表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

650文字短編集

カウントダウン


 僕は、あと──日で死ぬ。


 十四歳の僕は、不登校児だった。理由がある訳ではない。

 ただなんとなく仮病で学校に行きそびれて、そこからズルズルと理由なき欠席を積み重ねてしまった。


 自室で起きて、トイレと風呂以外は自室にこもり、駄菓子を食べながらパソコンでオンラインゲームを繰り返しプレイした。お陰で十四歳でありながらギルドマスターを務めるまでになってしまった。


 引きこもり始めて二年経った、ある夏の夜。「それ」は枕元に立った。何かは解らない。が、不思議と僕は「それ」をすんなりと受け入れてしまった。

「それ」が手をかざすと、頭の中に数字が浮かび上がる。


 その数は、3650。


 この数字はどういうことかと尋ねた僕に、「それ」は悲しそうな笑顔で応えた。


 ──お前に残された、日数だよ。


 それでも僕は信じなかった。何かの怪奇現象と片付けた。


 しかし3650という、ちょうど十年分の日数を示す数字がやけにリアルで、いつしかそれを残りの寿命として受け入れていった。


 あと十年しかない。いや、実際には(うるう)年もあるから、十年足らずだ。


 僕は、あと十年で死ぬ。


 そう思ったら、居ても立っても居られなくなった。

 部屋着のジャージのまま、真夜中の住宅街を走り抜け、気がついた時には、大きな川の河川敷に寝転がっていた。


 十七歳なのに、二年以上まともに運動をしていなかった僕の肺や筋肉は、もう限界を迎えている。その癖、直ぐに動き出したい衝動に駆られる。

 人間とは、現金なものだ。

 いざ自分に時間が無いと思ったら、こんなに焦るのだ。今まで散々怠けていた癖に。


 息が整った瞬間、また走り出した。行く先なんて分からない。ただ、止まっていたくない。


 時間が、もったいない。

 何かせずにはいられない。


 それからしばらく、夜中に家を抜け出しては走り回る日々を過ごした。

 しかし、それもまた何も産まない行為だと悟る。


 くやしい。悔しい。口惜(くや)しい。


 このまま死ねるか。何もせずに死ねるか。

 せめて、せめて普通に、人並みの人間として死にたい。


 それから、手当たり次第だった。

 大検合格を目指し、勉強した。予備校にも通わせてもらった。年齢制限のない資格も取った。何とかして現世に名前を、生きた証を残したかった。


 親たちは涙を流して喜んでいた。胸が痛かった。


 父さん、母さん。ごめん。

 俺が頑張っているのは、死ぬのが判ったからなんだ。

 決して更生したとか、改心したとかじゃないんだ。


 僕は、両親(あなた)たちよりも先に、死んでしまうんだ。


 予備校で、一人の女性と出会った。僕と同じ、中学から引きこもっていた、ひとつ年上の女性。

 最初は、ただ挨拶を交わすだけの間柄だった。

 それが一緒に勉強をするようになって、互いの過去を打ち明け、いつしか惹かれていた。


 彼女は、父親を知らなかった。

 母親の実家で育った彼女は、学費を稼ぐ為にアルバイトをしながら大検合格を目指していた。


 彼女は、優しかった。

 予備校が午前と午後にまたがる日は、忙しい中で弁当を作ってきてくれた。玉子焼きの味付けがちょうど良かった。

 残り時間、九年。僕は、初めて幸せを実感していた。


 彼女と一緒に、国立の大学に合格出来た。高校をすっ飛ばして、晴れて大学生。

 彼女の母親、僕の両親、それぞれに(ゆる)しをもらい、二人でアパートを借りた。

 大学も、バイト先も、家でも一緒だった。

 残り時間は、あと八年を切っていた。


 就職が決まった。

 小さな会社だけど、彼女の就職先とも近かった。

 就職祝いを、彼女の実家と僕の両親に貰った。

 お揃いの腕時計。銀の、丸い、革ベルトの時計。

 彼女も僕も、笑顔だった。

 残り時間は、あと五年半。



 初めての給料で、ネクタイとスカーフを買った。両親へのささやかなお礼。

 初めてのボーナスで、指環を買った。彼女への、お礼を兼ねたプレゼント。同時に、彼女からプロポーズされた。


 正直、結婚なんてする気は無かった。僕はあと五年足らずで、この世からいなくなる。

 そんな僕が、彼女の戸籍に傷をつけるのは嫌だった。

 だから包み隠さず、頭の中の数字も含めて、彼女に全てを話した。

 彼女は信じられない様子だったけれど、泣きながら話す僕の言葉を最後まで聞いてくれた。

 彼女は、こう言った。


「人間、いつ死んじゃうかなんて、みんな分かんないんだよ。もしかしたら、あたしの方が先に死んじゃうかも。でもね、だから。結婚しよう。どっちかが死んでも、残った方の戸籍に名前は残せるんだよ。いつまでも、ずっと二人の名前が並ぶの」


