2.ガンヅの素性。
「さて、そろそろ限界かしら……」
ナタリーはふと、夜空を見上げながらそう呟いた。
孤児院の子供たちはみな眠っている。彼女は外に出て星空を見上げた。遮るものは何もない。雲一つないそこに泳ぐ星々に、ナタリーは不思議な感覚を抱いた。
王城から見ていた星空は、こんなに綺麗にだっただろうか――と。
きっと同じものだったはず。
それなのに、こちらの方が綺麗に見えるのは心境の変化に違いなかった。
自分は王女として、やがては人々を束ねる立場になる。しかし、民がみな平等と考えていたものの、その生活の実情までは経験がなかった。
「とても血の通った生活。王城での権力争いとはかけ離れた、毎日を生きることに一生懸命な人々の暮らし。誰もが今を生きるという活力に満ちていた」
それを知った上で、自分には何が成せるのか。
ナタリーはふっと息をついて、自身の手のひらを見つめた。
するとそこへ、彼の声が聞こえてくる。
「やっぱり、普通の貴族じゃなかったんだな」
「ガンヅさん……?」
声の主――ガンヅは、壁に背を預けて立っていた。
ナタリーと同じように空を見上げて。そんな大男の姿を見た王女は、どこか複雑な表情を浮かべた。気づかれていたことへのバツの悪さ、ではないだろう。
どちらかといえば、その逆だった。
「気付いていらしたのに、どうして?」
どうして、自分に対する態度を変えなかったのか。
そのことが気になった。相手が王女だと分かっていれば、少なからず距離を置くなりするだろう。なにか下心があっても、決しておかしくはなかった。
それなのに、ガンヅはずっと彼のまま。
ただ一人の少女、自分はその仲間としてナタリーと接していた。
「どうして、か……」
彼女が不思議そうに見上げると、ガンヅは一つ息をついて言う。
「少しばかり事情があって、な。俺は昔――」
だが、そこまで口にしてから言い淀んだ。
それほどまでに憚られる過去、なのだろうか。
「無理に話さなくても、いいのですよ?」
「いいや、これは仲間として話しておくべきだろう」
「………………」
そう感じたナタリーが助け舟を出すが、ガンヅは断った。
そして、意を決したように告げる。
「俺は昔――」
一度、言葉を切って。
少しだけ自嘲気味に笑って。
「公爵家の、人間だったんだ」――と。
それは、驚きの言葉だった。
「え……?」
「あー、でもナタリアが生まれて間もない頃の話だからな。すぐにはそっちの正体にも気づかなかったさ、うん」
「いえ、それよりも……え?」
「…………あぁ、ビビったか?」
「か、かなり……」
二人の間に、微妙な空気が流れる。
王家と公爵家――その間柄であれば、貴族の中でも特別な繋がりだ。したがって今、ナタリーの頭の中にはたくさんの疑問が浮かんでは消えていた。
ガンヅもどこかバツが悪い、といった表情を浮かべている。
数秒の沈黙の後、それを断ち切ったのはガンヅだった。
「俺はある意味で、逃げた貴族だからな。戦うことをやめて、権力争いから逃げたんだ。家族の中で家督を争って喧嘩するなんて、バカげていたからな」
「そう、でしたの……」
「ま、俺らしいといえば俺らしいだろ?」
少しおどけてみせる彼に、王女は複雑そうな表情を浮かべる。
そんな彼女の様子に気付いたのか、ガンヅは静かに言った。
「ナタリアは気にしないでくれ。俺はただ、嬉しかっただけだから」
「嬉しかった……?」
「そうだよ」
首を傾げるナタリア。
その顔を見て、ガンヅはこう続けた。
「王族の中にも、ナタリアのような子がいるって、安心できたんだ」――と。
決して上流階級の人間だけではない。
すべての民を平等に扱う、そんな人物がいるということを。
ガンヅの言葉に驚き、ナタリーはほんの少しだけ頬を赤らめた。まさかいま、それについて褒められるとは思いもしなかったから。
なので、気持ちを切り替えるように咳払いを一つ。
王女はこう言った。
「ですが、そろそろ頃合いのようです」
「あぁ、そうだったな。さすがに時間が経ちすぎたか」
「……そうですね。案外に冒険者稼業も楽しかったのですが、いつまでもお父様に心配をかけるわけにはいきません」
「そりゃそうだな」
納得、といった風にガンヅ。
彼の反応を見てから、ナタリーはもう一度空を見上げた。
「ここでの時間は、財産だと思っています。だから――」
――いつの日か、また会えると信じています。
そう、彼女が口にしようとした時だった。
「誰か、助けて下さいぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
そんな、女の子の悲鳴が聞こえたのは。
「ん、今の声って……?」
ナタリーには聞き覚えがあった。
それはそう、学園の中でもいくらかやり取りをした――。
「ミリア!?」
「ナタリー様!?」
公爵家の令嬢、ミリア。
彼女は涙目になりながら、全速力で駆けてきた。
そして王女にしがみ付いて、こう叫ぶ。
「た、助けてください!!」――と。
なにがなにか、まるで分からない。
しかしガンヅの言葉で、ナタリーは我に返るのだった。
「どうやら、敵さんのお出ましみたいだな」――と。
ハッとしてミリアのきた方を見る。
するとそこには――。
「学園の、教員……?」
敵意剥き出しの男が二人、立っていた。