33.ユグドラシルのかたち
この世界は、ゲームであってゲームでない。
もしも、この世界に神様がいるとしたら、それは神の仮面を被った悪魔だろう。
ここ、ユグドラシルの世界は、ただのゲームの世界ではない。
森を駆けていた私の脳内に響くように、ある声が降ってきた。
《……システムの復旧を確認しました》
《これより、ワールド『深淵の先へ』、ファイナルステージ『寂しがりの戯れ』が開始されます》
《尚、ステージ内ではあらゆる能力に制限がかかります。
以上の内容は、一部の条件を満たすことで解除されたり、制限されたりする場合があります》
《それでは、健闘をお祈りします》
嘲笑うかのように、それはイレイアに似た声で語った。ゲームの世界だと忘れていたわけではない。しかし、その言葉は私に現実を強く突きつけたきた。
ワールド『深淵の先へ』、ファイナルステージ『寂しがりの戯れ』。これはユグドラシルの中で、AIが創り上げたゲームの一つの名前だった。
私の知るこのステージの内容は、精神支配を得意とする知能の高い魔物と協力し、ステージ内、つまりこの森の中の魔物や魔獣を殲滅するといったものだった。
親切にも、今の私にとって攻略できない内容である。
私が何の為に死んできたと思っている……?
決して攻略しなければならないゲームは、ユグドラシルには存在しない。なぜなら、それがユグドラシルがマルチエンディングであるという在り方に反するからだ。
ユグドラシルは、人生を題材とした複数のジャンルを持つゲームだ。広大なマップに世界が点在しており、プレイヤーは本来関係のないゲームを行き来できる。それも、別会社の作ったゲーム同士をだ。
たとえば、某有名ゲーム制作会社のRPGと、アプリケーション開発者によって作られた謎解きゲーム。
ジャンルの違うゲームの共通する世界観を利用して、同じゲーム内に同棲させる。それがユグドラシルだった。
だからこそ、ゲームの展開に決まりきった道筋がない。方向性はある程度定められてはいるが、ゲームの展開はプレイヤーの選択次第ということだ。
ワールド『深淵の先へ』には、二つのエンディングがある。
一つは、クリア条件通りに、ある魔物に協力した場合のエンディング。もう一つは、協力しなかった場合のエンディング。
前者では、森の全ての権限を手に入れられる。後者では、魔物達と共に殲滅されてしまう。
どちらも私の望む結果にはならない。だから……。
『寂しがりの戯れ』か。度し難い、ほんと度し難いね。
私は取るべき行動を改めて決める。守りたいものの為に。
雨が狼の毛を濡らし重くする。だが、足取りは決して重くせず、私は大鬼族の里に予定通り辿り着いた。
ゴブリンの村よりよっぽど立派な家々が立ち並んでいる。私の作った町よりレベルは一段下がるが、それでも魔物の作った建物にしては相当な技術力を持っていることが窺える。茅に似た植物を使った、茅葺き屋根のような家だった。
角の生えただけの人間。それがオーガの第一印象だった。肌が色彩豊かなことと、角を持っていること以外は人間と変わらない。
しかし、おかしいな。オーガの数があまりにも少ない。
オーガは知能の高い魔物だ。生まれながらの上位種である。故に、ゴブリン程の個体数はないにしても、ある程度の個体数はいるはずだ。
百体前後だと聞いていんたんだが、二十体もいないとは……。
里にいたのは、女子供を含めた計十七体だった。その中でも、戦えそうな者は半数に満たない。
(会って事情を聞くか。それとも、先に進むか。イレイア、どっちがいいと思う?)
《今後取るべき行動から、情報を得ることを推奨します》
(そうだね。そうするよ)
イレイアの意見もあり、私はオーガと話をすることにした。流狼の姿から人の姿に戻る。親しみやすさは狼より人の方があるだろう。……多分。
とことこと。まあ、言い方を変えれば堂々と、真正面から里に近付いたのだが……。
「貴様、何者だ!」
ありきたりな門番の兵士が言うような台詞を吐き、剣やら槍やらを突きつけられた。主に首に向けて。その武器の中には刀らしきものもある。
…………へ?
