9.序章の序章
さて、旅立ったはいいものの行くあてがない。
とりあえずユノアが飛んで行っていた方角に向かおう。
扉を潜り、家に背を向け歩き始める。
あの状況から、今の自分は相当な感情がひしめき合っているはずなのに、足取りは軽く頭は冷え、むしろ冴えている気さえした。
一人旅とは、楽しいようで寂しいものだ。話し相手がいないのだから。
しかし、今の私は一味違う!
「イレイア〜」
《……》
…………はい、イレイアがいるからです。
イレイアには以前から、『記憶』を解析してもらっていた。取り戻したはずの、未だ思い出せない記憶のことだ。それに加え、ユノアナことユノアの能力もお願いしている。
どうやら、イレイアの能力はとても便利らしい。
思考能力、記憶力の向上の他に、情報処理、解析、鑑定など。まさに大賢者だ。
できれば食料を見つけてもほしいのだが、そんな贅沢は言っていられない。
《個体名ユノアナより贈物が届いています》
どうやって届けられるんだろうか。いきなりのことで戸惑ってしまう。
そもそも、何故イレイアがその報告をするのか疑問だ。
《個体名ユノアナの使用していた収納魔法の開封が可能です。
開封しますか》
「ん? ちょっと待って。今何と?」
《個体名ユノアナの使用していた収納魔法の開封が可能です。
開封しますか》
「うん、そこはもう聞いた。
そこじゃなくて、収納魔法! 収納魔法って何?!」
《収納魔法とは、亜空間を利用した空間魔法の一種です。そこに物を収納することで何処でも出し入れが可能となります。しかし、発動者以外開くことができません。それは――》
辞書より長い説明を続けられ、半分理解できなかった。
ユノアからの贈物について要約するとこうだ。
ユノアは私に、魔法を使った贈物をしていた。それが、収納魔法により届けられたのだ。
収納物は、硬貨、食料、衣服類、装備品。その他にもあったようだが、聞き逃した為分からない。食料は、使われている亜空間に時間の概念がない為、一生保存状態らしい。新鮮なのはありがたい。
太い木の根を跨ぎながら、イレイアに装備品のひとつを出すよう指示する。空間が歪み、マントが目の前に現れる。
灰を写したような、装飾のない素朴な感じのマントだ。ファンタジーな異世界では打って付けだろう。留め具は動物の牙が使われている。
大人サイズで大きい為、折り曲げて調整し羽織る。
うん。なかなかいいじゃないか。
スカートのように、くるりと回ってみる。
うん。なかなかいいじゃないか。
がぶり。
「ギャッ!」
もぐもぐ。
「グッ! グァッ!」
歩きながら収納魔法の中にあった果実にかぶりつく。桃のような食感にメロンのような味の、薄紫色をした果実だ。正直言って、とてもうまい。
しかしながら、罪悪感というか何というか……。とても美味しいのだが、とても食べづらいのだ。
この果実、生きている。噛む度に悲鳴を上げ、分裂するらしく口の中でも叫んでいる。
見た目はただの果実なのになぁ。
そう、この果実の見た目は、巨峰をテニスボールくらい大きくした感じなのだ。人面という訳でもない。不思議だ。
こういうところがファンタジーらしい。
不思議果実を四個食べ終わり歩いていると、木々が徐々に減り、視界が開けた。絶景というに相応しい景色が、崖の向こうに広がっている。
一言で終わらせるには勿体ない程美しいのだが、それ以上の言葉が出てこない。
小さな花々が咲き誇り、絶壁によって守られた花園。右側にはそこから流れ落ちる滝が、常に虹を掛けていた。
微かに水の音が聞こえる。
雲一つない快晴が、とても皮肉に思えた。
自然と為息が漏れる。
今はそれを、景色のせいにした。
やはりどんなに繕っても、心とは繊細で困るものだ。
疲れが勝手に押し寄せて、これ以上先に進ませてくれない。
日はまだ落ちそうもなく、安全な寝床も見つかっていないというのに。テントのような物があればよかったのだが、生憎と見つからなかった。
水辺は動物の生活圏に入る可能性がある為、滝へ向かうのはやめた。それでも進まなければならないので、崖に添って時計回りに進むことにした。
足が鉛のように重い。明日には筋肉痛になっていそうだ。
水分補給は魔法で行っている為問題はなのだが、森を歩くには些か装備が心許ない気がする。今更ではあるが、ユノアの贈り物の装備を出そうと思う。
マントより先にすべきだった……。
そういう訳で、イレイアに頼む。
「軽くて使い勝手の良い装備を出して」
声と同時に空間が歪む。白い小さな何かが現れ、ぽとりと地面に落ちた。
何だろうか。ブレスレット?
直径約十センチメートル程の、骨を象ったかのデザインをしたリング状の何かだ。
誰がアクセサリーを装備と思おうか。
仕方ないので装備する。
――――――ッ!!??
