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前世の因縁、今世は他人

作者: みりん

 あたしはナイフを手で弄びながら、奇麗な顔をした男を見下ろした。

 着ている服を売っ払うだけで、一週間は食うのに困らないだろう。それなら身に着けている指輪やイヤリングを売れば? 想像するだけで小躍りしたくなった。知らず口角が上がる。

 あたしが上機嫌なのを見て取って弟も愉快そうだ。


「ねえさん、いい獲物が見つかってよかったね」

「そうだね。お前、運が悪かったと思って諦めるんだな。ああ、神サマとやらに祈りを捧げる時間をやろう」


 あたしは男の胸ぐらを掴んで引き寄せ、慈悲深く言った。普段なら一呼吸する間に殺してしまうが、いい思いをさせてもらえるのだから情けをかけてやることにしたのだ。

 ほら、早くしな。片手に持ったナイフで男の頬をぺちぺち叩いて促すが、男はあたしを凝視したまま一言も発しようとしない。口がわなないているのは恐怖のせいだろう。

 あたしはすぐに面倒になった。気まぐれを起こしたことを後悔し、やっぱりさっさと殺そうとあっさり気を変えた瞬間。

 男がようやくその乾いた唇を開いた。 


「マリア、君はマリアだろう?」

「はあ? こいつ、何言ってるんだ」


 弟が胡乱げに男を見る一方、あたしは男と至近距離で目を合わせたまま硬直した。

 ねえさん? と訝しげに呼ぶ声にも応えられない。


 怒涛のように頭の中を映像が流れる。

 今瞳に映しているこの男とあたしが仲睦まじく手を繋いでいた。

 あたしはお姫様のようなドレスを着て、男と笑いあう。

 幸せそうに目を細める男と見つめあったのち、私たちは顔を近づけ――


 あたしは突然脳みそを掻き混ぜられるかのような激痛に襲われ、思わず頭を押さえてしゃがみ込んだ。


「あああア……!!!」

「ねえさん!?」

「マリア!」


 気を失う寸前、伸ばされた手は誰のものか。

 大勢の足音と怒号を最後に聞いた気がした。





 気がつくと清潔で柔らかいベッドに横たわっていた。汚れがついてしまわないだろうか。金を請求されても困る。

 しかしながらその心配は杞憂だったとすぐに知ることになった。立派な調度品が並ぶ中でも、特別絢爛で大きな姿見に自然と目を奪われたあたしは、そこに映る自分の姿に唖然とした。


「……なんだこれは」


 白色に近い布は高級品で、己はもちろん周りに暮らす人間でも着ているのを見たことはない。小金持ちでも真白の服は簡単に手が出せないのである。

 それがどうだ。一切の色を寄せ付けない純白の服に身を包み、あれほど泥に塗れていた顔は久しぶりに自前の肌色を晒し、爆発して櫛など通りようのなった髪は何をどうやったのかサラサラと肩に流れている。

