30.正反対の二人
男爵家に生まれた俺は、下級貴族とはいえ幸せな暮らしをしてきた。平民に比べたら贅沢な暮らしだったと言えるだろう。尤も、辺境の地の下級貴族など、商人と変わらないが。
幸せだった。あの日までは。
一年半程前。
歳の離れた兄さんとは仲が良かった。兄さんが領主としての勉強をする中、俺は開花した能力で領地の復興を手伝うことしかできなかった。本来、俺は兄さんの補佐として教育されるはずだった。幼い俺に、領主代理は教師を雇うのは早いと判断した。
アイヴィジアフロレシア王国には、魔力持ちが殆どいない代わりに特殊能力者がいる。王族の地位以外、特殊能力の貴重性と実力で成り上がれる国だ。特殊能力を開花させた俺が知識を付けては、兄さんの領主就任が危ぶまれる。それくらいのことは理解していたからこそ、俺は領主代理がとった行動の意味を深く考えなかった。
「兄さん、僕にも教師をつけてはくれませんか。そうすれば兄さんの手伝いができます!」
一日が半分以上過ぎた晩餐の席で、俺は兄さんに申し出た。どうしても兄さんの手伝いがしたかったからだ。
「リュフォネ、気持ちは分かるが私が領主になるまでは駄目だ。リュフォネも分かっているだろう。特殊能力者であるリュフォネは領主としての地位を持つのに相応しい。それまで私が就くにしても、リュフォネは領主になりたくないのだろう?」
「そ、それはそうですけど……」
「気持ちだけありがたく受け取るよ。リュフォネは私の代わりに民を見てくれ。被害で傷付いた人は大勢いるからな」
「分かりました、兄さん」
兄さんの言うことは尤もで、俺は反論もできずに諦めた。もともと貴族に興味のなかった俺は、領主になる気はさらさらなかったのだ。
会話はそこで終わり、その日も終わった。それから暫く復興作業が続き、俺の能力の家に加え普通の建物が建てられるようになった。俺の能力で領地の建物全てを造っては、俺がいなくなったときどうなるかわからない。能力は人によって個人差があり、たとえ同じ能力でも限度が違うのだ。
俺の手伝えることもなくなり手持ち無沙汰になった。被害に遭ってからの復興は、被害の規模と下級貴族の管轄地という前提から出した予想を遥かに上回る早さで進んだ。
そんなある日の夜、俺の運命が決定的に捻じ曲げられた。
いつもなら眠くならない時間帯に眠気が襲った。その時から異常だった。
もっと兄さんに相談していれば、もっと貴族として位にこだわれば。そうやって今でも後悔する。地位があれば、権力があればどうにかなったのか。
手足に枷がはめられている。
ん? これ、僕の手足だ。
「ねぇ、君」
意識が覚醒して間もなく、誰かに声をかけられた。見ると、俺と同じ子供で枷をはめられていた。好奇心旺盛な瞳が俺に向けられている。
状況を呑み込めず狼狽える俺は後退り、ジャラリと鎖の音を立てた。瞬間、俺は売られたのだと理解した。理解できないほど子供じゃない。
「ねぇ、君の名前はなんて言うんだ?」
男とも女ともつかない、薄汚れた子供。
「……リュフォネ」
「そうか、リュフォネか。俺は――」
俺はそこで初めて、奴隷というモノを見た。
俺が奴隷商の商品の一つになり、共に暮らす〝商品〟と出会ってから数日が経った。兄さんが探してくれているような情報はない。そもそも、外の情報が一切入って来なかった。暗くじめじめした湿った部屋。石に囲まれ、柵に拒まれ、陽の遮られた場所。独りだったら生きていられなかった。
ここで生きるようになって、『僕』から『俺』に一人称が変わった。原因は彼だ。
「リュフォネ、飯だとよ」
「また黒パンか」
「まあまあそう言うなよ。毎日食えるだけマシだろ」
〝色なし〟と呼ばれる特殊体質の彼は、密閉された環境下でくすんだ髪をしていた。しかし、その瞳はくすむことなく輝いていた。俺はその瞳に、彼に、元気をもらっていたんだ。
