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南北朝・オブ・ザ・デッド

 遠い昔、西行という法師がいた。

 彼は高野山に住んでいた頃、彼は何を思ったのか、野原の死人の体を集め並べ骨に砒霜(ひそう)なる秘薬を塗り、反魂の術により人を作り出そうとした。

 だが出来上がった「それ」は、見た目は確かに人ではあるものの、血相が悪く声もか細く魂も入っていないものが出来てしまった。彼は落胆し、「それ」を高野山の奥に捨ててしまったという……。

 ――しかし噂によると、「それ」を作る技術はそもそも秘術として伝わっていたものであり、未だ密かに継承され続けているともいう……。


 さて、時は下り鎌倉の幕府が滅びた後のことであった。

 一度は共に幕府を倒し、建武の新政の樹立に貢献した後醍醐天皇ら皇族・貴族と足利尊氏ら武士団であったが、貴族を過度に重んじ功績のあった武士団を軽視した政策により、次第に武士の心は帝から離れていった。

 やがて後醍醐天皇に反感を抱いた武士達は尊氏を立て、また、帝に未だ従う武士達もおり、再び日の本は戦場となった。

 そんな折のことであった。

「はぁ……」

 新田義貞は落胆していた。

 彼はかつて帝側の指揮官として、対足利戦の最前線にたっていた。しかし、彼と楠木正成の連合軍は、帝側によって九州へ追われていたはずの足利軍に湊川の戦にて打ち負かされ、帝は比叡山まで逃げる事態になっていた。さらに新田軍は、よりによって帝側の切り札である楠木軍を実質見捨てて敗走する形となってしまい、結果、楠木正成・正季兄弟を自害に追い込んでしまった。

 それだけではない。帝側が比叡山まで逃れたことにより、足利軍は光厳天皇を奉じて京へ入ってしまっていた。その後、新田軍などが京を奪還しようと奮戦したものの、逆に劣勢に立たされ、名和長年、千種忠顕らの重要人物が次々と討たれてしまった。よって、後醍醐天皇は吉野へ逃れ、南朝を立てる事態となった。

 さらに義貞に追い打ちをかけたのは、後醍醐天皇の勝手な尊氏との和解だった。これにより実質彼は帝から切り捨てられる形となり、恒良親王と尊良親王を奉じて敦賀へ逃れる羽目になってしまった。

 新田義貞は、すっかり孤立してしまっていた。

「一体私が何をしたというのか……」

 ここまで追い詰められたら、このような弱音も出てしまうというものだ。

「そう落胆なさらないで下さい、父上」

 隣にいた彼の嫡男、義顕がにこりと笑う。

「ただ運の流れでそうなっただけです。父上が悪いというわけではないでしょう」

「そうです。運が向いてきたら我らにも追い風が来ることでしょう」

 義貞の弟である脇屋義助も続ける。義貞も、曇りは晴れなかったものの、優しい微笑みを垣間見せた。


 ――だが、それからほどなくして、金ヶ崎城は足利の軍勢に包囲された。

 新田勢も負けてはいない。斯波高経率いる軍に囲まれようとも蹴散らし、足利勢が大量の軍勢を差し向けようとも、一時はむしろ義貞が優勢なくらいであった。

 しかし、確実に兵糧は日に日に尽きていった。兵は飢餓に苦しみ、心身ともに疲弊していった。気づいたら、包囲から半年近く経っていた。

 そんな時であった。

 ――初めに気付いたのは見張りの兵だった。

「……何だありゃ」

「どうした?」

「ほら、あれ……」

 一人が指差す先を見やった兵達の顔から血の気が引いた。


「殿!見張りの者より急報が入りました!!」

「何だ! 敵襲か!?」

 倒れんばかりに脚をもつれさせて駆け込んできた伝令に、義貞は膝をつき傍らの太刀に手をかける。

「いえ、違うんです!!それが……」

 そこで伝令が口をつぐむ。

「……恐らく信じていただけないでしょうが、手討ち覚悟で申し上げます」

「たとえ信じ難い事であろうとも、真実を言えば手討ちなど致しません。敵襲とあらばもう時間は無い。早く言いなさい」

 義助の言葉に覚悟を決めたのだろうか、伝令が重い口を開いた。

「……死体が歩いておるのでございます」

「……死体が歩いておる……だと!?」

 さしもの義貞も驚愕を隠せない。傍らの二人も動揺を露に顔を見合わせる。

「それは真か?」

「はい。複数の物見が何度も何度も確認致しましたが、いずれも半ば腐った死体が歩いておるという結論に至りました」

「その死体が、城を襲っておるというのか?」

「左様でございます。初めは足利軍を襲っておりましたが、その一部がこちらへ流れてきておるようでございますが、一部と言いましても溢れんばかりの大群でございまして、今や城の周りを埋め尽くしておるという状況でございます。近くの兵が防御にあたっておりますが、厳しい状況かと……」

