4.長い一日
ユノアナが食器を片した後のこと。
私とユノアナは外に来ていた。家の前の木々のない場所だ。どうやら、私に魔力があるかどうか、確認するらしい。
この世界は、全ての人間が魔力を持っている訳ではないらしく、魔力を持つ多くが貴族であるらしい。その為、森を彷徨っていた私が魔力を持っているかは、調べければ分からないということだ。
では何故屋外に来たのか。
ユノアナによると、魔力は幼い頃に開花することで保有していることを知る。しかし、保有する魔力が大き過ぎる場合、保有者が耐えられなくなり、魔力の暴走に繋がるそうだ。
その為の対処として、ユノアナは外で行うことにしたのだろう。
「それじゃあ、先ず始めに魔力について説明しようか」
ユノアナがそう話を切り出した。こちらから喋ることは無いが、聞く体勢はしっかりとる。
「魔力とは、あらゆるものに宿る力のことを謂うんだ。正しくは、魔源と呼ばれるものだね。
魔源は、魔力と魔素の源のこと。魔力は一部の者が持つ力、魔素は誰もが持つ力なんだ。魔力と魔素は使い方が違うんだけど、それは追々説明するよ」
なるほど。
魔源は、魔力と魔素を纏めた名称のようなものということか。
魔素は、前世ではあまり聞かなかった言葉だ。確かに存在はしたが、ファンタジーにおいて、『魔法=魔力の使用』のような公式が出来上がっていた。魔素と魔力、両方が存在するのは聞いたことがない。
ユノアナの説明を聞きながら、頭の中で情報を整理する。
魔力を持っているかは不明だが、魔素を持っていることは確認するまでもなかったようだ。魔力に関しても、これから確認するのではあるが。
「魔力を調べるときは、魔石と呼ばれる魔力を含む石を使う。魔石の魔力を抜くことで、魔力を入れる器を作れるんだ」
取り出された小さな石。木箱に入ったそれは、見た目はそこら辺に落ちていそうな、ごく普通の石だった。ビー玉程の大きさはなく、黒っぽい色をしている。
魔石って、もっとこう、魔力を感じるものだと思っていた。まあ、魔力を抜いているなら当たり前か……。
私は魔石といわれたそれに手を触れた。
始めは何も感じなかった。次第に、身体の中を熱のような何かが渦巻き、生き物のように蠢いた。正直なところ、とても気分の悪いものだった。その熱のような何かが、魔石に向かって動くのを感じた。掃除機に吸い上げられるように、その何かは魔石に入っていった。
魔石はそれにより、黒色から色を変えていた。簡単に言えば、虹色だろうか。川原で見つけたきれいな石のような、複雑な模様が、まだ南の高い位置に達していない陽の光に照らされ、更に複雑な色を生み出していた。
その美しさなのか、その現象になのか、絶句して立ち尽くす自分の思考は動かない。沸々と込み上げるこの感情を、言葉にすることすらもできない程に停止していた。
「どうやら、君は魔力を持っているようだね。それに、魔力操作能力もなかなかありさそうだ。
……聞こえているかい?」
「……ぁ」
私が触れた石を木箱にしまいながら言われた言葉で、ようやく我に返る。少し疲労感がある。どうやら呆けていたらしい。
「初めて魔力を動かした感じはどうだった? 疲れたと思うし、今日はこのくらいにしておこうか」
まだ余裕なはず。
そう思ったが、この身体は前世のものとは違うのだ。息切れとまではいかないものの、思った以上に疲れている。この身体は随分と体力がない。不便だ。
「まだ時間はあるけれど、無理をするのは良くないからね。代わりと言っては難だけど、君の名前を考えるのはどうだい?
呼び名があった方が、君もいいんじゃないかな」
名前。前世の名を引き継ぐのも良いが、これから先使っていく自分の名前を、自分で決められるというのは、少し心躍る。私はすぐさま快諾した。
名前を考えるとなれば、外で行う必要はない。その為、私達は家に入った。毎度同じ席に着く。ユノアナは何かを取りに、あの長い廊下に続く扉へと向かっていた。何をなのかは、私には分からない。
程なくして戻ってきたユノアナの手には、辞典程の厚さのある本と、小さな板があった。そして椅子に座ると、分厚い本を開き始めた。
私はその本の内容を見ようとしなかった。当たり前である。内容を知るには、文字と言語が理解できなければならないのであるから。しかし、それは始めの数分にすぎなかった。
その本を見て、私は驚愕に目を見張った。そこに書かれた文字に。
それは、世界共通語である、英語だった。
しばらくの間、ユノアナは本を捲り続けた。その本の内容は、恐らく人の名前。聞いたことのあるものばかりだった。
他にも、科学や医学などの専門用語。星、神々、動植物、虫から微生物、菌などの名前。
本当に辞典だったのか……。
そう思ったが、どうやら違うらしい。名前はあっても、説明が一切ない。ただのネーミング集のようなものであった。ユノアナが言葉の意味を知っているのかは、分かりようがなかった。
「君はどんな名前がいいのかな?」
ストレートにそう問うユノアナ。まあ、本人の望まぬ名前を勝手に付けてしまう人ではないから、普通といえば普通の質問である。
私は悩んだ。本心からは、別に法に触れなければ、幾つも名前があっていいのではないかと思っている。
理由は幾つかある。
ひとつ。この世界は魔法の存在により、文明が地球程発展していないのではないかということ。それならば、私の知識から新しい商品や技術を売ることができる。
実際に見てみない分には分からないことだが……。
ふたつ。(犯罪ではなく)何かをやらかした時、別の名前を使う。または、別の名前に変えることができる。
私はあまり有名になりたくはない。生きづらい環境をつくらなければ済む話だが、そうなってしまった場合は仕方ない。ゆっくり休むことができないのは困る。
みっつ。
何かカッコイイから!
