厄災を拾う
昼過ぎで未だ明るいというのに、私の気分は沈み、暗いままだ。
早く帰ってリュフォネに会いたい……。
「フェルちゃん」
前を歩く私に、アンが声をかけてくる。すっかり子供扱いで悲しい。中身はほぼ大人だというのに。
そう思いながら振り返り目を向ける。
「フェルちゃんの言う契約は、奴隷契約のことなのかな?」
奴隷契約。詳しくは知らないが、人を奴隷とする際、調教とは別に契約魔法を使うことがある。それが奴隷契約だ。契約と言っても、一方的なもので主従がはっきりとしている。
アンの問い掛けに周りの皆を見る。主人からは離れたというのに、その表情に光はない。調教された奴隷も似たようなものだとは思うが、ミサナ達は主人にというより、その契約に怯えているように思える。
こういうものは、相手に希望を持たせるものではない。できないことはできないと言わなければ、傷付けるだけだから。見せるだけなら幾らでも見せられる。でもそれは、偽善者以下の何者でもない。
「分からない。師匠に教わったけど、魔物と契約するものだとしか聞いてないから。ごめん」
「あ、その、いいの。ちょっと聞きたかっただけだから。こっちこそごめんね」
一言二言話しては、また無言になる。触れないようにしていたことを、向こうから話してくれたのはいいが、奴隷とはどうも慣れないものだ。
自分が奴隷を買っても何とも思わないかもしれないが、奴隷に助けを請われるのは慣れるものではない。
継ぎ接ぎだらけの服も、そこから覗く細い身体も、そこにある傷も。胸にある紋を必死に隠そうとする者もいれば、隠さず気にしていない者もいる。
契約魔法は恐らく使える。従魔契約は人外と結ぶ契約で、本来の人と結ぶ契約より高度が高い。人と魔物は身体の構造そのものが違う。魔力と魔素もそうだ。だから、人は人を癒せても、魔物を癒やすことはできない。
少しずつだが、私だって外界を学んでいる。主に情報源は本からだが、使える魔法を増やす為に読み続けているのだ。魔法以外に関しては、この本に載っていることが事実か確証がないことから触れていない。普通に冒険してみたいという思いが、まだ胸のどこかに残っているのかもしれない。
「ただいま」
建設途中の家の前まで来たとき、何故か無性にそう言いたくなった。一人で出かけることがなかった所為か、帰ってきたという思いが強い。
「おかえり〜フェル〜」
帰ってすぐ、リスラが迎えてくれる。他の者は皆、仕事がまだ残っている。リュフォネも、特殊能力以外で手伝いをしているからいない。
リスラにリュフォネを呼ぶように頼み、ミサナ達を連れて屋敷へと向かう。部屋の用意をリュフォネとガロウに任せてしまったから、後で何かお礼をしなければと考える。
沈んでいた気分が、少しだが明るくなった。
屋敷のある一室。十人以上が入れるその部屋は、今は会議室と化している。
所謂お誕生日席と呼ばれる、長方形のテーブルの短辺の一人席にガレウに座らされた。従魔とミサナ達は向かい合う形で座っている。リュフォネは、私の希望で隣に席が設けられた。
「改めて。俺がここにいる魔物の契約主、フェルだ。君達のことは歓迎しよう。しかしながら、この森の資源は限られている。そこで提案だ」
突然変わった口調に、ミサナ達が驚き戸惑う。口調よりも、後に出てきた提案かもしれないが。
「ここで皆と、暮らしてほしい」
「は?」
誰とも分からない溢れた声に、私は思わず苦笑いで返した。
「この森の魔物は今、食料を求めている。弱肉強食が関係ないほどの問題に達している。それは、ここで暮らす魔物も例外じゃない。理由は、ミサナ達に死んでほしくないから、かな。君達はこの森の中で、絶好の獲物ということさ」
「それはいいけど、ちょっと聞いていいか?」
「いいよ。何かな」
「お前は、何者だ? ていうか、本当にここにいる者は魔物なのか?」
「一つ目は、契約主であるとしか言えない。二つ目は、見せた方が早い」
人化で人に見えるからだろう。魔物の姿になるように言う。流狼は狼に、リスラはスライムに姿を変える。
それを見て彼らは絶句した。彼らが持ち直すよりも先に、私から話し合って決めるように言う。そして、リュフォネを連れて退出した。
