26.思い出してはならない
何を焦っているのか、自分が分かっていない。大切なことを忘れているようで、思い出そうと試みる。しかし思い出せたのは、思い出してはならないということだけだった。
頭を捻っている間に、とうとうレッドベアとの戦闘に入った。アンがその細い腕で、細い剣を振るう。細身の剣レイピアが、デルクが渡した剣だった。
強靭な爪が、大木のような腕により振るわれる。デルク達は、全体的に下がってそれを回避した。
アン一人が違った。姿勢を低くし攻撃を躱し、その体勢から突きを放つ。レッドベアの腕に穴が開く。しかし貫通までは至らない。
スピードはある。けど、パワーが足りないんだ。
《貫通を目的とするのであれば、もう一方から突く必要があります》
そうだね。でも、あの表皮を破っただけでも凄いことだよ。
《ミコトの攻撃力では一撃です。胴をも貫通できます》
買い被り過ぎだよ。それとイレイア、やっぱりその名前で呼ぶのやめて。今度からはイレイナにしよう。イレイアの家族、イレイナ・リィンにしておいて。
《了解しました。マスターの名を、ミコトからイレイナ・リィンへと変更します》
イレイアとの会話で新たに名前を作っている間も、アンとレッドベアとの戦いは続く。デルクはやはり観戦に徹するつもりらしく、手助けするような素振りはない。
アンは一撃を食らわせた後、瞬時に剣を引き抜き離れるようにして後方に跳んだ。その一瞬後、アンのいた位置を大木が過ぎった。
痛みに悶ることなどせず、本能のままに獲物に喰らいついてくる。痛覚はあるのだろうが、生き残る為には意識などしていられない。しかし、これも躱されてしまった。当たらない攻撃など無に等しい。
レッドベアの怒りは増す。その巨体から発せられる咆哮は、肌に突き刺さる針のようで、ピリピリと焼いてくる。
そんな中、アンは決して立ち止まらなかった。木々の間を駆け回って止まらない。それが正しいことを知っているのだ。止まれば攻撃が当たってしまう。レッドベアの桁違いの力で吹き飛ばされることだろう。
隙を的確に狙えればいいけど。
《レッドベアの表皮は、胴体であれば腕の二倍の強度を持ちます》
やっぱりか。
《狙うなら……》
逃げ惑うようにしか見られないアンの動きに、レッドベアがだんだんと対応できるようになってきていた。レッドベアの巨体に比べれば、アンなど人形と同じだ。このままではアンが幼児の玩具にされてしまう。
(ねぇねぇフェル、ゲノドが……)
(リスラごめん、後にして)
木々の間を駆けていたアンだが、レッドベアの動きが変わりできなくなりつつあった。レッドベアが木を引っこ抜いてきたのだ。これでは逃げるのは難しくなってしまう。
危険と思えなくもない状況下となっても、デルクやその他のゴブリンが手を貸すことはなかった。声をかけることすらも、一度もない。どれだけ本気でアンに向き合っているのかが窺える。
…………目、だね。狙うなら目だ。どんなに強度があっても、目だけは脆い。
《レッドベアの最期です》
ああ。
《見ないことをおすすめします》
……ああ。
全て見て知ってしまっていては、後々の楽しみが減るというものだ。私はアンがレッドベアと戦い、倒しも敗れもする前にその場を後にした。
本音を言えば、アンがあのレッドベアを倒す姿は見たかった。お姉さんといった雰囲気を纏った彼女が剣を持ち、自分よりも遥かに大きな魔物を倒す。剣だけであれば、細身であるレイピアは彼女に似合うお飾りだが、それを手にし戦う様はそれとは違う。
きっと、綺麗だったろうな。
《…………》
ん? どうかした?
《いえ、何でもありません》
イレイアの様子がおかしいように感じたが、何かあったのだろうか。
何かあったと言えば、リスラがゲノドがどうとか言っていたような気がする。噂をすればなんとやら。リスラが言い損ねたゲノドのことを連絡してきた。
(フェルもういい?)
(うん、いいよ。さっきはごめん)
(大丈夫。リスラもちょっと慌ててたの)
(ゲノドがどうかしたのか?)
(あのね、ゲノドが相変わらず情報収集してたときね、ガラウに聞いてなかったことに気付いたみたいなの。それで、ガラウに聞こうとガラウを追いかけて、今鬼ごっこしてる)
へぇ、楽しそうだな。
(迷惑になってないならいいんじゃないか?)