「分かりました、私が確かめに行きましょう!!」

 声を上げたのは義顕だった。

「何を言っておるのだ義顕!?」

「たとえ歩く死体であろうと生きた人間であろうと、兵が足りないのは事実です。新田の嫡男も共に戦うとなれば、兵の士気も上がるでしょう。この城には親王様もおらせられる、落とされるわけにはいきませぬ!では、行って参ります!!」

「おい! 待て義顕!!」

 義貞が呼び止めるもむなしく、義顕は鎧を着込むなり城門の方へと向かって行った。

「兄上、私達も向かいましょう。このまま、義顕様を一人にさせるわけにはいかないでしょう」

「う、うむ、そうだな……」

 鎧を着こむや否や、すぐさま城門に向か――おうとするが……おかしい。何やら異様に騒がしい。

 疑念と不安を胸に押し込むように太刀を固く握り締め、城門へと向かう。

――そこには異様な光景が広がっていた。

「父上……」

 勇敢なはずの義顕が、半べそをかいている。

 勇猛なはずの東武者が、ひどく怯えている。

 皆臆病風に吹かれながらも必死に敵に矢を浴びせかけるが、敵が減ることは無い。怯んでいる間にも、敵は城門を押し、こじ開けようとしている。

 その視線の先にあるものは、足利軍ではない。城の周りを埋め尽くさんばかりに溢れる「それ」は、皮膚が腐敗して変色し、目は白く濁り、唇が腐り落ちて歯が剥き出しになり、服は血塗れで裂けて襤褸(ぼろ)になっており、何より皆一様に生身の人間なら致命傷となっているであろう惨たらしい傷からだくだくと黒ずんだ血液を流してながらも、ズルズルと足を引きずり歩いていた。

 紛うことなき、歩く死人であった。

「何ということだ……!」

 義貞と義助も矢を放ち加勢するも、眉間や胸などに急所となるはずの箇所に矢が幾重にも刺さっているにも関わらず、敵は動きを止めずに城門に押し寄せてくる。

 すると一角で、死人が城壁をよじ登り城内へと侵入した。

「畜生!!」

「お、おい待て!!」

 一人の武者が、痺れを切らしたのか、制止する仲間を振り切って死人に飛びかかり、太刀で死人の首を掻き切った。

 死人の首が土に転がる。

「どうだ!死人であろうが何であろうが、首を斬れば終いだろう!」

 武者が誇らしげに死人の首を掲げた――その時だった。

 死人の首が目を見開き、ぐるりと顔を武者に向けた。

「ひっ……!」

 怯む武者の背後から、別の死人が襲いかかり、その首の肉を噛みちぎった。

 喉が裂けるような絶叫を上げる武者に、さらに城内へと侵入した死人達が折り重なるように食らい付いていく。

 やがて、死人の間から覗いていた武者の手が力無く落ちた。

 城内の武士達は、戦い慣れした義貞達でさえも、目の前で人間が食われてゆくのをただただ蒼白な顔で見つめる事しか出来なかった。中には、小便を漏らしている者もいた。

「ひ、怯むな! 何としてでも侵入を防げ!」

 震える唇を噛み締め、上ずる声を精一杯張り上げた義貞の号令に、兵士達ははたと我に返り、恐怖を振り払わんと雄叫びを上げながら死人に斬り掛かる。

 その刹那、食い殺されただの肉片と成り果てたはずの武者が起き上がり、味方であったはずの兵の首に食らい付いた。

「敵に背を向けるな!! 腕を落とそうと脚を落とそうと構わぬ、敵の動きを封じよ!!」

 命じながらも、義貞は目を皿のようにして敵を睨んでいた。

 先程の首を斬られた死人の胴が目に入る。あれ程首が動いていたというのに、胴は未だぴくりとも動いていない……。

「――義助」

「え、はい」

「すまんな、少しばかり無茶をするぞ!!」

 言うなり、義貞は走りざまに太刀を抜き、死人目がけて突っ込んでいった。

 そして、彼に襲いかからんとしていた死人の脳天に刃を振り下ろし、頭蓋骨を二分に叩き割った。

 死人は、地の底より響くような断末魔の叫びをあげながら地に伏し、そのまま動かなくなった。

「やはりな……」

 兵士達が皆息を呑む。

「皆の者! 死人共は不死身ではない!! 頭だ!頭を狙え!!」

 相手は不死身ではない――そう知って勢いを盛り返した兵士達が、弓を捨てて太刀や鈍器で次々と死人を屠っていく。死人は次々と侵入してくるが、それくらいの敵なら何とか倒せる。一気に、そう、一気に攻めてこられさえしなければ――。