「大丈夫か? フェル」
私の顔色を気にしていたリュフォネが、誰もいない廊下で聞いてくる。大丈夫と返すが、大丈夫ではないことは私がよく分かっている。
「顔が青いぞ、無理するなよ」
私よりも遥かに高いリュフォネに頭を撫でられる。午後は大人しくしていないと、ガレウあたりにベッドに押し込まれそうだ。
「ありがと、リュフォネ。部屋に行って休むよ」
夢を見た。恐らくゲノドが声の主だろう。今より幼い印象の声だった気がするが、素直になったら夢のようになるのだろうか。
夢ではゲノド以外の五人に何かが起こる。それからゲノドが助けを求めに来るのだ。
会ってもいない人物の夢を見るなど、尋常とは言えない。もしかしたら、忘れてしまったストーリーのワンシーンかもしれないが、どちらにしても起こり得る未来であることに変わりはない。
彼らに出会った。その瞬間に見てしまったものも、未来という可能性を否定できない材料となってしまった。それも、いつ起こるか分からないものだ。明日かもしれないし、明後日かもしれない。今日ということだってあり得る。
休んでなど、いられない。
リュフォネに気遣われながら廊下を歩いていると、ゴブリンの女性に出会った。通信が可能である為に、出入り許可もされやすい。部屋の中に入れるかはそれからだが、屋敷の廊下やロビーならば誰でも入れる。
リュフォネが元貴族ということもあって、誰かが招かれる食事会では給仕を使うことがある。昼食はよく、ゴブリンや流狼の子供達を招くのだ。
「こんにちは。フェル様、リュフォネ様」
「ああ、こんにちは。リナヲは何か用事か?」
彼女の名前はリナヲ。勿論、名付けは私だ。被らないようにするのは苦労した。
腕で抱き締めている壺を見てリュフォネが尋ねる。
「午前の採集班が蜂蜜を持ち帰りましたので、フェル様にとお持ちしました」
「ありがとう。悪いけど、ガレウに渡しておいてくれるか」
「ガレウ様ですね。分かりました」
そして、
「失礼します」
と言って去っていった。
私達はまた、長い廊下を歩く。ガレウにこのことを伝える為、以心伝心で繋げた。
(……)
(……フェル、どうかしましたか?)
(蜂蜜、ゲノド達にあげてくれ。…………後は、頼んだ)
(?)
一方的に通信を切り、不意にリュフォネの手を掴んだ。リュフォネの手は温かく、部屋に着くまでの間、優しく握り返してくれた。
清潔なシーツが皺なく敷かれたベッドに倒れ込む。鮮明に思い起こされる知らない記憶に、吐き気を覚えるほどの恐怖を感じた。それから先のことは、正直覚えていない。
……
俺の知る狼は、強く気高い森の猛者だった。
俺の見た狼は、クズでクソ野郎のバカだった。
そのバカは、バカなりに生きることに必死だった。
それが嫌いじゃないと言える理由だなんて、可笑しいのか?
フェルが見る狼は、いつも悪役だった。
知る狼は、誇り高い獣だった。
数々の童話や昔話。その中で狼とは、常に悪役の座に着いている。悪役と呼べないような、悪役に。
それでも、フェルの狼は誇り高い獣だ。
……
主と出会ってから、生活がガラリと変わった。別に悪かねぇと思うが、主が気付けばうろちょろしていて困りもンだ。ちったあ大人しくしろと、ガレウに言えと言っても言わねぇ。
あの時――主と出会った時、俺等はただ死を待つだけの塊だった。それを、未熟な何かである、主に救われた。
名を貰った。名持ちとなっただけでなく、ガレウとガラウと似た、ガロウという名を貰った。アイツらと揃いなんざとも思った。でも、悪い気だけは起きなかった。
それから、主は事あるごとに名を呼んだ。ガロウ、ガロウと何度も。ガレウもガラウも。
主はその口で、その声で、同じ名前を繰り返した。
目の前に置かれた甘味に、ガキ共が喉を鳴らすのが聞こえてくる。ゴブリンの女の持って来た蜂蜜で、主が指示したものらしい。ガレウに、と。
またガレウだ。この頃はガレウ、ガレウ、ガレウと。
純白狼は援護に特化した種であって、頼りがいがあるのは認める。それでも納得はできない。
呼んだと思ったら部屋の用意、だと?
