32.奴隷は所詮
奴隷の朝は早い。幼い頃に染み付いた習慣は、命の危機を脱しても尚付き纏ってきた。
ゲノドという奴隷もまた、例に漏れずその一人だ。
ゲノドの朝は日が昇る前に始まる。仲間達を起こさないよう足音に注意し外に出る。体を動かし目を覚まさせる。
そして「よしっ」と、気合いを入れる台詞で一日を始めるのだ。
ミサナ達が起き出し、ゲノドも合流して食堂に向かう。これが、ここ数日で日課になりつつあった。
ゲノド達六人が食堂に入ると、そこには主人であるフェルが席に着いて待っている。他にも従魔と呼ばれる、フェルの従える魔物が既に揃っていた。いつも最後に来るのはゲノド達だ。
それでもフェルが怒ることはない。フェルは今までの主人とは違っていた。
まず、フェルは奴隷使いという訳ではなかった。奴隷にも対等に接し、意見を聞き入れ、望む以上を与えてくれた。奴隷使いでない者が奴隷を持つことは、誤解を招く行為だ。それをフェルは快く請け負った。
ゲノド達にとってフェルは、自身の命を捧げても良い主人だった。
この日、ゲノドは朝から落ち着かない様子だった。それもそのはず、この後にフェルが言った試合が行われるのだから当たり前だ。
ゲノドは毎日情報収集に励んだ。アンは自分の得意分野を鍛え、キオハはアドバイス通りの訓練をしてきた。それぞれが師匠となる者の元で、たった三日の訓練に取り組んだ。夜は部屋で作戦会議を行い、来る日に備えた。
いつも通りの朝食の席が、今日は緊張感に包まれていた。
ユビンがフェルの様子を盗み見るが、少なくとも自分達より変化は見られない。試合前でそわそわしているゲノドが一番普段通りでない。フェルは木製のスプーンでスープを掬い、黙々と食べているだけだった。
そんなフェルを同じように眺めていたアンは、試合前最後の作戦会議で話すことを考えていた。
フェルは普通の子ではない。それは、この場にいる誰もが考えていることだ。一言で言うならば、天才だ。フェルの正体を知る者はいないのだから、その答えが出ることはない。
アンのフェルに対する感想は、不思議な子だった。常識知らずにも関わらず、高級品よりも博識だ。
奴隷は教養を必要とされることがある為、アンは勿論、同い年であるユビンもある程度の教養や知識を身につけていた。その彼等から見ても、フェルは常軌を逸する存在だった。
そこまでいったところで考えを振り払う。
そうじゃない。今考えるべきことは、フェルの作戦を読むことだ。
六人の奴隷の中で、ユビンとアンだけが一年長く生きている。フェルの使う一つの属性を当てる役目は、この二人が担うべきことだ。
それでも、最後の最後までフェルの使う属性を知ることも、当てることもできなかった。
朝食を食べ終わり、試合前の休憩時間。部屋に戻った六人は最後の作戦会議を開いた。
「フェルちゃんの使う属性、わからなかったね……」
俯いてそう言ったのは、ミサナだ。気持ちが伝染し部屋の空気が重くなる。
早く主な作戦を決めてしまわなければ。誰かがそう考えた丁度その時だった。
小さなノック音が部屋に響いた。こんな時に一体誰がゲノド達を訪ねるのか、六人は揃って首を傾げ、終いにはアンが扉を開けた。
そこに立っていたのは、リュフォネだった。
その頃、フェルはナハトアと戯れていた。
ナハトアはゲノド達とあまり関わりを持てていない。忙しくしすぎてしまい、ナハトア自身の時間をつくってやれなかったと後悔していた。
そんな思いも、従魔契約の主従による感覚共有をコントロールできるようになった今、ナハトアには届かない。フェルの感情は表情だけでは読めないときがある。それでもナハトアには不満など欠片もないが、同様に、感覚を遮断し感情を読もうとしないフェルには伝わらない。
しかし、今はそれが重要な訳ではない。逆に関わりが浅いことが良かったと言えなくもないのだ。
だからこそフェルは溜め息をつく。何度目だかも分からない溜め息を押し殺し、もうそろそろかと虚空を見る。たった一つの選んだ属性を試しに使い、八人の子供達に見送られながらゲノド達のいる部屋へと向かった。
午前八時少し前。
フェルがゲノド達の部屋を訪れた後。一行は試合の舞台となる場所へ、速歩きと呼べる速さで森を進んだ。そこにはリュフォネも加わっていた。
全てはフェルの思い通りに。
川沿いに上流へと行き暫くしたところ。そこがゲノド達が選んだ戦場だった。
「ルールの確認をしよう。一対六の対人戦、時間は無制限。勝敗は戦闘不能と見做されるか、自ら敗北宣言をするか。ジャッジはリュフォネに任せる。異論は?」
「はい、武器は何を幾つ使ってもいいんですか?」
「ああ。相手が落とした武器、放った矢など全てありだ。他には?」
「ありません」
「そうか。では、最後に追加ルールとして俺自身にハンデをつけよう」
「っ!」
予想外だったのだろう。すぐに試合が始まると思っていたのか、追加のルールなど考えてもみなかったのか。或いはその両方なのか。
彼等の表情には見るからに困惑がある。誰が見ても明らかな程だ。
勿論、それはフェルも見て察した。それでも前言を覆さず、気にも留めないといった様子で続ける。
「俺は武器を使わない。皆が持つ武器、矢を含めた全てを対象とし触れないこととする。川の水も、地面の土も使わない。以上だ」
話が終わったと分かると、少しずつだが心の整理がついたらしい。最も素早く試合の準備をし始めたのは、ゲノドだった。
すぐさま準備を終え、試合開始の合図を待っている。他の五人も動き始め、あとはリュフォネが合図を出すのみとなった。