 そう思った矢先だった。

 何か、音が近づいている。

 規則正しい何かが走るような音が、城門へ近づいてきている。それはまるで、馬の蹄のような……。

 その刹那、破壊音と共に人間の体長ほどの黒い物体が突進し、城門が打ち破られた。

 物体――皮膚が腐り骨が露わになった馬は、甲高い(いなな)きを上げて血が噴き出し脳が剥き出しになった頭を振って兵士達めがけて躍りかかり、それに続くように死人達が破られた城門から堰を切ったように城内へなだれ込んできた。

「兄上!!」

「皆の者!!城は捨てよ!!退けぇ!!」

 もはや打つ手はない。義貞は叫ぶなり、辺りに視線を巡らせ義顕を探す。

 しかし――

「よ……義顕……」

 義顕は、死人達に囲まれていた。

 その肩からは鮮血が湧き出している。

「義顕!!」

「あ、兄上!!」

 義助の制止を振り切り、義貞は死人の群れへと突撃した。

 死人が新たな肉へ群がる。彼はその群れを斬り捨て斬り捨て、ただ前へ突き進む。

 そしてついに、義顕の元へとたどり着かんとした――その時だった。

「父上、後ろ!!」

 義顕の声にはっと背後を振り返るも――遅かった。

 目の前には、鋭い爪を光らせた死人がいた。

 死人が腕を振り下ろす。肩からごっそりと肉が削られ、鮮血が噴き出す。

「父上!!」

 義顕の声が遠く聞こえる。その叫びが絶叫に変わる。彼の首に死人が牙を立てているのが朧気に見えた。助けよう、そうは思うが体が動かない。再び馬の嘶きが聞こえる。今度は馬上に人が乗っている……いや、あれも死人だ……いや、あれはもしかして……。

