5.少女は夢をみて
黒い影が二つ、重なり合っている。月の光の下に入ることはなく、けれども灰色の地で光を求めていた。
「に、ぃ?」
「……」
小動物の鳴き声のような声が漏れる。影の中、小さな影がもぞりと動いた。
影が影を包み込む。どちらの影も何かを言うことはなく、月の光が消えていった。
また、影が動く。包み込んでいた影が伸び、二つに別れる。
「…………?」
「すぐ戻る」
確固たる意思を宿し、小さな影と比べると大きなその影は、格子の向こうへと進んでいった。
それから暫くして、影がまた出ていった。
拙い揺れで光を覆い、闇を追って出ていった。
「………………おいてか、ないで」
……
移動では何故かオルバに抱えられていた。手を貸してもらったというのに、立とうとして失敗し、床に激突したことが原因だろう。仕方がない。ここはオルバの心の平穏の為にも、私が耐えるしかなさそうだ。元凶が言えるセリフじゃないがな。
二階へと運ばれた私が見たのは、幾分か鍛えられた身体を持った一般人だった。彼等がカルアの言う警備兵なのだろう。
当然のように警戒している。この緊張状態でなければ、視線が痛い程だ。隠せていないと言えば隠せていない。しかし、異様な状況下において、それは異様だと判断されない。
同様に、異様だと判断されていない異様なものがこの場にある。笑みを顔の裏に貼り付け、必死に誤魔化そうとしている……犯人だ。
カルアが警備兵と話をしている。犯人に対する見せかけだけのやり取りだが、犯人はどうやら気付いていない。隠さないことは警備兵達の作戦のようだが、気付かれなければ意味が無い。
よくその頭で毒を使った策を練れたものだ。
犯人を見ていて思ったのだが、犯人はそこまで頭がキレる訳ではなさそうだ。騒いでいた男が私を見つけると、またも喚き散らしだした。
警備兵の目にはどう映っているのだろうか。男の言っていることは筋が通ってはいるのだ。私に彼等を殺害する動機はない為、事故として処理される可能性が高い。
また一芝居うたなければならないか……。
私がそう思案し始めたときだった。
「証拠は後からでも遅くはない。大丈夫だよ」
抱えられ目線が高くなった私の横で、カルアがそう零すように言った。私が見つめていた犯人をその目に映し、自信ありげに笑っている。横顔からでもよくわかる。
そうだ。この場で最も高い権力を持つ人物。それはギルドマスターである彼女だ。
カルアが横から一歩前に出る。彼女の赤ワインを流した髪が揺れた。
男がここぞとばかりに自分の意見を主張する。そのほとんどが、私の罪を問うものであった。
カルアが手で男を制し、初めてこの空間に静寂が訪れた。
「死者が出なかったことは不幸中の幸いだ。だが、このような出来事は二度と起こらないようにしなければならない」
犯人は二種類の毒を使った。一つひとつは死に至らないが、二つを合わせれば死に至る。そうなるように致死量より少なくし、どのような毒が使われたのかを調べづらくしたのだ。
「私は皆の知るように毒を扱う戦術を用いている」
その毒のうちの一つ。水瓶に混入されていた毒は、誰が用意したのか。誰が毒の知識を与えたのか。
「物的証拠は見つかっていないが、状況証拠をもとに推理することは可能だ」
顔が青く変わっていく者は何を恐れているのか。
「長ったらしい話は被害者に失礼だろう。必要なのは……」
自首する意思、そう言おうとしたカルアの口が固まる。
……震えていた。男の体が恐怖に震えていた。血管が青黒く浮き出ている。目が血走っている。
「お、おお俺だ、いいや、俺達がっ、俺達がやったんだ! だだだから、だから、助、けっ……」
男の悲鳴が、途切れた。手に腕に、首に顔に、肌の至る所に鮮やかな紫が蔓のように蔓延っている。
病と呼ぶにはあまりにも呪いじみた光景に、誰も声を出すことはしなかった。男の後ろにいる仲間達もが、数秒の間に起こった男の変貌に呼吸を忘れている。
男の伸ばされた腕の皮膚が破ける。ぶちぶちと嫌な音が頭に響く。心なしかオルバの私を抱く力が強まった気がした。見るとオルバの顔が、険しく歪んでいた。
「まさか、悪魔憑きか……」
ふと聞こえた後ろからの声に振り返ると、カルアもまた、目を見開いて男を凝視していた。
悪魔憑き? 初めて聞く言葉。それに初めてここまでうまくいった……! あとは、あとは…………。
興奮が止まない。もう少しでこのイベントが終わる。正しさが何かもわからないこの世界で進むには、自分自身を殺すしかない。進まなければならないから、私は何度でも己を殺す。
ああ、皆に会いたい。旅はまだ終わってないっていうのに。
破けた皮膚から伸びる蛇のような触手。その触手は男の血を吸った蔓だった。生きているのか、赤黒いそれは重力に逆らって動いている。
それを目にした途端、男の仲間である冒険者、ギルドの職員、一般人としてこの場にいる警備兵、ギルマスのカルア、そしてナハトアの翼の三人が武器を構えた。私を抱えているオルバは男から距離をとる。当然のように私は戦闘員に含まれてはいないようだ。
そして、戦闘準備が整えられた。
……
にぃが言ってた。そこに行けば助けてもらえるって。
『いいか。俺に何かあったらお前は――』
忘れないように書き写しておいたから、大丈夫。ちゃんと行ける。
小さな影は、月が二回沈むのを見た。一度の雨で、今まで足を動かしている。
ボロ布を汚すように書かれた記号と同じものを、強い日射しに刺されながら上を向いて探している。
舗装された道は熱く、擦り傷だらけの足を焼いた。全身から容赦なく水分を奪っていった。
喉、渇いた。
共にいれば乗り越えられた苦痛も、今では欲となって行く手を阻む。足の感覚がない。目が痛む。涙が流れない。
もうダメかもしれない、と思ったその目に、ようやく光がさした。
走り出していた。止まりかけていた足が、地を強く蹴っていた。どこにそんな力があったというのか。小さな影自身驚いている。痛みを忘れ、目の前にある光に走った。
少女はそこに、夢をみた。