 現状を認識したとたん、背筋に怖気が走った。気持ち悪い。これはあたしじゃない。これはあたしの世界じゃない。

 自分の身を守るように両手で抱き締めると、タイミングよく扉が開き、見た覚えのある奇麗な顔した男が現れた。

 あたしが目覚めているのを確認して破顔する。


「マリア! よかった、気がついたんだね」

「あたしをそんな名前で呼ぶな」

「じゃあ君の名を教えて?」


 あたしは無言を返した。男は食い下がろうともせずに肩を竦める。最初から素直に答えると思っていなかったんだろう。


「今の君の名前を教えてくれないんだったらマリアと呼ぶしかない。僕にとっては君はマリアなんだから間違いでもないし」

「……目的はなんだ。金なら持ってない。警邏に引き渡すならとっくにしてるだろうし、奴隷にでもするつもりか? それとも変態貴族野郎に売るのか?」

「……その顔でそんな蓮っ葉なことを言われると、なんだか興奮しちゃうな」


 こいつが変態だったのか。あたしは頬を赤らめる男に軽蔑の眼差しを送った。

 そもそも自分を殺そうとした相手とよく普通に話す気になれる。貴族なのだからそれこそ処刑台送りにして当然だというのに。よりいっそう気味が悪い。


「君は覚えていないようだけど、僕はずっと君を探していたんだ」

「人違いだな」

「本当に? 僕と会って、何も感じなかった?」

「……」


 あたしは答えられなかった。走馬灯のように一瞬で駆け巡った映像には、間違いようもなくあたしと男が映っていた。

 無言の意味を過たず捉え、男はよかったと頷く。


「やっぱり、全く覚えていないわけではないんだね。君はマリア。前世では僕の伴侶だったんだ」

「頭がおかしいんじゃないか」

「よく言われる。でも実際に君を見つけた。僕の妄想ではなく事実だったんだ」

「お前の妄想上の女にたまたまあたしが似ていただけだ」

「違うよ。君の魂の色は変わらない。清廉な色だ」

「はっ」


 思わず鼻で笑ってしまった。人を殺したことのある女に対して清廉とは、目が腐ってるんじゃないだろうか。

 そこであたしはようやく唯一の身内のことを思い出した。


「弟はどこにやった!?」

「ああ、君はどこだと五月蝿いから別室に閉じ込めてるけど安心して。悪いようには扱ってないから」

「今すぐ会わせろ」

「それはできないな。会わせたらすぐ逃げちゃいそうだし」

「……お前の目的はあたしなんだろう。弟は自由にしてやってくれ……お願いします」


 屈辱感を抑え頭を下げたあたしに、男はんーと考えるそぶりを見せた。


「君に逃げる様子がなければ、そのうち会わせるよ」

「……わかった」

「僕の名前はルーシ。好きなように呼んでくれ。とは言ってもお前では寂しいけど」

「わかりました……ルーシさま」


 あたしはしばらくの間大人しくしておけば、そのうち男も油断するだろうと思っていた。その考えは楽観的すぎたとすぐに思い知らされることになるが。




 ルーシは約束通り、10日ほど経った頃に弟と会わせてくれた。弟はあたしの変わり果てた姿を見て呆気に取られていた。あたしは何も言うなと首を振る。

 この機に逃げる算段を立てるつもりだったが、侍女どころかルーシまで同席したため相談できず終わってしまう。弟のみが解放され、あたしはどうにか脱出できないかと情報を集めることにした。

 見張りも兼ねた侍女は5人。常時いるのはそのうち2人。ドアの外に護衛が一人。窓の外にも一人。何か武器でもない限り、突破するのは不可能だ。持っていたナイフは当然奪われているし、食事用のカトラリーすら手元には残されない。お手上げだ。


 進退窮まったあたしがどうしたかというと、運が悪かったと思って諦めることにした。


 ルーシは忙しい時間を縫ってあたしに会いにくる。どうやら結婚するためにあたしの身分をどうにかするつもりらしいが、上手くいかないようだ。当たり前だろう。

 夜が深くなり始めた頃、ドアが遠慮がちにノックされ、近くに立っていた侍女が静かに扉を開いた。ルーシが入ってくると入れ違いに侍女は出て行く。


「眠っていたのに起こしてすまない」

「いや、いいよ。うとうとしてただけだし」


 半年も経てばあたしの下手くそな敬語は剥がれ落ちていた。ルーシもその方が嬉しそうなのでいいってことなんだろう。

 ルーシはベッドの上で身を起こしたあたしに近づき、触れるだけのキスをする。あたしは大人しく受け止めた。結婚するまではと体を迫ろうとしてこないところは尊敬に値する。

 いそいそと隣に潜り込むと、男はあたしの髪を撫でて頬に手を添える。愛おしいという想いを隠さずにあたしを見つめ、あたしはいつも通り居た堪れなくて目を俯けた。

 こんなはずじゃなかったんだがなあ。男の押しの強さに負けて絆されているのを自覚していたが、悪い気はしなかった。

 マリアとやらの記憶に引きずられている面も少なからずあるだろう。ルーシと話していると、ふいに女の記憶が蘇ることがあった。


 ある日は草原に散歩に行き花をたくさん摘んだ。

 また別の日は夜空を見上げて一際輝く星を指差した。

 寒い日には身を寄せ抱き合い暖め合った。

 最期は……来世でも一緒になろうねと笑い合った。


「どうかした?」


 ハッと息を呑み込んだあたしに、ルーシが心配そうに聞いてくる。あたしは何でもないと首を振った。

 そのうち隣で静かな寝息を立て始めたのを見て、あたしは男に向き合った。

 絶対に起こさないよう微かな声でそっとささやく。


「一度だけ言うよ。あたしの名は……」





 それから半年後、あたしはルーシの元から逃げ出した。邸に出入りする人物に目を付けた弟が外から助けてくれたのだ。一年経って侍女や護衛たちがようやく油断してくれたのも大きい。

 夜霧に紛れて塀を越え、しばらく走ってからあたしは振り返った。


「バイバイ、ルーシ」


 あんたといるのも結構楽しかったけど、あたしは別の世界で生きてくよ。

 あたしの名だけ抱いて生きていきな。


 弟が名を呼ぶ声に、あたしは再び走り出した。

ルーシは地の果てまで追いかけるでしょうが、女は望んじゃいません

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