 そして、目の前が暗闇に落ちた。


「うわぁ……」

「これは酷いな……」

 すっかり崩壊した金ヶ崎城を前に、高師泰、斯波高経ら足利軍は呆然としていた。

 城内はすっからかん破壊の限りを尽くされ、今もなお死人達が彷徨い歩いている。

「何だこれは、屋根の下で休める場所が無いではないか」

「いやそういう問題じゃないっすよ」

 飛びかかってきた死人の頭を一太刀で叩き割った師泰が、場違いな苛立ちを露わにする高経に肩を竦めた。

「しかしあれですかな師泰殿、こやつら、私達を襲った連中ですかな」

「多分そうだろな。こんなのがそこらにいてたまるか」

 仁木頼章が言うように、実は足利軍もまた死人に襲われていた。

 大軍というのが幸いし何とか蹴散らせたのが、そのまま金ヶ崎城になだれ込んだようだ。

「それにしても……これどう報告します?絶対誰も信じてくれないですよこんなの」

「死人とっ捕まえて顎引っぺがして御所様にでも見せようぜ。師直兄貴辺りなら何か知ってるかもしれねえし」

「おい、貴様等黙れ」

「はーい……」

 不服に口を尖らせつつ、師泰と頼章は抜き身の刀片手に軍勢を引き連れ城内へと入っていった。

「絶対あの人私達の事馬鹿にしてますよね?」

「気にする必要はねえよ。今の御時世、ああいう奴から墜ちていくからな。いい身分であろうと天狗になると追い落とされるからな」

「……その言葉、貴方にそのままそっくり返しますよ」

「ふん」

 軽口を叩きながらも、二人の軍勢は残る死人達を斬り捨てていく。

「先日の大軍が嘘のようですな」

「おぉ。これならいけそうだ」

 ほっと胸を撫で下ろした――その時だった。

「!!」

「おいおい何だよ!!」

 突如、物陰より死人の群れが現れた。

 前からだけではない。横から、後ろから、さらに上から死人が溢れる。

「待ち伏せですか……!?」

「脳が腐ってやがるのに知能戦が出来やがるのかよ……!」

 そこで彼らは気が付いた。ただただ集まっただけの群れにしては統率が取れすぎている事に。

「頼章はこやつらを片付けろ!!俺は大将を見つけ出して叩く!!」

「え、師泰殿!?」

 戸惑う頼章を尻目に、師泰は死人を薙ぎ倒し叩き斬り、大将格と思しき人物を探し城の奥へと突き進む。

 背後より聞こえる悲鳴には振り返らず、ひたすら敵の頭を追い求める。

 やがて、金銀で飾られた部屋に突き当たる。

 そこには、人影があった。

 後ろを向いているが、やはり肉は腐り変色している。死人だ。それも、一際きらびやかで損傷の少ない甲冑を纏っている。指揮を取れるとしたらおそらくこの者達だろう。

「おい貴様!! 俺らを襲っただけでなく手柄まで横取りしやがって!!何のつもりだ!!」

 背中にそう怒鳴りつけるも、人影は振り返らない。

「おい!! 聞いてるのか!! 耳まで腐ったか死に損ないが!!」

 すると、人影は静かに振り返り――


 数日後、京の尊氏の元に、高経らの軍が帰参したとの報が届いた。

 既に勝報は届いている。長い城攻めから帰った将を労おうと、尊氏達が将を部屋に通すと――

「ご、御所様……」

 入ってきたのは、満身創痍で憔悴しきった将達だった。中でも、体中に血が滲んだ包帯を巻き付け虚ろな目で宙を見つめる頼章と、ぐったりした体を彼に支えられて包帯を巻いてもなお頭や肩から血を滴らせ力無く足を引きずる師泰の痛々しさといったらなかった。

「御所様……ただいま帰りました……。このような姿を晒し申し訳……」

「そ、それは気にせんで良い!! と、ともかく早う座れ!頼章と師泰はもう寝ておっても良いぞ!」

「有り難き……師泰殿……着きましたよ……」

「…………」

 頼章は、返事をする気力すら失った師泰を床に横たわらせる。勇猛な師泰の変わり果てた姿に、婆娑羅者と陰で噂されている兄、高師直もさすがに戸惑っている。冷静沈着で知られる尊氏の弟、直義でさえも困惑を露わにしている。

「どうした。なぜ勝ち戦だというのにこのような有り様なんだ。一体何があったのだ」

「戦自体は勝ち戦でした。ただ、その後不測の事態がありまして……」

「盗賊にでも襲われたか?」

「盗賊ならすぐ倒せます。もっと厄介な奴でございます。……おい、あれ持って来い」

 すると、部屋に何やら子供の背程の箱が運ばれてきた。

 中から唸るような声が響き、箱ががたがたと揺れている。

「おそらく、歩く死体に襲われたと言っても信じていただけないと思ったので証拠を持って参りました」

 頼章が箱の側面を開けると、その内には格子があり――その奥では、顎と手足をもぎ取られた死人が暴れ呻いていた。

「げっ!」

 師直が思わず声を上げる。直義も顔面を蒼白にして後ずさる。危機的状況でもなお笑みを絶やさない尊氏でさえも表情を引き攣らせる。

「そ、そやつは不死身なのか……?」

「いいえ、死にます。頭をやられたら死にます。ただ、首を切り離しただけでは死にません。頭を砕くのでございます」

「そうか……、師直! 郎等を呼び集めよ! 緊急で軍議を開くぞ!!」

「はっ!」

「それと……お前達も出られる者は出てくれ!」

「え、はい!」

 急に呼び出された郎等達が慌ただしく入って来、騒がしくなる。

 ――ただ、師直と同じく婆娑羅者と言われている佐々木道誉だけは、なぜか平然としていた。


 義貞が目を覚ましたのは、古びた一室であった。

「兄上!気がつかれましたか!?」

 枕元には義助が座っている。

「本当に良かったです! 兄上が死人に襲われた時にはどうなるかと……」

 顔を(ほころ)ばせる義助を横目に、義貞は辺りに視線を巡らせ、小さく呟く。

「……義顕は……義顕は、どこだ……?」

 途端、義助は顔を曇らせ、首を横に振る。

「義顕様は、死人に首を噛まれてしまい……それでもお助けしようと致しましたが、義顕様が、私より父上をお助けしてくれと死人の群れに……」

「そうか……」

 義貞は力無く溜息を吐き、目元を手で押さえる。

「私は、あやつを守れなかったのだな……」

「…………」

 ただただ、雨が廃寺の瓦を叩く音だけが響く。

 ――その時だった。

 雨音に混じり、甲冑が擦れ合うような音が近づいてきた。

「……敵でしょうか?」

「私が見てくる」

「何を仰せになるんですか兄上! ただでさえ危険ですのに手負いではないですか!」

「大丈夫だ。傷は痛んではいない。それに今宵はいつも以上に夜目が利く」

 そう言うと、義貞は太刀を手に音の方へ向かった。

 障子の向こう側、稲光に照らされて人影が映っている。

「何者だ」

 返ってきたのは、ひどく掠れた、しかし聞き覚えのある声であった。

「もし……父上……」

「……!!義顕!?」

「え、ちょっ!兄上!?」

 障子を開けようとする義貞を、背後から義助が羽交い締めにする。

「何をする義助!!」

「義顕様は死人に襲われて亡くなったはずです!義顕様が生きてここまで来られるなど有り得る訳――」

「化物であろうと何でもいい! ただ、こやつが義顕かどうか確かめずにいられるか!!」

 義貞が義助の腕を振り払い、障子を開ける。

 そこには――確かに、義顕がいた。

 ――ただし、面影こそ残っているものの、肌が酷く青白く体中の血管がくっきりと浮かび上がった異様な様相で、体中の傷の周りの血管が醜く浮き出し、そこから黒ずんだ血液をだくだくと滴らせた、異様な姿で。