突然の出来事に色々とついていけない。
喉に異物感があり、声が出なかった。
首を締められるものとは違う痛みが走る。
皮が破け、肉が千切れ、何かが入り込んでくるような感覚。
不快感と共に、激痛が泥のように遅く襲ってくる。
意識が朦朧としてきた頃、ようやく痛みが治まった。
痛みが消えると、息をしていなかったことに気づく。まだ、喉に違和感がある。
そっと首に触れるが、傷などは一切ない。
訳が分からずに立ち尽くす。喉には未だ異物感が残っていて、夢でも幻でもないことを物語っていた。
ユノアは何故、こんな物を贈ったの?
そう、ユノアへの疑問が浮かんだ途端、ユノアの最期の顔を思い出してしまった。それは吐き気を催し、案の定私はその場で吐いた。
吐瀉物が口の周りと地面を汚す。一刻も早く洗い流したくて、離れるようにしていた水辺へ向かう。そこには、吸い込まれるように流れる川が水の音を立てて、存在を静かに示していた。
安全そうな場所を見つけ、注意を払った上で顔を洗う。川は、それができる程に綺麗だった。
イレイアに頼み出してもらった装備、恐らくあれは首輪なのだろう。魔道具だと思うことにし、自衛には魔法を使うことにした。
以前魔法を使ったのは、水を出したときだ。その後、自然属性を使ってみた。
自衛としてイメージしやすいのは土だろうか。物理的防御ができれば先ず良いだろう。慣れれば攻撃にも使える。一石二鳥だ。
そう思いながら自分の手を見つめる。今は綺麗な、しかし汚れたその手を。
生きなければならない。
与えれた二度目の人生を。
生きなければならない。
犯した罪を償う為に。
その為には先ず、あの男を見つけ出す。
決意を固めた私は、早速魔法の訓練を行った。場所は、川から少し離れた所を選んだ。休んだ途端、脚が疲れを訴えた為丁度良いとも思っている。
魔法を使って、日が傾いたかなと思うくらいの時間が経った。
土魔法を重点的に使った結果、水球のように撃ち出すことができるようになった。
火と風は、それぞれマッチの火やそよ風レベルだ。
日はまだ高いが、沈めば暗くなるのは早い。その為、今日はもう止めることにした。
蛇足だが、収納魔法に籠を入れようと試みた結果、予想通り入れられることが分かった。籠に物を入れた状態の出し入れもしたが、それは指示によって変えられた。籠の中身だけを出すことも、籠だけを出すこともできた。勿論、同時も可能だ。
これにより、より効率良く進むことができるようになった訳だ。
野宿の準備をしつつ、本を片手に魔法を覚える。しかし、段々と読めない単語が増えていき、最終的に諦めた。これは私の憶測でしかないのだが、ユノアとの会話で出た単語などはこの世界の言葉に置き換わっているのかもしれない。
食欲の無い中、それでも一口二口果実を食べた。
辺りが仄暗くなる頃、野宿の準備は終わり、後は寝るだけとなった。崖下から吹き上がる風に吹かれ、そっと耳を澄ませる。やはり、安心して眠れない。
今日一日森を歩いて、不自然に思ったことが多々あった。
この森では、まだ生き物を見ていないということ。これだけ豊かな自然があるにも関わらず、鳥の一羽も見ていない。
地平線、水平線は地球の輪郭。緩やかに弧を描き、星が丸いことを示している。この崖もまた、それと同じで弧を描いていた。私が来た方向、ユノアの家を中心として。
また風が吹く。この季節の風は冷たく、身体が震えた。折っていたマントを広げ、風を遮断するべく包まり横になった。
――ォォォゥウン……。
微睡みの中、空気を衝き上げるような音が響いた。反響しているのか、重なって聞こえる。
……? 重なって?
その瞬間、私の意識は覚醒した。
空には薄く雲がかかり月を遮っていた。いつの間に寝ていたみたいだが、それほど時間は経っていないらしい。
目が覚めたことで音がはっきりと聞こえるようになった。
狼だ。
狼の遠吠え。複数聞こえるということは、一匹二匹ではないのだろう。遠吠えは森側から聞こえる。早く逃げなくては恰好の餌食だ。
まずい、逃げ場がない……。
推測が正しければ、ここは崖で囲まれているはず。そこから逃げるには滝に流され下りるしかない。
今日は付いてない。いや、元から付いてないのかもしれない。前世で死んだときから。
それでも、諦める気は何故か湧かなかった。
死にたくないと思った。
生きたいと思った。
原動力には十分過ぎる想いだ。空っぽにしては強欲で、自分でも呆れる。
いろんなものを失くして、気がつけば空っぽになっていた。場違いにも、雪乃は今どうしているかと考えてしまう。
あの子は持っている。
私の持っていないものを。
手放したものを。
落としたものを。
失くしたものを。
「ふふ……はは、アハハハハハ」
気付けば笑いが止まらなかった。興奮している。自分でも分かる程に。
「来るなら来い! 私が相手になってあげる」
笑い過ぎたのか、視界が滲んで良く見えなかった。