フェルが視線でリュフォネに合図を送る。特殊能力で身を守った上で、リュフォネは開始の合図として口笛を吹いた。
体格的にも、人数的にも、有利なのはゲノド達の方だ。それでも、フェルはその前提を覆す。
始めに動いたのは、ユビンだ。身長の高いユビンは、その長いリーチを利用し踏み込んできた。
それを、フェルは軽く後ろに跳ぶことで回避する。その一瞬の内に、五人の位置を確認した。ここまでは前回と然程変わらない。後ろには川があり、これ以上は下がれそうにないことだけが違う。
一撃目を回避されたユビンは、そのまま詰めるように前進していく。できる限り自分に意識がいくようにと。
フェルはまだ武器を手にしていない。こちらの武器を利用される心配もないときた。それでも油断のできる相手ではない。未だ使う属性が何かわかっていないことが、それを更に意識させる要因となっていた。
ソリアの今回の役目は、前衛としてフェルの気を引くユビンの援護だ。本来ならアンがやっていた役目だが、ソリア本人の希望でこうなった。
原因はシギナだ。正確には、シギナの行った授業だった。
シギナは、指導方法として方針を二つ用意している。
一つ、得意分野を更に磨き上げること。
一つ、苦手分野を補う方法を学ばせること。
この二つの後者が、まさにソリアに使った指導方法だった。
ソリアは援護が苦手だ。仲間と敵が入り乱れる中、仲間に有利なように、敵に不利なように立ち回れない。遠距離の弓矢であろうと、仲間に当たることを考えると射ることなどできなかった。
シギナは格闘術も素晴らしいが、武器を使った武術の方が得意であり好みだ。そして、過去にソリアのような思いをしてきたからこその強さであり、指導する教師を選んだのである。
そんなシギナの企みは、ソリア本人が理解しないところで起こっていた。
ソリアが的確な援護を、弓を使い行ってきた。毒の塗られていない矢が使われている。
この試合では、致死量に至らない程の軽毒が使われている。矢はその代表でもある。しかし、その毒をソリアは使っていない。
過去に起きた何かによるトラウマか、ソリアは毒を使うことを躊躇った。ただの弓矢は殺傷能力が低いため毒を塗るのだが、それすらも拒んだのだ。
フェルは、そのことをシギナから知っただけで満足した。余計な詮索はしない。主人であるフェルが命令すれば、ソリアは嫌でも話すことになる。しかし、今は聞くべきときではない。聞く必要もないだろう。
ユビンがジリジリと迫りくる中、ソリアの援護射撃が続く。それは的確で、フェルが思わず二度見する程だった。
銃は弾道を直進するしかできないが、弓は風や形で曲線にも進む。相当な技術を要する技だが、ソリアはそれを魔法なしで使っている。
風を読み、気圧を読み、矢をしならせ、本来ではあり得ることのない曲線を描きフェルに襲いかかる。目の前のユビンを見て、想像を越えてきたソリアを見て、最後に、自分を更に追い詰めるアンを見た。全身にゾクゾクとした感覚が走り、勝手に口角が上がるのを感じていた。攻撃を全て躱し、「惜しいな」とだけ呟いた。
考えていたよりもずっと早く魔法を使うことになったフェルは、その一分三十九秒が誇らしくてならない。
後ろに行けば川があり、前に行けばユビンとまともに戦うことになる。素手でユビンに勝つには、ソリアとアンの援護、他の者達の立ち位置が邪魔してきて難しい。左手側にはゲノドとミサナが、右手側はソリアの矢の雨に拒まれる。
これらを潜り抜けたとして、どこかに潜んでいるキオハの攻撃がある。それでも、フェルの使う魔法を警戒して、ユビン以外とはまだ大分距離があった。
フェルにとっては不幸中の幸いであるのだが、やはり魔法を早く使うことになってしまったことは悔しい。やはり口角は上がったままだ。
熱を持った身体が興奮を冷ましてくれず、フェルの動く速さが増す。対応していたユビンとの攻防が、フェルの速さが上がったことで傾いた。
動きの速さの変化に敏感に反応したのはユビンだ。剣を振っているのではなく、振らされているような錯覚に陥る。自分が傀儡であるような、フェルと踊り舞っているような……。
恐怖が身体を駆け巡り、後ろから自分を操っている何者かを確かめたくなる。そんな者、いないと分かっている。ユビンがそう思う程の違和感という名の恐怖が、フェルとの戦闘にはあった。
フェルの表情は変わらず、真剣な目で、この状況を楽しむように僅かに笑っている。
分からない。ユビンは余計に混乱し、これがフェルの使う魔法なのではないかと考えた。
幻影魔法。魔法が使える者の中でも使える者が少ない魔法だ。ユビンの記憶上、迷宮の魔導具や魔物が使っていたものだった。
人の使う幻影魔法は、それらを真似ただけに過ぎず、幻影魔法に惑わされながらも生き延びた者によると、未だ完成していないのだとか。
そんな魔法を、フェルが使える確証はない。だが、フェルが幻影魔法を使えない確証もなかった。それ故に、ユビンは自身の感覚が信じられなかった。
ユビンの一撃目を躱したフェルのように、今度はユビンが後退った。ユビンの異変に逸早く気付いたアンが援護するよりも速く、その場にいたフェルが、消えた。
「上出来だ、ソリア」
一瞬のような永遠のような、そんな時間がソリアを覆い包み込む。最後に聞こえた声は、とても喜んでいるようだった。
何が起きたのか、或いは起こったのか、到底理解できる者はいなかった。第三者の立場で見ていたリュフォネですら、フェルの動きを目で追えなかった。