「義顕……」

 義貞も歴戦の将、義顕の傷が致命的であり、生還するなど有り得ないと既に理解していた。

 それでも彼は、死した息子の冷たい体を優しく抱き寄せた。

「よう帰った……よう帰って来た、義顕……」

「父上……」

 まだ人間としての自我は残っているのか、義顕は無防備な義貞を食らおうとはせず、彼の胸に身を委ねた。

「おい誰か酒を用意せよ! ……この雨の中寒かったであろう。さ、中に入れ」

 親子仲睦まじく部屋へ入るのを、義助はどこか浮かない様子で見送った。

 ……再会の酒宴が終わった後、義助は、義貞の包帯を替えようと、血が滲んだ包帯を外す。

 彼の痛々しい傷に触れて、義助は何かを確信した。

 義貞の傷からはくっきりと浮き出た血管が張り巡らされており、その傷の周りは酷く冷たく酷く青白かった。

 それは正に、義顕と同じように……。


「……おい、師泰。いつまでへたっている」

「……兄上」

 あの事件から 既に一月あまりの時が過ぎていた。

 しかし、未だ師泰や頼章の容態が回復に向かわない。

 否、より正確に言えば、肉体は回復している。しかし、肝心の精神の回復が悪いのだ。

 師直が彼の回復に焦るのには理由がある。

 近頃、死人の軍による襲撃が相次ぎ、既に多くの犠牲者が出ているのだ。

 大軍を送ろうとも対策を考えようとも、歩いてやってくる死の恐怖に勝てず、ただただ慄くばかりであった。

 もっと優秀な将が必要だ……。そうなると、師泰に鉢が回ってくるのも時間の問題だった。

「お前には御所様も期待をかけている。早く正気に戻れ。それとも、死人以外に何か不測の事態でもあったのか?」

「……不測の事態ばかりですよ……。もちろん、死人に遭遇したのも堪えましたが、それ以上に厄介な事がありまして……」

「何だ」

 そこで、師泰は口をつぐむ。

「どうした。早く言え。例え嘘のような話であろうと気にせぬ」

すると師泰は意を決したように口を開く。

「先日話しました死人の司令…………楠木正成殿であったのでございます……」

 師直が目を見開く。

「……それは真か」

 その声は震えている。無理もない。楠木正成、幕臣時代、建武の新政後共に、足利を苦しめた因縁の人物である。

「ええ……幾度となく見た顔ですから、俺も忘れませんよ」

 ここで師直ははてと首を傾げた。正成が死んだ時、果たして死人は近くにいただろうか――否、有り得ない。正成を倒した湊川では死人など見なかった。例え別働隊が目撃していたとしても、死人の存在を隠す利点が見つからない。

 そうなると、可能性は限られてくる。

「……分かった。御所様に報告しよう」

 師直は、苦々しい面持ちで部屋を出た。

 尊氏の部屋に向かう最中も、彼は推測を巡らせていた。

 嫌な予感が、頭をよぎった。

(――まさか、例の死人は、人為的に作られたものなのか……?)


 戦況は、南朝に不利に動いていた。

 しかし、その状況が変化する。帝の重臣である北畠親房の嫡男、顕家がついに上洛の途に着いたのだ。

 顕家は、尊氏にとっては鬼門中の鬼門だ。事実、彼は足利軍の猛攻撃を次々と蹴散らし、確実に歩を進めていた。

 しかしそれでも足利軍の大軍に兵力を削られ、一時撤退していた。

 次に彼が考えるのは、もちろん身近な味方である義貞との連携だ。幸い、北畠軍には義貞の次男である義興もいる。

「まだか? まだ義助殿からの連絡は無いか?」

「来ましたが、また断られました」

「何!? 何を考えているのだあの人は!! 孤立するのは互いの利に合わないはずだ!!」

 顕家もかなり焦っている。少しでも判断を誤ると帝さえも危ない状況なのは、彼も百も承知だ。

「いえ、今回はどうやら今までと少し様相が違うようでございます。少しばかり信じ難いのですが……」

「……何?」

 急いで手紙を開く。途端、顕家は目を見開いた。

『このたび書状を戴いた援軍の件、大変感謝している。しかし、誠に遺憾ながらお断りさせてもらう事にした。

 もちろん、顕家殿の実力があれば戦況は好転出来ると考えている。ただ、顕家殿を我が軍に迎えられないのには度し難い事情がある。どうやら納得してもらえてないようなので、嘘だと笑われる覚悟で理由を書く事にする。

