。
前世の、女子高生であった頃とは打って変わった幼児姿。十八だったろうか。数年違う気がしなくもないが、その年と比べたら二倍も三倍も差がつく。成長期を考えれば、体格も倍以上になるだろう。
それに加え、森の中で一人暮らしをしていたユノアの家に住む居候。良く言えば、寂しさを紛れさせる同居人。悪く言えば、タダ飯食らいの役立たず。前者は、ユノアがここで暮らしている時点でないと言っていい。
よって、脱役立たずを目指して魔法を覚えたい。
私は魔力操作を、血眼とまではいかないまでも、出来得る限り全力で、与えられた宿題に費やしている分の残りで行った。
昼を過ぎたくらいに最後の頁が終わった。厚みで浮いた頁が、元に戻ろうと勝手に閉まる。………そして開く。
……んッ!?
閉じたはずの本が、次の瞬間には開いていた。
ユノアはたまに言葉足らずなときがある。これもきっと魔道具の類なのだろう。そう思うことにした。
開かれた本に書かれている文字を読む。そこには、魔法を発動させる一連の流れが書かれてあった。
私は『放出』の見出しを見つけると、そこを流し読みする。
そこには以下のようにあった。
『放出』
魔力を魔法として発動するにあたって、魔力を体内から体外へと放出する必要がある。最も効率的であるのが掌からであり、その他でも可能だが、訓練を受けてさえその効率は掌の半分にも満たない。
物を介した状態であった場合、威力や効力にかける魔力が節約できる。介する際に使う物は、魔鉱石を使用した武器装備であったり、魔石であったりする。
なるほどと思いながら、自分の手を見つめる。焦点を合わせるように、光を集めるように、魔力を寄せ集める。手だけ、温度が急激に上がり、そこに魔力があることを認識する。
本から目を放さず、手を横に突き出して、
イメージは――
バシャッ。
なんか良い音が聞こえた気がしなくもない。
私はただ、魔力を集めた手を横に向け、イメージをしただけにすぎない。それが無意識に行動に移されていただなんて、私は知らない。
横を向く。視線を五十度ほど下げる。
…………うん、私はなにも知りません。
――水。
あのときイメージしたものは、水だった。
そこには確かに、水溜まりができていた。
やったよ、まほう、つかえたよ、笑。
想像した物が水で良かったと思う。
もしこれが火であれば、引火していたかもしれない。
もしこれが土から石をイメージしていたら、床に傷をつけていたかもしれない。
今度からは外でやろう、そう思った。
本を一通り読み終わり、私は外に出て試してみることにした。
あっさりと四属性を生成することに成功した。光、闇、命の魔法は他より高度な式構築が必要らしく、今はやめておいた。
魔法を生成できたのはいい。しかし、射出ができなかった。
イメージするところまでは難なく行えた。使ううちに、魔法式というものがわかっていき、魔法発動までの時間が短くなっていった。
魔法式とは、簡単に言ってしまえば魔法陣のようなものである。憶測だが、これを紙などに描いたりして魔力を流すことができれば、前世でも知れている魔法陣そのものになると思われる。
何かが足りない。そんな気がする。
仰向けに寝転がり、左の腕を枕にし、右手を空へと伸ばして思案する。中空で固定されるのを想像し、ふと水をつくった。ふよふよとした水玉が、オレンジに染まった空を漂うのを、ただ茫然と眺めた。
つくるには魔力がいる。なら、動かすのにもいるんじゃないのか。
そんな考えが頭を過り、私は意識する間もなく実行していた。
水が沸騰し、そして、弾けた。
当然、その水は私に降り注ぐ。
あちちと言いながらのたうちまわり、すぐさま水を出して顔にかける。軽症だが、火傷を負った。跡が残るほどではない。
でも、なるほど。水を沸騰させられたわけだ。
このとき私は、射出の燃料として、火薬、つまり火をイメージした。
水属性となるのか、火属性となるのかはわからないが、情報が得られた。
魔法発動後に、魔法に魔力を注ぐ。
これにより、魔法を出来上がった形から変えられるらしい。水を沸騰させたように。
そして、ひとつの実験を行った。結果は成功に終わり、魔法と呼べるものだった。
前世の魔法では王道の、
「水球だ」
放たれた魔法は、10メートル先の木にぶつかり弾けた。
足りなかったのは、発射する為の魔力だったらしい。
それぞれ、火、水、土、風の魔法を使った後、家に入った。
程なくして、ユノアが帰ってきた。
私の顔を見るなり、蒼白顔になる。
何故に?
