1.英雄に憧れ
迷宮。それは一種の憧れである。
冒険者、探窟家、案内人。商人や武器職人までもが、迷宮に惹かれ集まってくる。迷宮があるだけで、その町は栄えることができるのだ。
ここにも一人。少年と青年の狭間で、人生の分岐点に立つ男がいた。彼もまた、幼き頃に迷宮に魅せられ、未だ諦めを知らぬ者の一人だった。
あ〜、やっぱ廃迷宮は稼ぎにならねェな。
薄汚れた服を着た男が一人、レンガ調の壁に背を預け凭れかかっていた。目の前の焚き火が、彼の顔を仄かに照らす。
そこは通路で、左右どちらも先は闇だった。
全然稼げなくても、パーティー組まずに普通の迷宮は行けないし。
廃れたダンジョン。それが廃迷宮だ。ボスが倒され、復活もせず、所謂ザコのモンスターしかいない忘れられた迷宮。それでも、駆け出しの冒険者には丁度良い稼ぎ場所だった。
戦利品を袋に詰め込み立ち上がった彼は、地図の一枚も持たず、迷いもせず出口へと向かった。
外は夕焼けに染まっている。
廃迷宮に最も近い町、そこのギルドに入り真っ直ぐに受付へ進む。
今日も塵程にしかならない硬貨となる戦利品を、カウンターにどさりと置く。音の割に得られる硬貨は少ない。それでも満面の笑みを絶やさない受付嬢は、仕事人間からすれば尊敬に値する。
受付嬢が手早く換金を終え、手元に数枚の硬貨が入る。いつになったら山になるのかも分からない塵のような額しかない。
返ってきた大きさの差に、思わず苦笑する。
こんなでも、ないよりかはマシか。
それを懐に仕舞った彼は、いつものことに沈みもせず、そのままギルドを後にしようと――
カララン。
――して足を止めた。扉に付けられたベルが鳴った。彼が扉に体を向けた丁度その時、一人の冒険者がギルドに足を踏み入れたのだ。受付は扉のほぼ正面にある。
この時間に来る冒険者はだいたい決まっている。
受注した依頼を完了し、報酬を貰いに来る者。または、ギルドの中にある酒場に呑みに来る者。
それ以外で日の沈んだ時間に来る者はいない。この時間には門が閉まっており、町に入れないからだ。
その冒険者は、この町の者でも、今日来た冒険者でもなかった。フードを目深に被ったその者は、冒険者にしては背丈が低い。見えているのかと疑問を抱く程顔が見えず、音に反応した酒場の冒険者全員の注目を集めた。
しかし、そんな視線など気にも留めないかのようにズカズカと進み、彼の前、正確には受付の前にやってきた。
数秒、そこで立ち尽くした彼は、自分がいることで相手が動かないことに気付き、慌てて横にずれた。
フードの冒険者はそれに軽く頭を下げた。それは、他の冒険者には分からない程の小さな動きだった。
注目が未だ続く中、フードの冒険者は紐で巻かれた羊皮紙を受付嬢に手渡した。終始無言で事が進む。
それが更に興味を引き、数分前まで騒々しかったギルド内が凪いだ。自分だけ場違いな感覚が彼を襲い、誰もが抱く興味に背を向けた。
どうせもう、会うこともないだろ。
夜の冷めた風が、今日も彼の冒険の熱を冷ました。
フードの冒険者と出会ってから数日が過ぎた。やはり、どんなに珍しい事が起ころうと、人の人生は変わらない。そう改めて考えさせられただけだった。
彼の人生がロクでもないものだったと言えば嘘になる。少なくとも幸せと言える時があり、今も希望と呼べる夢を持っている。その夢が、途方も無い繰り返しの果てにあることだけを除いて。
彼の夢は、古の迷宮に挑むことだった。
古の迷宮とは、入ったらクリアするまで二度と出られない迷宮のことを指す。その謎の力により、今までで多くの命を呑み込んできた。
この町にあるそれには、入場規制がかけられていた。理由は単純だ。その古の迷宮に挑み消えていった者の数が、町の人口を上回ったからだった。
それにより、町で暮らす冒険者にのみ条件がつけられた。これ以上民を減らすわけにはいかないという、ここの領主の意向によって。