 まず、貴殿は、昨今都周辺で歩く死体が人間を襲うという事例が少なからず報告されている事をご存知であろうか。こちらにも今まで特別情報は入っていなかったのだが、どうやら情報操作が行われているようで、死人の目撃情報は多数存在する。

 死人はただの歩く死体ではない。人を食べようととし、噛まれたり襲われた人間は傷の深さに関わらず人を死人と変える病に感染するようで、たとえ生き残ろうともいずれ死人となり人を食らう存在と成り果てるようだ。

 ――私と義顕は、死人に襲われ、どうやらこの人を死人と変える病に冒されててしまったようだ。

 今の所は私も義顕も理性を保っている。しかし義顕のは進行が早く、人肉への飢えは当人に止められない程に膨れ上がっており、時折、不死身となったらしき私の体を食わせて何とか正気を保たせている状況だ。

 そこで、不用意に貴殿を迎えて、貴殿にまでこの病をうつすのは不適当だと判断し、援軍の件はお断りさせてもらった。ただ、都周辺での異変という事で、帝が危険に晒されている可能性は大いにある。もちろん、貴殿が赴くであろう戦場でもだ。どうか、道中気を付けてもらえるようお願いしたい。

 最後に。

 どうやら私は長くないようだ。

 死人より受けた傷が私を蝕んでいるようだ。私の亡――』

 義貞とは思えない弱々しくかすれた筆跡。意識を失いながら書いたような歪な文字。力尽きたのか、「亡」の後には筆を引きずったような線が伸びている。――どれをとっても、義貞の精神が危機的状況にあるのは一目瞭然だった。

「……どうなさいますか?顕家殿……」

「……この状況では、義貞殿は自らの事で精一杯だろう。私が何とかしよう」

「死人の件は……」

「義貞殿は嘘をつけないお人だ。信じられない話ではあるが、警告には従った方が良いだろう。わざわざ法螺を吹いて私を避ける意義など無いだろうしな」

「……承知致しました」

 義興が下がった後、顕家は物憂げに脇息にもたれかかり頬杖をついた。

「一体、何が起こっている……?」

 その頃、北朝でも動きがあった。

「……もし、京極殿」

「おや、これはどうなされた執事殿」

 師直が呼び止めた相手、それは先日思わせぶりな反応をしていた佐々木道誉だった。

「少し場所を変えてしばし話をしたいのですが……」

「おやおや、隠し事ですかな」

 本当に性質が悪い――師直は肩を竦める。

「おや、もう牡丹の季節ですか」

 庭に、牡丹が大輪の赤い花が咲いていた。

「まるで、死人が求める赤い生き血のようですなぁ」

「……っ」

「それで、話というのは?」

「分かっているのでしょう?その死人の話です」

「おやまあ」

 師直が珍しく身を乗り出す。

「……京極殿、貴方、死人について、何か知っているのではありませんか?」

「い、いやぁ私はただの武士ですよぉ、そんな事――」

「はぐらかさないで下さい!!」

 師直が声を荒げる。さすがに面食らったのか、道誉も動揺を隠せないでいる。

「分かりましたよ、私が知っている範囲でお話しますよ。――ときに執事殿、西行法師が人造人間を作り上げたのはご存知ですか?」

「知っています。朝廷の秘術を試してみたものの醜いものしか出来ず、高野山に捨てたとか」

「……その秘術が、今も尚伝えられていたとしたら……?」

 訝しげな師直の前に、巻き物が広げられる。

「実は私がこの事を聞くのを予測していたでしょう」

「さぁ。さて、これは、朝廷に伝わるという秘術の写し、そしてこれがさらにその基となったという秦河勝の書状の写しです」

 見ると、砒霜や変若水など見慣れない語句が並んでいる。

「なぜこれをお持ちなんです?」

「私にも色々あるんですよ。色々」

「はぁ……」

 笑みを崩さない道誉に深入りは不可能と判断したのか、それともこれ以上踏み込み情報を隠されるのを懸念したのか、師直の方から引き下がった。

「この書物によると、特定の媒介を介して自由に操れる死人が作れるようですなぁ。……さて、どうやら今の所、南朝の人間が主に死人化しているようですねぇ。楠木正成殿の他にも正季殿も死人化しているようですよ。……そういえば先日、捕虜とした恒良親王が突然亡くなった上遺体が消えたという騒動がありましたねぇ……」