その答えはユノアが教えてくれた。
「ヴァイオレット! どうしたんだ、その怪我は」
ユノアには似ても似つかない口調だった。
怪我と言われ、初めてそれが火傷のことだと気づく。怪我の経緯を説明すると、顔色が戻ると同時に、怒りへと変わっていた。
小言を言いながら魔法を使うという、器用なことをやってのける。小言を言っていることはわかっていても、その内容は頭に入らなかった。それは、ユノアが使っている魔法に、目が向いていたからだ。
顔を覆うようにかざされた手からは、治癒魔法が発動していた。
治癒魔法。
魔力に干渉して新陳代謝を促すことにより、自己再生能力を一時的に上昇させる魔法。
ユノアは以前、私に魔法を教えると言っていた。未だ教わっておらず、独学の、ほぼ自己満足レベルの魔法を覚えただけだ。
だからこそ、それは、私の目を惹くに足るものだった。
概要は予め読んでいた為、理解は困難ではなかった。治癒魔法は命の属性にあたる。『光よりの命』と書かれていた。
『〜よりの〜』というのは、一つの属性ではなく、二つの属性でできた魔法に使われる表し方だ。
例えば、私がつくった熱湯。元は水であり、水属性に分類される。そこに火が加わったことで、熱湯になった。この場合、『火よりの水』となる。
『光よりの命』とは、癒すという意味を持っている。
頭では理解していても、実際に行動するのは、案外難しいものだ。だからこそ、命属性は習得困難な属性と言われている。
私も、その例外ではない。科学に囲まれて生きた私にとって、理論上不可解な点の多い魔法は、相性が悪い。
その為、手っ取り早い方法が、目で見て覚えることだった。
自分の魔力が、微量ながら動かされる感覚がする。怪我に集まったかと思うと、すぐさま散ってしまった。
ユノアの手が退けられる。火傷を負っていたはずの頬に触れてみたが、健康そうな柔らかい肌であった。治ったようだ。
小言は済んだのか、ユノアは夕飯を作りに行ってしまった。
暇な私は、また日記の続きに取り掛かるべく部屋に行く。荷物を置くことも兼ねている。
魔法についての感覚を、記憶している限り書き記す。
夕食の席では、ユノアの話を聞き、私は黙々と食べていた。
今日も変わらず、この世界や魔法の話で終わるのかと思っていたが、どうやら違うらしい。ユノアがさりげなく、話の主旨を移していた。
「ヴァイオレットは本当に覚えが良いね。教え甲斐があるよ。
まるで、どこかで学ぶ事を学んでいるかのように、ね」
悪寒が背を走った。背筋が伸ばされ、不自然さが生まれる。ユノアを見つめ返すことで誤魔化したが、どれだけ効いているかはわからない。
「秘密のままでもいいよ。ただ、忘れないで欲しい。君は君だ、好きなように生きればいいよ」
……?
言葉の意味が理解できない。
それ以降、食べた物の味がせず、答えの出ない問に悩み続けた。結局、思考を放棄することでなんとかした後、布団を深く被って眠った。
……
談話室。そこに二人の人物がいる。
対になるように卓を囲む二人は、まさに正反対と言える。
一方は無表情。もう一方は、真偽を疑うような笑みを浮かべている。
笑みを浮かべている者が茶を注ぐ。その動きは、洗練された優雅なものだった。
無表情の者は、受け取ったカップに口をつける。余程喉が乾いていたらしい。
二人は沈黙を守り、茶を啜る音だけがその場を支配する。
破ったのは、意外にも無表情の方だった。
開口一番、「お前は何を考えている?」と。
それに対する返答は、笑みを深めただけのものだった。
またも無表情の方が口を開く。先程より重圧の込めた、低い声で。
「何の為に、これほどの面倒を買って出たと思っている。
もう一度問おう。お前は何を考えている。」
笑みを浮かべていた顔が、真顔へと変わる。
「僕は、ただの駒に過ぎないよ。
だから、これは一つの舞台なんだ。僕の最後なんだ。綺麗に彩っておくれよ」
無表情な者達は、最後に眉を歪めて苦笑した。