「ア゛ァ。…………クソ、甘ぇ」
……
フェルと呼ぶようにと言われてから数日が経過した。様付けでないことに、少しばかり優越感がする。
僕を普段は使っているが、俺の方が楽だ。
白狼とは、何かに紛れて仕え、二番を死守する。そして、個々で生き残る種族だ。どれだけ努力しても、一は取れない。
フェルが主となって、俺は自分の生き方を見つけた。それまで、仕えるということに忌避感を抱いていたが、フェルの存在がそれを覆した。
仕えないという生き方をしたからこそ、群れの中でも白狼の数が劣らなかった訳だが、それは差し迫った食料問題があったからだろう。
ガロウが、ガラウがいなければ、俺の同種らは全滅していた。そして、フェルがいなければ、救ってくれた彼らも失っていた。
以前、擬態で狼の姿になっていただいたことがある。神々しいと形容したくなる美しさと、押し潰すより包み込むといった、安心できる覇気を放っていた。
俺もいつか……。そう憧れたことはフェル様にも秘密だ。
……
ガラウという名を貰ったのは、群れが小さくなり、親父が死んですぐのことだった。多くの同胞が土に還った。そして、後を追うように土に還るはずだった俺達を、フェルは掬い上げた。
自分の声が嫌いだった。
フェルは好きと言った。
自分の能力が嫌いだった。
フェルは凄いと褒めた。
フェルは優しすぎた。俺には傷がつくほど優しくて、火傷を負うほど温かくて。
出会った日から、世界が反転してしまったんだ。どちらが上で、どちらが下か、もう忘れてしまった。
だから、前だけを向くと決めた。一歩前を、フェルと仲間がいる道を進みたいと、そう思った。
……
――瞬間、全従魔に緊張が駆け巡った。
リナヲにより届けられた蜂蜜を餌付け、もとい菓子として出したガロウ達。
甘味など滅多に得られない奴隷であった彼らは、それはもう喜んだ。疑いの目を向けた者もいるが、問題ないと判断した途端、誰よりも頬張っていた。
蜂蜜をそのままというのは簡素すぎるが、茶と一緒にである。傍から見れば、試食会のような内容だと思うだろう。それでも、森の中では贅沢なものだった。それは勿論、魔物である従魔も同様で、リスラは一口一口を大切に食していた。
フェルを部屋まで送ったリュフォネが、皆が集まる会議室まで戻って、それは届いた。あまりにも意味不明な二言だけ。
(逃げろ!!!!)(行くな!!!!)
差し迫るような緊迫感のある声に、従魔達は動揺と同時に首を捻った。
スプーンを持つ手が停止する。
狩りをする足が停止する。
採集する手が停止する。
料理する手が停止する。
働く足が停止する。
話していた口が停止する。
聞いていた耳が停止する。
動かしていた能力が停止する。
動かしていた翼が停止する。
そして全てが停止した。
それは異様としか言えず、リュフォネの一声がなければ動かなかったのではと思われるほどだった。異常事態を察したリュフォネは、自身の取れる最善の行動をした。
「ガロウ! ガレウ! ガラウ! リスラ!」
名を呼ばれ、停止していた体が機能を取り戻す。
「何があった?!」
何かあったのか。そんな時間を無駄に使う言い方を、リュフォネはしない。
呆気にとられたゲノド達は、未だ脳内に焼き付いたであろう異様な光景を眺めている。動くのには時間がかかりそうだ。
リュフォネの質問に真っ先に答えたのは、ガラウだった。
「フェルから、連絡が、入った」
たったそれだけを口にした。
それだけでも十分と言いたげに、リュフォネはフェルのいる部屋に戻るべく扉を叩き開くと、長い廊下を走っていった。
その音で復活したゲノド達はというと、全く、一ミリも理解できていなかった。フェルとかいう偉そうなチビに何かが起こり、魔物だからかそれを知って固まった。そこまでに至るのにも大分時間を要した。
彼らがそうしている間に、その場にいた従魔は消えていた。
このような状況で平然としていられるほど、彼らは非情ではなかった。六人で固まって行動することを決め、屋敷の中を歩いた。広い屋敷をただ只管歩き、フェルという奴のいる部屋を探した。
人こと魔物が出入りする部屋を見つけた。