「……まさか、後醍醐帝自ら、部下を死人として蘇らせている可能性があるという事ですか」

「さぁ。……そういえば貴方、近々北畠のお坊ちゃんを討伐に行かれるとか……。あの人は後醍醐帝のお気に入りですよねぇ」

「……承知していますよ。顕家殿が死人化すれば厄介ですからね」

「お願いしますね」

 師直は苦笑いを返した。


 さて、和泉国堺浦・石津に攻め込んだ足利軍は、兵が憔悴してもなお善戦する北畠軍を打ち負かし、ついに顕家を討ち取った。

 その直後、師直は、筵をかぶせた屍を置き、物陰に隠れていた。

 筵からは、屍の顔を覗かせている。

 白い肌、端正な顔立ち……いかにも顕家といった様相だ。

 この屍の懐に書いてあった文の中身を思い出す。

『この影武者の遺体を顕家のものだと偽りこれで誘い出すことにより、死人を作らんとしている者の正体を暴いて欲しい。』

 罠を張ってから、長い時が過ぎた。

 そろそろ疲れてきた……と思ったその時、

 人影が現れた。

 二人だ。編笠を深く被った僧服……いかにも怪しい出で立ち。

 僧服の男達は、辺りを注意深く見渡すと、籠を担いだ者達を呼び、屍を抱えて籠に詰めた。

 人目を避けるように去っていった男達の後を、師直自ら物陰に隠れつつ尾行していった。


 数日経つと、顕家の訃報は遠く越前の義貞らにも届けられた。

「兄上、顕家殿が師直殿に討ち取られてしまわれたようで……」

「そうか」

 馬上の義貞の肌はさらに青い血管が浮き出している。右眼には眼帯を着けている。眼病ではない。眼球が腐り落ちたのだ。

「尊氏達が死人の特性に気付いていない限り、死人の屠り方を心得ているのはもはや私達だけだ」

「はっ」

「畏まりました、父上!」

 義顕も、死斑が滲む肌を包帯で隠し、顔色の悪い顔を薄化粧で整えている。

「この際尊氏は後回しだ。まずは手掛かりを探すべく吉野へ向かう――」

 こう告げた義貞の前に、軍勢が立ちはだかる。

 死人の群れだ。

 その中央には、死人に守られるように騎乗の人影が二つ見えた。

 義貞には、その顔に見覚えがあった。

「正成殿……正季殿……」


 その頃、師直も僧服の男達が向かっていた山寺にたどり着いていた。

 山道を数日歩き、すっかり息が切れ切れになった彼は、寂れた山寺の戸の傍に身を隠し、中の様子に目を凝らしていた。

 金箔の剥げた仏像の前に設えられた寝台の上に屍が横たえられ、それを囲むように僧服の男達が立っている。その周りにも屍が転がっている。

 僧服の男達が編笠を取る。見覚えのある顔だ。円観と文観、何れも後醍醐天皇に重用される僧侶だ。

 小さな囁き声が聞こえるが、内容までは聞き取れない。

 円観が抱えていた壺を下ろす。文観が壺に手を入れ、どろりとした液体をすくい取る。

 師直は、固唾を呑んで事の顛末を見つめる。

 ――と、そこで文観がはたと手を止める。

「――おや、鼠が入り込んだようだ。誰かね。もしかして、北朝の高師直殿ではないだろうねぇ」

 どくん、と、心臓が跳ね上がり、冷や汗が頬を伝う。

 先手必勝、彼は意を決して刀を抜き放ち寺の中へと飛び込んだ。

 振り下ろした刀は、円観を袈裟斬りに斬り捨てた……かに思えた。

 だが、

「随分と乱暴な御挨拶ですねぇ……」

 おびただしい鮮血が噴き出たにも関わらず、円観は汗一つかかずにたりと笑った。

「くそ!」

 後ずさりした師直の足が、床に転がる屍に当たった、その時だった。

 屍が、師直の足首を掴んだ。

「げっ!」

 すかさず屍の手を斬り落とし飛び退いた師直の目の前で、屍がゆらりと立ち上がる。

 その屍だけではない。他の屍もゆらりゆらりと立ち上がった。

 よく見れば見覚えがある。尊良・恒良親王、日野資朝・俊基だ。

「さて、貴方も彼等の仲間に加えてあげましょう」

 文観の言葉と共に、死人達が一斉に襲いかかった。


 一方、新田軍も苦戦していた。

 死人の数があまりにも多く、いくら倒しても追いつかない。死人の犠牲は確実に増えていく。

 しかし新田軍も負けてはいない。既に感染している義貞と義顕が先頭に立ち、次々と死人を屠っていく。

 その時だった。正成が自ら死人の守りを抜け、義貞目掛けて突撃してきた。

 新鮮な肉に飢えたその様に、かつての聡明だった彼の面影はまるで無かった。

「安らかに眠れ、正成殿……」

 義貞と正成の刀が、真っ向からぶつかり合った。

 義貞はせめて一思いにと頭を狙うが、正成の方もそれを見抜いたのか、頭を目掛けた攻撃を全て防ぐ。正成の方も執拗に頭を狙うが、義貞もそれを受け流す。

 一進一退の攻防が続き、刀がぶつかり合う度に火花が散る。

 ほぼ同時に正季と衝突した義顕の事も気に掛かるが、目の前の敵を相手する事で精一杯だ。

 と、突然正成が体勢を崩した。

「もらった!」

 すかさず義貞が頭目掛けて斬り掛かる。

 だが、正成は体勢を立て直し、義貞の渾身の一撃をかわす。今度は勢いを受け流された義貞の体が前のめりになる。

(しまった!)