(ガラウは迷惑してるよ)
皆は仕事があるし、私の客人に手出しできない。それも、騒動を起こした訳でもないような状態では当然だ。そこで私に話が回ってきたらしい。
(仕方ない。ガラウとゲノドのことは俺がなんとかするよ)
(ありがとフェル)
ゲノドも凄いな。ガラウがどれだけ逃げても追いかけるとは。
丁度良いことだし、ガラウが以前言っていた影移動を見せてもらうことにした。勿論、呼び出し方法は以心伝心だ。
私が声をかけた途端、ガラウの気配が急接近してきた。瞬間移動とは違って、高速移動といった感じらしい。空気に乱れがないにも関わらず、生物の気配が近付いてくる感覚は、鳥肌が立つほどだった。
影の中から、まるで影であるかのように姿を現すガラウは、狼姿だった。もしかして、影の中を走ってきたのか。
時間にして一秒もない。正確には、〇.〇八秒で辿り着いた。
近所の犬を可愛がる気分でガラウを褒める。凄い。本当に凄い。これを従魔全体が使えれば、移動手段に困らない。魔法が使えないときもあるだろうが、使える場合は限りがない。
「凄いよ、ガラウ」
「〜〜〜っ」
私が褒めたらガラウが喉を鳴らした。
あれ? 前にも同じようなことがあったような……。
「フェル、ガロウが呼んでる」
突然、ガラウが人化してそう言った。小さな声だったが、近付いていたお陰で聞き取れた。
ガロウが呼んでいるそうだが、ミサナと何か問題があったとでもいうのか。だとしたら困る。彼らには強くなってもらわなければならないのだ。できるだけ早く。
何故、早く強くなってもらわなければならない? 何故困る? ……どうしてだっけ。
先程から疑問が絶えない。兎に角、ガロウが呼んでいるなら行くことにしよう。
影移動だっけ。イレイア、私にも使えたりする?
《解析済みです。光魔法を応用し使用できます》
光魔法? 闇魔法じゃなくて?
《影を生み出すには、闇ではなく光が必要です》
なるほど。
「ガラウ。ガロウのところに一緒に行こう。ゲノドはまだ町だろうけど、俺が止めるから安心していい」
「うん」
ガラウはゲノドが苦手なのかな。一緒にと言った瞬間、気配が波立ったような気がする。苦手な相手がガロウということはないだろう。二人は結構仲がいいから。
影移動に慣れているガラウと共にやるとなると、私の失敗は主としてしたくない行為だ。
イレイア、補助よろしく。
《……了解しました》
影から抜け出した先は、町の端、日の反対側の建物で影のある場所だった。少し離れた場所から声が聞こえる。誰かに見られはしなかったようだ。
「ガロウは?」
「屋敷。ミサナといる」
ガラウと並んで歩く。屋敷に向かっていたところだが、ミサナといるとは。一応、ミサナの指導をしてくれているということだろうか。
屋敷に着く。リュフォネは、今朝開いたという店に行っていていない。ガロウの後はそこへ向かうか。
「ただいま」
「おかえりなさい、フェルちゃん」
帰ってすぐ、ミサナが出迎えてくれる。ガロウはどうした、ガロウは。
「ガロウさんが帰ってくるって言ってたから。凄いよ、当ってた!」
出迎えた理由を、私が聞く前に察して応える。ガロウをさん付けとは、見た目年齢からして逆だが、指摘しないでおこう。きっとガロウの態度が大きい上に、ミサナが素直な性格だからだろう。
ガロウはリビングルームにいるらしい。不機嫌そうで出迎えに誘っても来なかったとミサナから聞いた。
拗ねてるのか……。
ガロウは時々、いや、結構な頻度で拗ねる。私が構わないと拗ねるのだが、遊んで欲しがりな犬みたいでついつい放ってしまう。
それでも、誰かに不機嫌と言われたことはなかった。ミサナだからというのもあるのだろうが、そこまで放っておいたつもりはない。……つもりは、ない。
玄関からリビングルームはまではそう遠くない。ミサナと話す時間もなく着いてしまう。当然、扉はしまっていて、ノックするのは私の役目だ。
コンコン。
別にノックを普段からしている訳ではない。リビングルームは皆が寛げる部屋であって、共有スペースなのだから。しかし、私はノックした。
これは、怒ってる。
扉の隙間から漏れ出る怒気。聞かされているのは、中に不機嫌なガロウのみだということ。感じ取ってしまったなら、見て見ぬ振りなんてできなかった。
ミサナ、よく平気だったな。
ノックしたら名乗る。名乗って入る。
頭の中でそれらを十回以上反芻した後、私は意を決してそれを実行した。
再度言う。これらは、リビングルームに入る際に必要な行為ではない。
「フェルだ、入るぞ」
いつもより数段重く感じる扉を、私は小さな体を使って開けた。
まあ、私が小さいからだろうけど。
「やっと来たか。主」
腹の底から出たようなドスの効いた声が、私と見た目がそう変わらない子供から放たれた。
屋敷の者達の寛ぎの間。今屋敷にいる全員が入っても広く感じるほどの広さで、それはゲノド達が来たときからだった。リュフォネがいないときは、人数で調節するという器用なことはできない。
離れ過ぎてまるで被告人のような気分になる。これから裁判でも始まるのか。私、何かしただろうか。全く覚えがない。
ガロウのおやつをソリアにあげたことだろうか。それとも、最弱であろうミサナの教育係を任せたことだろうか。ガロウと寝るのを拒んでいるからか。ガレウにばかり仕事を任せるからか。呼ばないからか。
いくら考えても答えは出ない。代わりにガロウから質問が出された。
「何を隠してる?」
「別に何も隠してない。気の所為じゃないのか?」
ガロウの眼光が強まった。
「なら、〝忘れてること〟あるだろ」
隠していないなら、忘れていることがあると。
私が、忘れている? そうだ、思い、出さなきゃ……。
《確認しました。マスター・イレイナの意思を尊重。
『記憶喪失001』をUninstallします》
何、それ……?




