34.本当の脅威
「さあ、妾を倒し、その身に妾の力を宿すがいいぞ!!」
魔物の笑みが一層増す。私はそれを見て、疑問を抱かずにはいられなかった。
「な、なんでっ……」
言葉が出ない。その魔物の姿が驚愕以外の何ものでもなかったからだ。ただ、分かることが一つだけある。
この世界、マジで狂った……。
終わったと思う。こんな魔物を仲間にして世界が救えるはずがない。ある意味では、現代日本の問題の一つを解決してくれるが、嬉しくもなんともない。
「妾に恐れ慄いたか。ふっふっふ……」
勝手な解釈に呆れてものも言えない私に、わざと聞こえるように言っているのか、「さすが妾だな」という独り言(?)が聞こえてしまった。
何が流石なのかまったく分からない。だがツッコまないでおこう。ツッコんだら喜ぶようなタイプだ。
それは子供だった。十歳程だろうか、その魔物は子供の姿をして、私の目の前に現れた。ドレスのような装飾の豪華なワンピースに身を包み、長い髪を後ろで一つに結っている。
純粋無垢。その言葉を体現したような、無邪気なただの幼い魔物だ。残虐とは程遠い存在に見えてしまう。しかし、だからこそ残虐だとも言える。
未来を知らなかったら、素直に仲良くなろうとしたのかな……。
今も尚オークの大軍を裏で操っている彼女と、それを知らずにいる私。言葉が交わせるのならば、私は争うことはしない。
しかし、言葉が交わせるという条件は、彼女の第一声によって砕かれている。先手を打たれてしまった。
「妾と戦おうぞ!」
出迎えるように両手を広げ、その小さな胸を張って言う。
金の瞳がこちらを捉える。突風が彼女の赤髪を靡かせ、数滴の雫を落とした。
開戦を待つ彼女を、私は無視することにした。
ピーピーギャーギャーと雑音がする。当然彼女の喚き声である。耳を塞ぎたい衝動に駆られるが我慢だ。
何故、自ら戦おうと言っておいて戦わないのか。私は常に彼女の視界の中にいる。先手を打とうと思えばできるはずだ。
喚き声に嗚咽が混ざり出した。姿が姿なだけに罪悪感が激しい。「なんで」だとか「どうして」だとか、困惑に困惑をぶつけてくる。
いったい、何が目的?
耳を澄ませ彼女の言葉を拾う。
相変わらず意味を持たない音だけを発している。しかし、ところどころに単語が散らばっていた。
何故、相手の言っていることを理解するのにパズルのようなことをしているのか。今思えば、魔物の言葉を話せた私は異常だったかもしれない。
「終わ…………くる。……しま……、………………なない、が」
聞き取れた内容を要約すると、どうやら『なない』という何かが来るらしい。それが来ることで終わるのだとか。
う〜ん……。うん、わからん!
分からないことを考えても答えは出ない。イレイアに聞いてしまっては負けな気がする。
雨が髪を頬に貼り付ける中、熟考しようなどと誰が思おうか。折角目の前に本人がいるのだ。戦闘態勢をとることも忘れてしまっている魔物が一人いる。
「ねぇ君。話をしない?」
「む? 妾と話をしたいじゃと?」
ぽかり、と口を開けて数秒、幼い魔物は同じ言葉を繰り返した。だから私も、一言一句同じ言葉を返す。
「ねぇ君。話をしない?」
フリーズするのが流行りなのか、またも彼女は固まった。今度は待つことにする。
一分。五分。……十分。どれだけ待っただろう。こちらが堪えられなくなりそうなとき、ようやく開いたままだった口から言葉が零れた。
「妾と話す? いや、妾は、妾は戦おうと……」
それは自分に言い聞かせるように続けられた。
「うん、そうだ。妾は戦わなければならんのじゃ。戦ってそれて、そして……。あれ? どうして戦うんだっけ……」
視線が泳ぎ眉が垂れた。混乱しているように見えた。大事なものを失くしてしまったかのような哀しみが現れる。
人と見間違えそうな程、人の姿に酷似した魔物。角も牙も尻尾もない。
いつからここにいたの?