その条件とは、冒険者の八段階級で下から五番目になることだった。それは、冒険者の中でも上位二十パーセントもいない程で、この町では更に少ない割合でしかいない上級者のことを指し示していた。
その上、条件を達成して挑めたとしても、生きて帰るには足りない実力だった。生きて帰る為には、更に上の階級である方が安心できる。
それだけでも彼にとっては難しく、装備も整えるとなると途方も無いと言えた。
そうして今日も、弱いモンスターと戦っては溜め息を吐く。
ハハハ、流石ザコ。
倒していく内に、どんなに弱くて群れるモンスターと言えど、遭遇率が下がっていく。必然的に収入が減る。もう負の連鎖でしかない。だからといって誰かとパーティーを組もうとも思わなかった。
嫌な記憶が蘇る。かつて仲間であった者の顔が浮かび上がる。思い出さないようにと思ってももう遅い。胸元あたりがやけに痛い。
といった感じで、彼は気分が悪くなり眠ることにした。
「…………」
「ねぇ、君。いつまで寝ているつもりだい?」
「あと少しでこの迷宮、……するっていうのに。モンスターが…………」
「……ねえ、君」
「起きないのか?」
「ここで終わりにするつもりなのか?」
「あーあ、折角繋いだ道が」
「はぁ。君は何故、こんなところにいるのかな……」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、ドッゴオオォォォォォォンッ!!!!!!
地響きで彼は目を冷ました。その次の瞬間、何かが爆ぜる音が轟く。
彼はいつの間にか迷宮の外にいた。何か夢を見ていたような気がするが、どんな夢だったかは上手く思い出せない。
後ろには、眠る前までいたはずの迷宮がある。入口から黒い煙が立ち上っていた。明らかに人為的なものだった。
廃迷宮に来たヤツがいる? オレ以外に?
疑問が次々と浮かび上がる。実際、彼の考えは正しく、今まで廃迷宮に他の冒険者が来たことなどなかった。
だからこそだろう。機械的に動いていた日常が変わった瞬間に、彼はしがみつこうと必死になった。
後から残っていたトラップが作動したという可能性も浮かんだが、動いた体を止めるには不十分な可能性だった。
迷宮の奥に進むに連れ、レンガの壁が黒ずんでゆく。近付いていっていることが分かる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息も切れ切れになってきた頃、最下層のある一室に着いた。扉が爆発で吹き飛び、周りが黒く染まっている。ここが爆発の中心だということが分かる。
ここは、外側からしか開けられないトラップ部屋……。
瞬間移動魔法陣が片道のもので、一度入れば自力では出られない。
それを爆破してどうにかしようとしたのか? それとも、爆発して死ぬまでがトラップだったのか? そもそも人が起こしたことなのか?
どれだけ考えようとも答えは出ない。トラップが作動する危険性もあり、部屋に入ることもできなかった。何かが燃えているのか、未だ黒煙が立ち込めている。長居も出来そうにない。
誰かがいるのではないかと、部屋の中に向かって叫んでみる。が、返事はない。
諦めたくない。
強い想いが彼に宿った。今までの人生で、夢を追う中で、積み重ねる努力を淡々とした作業として行ってきた。
もう、やめにしたい。
何も変わらないことは、彼自身が一番よく知っていた。自分が動くしかないのだと。
冒険譚の主人公は、きっとそうして冒険に出た。
誰もが知る英雄も、きっかけは似通ったものだろう。
数日前に出会った謎の冒険者もそうしたはずだ。
自分を説得させ足を動かす。こんなことでは、古の迷宮に行くなど夢のまた夢だ。それでも、これが進む為の第一歩となるのなら、彼の英雄になる準備期間が少し長かっただけなのだろう。
荒野に生えるように、黄金の花が立ち上がる。