ここでは一日一食、黒パンとスープが出される。水は水瓶に入っていていつでも飲めるようになっている。三か月以上が経った今、始めは慣れなかった生活もすっかり慣れていた。
「なあ、俺達ずっと一緒にいられるよな」
「何言ってんだよリュフォネ。当たり前だろ? 俺らはずっっっと一緒だ!」
そんな他愛もない会話をしては時間を潰し、眠くなったら寝る日々を過ごした。
「ずっと一緒だ!」
言われる度に嬉しくて、嬉しくて。いつか来る日のいつかを、俺は見て見ぬ振りをした。
俺の言葉が引き金を引いたと知ったのはそれから数日後のこと。俺達はバラバラの主に突然買われた。
暗闇が押し寄せて、地に足が着いていないように思えた。そんな俺はさぞ滑稽に見えただろう。暗闇の中でもはっきりと見えた。あの歪んだ笑みは、思い出すだけで吐き気がする。
契約書を書き終えた主人は、それぞれ俺と彼を連れて店を出た。
店では従順な商品に奴隷契約は施されなかった。俺はそれに当てはまっていた為、契約魔術で完全に縛られることなく主を得た。そしてそれは彼も同じことだった。
契約書を二人の主が書く間、俺達は身支度を整えさせられた。俺が数か月も過ごした場所は、どうやら地下だったらしい。枷に繋がった鎖をジャラジャラ鳴らしながら階段を上り、装飾品が並べられた、いかにも店といった一室に通された。
「リュフォネ、リュフォネ」
そこで二人きりになるタイミングを見計らって、彼は外に聞こえない小声で話しかけてきた。俺も話したいことが山とある。それでもまずは彼の話に耳を傾けた。
「リュフォネ。アイツらの話を聞いていて分かったんだ」
アイツらとは今まさに主人になろうとしている、あの気味の悪い奴のことだ。濁らせて話しているにも関わらず、想像してしまったことで眉間に皺が寄る。
「きっと、ダンジョン潜りをする気だ。それも奴隷を使った。そこで上手く逃げられれば自由だぞ」
そう話す彼の瞳は明るい。俺は逃げることを想像すらしなかったというのに、彼は主人になる人物から情報を盗み取り、逃走する未来を視ていた。
俺には、眩しすぎる……。
「俺、リュフォネと旅がしたいんだ。一緒に逃げ切ってみせようぜ!」
小さな声に気合を込めた彼は、暫くして、俺よりも先に連れて行かれた。一人残された俺も、考える余裕もなく買われていった。
久しぶりのはずの太陽を、俺はそこまで眩しいと感じなかった。
「……ォネ。リュフォネ」
フェルの呼ぶ声に、強制的に現実に引き戻された。
そうだ、と朝食の途中だったことを思い出す。手が止まってしまっていた。
『あなたは運が良いわね』
そんな言葉を思い出したのだ。だからだろうか、一年以上前のことを考えることなど、もうないと思っていたのに。
俺はフェルに救われた。出会いは黒歴史そのものだが、フェルは俺の恩人だ。
運が良い。今を見ればそれは確実に当てはまる言葉だろう。何せフェルに出会えた。それだけで充分だ。
買われた後。俺は最低限の衣食住を保証された状態で、他の奴隷達とダンジョン潜りを行った。
始めは、既に攻略された低級ダンジョンで一週間過ごすことを繰り返した。荷物持ち兼安全確保を役目として行動した。主がついて来ることはなく、代わりに信頼された奴隷が見張りとして班に二人置かれた。
二人の奴隷使いの共同活動。ある日言われた運が良いとは、もう一人の主は俺を買った主よりクズだという意味だった。
俺の主はダンジョンというものに興味を示し、奴隷をいたぶるようなことはしなかった。
一方、彼を買った主の興味関心は、金と自分より身分の低い者、つまり奴隷だった。
「…………フェル。まだフェルに、言ってないことがある。フェルが忙しいことは十分わかってるんだ」
言いたい、言いたくない。
「後で、フェルと二人で話がしたい」




