第3話 それでも、彼女は休めない。
今回は少し長いです。
すみません。
私達の乗った車が本家に到着するや否や、先程まで大人しくしていた知哉は車の戸を勢いよく開けて外に飛び出すと、家の中へと転がり込むようにして入っていった。
「ねえ、重治。彼、あんなに泥だらけだと部屋に入れてもらえないんじゃない?」
「……はあ……。」
心底あきれたといった感じで重治が額に手を当てながらため息をつく。
その重治の様子を見て、やっぱりなと私は思う。何よりも規律、伝統を重んじる彼が今の知哉の行動を黙認するわけがないということは簡単に想像できた。
「大体、姉上は皆を甘やかしすぎです。姉上のそのような言動が知哉のように責任ある立場の者たちの気を緩めてしまい、あまつさえ、己が醜態をさらしてしまっていることにも気がつかない状況を作り出している。」
重治がいつにも増して真剣な表情で、こちらを見据えながら話し出す。
まさかここでお説教タイムに入るとは思っていなかった私は少し驚いたものの、彼自身も知哉と同じミスをしていることに気がつく。
「ねえ……重治。揚げ足を取るようで悪いかなと思ったんだけど……。あなたも私のことを当主じゃなくて姉上と呼んでしまっているわよ?」
「っ!?それはっ……。」
「……。私はね、公私混同をしなければ、それで構わないと思っているの。」
私自身は経験したことがないから想像するしか出来ないが、知哉のように自分の子どもが生まれてくる時は、きっと親は他のことなど考えられないほど幸せな気持ちで一杯だと思う。
感情を素直に出せない人生なんて……。
「……そんなのつまらないでしょ?」
私が重治との話にそう結論づけたのと同時に、まるでタイミングを見計らっていたかのように運転手を務めていた坂上が車のドアを開けて「当主、足元にお気を付けください」と私に向って恭しく言う。
「ありがとう。運転ご苦労様、坂上。あなたは先に休みなさい。」
「姉上っ!あっ!当代!話はまだ終わっていません!」
「いいえ、この話はもう終わりよ。」
私は、私が出た方と反対側のドアから急いで外に出て未だに食い下がろうとする重治を宥めた。
「それに……今はもっと大切な話があるみたいよ。そうでしょ?馨……。」
そして私は、普段なら執務室で私達を出迎えているのに、今日に限って玄関まで私達を出迎えに来た当主代行である烏丸馨に向い問いかける。
「馨?……何故、ここにお前が?」
「当主ご無事のお帰り何よりにございます。本来であれば直ぐにでもお休みいただきたいものですが、一刻を争う状況でして。」
「……何かあったの?」
「……話は歩きながらにしましょう。こちらです。」
私の問いかけに対してすぐには答えようとはせず、歩き出す馨。
結局、私は束の間の休息さえ得られないまま、彼の後を付いて行くことになった。
先程よりも雨足が一層強くなった気がしたのは私だけだろうか。まるで、私の言い表せられない不安な気持ちを表しているかのような、黒く重い雨雲に私は背筋が寒くなった。
「……え、あれ。俺は無視なの?」
「ちょっと、重治?そんなところで何してるの?早く行くわよ?」
「は、はっ!姉上っ!」
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馨の話によると、本家周辺の台風の被害状況を確認しに行った馨の部下3人が付近の廃墟の中に20歳前後の若い女性が倒れているのを発見し、その女性を保護したという。
女性は憔悴しきっていたものの、命に別状はないとのこと。
「……それで?その話のどこが問題なんだ?」
馨の話を聞き、心底わからないといった感じで首を傾げる重治。
確かに私自身も馨の話に何か問題があると、今のところは思えなかった。ただ時折り、彼の横顔が酷く疲れ切っているようにも見えたため、まだ何かあるとは思っていた。
「……。実はその女性、妊娠していたそうです。」
「……妊娠……。」
確かにその部分だけでも驚くことかもしれないが、問題は……。
「妊娠していたのね……。」
「はい……。当主のお考えになられている通りです。」
「なに?……どういう……ま、まさか……。」
私達の前を歩いていた馨がこちらを振り向き、答える。
「……ええ、そのまさかです。私自身、報告を受けただけで直接確認をしたわけではありませんが。彼女は誰の助けも借りず、自力で出産をしたようです。」
「もしその話が本当なら複雑な事情がありそうね……。」
「……俺たちがいない間にそんなことが……。」
「当主が仰ったように、複雑な事情があるのは間違いなさそうです。その女性は何か……というよりも誰かが適切ですね。誰かを恐れているらしいです。」
「誰か……ね……。」
「あと、雷を非常に恐れているとも……と、言っている間に着きましたね。」
雨の中、急いで歩いたとはいえ時間にして10~15分ぐらいかかっただろうか。
私達はその女性を保護しているという廃墟に到着した。