「……さんびゃく、よんじゅうまん回以上。月が昇るの見たぞ。空がどれだけ暗かろうと、星がどこにあるのか妾には分かるのだ」
声に出ていたのか、返事が来たことに驚き目を見開く。女の子が笑って手をこちらに差し伸べていた。
「妾はどうやら、待ち続け、疲れてしまったようじゃ。小さき者よ。お主は妾に、戦うことはしたくないという気持ちを思い出させた。感謝するぞ」
何故だかは分からないが、戦闘回避は成功したようだった。
「褒美をやろう。お主との話とやらに付き合ってやるぞ」
私はゆっくり、そして固く握手を交わした。
ん、ぅん……。
体が重い。瞼が持ち上がらない。
何で?
ものすごく痛い。体のあちこちが悲鳴を上げている。力を入れる度、その部分に電流が走る。もう少し、もう少しで目を開くことができる。
「ゆっくりだ。ゆっくり」
低い声が瞼を撫でた。くすぐったくて優しくて、痛みが少し和らぐ。
言われた通りゆっくりと瞼を持ち上げてみた。瞼は痛くなかった。電流が走るような鋭い痛みはない。その代わりなのだろうか。鈍い痛みが後頭部に襲い来る。
「目を覚ましたか」
低い声がお構いなしに言ってきた。ゴツンという音が掻き消される。妙に耳に入ってくる声の主を見ようと視線を彷徨わせる。
「ディスト……?」
無愛想な顔がより一層無愛想になったディスト。死神、ディスァモルサムブロバートが、そこにいた。
「まったく、来たと思ったら何を寝ている。時間がないということを分かっているのか」
いつもより低い声が不機嫌さを表していた。
白く何もない空間に、ぽつりぽつりと二色だけ点がある。そんな世界は、ディストと初めて会ったときから変わりなかった。
ここは別空間であると同時に、私が神であるディストと話せる唯一の場所だ。戻ったとき、時間は進んでいたり止まっていたりする。それらには共通していることがある。それは、私にとってもディストにとっても、時間がないということだ。
ディストの怒りは尤もだった。だというのに、始めに出た言葉は謝罪でも言い訳でもなかった。
「……久しぶり、ディスト」
それほど長い時間会っていない訳ではない。しかし、とても長く感じられる時間を過ごしたのは事実だった。
笑って言う私が不快だったのか、ディストが目を逸らす。慌ててごめんなさいと謝るが、未だ目を合わせてはくれない。
目を逸らした状態で、ディストが本題と思われる話を切り出した。
私が転生してから、ディストとユノアが計画に私を使ったことまでは解った。ディストの言動から察するに、ユノアの行動のいくつかには想定外なことがあったのだろう。
「それで、どこまで知っている?」
相変わらずの不機嫌で、ディストがそう尋ねてきた。
「全部、だと思ってる」
ディストが言う〝どこまで〟というのは、この世界で起こっていることについてだ。
「私の知る未来とは違ってた」
私の知るストーリーには、ディストが会わせようとした魔物が最後だった。それ以降に出てくるキャラなどいなかったはずだ。
分からないことは聞くに限る。都合の良いことに、ここには神樣がいるのだから。
「ねぇ、ディスト。ナナイって誰?」
変化を見逃さないようにと目を凝らしていて良かったと思う。でなければ、ディストの僅かな反応に気付かなかっただろう。
私の言葉、正確には〝ナナイ〟という言葉に反応を示した。一ミリにも満たないであろう眉の動きに気付いた私、すごいと思う。どうすれば聞き出せるだろうか、と考えていたときだ。ディストが話し始めたのは。
「七人の魔女。そのうちの一人だ」
魔女。ディストは確かにそう言った。それからはっきりとこう言ったんだ。空間が歪み終わりが近付く中、聞き間違えのない程確かな動きで、言った。
「序列第七位。色欲の魔女、アリスクラスト」