理由も分からず両手を上げる。敵意を剥き出しにしたオーガはまさに鬼だった。
動けば首に切り傷をつけてしまいそうな程近くに、刃物が置かれている。
話を聞く態度じゃないな。
呆れてつい溜め息を吐きそうになる。口を半開きで抑え堪えた。
おっと危ない。今溜め息を吐けば、間違いなくオーガの怒りを買ってしまう。私は話し合いに来たんだ。
できれば屋内に上がらせてもらいたい。雨で髪も服もびしょ濡れだ。
天候の所為なのか気分の所為なのか、髪は緑がかった黒になっている。変色にはしたが、自分の意思で色を固定しておくこともできるのだ。そんな気力は雨で綺麗サッパリ流されたが。
「こんにちは、オーガの皆さん。良い天気ですね」
こうしてオーガとの最初のやり取りは、初対面としては最悪な形で始まったのだった。
私が不機嫌なのは言うまでもないだろう。オークだと思われているなどと、不愉快極まりない。オークには失礼だが、豚と同じにされる程人間をやめた覚えはない。
戦闘になるかと思われたあの状況を変えたのは、以外にもオーガの一体だった。
そのオーガは、若い女。若菜色と薄桜色の髪をしたオーガだ。
「大変申し訳ありませんでした」
一番に言われたのは謝罪の言葉だった。深く下げられた頭に礼儀正しい所作。それらは教育を受けたお嬢様のようである。
「どうぞこちらへ」
そう言って、若い女のオーガは私を里へと招き入れた。
どういうことか、先程武器を突きつけてきたオーガ達からの敵意が増していた。
ゴブリンの村に来たときを思い出すな。村長のデルダが家に招いてくれたんだっけか。
里へと入って少しして、おそらく中央にあたる位置の茅葺き屋根のような家に案内された。道と言える道はなく、点在する家を避ける形で進んだ先にある。敵が真っ直ぐ攻め込めないようになっているのだろう。
家の中には居間しかなく、均した土の上に草で編んだ敷物が敷かれていた。その上に座るよう促される。
若い女のオーガと向き合う形で座る。日本のような雰囲気がすると思ったが、座り方は正座ではなかった。そして、護衛のような武装したオーガが、彼女の両側斜め後方に立った。
話し合いの場は設けられた。
「御無礼をお詫びいたします。貴方は隠密に長けているとお伺いしました。貴方は一体、何者なのでしょう?」
「僕はフェルと言います。ゴブリンの村から来ました」
丁寧な物言いで尋ねる女のオーガに、私も丁寧に返そうと思う。しかし、愛想笑いをする気はない。
それが気にでも障ったのか、護衛のオーガが侮蔑を顕にして吐き捨てるように言った。
「ゴブリンだと? そのような最弱種の者とはな。お前なら蜥蜴人族と言われた方が納得できる。それは人化だろ。ゴブリン如きが上位のスキルを所持し、その上ネームドとは、この世界も狂ったな」
舌が回るヤツだな。褒めるか貶すかどっちだよ。
ほら、お嬢さんの顔色が悪くなってる。
「ちょっと、やめなさい。失礼ですよ」
顔色を悪くした女のオーガが護衛のオーガを窘めた。ついでにこちらからもフォローしておこう。たかがを強調して……。
「大丈夫ですよ。たかが、ゴブリンの仲間ですから」
私とお嬢さんの言葉に、見る見るうちに顔色の変化が護衛へと移る。見ていて面白い。
こんなところで油を売っていられる程、私は暇じゃないのだが。
「本当に、重ね重ね申し訳ございません。それで、その、もう一度お伺いしても……?」
「すみませんが、今は僕が何者であるかよりも、大切な事があるのではないですか?」
顔色が戻った女のオーガが、おずおずといった調子でまた尋ねてきた。しかしそれに答えることはせず、本題に入ってもらうとする。時間が一秒でも惜しいのだ。
「っ、ごめんなさい。こちらから名乗るべきでしたね。ですが、私は名持ちではないので……」
聞きたかった話とはだいぶズレた返答に、こちらが戸惑ってしまう。いや、間違いではない。人に名を尋ねるときは、まず自分が名乗るべきである。
けど、そうじゃないんだよなぁ……。
名持ちでないことに悲しんでいるのか、名乗れないことに悲しんでいるのかは不明だが、綺麗な顔でしょんぼりとしないでもらいたい。こちらが気まずくなる。
「僕がしたい話というのは、何故こんなにもオーガの数が少ないのかということです。オークがこちらに進行しているのは知っています。それに比べて少なくないですか?」
「ご存知でしたか。そのとおりです。オークと戦うことを想定すると、私達の戦力はあまりにも少ない……」
それから女のオーガは語った。彼女はここ、オーガの里の長の娘だった。里の長は数日前、飢餓の為亡くなられたそうだ。本来なら長男が務める次期長の座に、今は彼女が就いているのだとか。