この廃墟は柳原家の現当主の私よりも三代か四代前の、西洋文化をこよなく愛した当主によって建てられた洋館である。造りが本格的であったことから今もなお保存されているが、殆ど利用されることがなかったため、身を隠す場所として最適だったのだろう。
けど……。
「……。」
何なんだろう。
さっきから感じるこの違和感のようなものは……。
「……。」
「当主?何かありましたか?」
「……。いや、何でもない……。ねえ、重治。」
「はっ、姉上。」
「あなたは、ここで待っていてくれる?」
「それは、構いませんが。何故、お命じにならないのですか?」
「私の我儘……だからよ。」
「姉上……。分かりました。お気を付けて。」
「……。ありがとう。」
「では、当主。」
「ええ。」
結局、違和感の正体は分からないまま、私と馨の2人は廃墟の中へと入っていった。
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「あ……。」
廃墟の中に入り、馨に件の部屋へと案内されていた私は先程から感じていた違和感の正体に気が付く。
「……ねえ、馨。今回の件なんだけど。ゼウス生誕の伝説に似ていると思わない?」
「ゼウス生誕ですか。言われてみれば、確かに共通点が多いですね。」
ギリシャ神話に登場する神々の王、ゼウスは父であり、ゼウスを含む自身の子どもたちによる王位簒奪を恐れたクロノスによって、生まれてすぐに食い殺されそうになる。しかし、ゼウスの母であるレアーが機転をきかし、ゼウスの代わりに石を産着で包み込み、それを代わりに渡しクロノスの裏をかいた。そして、難を逃れたゼウスはクレータ島の洞くつで育てられたという。
「この部屋ですね。」
どうやら考え事をしているうちに部屋の前についていたらしい。
ただ、2階の奥に位置するその部屋からは人のいる気配が一切感じられなかったため、私は馨に確認する。
「この部屋でいいのよね?」
「はい、報告にあったのはこの部屋で間違いないのですが。おい、お前たち私だ。入るぞ?」
馨はそう言ってノックもせず部屋の中に入った。
私も彼に続いて部屋に入ろうとしたのだが、なぜか彼は無言で入り口付近に立ちつくてしまいそのまま動こうとせず、部屋の中が見えない。
そのため私が脇にずれて部屋の中を見ようとした時だった。
グチャ、という音と何かを踏みつけたような鈍い感触が足に伝わる。
「……え?」
そして、前を向いた私の目に部屋中に飛び散った肉片が映る。
「っ!当主!お下がりくださいっ!」
先程まで呆然と立ちつくしていた馨が我に返ったのか、銃を構えて私を守ろうとする。
「……馨。落ち着いて。この部屋には私たち以外誰もいないから。」
「しかしっ!」
「大丈夫。もう見たから。」
「当主……。あの力を……。」
「私は大丈夫だから、重治をここに……。」
「……。分かりました。」
そう言って踵を返して部屋を出て行った馨の目には涙が溢れていた。
私が生まれた時から共に育ち、私に仕え続けてくれている彼とは30年弱の付き合いになるが、今まで彼の泣いている姿など見たことのなかった私は、心が張り裂けそうになった。
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「……。」
馨が部屋を出て行った後、私はせめてもの弔いとして無残に殺されてしまった馨の部下の3人、それぞれに手を合わせようとした。
「そう言えば……。例の女と子供がいない……。」
部下たちの遺体をみて動揺していたのか、私は今になってそのことに気が付く。
考えたところで結局、結論など出るはずもなく入り口の近くにいる者から手を合わせ、最後の一人になった時。
「……と、う主……。」
私が近づいた最後の1人は心臓の上の部分がえぐられていたが、まだ微かに息があったらしく私に向って声を絞り出すようにして話し出す。
「っ、まだ息が!しっかりしなさい、今助けを呼ぶから!」
「……お、聞き、く、だ……い……。当……じゅ……。」
「ええ!大丈夫っ!聞こえているわ!」
「じ、下に……。下……に……。」
「下……。この下に行けばいいのね。分かったわ。大丈夫。あなたたちは立派に務めを果たしたわ。私の自慢よ……。」
「……あり、がと……う……ござ……い……ま……。」
「……。もう喋らなくていいわ。ゆっくり……ゆっくり休みなさい……。」
最後の力を振り絞り、当主への報告という任務を全うした彼は安心したようにゆっくりと目を閉じ、静かに息を引き取った。
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「こんなところに階段があったなんて……。」
彼の言葉通り、彼の横たわっていた場所には下の部屋に続く隠し階段があり、私はその階段を1人で降りていった。
そして、私はこの後。
運命というものを感じる出会いを体験するのだった。
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