……ただ、それだけである。
しかし困った。ユノアナにどう伝えればいいものか……。
そもそも、偽名ではなくとも、複数の名前を持つことは可能なのか………。前世である地球では、姓はひとつしか登録できなかったはずである。
「何か案はないかな? 僕はあまりセンスがない、と言われるからね」
どれほど経ったのか分からないが、ユノアナが困り顔で聞いてくる程の時間が経っていたらしい。そして、ネーミングセンスが悪いらしかった……。
名前を付けたり、その名前に指摘する人がいるんだな……。
私はほぼ無視して考えていた。
私は新しい名前を必死に覚えていた。昼食を食べながら……。
ちなみに本日の昼食はというと、焼きパンと具沢山のスープだった。
合計39個の名前は、二文字のものから十文字以上のものまで。日本人のような名前もあれば、外国のどこかのような名前もある。
幾つかの候補の中から選んだ為、『最初の名』というようなものはない。それと、複数の名前があったとしても、偽名ではなく、どれも本当の名前として使うのであれば、何ら問題はないそうだ。
意思疎通が可能であることは分かっていたので、多くは喋らないが、ある程度意見は出したつもりである。ユノアナの考える名前は、とても長かった……。
結局、ユノアナが呼ぶ名前はヴァイオレットとなった。発音が気に入ったらしい。
言語に関してだが、私の方が言葉を変えているのだと思う。
この世界の言葉は、やはり、自分の知るものではなかった。アルファベットで見えるのは、ユノアナと話せるのと同じで、転生(?)した際の特典か能力の類であろうと思われる。
「よろしく。ヴァイオレット」
「ん………………よろしく、ユノア」
名前ができたことで、ユノアナが改めて挨拶をした。無口キャラは出会って一日で終わってしまった。その為挨拶を返したのだが……
お願いだから、そんな顔をしないで欲しい…………。
ユノアナは、愕然としていた。恐らく、私が返事をするなどとは、思ってもみなかったのであろう。目を大きく見開き、数秒間固まっていた。
その日、私は午後の間、ユノアナ……いや、ユノアに、この世界の文字を教えてもらっていた。呼んでしまった以上、名前はそうした方が良いだろう。
この世界の文字は、音声言語が一致している為、難しくはない。ほんの僅かな時間で覚えられた。文字はアルファベットからこの世界の文字に変わっていた。
昼が過ぎて、太陽が傾きを大きくする頃。
『読み』が終わったので、『書き』に入る。ユノアが持ってきた板は、石板であった。白い石筆で文字を書く。字を書きたいという欲求が強かったのか、気付かぬ内に一時間以上が経ち、その間、何十回何百回と、書いては消してを繰り返していた。
ぐらっ、バタン!
何かが倒れるような鈍い音がしたかと思うと、視界が暗闇で閉ざされた。
もう、泣きたいくらい体力の無い身体だ………。
夕飯を作ろうとしていたであろうユノアが、私を運んでくれたことは、目が覚めたときに知った。
何時か、時間を知る術は無い。また天井を、寝た覚えもないのに見上げている。倒れたことくらいは分かっていても、どうも信じ難いのだ。こんなあっさりと倒れることが……。
「はぁ……」
誰にも聞かれることはないと、溜め息が漏れる。頭を鈍器で打たれたような痛みがあり、起き上がれそうにない。この状態でやることがあったなら、痛みが吹き飛ぶ程楽だろうに。
ここ数日で分かったことでもまとめようか……。
この世界に来て、まだ十日と経っていない。ただ、気付くにはそれだけあれば十分であったのだ。
私は、人間じゃない…………。
部屋の静寂に脳内の沈黙が重なり、より静かな空間と時間が生まれた。寂しくて泣いていた幼少期の方が、マシだと思う程。
ダメだなぁ。
少し怖がってる。
身体の力を抜き、ベッドに全てを預けた。気が楽になったのは、気のせいではないだろう。
そう、気付かない方が無理だったのだ。見て見ぬふりなんて、よりできないことだった。私はそういう人間であった。今ではもう、それを過去形で語っている。
人間って、何なのだろうか…………。