長男のオーガは現在、他数名のオーガとともに行方不明らしい。原因は不明である。しかし、オークが関係しているのではないかと考えている。
確かに、オークの進行が報告されたあたりから消えたのなら、可能性は高いだろう。
「ですが、オークは我々オーガ程知能が高いとは言えません。もしかしたら、上位種が生まれたのではないかと考えております」
「そうですか……」
想定している原因がわかったところで、私はイレイアに検索してもらうことにした。
(イレイア)
《はい、マスターイレイナ》
(オークの上位種についての情報と、誕生した可能性を調べてくれ)
《…………》
《検索結果を表示します》
目の前にステータスのような表示が現れる。
『豚頭族
群れを成し、筆頭者を中心に行動する魔物。知能は蜥蜴人族より劣るが能力は優れている。
オーク一体に対しリザードマンでは五体、小鬼族では五十体を相手することができる。大鬼族にはオークが十体相手して勝てるかどうかといったところ。
特徴は豚の頭を持ち怪力であること。極稀に人に化ける者もいる。
豚将族
オークの群れを率いることで、称号「統べる者」を手にしたオークのみが進化できるオークの上位種。
戦闘に特化した進化をし、勝負を挑むという特性を持つ。勝負に敗れた者を支配下に置き、隷属と似た効力を発揮する』
(イレイア、オーク・オルグンが誕生した可能性はどれくらいだ)
《16.34%です》
(そうか、ありがとうイレイア)
イレイアからの情報を聞いた私は、すぐにそのことを彼女に伝えた。可能性は微妙なところだが、低い訳ではない。考えておいて損はないだろう。
「もしオーク・オルグンが誕生したのであれば、我々に勝ち目はありません。戦士達がオーク側についてしまっていることでしょう。私の兄も……おそらくは」
「貴方はどうするおつもりですか? 勝ち目のない戦をすると?」
女のオーガは微かに俯き、ひと呼吸してから応えた。
「我々オーガは誇り高き戦士です。たとえ一族が滅ぼうとも戦うことを選びます。ですが、もしもそこに何らかの勝機のある選択肢が出てきたのならば、私は一族の長代理として逃げることも考えております」
オーガ、オーガね。計画はそのままでいいとしても、オーガの数が少ないのは計算外だ。できれば戦などしてほしくない。
彼女の言葉を聞いて思わず表情が緩んでしまう。
ああ、良かった。これで計画が狂わずに済む。
「これは僕からの提案です。あなた方には、逃げていただきたい。この数であれば逃げ切ることは容易でしょう」
私の発言にいち早く反応したのは、これまた護衛のオーガだった。
「我らに、オークに背を向けよと言うのか! キサマッ!!」
もういいよ。モブなのに随分とセリフが与えられていることで。
睨んでしまいそうになる目を閉じ、心の中で皮肉った。
ここにいるのは皆、主人公ではないのだ。ただ死ぬ為だけに生まれた存在の彼等が、死なずに済む唯一のエンディング。
面倒事はお断りの私が動くのは、決して彼等の為などではない。
あとは彼等の判断に任せよう。
「急いでいますので、僕はこれで」
立ち去ろうとしても何も言わない彼女の瞳に、諦めが垣間見える。オーガが持つ長い爪が、震える手を傷つけていた。
たった一言、代理とはいえ長である彼女が〝逃げる〟という選択を宣言するだけでいい。
箱入り娘か。決断力のない奴は弱肉強食の世界では生きていけないぞ。
無言。その沈黙から逃げるように、私は里を後にした。オーガの里がどうなろうと構わない。そう思える自分に困惑していた。
里を出てそう遠くない地にそれはいる。きっとディストが会わせようとしていたものだ。一直線上に置かれた呪器。まるで道標のようなそれらは、ディストがストーリーをクリアしてほしいと望んだカタチなのかもしれない。
だったらいいな、と思ってみる。ユノアが私に望んだものが、ディストが私に望むものと同じだったらいいな、と。
森が深まる里よりも奥の地。大賢者・AIの万能感知にも鋭く反応している。この相手は確実に強い。だけど、今回は『ゲームオーバー』になるわけにはいかない。
暗く全てを呑み込んでしまいそうな枯れ木に囲まれて、不敵な笑みの似合う魔物がこちらを見下ろしてくる。ここ一帯が、その魔物を引き立たたせるためにあるように感じる。
「よくぞ来たな、小さくおかしな者よ。ずっとこのときを待ち侘びておったぞ」
腹の底に高く重い声が響く。ゲームの中の登場キャラクターの一人であり、このゲームの鍵を握る人物。
「さあ、妾を倒し、その身に妾の力を宿すがいいぞ!!」




