12.言葉 其の一
――きっと大丈夫。……ヴァイオレットなら…………。
ユノアの声が聞こえた気がした。こんな言葉を掛けてもらった覚えはない。一言一句全てを記憶と照らし合わせてみても、やはりなかった。
違和感を感じながら、先ずは目を開こうと身体に指示する。本来であれば無意識に行うそれを、今は何故か意識的に行った。
瞼は妙に重かったが、力を込めればこじ開けられた。薄っすらと視界が晴れていき、雲の浮かんだ青空が映る。陽が雲で隠れていたから良かったものの、そうでなければまた目を瞑っていただろう。
ぺろり。
突然、左頬に湿った何かが這っていった。身震いし、ダイレクトに伝わった感覚に顔が強張る。こちらの気持ちを知ってか知らずか、繰り返しべろべろと舐められる。
「っ〜〜め!」
耐え切れず声を張ろうと口を開くが、掠れた声で上手く言葉にならなかった。直後にまた舐められたが、勢いでやってしまったとでも言うように引っ込められた。伝わったのだと思い、ほっと息を吐く。
身体に入っていた力が抜けたが、起き上がる為にもう一度入れ直した。だが、倦怠感がこびりついたように指先一つ動かせない。
数分後、私の周囲を囲うように、四匹の狼が詰め寄ってきた。「熱い……」と声に出してみたが、以外なことに身体が温まった。風に当たり過ぎたのだろう、体温が下がっていたことにここにきて初めて気付く。狼達に伝わったのかと思ったが、答えが出る訳でもないのですぐ思考停止させた。
ぐうぅぅぅ……。
暫くしてのことだった。唸るような音が響いたのは。遂に腹が空腹を訴え出した。
ユノアがいたら微笑まれていただろうと思い、顔が意思とは逆に火照りだす。恥ずかしさに悶え、手で顔を隠すように覆う。頭だけが冷静に身体が動いたことを理解した。
何か口に入れようと収納魔法を開こうとし…………が、開かない。……魔力が、ない。
《魔力残量が5%を下回りました。
これ以上の魔力の使用は命に関わります》
イレイアの解説が脳内で木霊する。声には出さず、「自動回復時間算出」と唱えた。一秒と経たずに返答が来る。
《食事睡眠を摂らなかった場合、13時間42分です。
または、食事を充分に摂った上で、10時間31分の睡眠により完全に回復します》
ご丁寧な説明にか長すぎる時間にか、驚きのあまり声が出ない。腕を支えに上半身を起こし、イレイアの提示した時間を交互に反芻する。
頭付近にいた狼が、背凭れになるようにその巨体を更に寄せてくる。ありがたく寄りかからせてもらい、礼として手櫛で毛を梳いてやる。気持ち良さそうに喉が鳴らされた。猫かっ! とついツッコミを入れてしまう。応えるように尻尾が浮かされ、そしてぱたりと私の横に落ちた。
辺りを見渡し狼の数を数える。どこかへ向かった半数の狼が、未だ戻って来ていなかった。従魔だからか気配は感じるが、近くには居らず森の方向にいる。無事そうなので放って置くことにする。命の危険がある以上、回復を優先させるのは必然だった。
朝、余分な程食べたはずのものは消化されてしまい、空腹を訴えてくる腹は睡眠を許してなどくれない。やはり何か食べるべぎだと、そうは思うが方法が思い浮かばない。
眠れずともいっそこのままでいようかと考えたときだった。
従魔達が、気配をそのままにこちらに駆けてきていた。お使い帰りのように嬉々とした感情が流れ込んでくる。ここまで頻繁に意思が繋がれてしまうのだろうかと、眉の間を狭めた。
事実、彼らはある物を咥えてこちらに向かっていたのだが、それが分かる程に便利ではなかった。
身体が動くと分かり、準備体操を行って待つ。気配が色濃くなり、意思がはっきりとしていく。期待……だろうか。まるでペットだと思い、あながち間違っていないと思い直す。
音が近づき、狼がその姿を現した。その口に、見覚えのある物を咥えて。既視感を覚えながらそれを受け取る。
「夏みかん?」
夏みかんかどうかは分からないが、それに酷似した柑橘の果実だ。私がこの世界で初めて食べた物でもある。見ると、戻って来た狼全てが口に夏みかんらしき物を咥えていた。
疑問に首を傾げながら、折角貰ったので食べてみる。
…………うん。味は変わらない。初めて食べたときと同じだ。
口に次々放り、味わいながらも頭を動かし続ける。変わらず美味しいのだが、何かが違う気がしてならない。とてももやもやする。喉元まで出掛かった答えに自然と顔が歪んだ。
その間も口だけがもごもごと動く。狼達の視線を感じ、正確には意思を受け取り目を向けると、期待に輝くつぶらな瞳が私を刺した。犬のようにご褒美を、文字通り待ての姿勢で待っている。空いている片手で、一匹ずつの頭を撫でると、ほぼ同じ反応で喜んでくれた。少しだけ胸が熱くなった。
夏みかんもどきを食べたことで、空だった胃に消化させる物が入った。途端にまた眠くなる。一日にどれだけ眠ればいいのか。魔力の使い過ぎは気を付けようと心に決めた。
瞼が鉛のように重く、視界を塞ごうとしてくる。身体から力が抜け、立ち上がった状態から膝をつき崩れ落ちる。私が背を預けていた狼が私を受け止め、我が子を抱くように包み込まれた。過去の記憶が蘇りそうになり、眠気を払うふりをして首を振った。それでも、身体は正直に誘いに乗って沈んでいく。睡眠薬でも盛られたかと思う程あっさりと、私は意識を手放した。
私はまだ知らない。眠りに落ちた先で見る夢を。
ユノアの言葉の続きを、私は知っている。
気付いてしまった。分かってしまった。
もう、忘れるなど不可能だ。
『きっと大丈夫。……ヴァイオレットなら、僕がいなくても。』
『……辛い思いを、ごめん』
そこに全てが詰まっていた。それが全てを物語っていた。