 彼女も、泣いていた。

 二人ともぐしゃぐしゃの顔の、締まらないプロポーズ。

 だけど、最高の気分だった。


 それから仕事も頑張って、彼女とも思いっきり笑い合った。

 同時に、生命保険にも入った。少しでも彼女に、何かを(のこ)したかった。


 冬のボーナスで、新婚旅行に行った。行き先は、夢のハワイ。

 あいにく雨の日が多かったけれど、二人で食べたパンケーキはすごく甘くて、幸せな味だった。


 それからも幸せな日々は続いた。

 同時に、頭の中の数字も日に日に減っていった。


 彼女が二十七歳を迎えた日、頭の中の数字は三桁を切った。

 あれ、と彼女が僕を見て云う。


「99って……なに」


 彼女にも数字が見えてしまったらしい。

 僕の人生の残り時間だと伝えたら、泣きながら抱き締めてくれた。


 ──とうとう、残り時間は九日になった。

 彼女と僕は、有給休暇を取った。職場に無理をお願いして、十日間。

 その十日の内、二日を使って遺書を書いた。

 両親への謝罪とお礼。

 そして、彼女へのお礼。

 彼女も俺につき合って、遺書を書いてくれた。

 けれど僕は、その遺書を見ることは無いだろう。


 残りの日々は、普通に、普段通りに、二人だけで過ごすことにした。

 幸せだけど、やっぱり恐い。

 もうすぐ僕は、彼女と会えなくなる。

 それが堪らなく寂しく、悔しい。

 震える手を、彼女は握ってくれる。暖かいけれど、ちょっぴり冷たい手。


 僕たちは、身を寄せ合って夜を過ごした。


 ついに、残りの数字が1になった。

 彼女は朝から泣きっぱなし。僕は、なるべく泣かないようにしている。

 最後に見せる顔が泣き顔になるのは、嫌だから。


 彼女は、何か食べたい物はないかと聞いてくれた。


 その時、無性に引きこもり時代が懐かしくなった。戻りたいとは思わない。けれど、久しぶりに駄菓子が食べたい。


 彼女は、そんなものでいいの? と笑って、近所のコンビニに買いに行く。



 ああ、僕はもう、彼女に逢えないかもしれない。

 あの日、僕の枕元に立った「それ」、いや、お祖父ちゃん。

 もう少しだけ、時間をください。

 贅沢(ぜいたく)は言いません。あと少しで良いのです。


 携帯電話が鳴った。

 知らない番号だった。


 急に胸騒ぎがして、手が震える。左手で右手の震えを止めて、僕は電話に出た。


 病院からだった。


 夢中で走った。

 あの夜、河川敷まで走った時と同じように。


 病室には、彼女が寝ていた。


「奥さま、妊娠してらっしゃいますね」


 確認するような口調で、白衣の男性が告げてくる。


 妊娠。

 なに。なにを言ってるんだ。

 なんでそんな最高の出来事を、死ぬ間際に知らされたんだ。

 僕はこれから死ぬんだぞ。

 それなのに、子どもが。

 僕は、まさか、この子に。



 暑い夏の日だった。

 彼女は、無事に出産した。女の子にしては、大きな赤ちゃん。

 体重は、3650グラム。


 頑張ったね。

 ありがとう、奥さん。


 僕の頭の中の数字は、あの日から消えてしまった。

 お母さんになった奥さんは、


「貴方が頑張って生きたから、きっと神さまがご褒美をくれたのよ」


 なんて笑っていた。


二年後の春。

広い河川敷に僕らは来ていた。

二歳になった娘を抱いている奥さんの横に、僕は腰を下ろしている。

広い広い川の向こう。甲高い音と共に、子どもたちの歓声が響いた。


十年前。

引きこもりだった僕は、混乱した頭を抱えて、この河川敷に辿り着いた。

そして今。

僕の隣には、幸せがある。

あのままだったら、あり得ない光景。

結局あの頭の中の数字が何だったのかは不明のままだ。

けれど、あの日の残りカウントだけは消えることなく、ずっと心にある。


 僕がいつまで生きられるかなんて、解らない。

 でも。

 いつか奥さんが言ったように、人の寿命なんて分からないのだ。

 だからこそ、明日に悔いを残さないように。


 懸命に、懸命に。


 いつでも、残りカウントは1の、つもりで。



お読みくださいまして、ありがとうございました。

ちょっと思うところあり、勢いで書いた短編です。

ご意見、ご感想などいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