 義貞はすぐさま退こうとするも、間に合わない。正成の刀が、義貞の首筋を一閃する。

「父上!!」

 ――義貞の首が、地に落ちた。


 師直も苦戦を強いられていた。

 ただでさえ一対四と不利な状況な上相手が頭を砕かなければ死なずになおかつ負傷するだけで危険なのだ。無理も無い。

 それでも辛うじて尊良親王・恒良親王は倒せたのだが、日野兄弟がさすが手強い。本調子の師直なら勝てなくもないのだろうが、敵の猛撃に加え、数日山道を行った疲れが彼を容赦なく襲う。もはや防戦がやっとだ。

 激しく体力を消耗する中、彼の判断力も鈍っていた――後頭部を強かに殴られるまで、目の前の資朝に意識を奪われる程に。

 気が遠のいた彼の右腕を、俊基の鋭い爪が肉ごと引き裂く。

 俊基はさらに、苦痛に歪んだ師直の顔を掴むと、彼の身を投げ飛ばし、壁に叩きつけた。

「かは……っ」

 口から鮮血が漏れる。力が入らな

い。目は霞み、失神と苦痛による覚醒に脳が揺らぐ。

「さて、楽にしてあげましょう」

 ここで死ぬのか……自分でも驚く程冷静に死を受け入れていた――その時だった。

 佇んでいた資朝の頭を白刃が貫いた。

「あ……」

 資朝は、眉間から突き出た刃を見上げるなり、どうと倒れる。

 人影はさらに円観の眉間に刀を突き立てた。

「――これ以上勝手な事はさせぬ」

 顕家だった。


「どうなさいました?顕家殿ともあろう御方が北朝の鼠に加勢するなんて。我々の邪魔をする事は即ち南朝に逆らう事ですぞ?」

 眉間に刀を生やしてなおにやにやと笑う円観を、顕家は涼し気な目元をつり上げ睨み付ける。

「北朝の肩を持つつもりは毛頭無い。だが、例え南朝の為であろうと、死した将を無理矢理蘇らせるなど、死者を辱め、南朝をも辱める行為。許されざる業だ」

「……ほう、そうですか」

 そう言うや否や、文観は、壺の中の液体を床にぶちまけた。

「ならばこの寺で行なっていた事は全て消しましょう……貴方方と共に」

 文観は、液体に仏像の傍らで揺れていた炎を点ける。

 すると、炎はあっという間に液体を伝って燃え広がった。

「くっ!」

 顕家は師直を抱えて逃れようとするも、俊基がその道に立ちはだかる。それでも顕家は怯まず、俊基の頭を刀でかち割る。

「おやおや、お強いですなぁ」

 だが、文観の嫌らしい笑みは歪まない。

「では――」

 その時気が付いた。隅の暗がりにも一体、屍があったことに。

「――この御方はどうですかな?」

 屍が傍らに置かれた刀を手に取り、ゆらりと立ち上がった。

 その顔を一目見、顕家が顔面を蒼白にして後ずさる。

「護良親王、様……」


 師直が意識を少し取り戻した時、目の前に飛び込んできたのは、死人と刀を交える顕家の姿だった。

 死人が刀を振るい顕家が受ける度に重い音が響く。顕家は衝撃に震える腕で必死に対抗するも、防戦がやっとな状況だ。

 助けなければ……そう思うも、刀は遠く壁際に追いやられている。

 どうすべきかと頭を巡らせているその間にも、顕家の体力は容赦なく奪われていく。

 その時、仏像の方で小さく物音がした。

 はたと振り向くと、文観が仏像の台座の裏へと逃げ込もうとしていた。

 その胸には、なぜか仏像の頭が抱えられている。

 彼の頭を、道誉の言葉がよぎった。

『特定の媒介を介して自由に操れる死人が作れるようですなぁ』

 特定の媒介を介して――

(――あれか!!)

 師直は残された力を振り絞り、脇差を抜き放って文観目掛けて駆ける。

「なっ!」

 驚いた文観は慌てて身を隠そうとするも、遅かった。

「死ねえ!!」

 師直の渾身の一撃は、仏像の眉間を、文観の胸を、さらに壁をも貫いた。

 断末魔の叫びを上げる文観の胸から脇差を抜き、さらに頭に突き刺した。

 文観の体が、力無く横たわる。

 それと同時に、死人も糸が切れたように崩れ落ちたと思うと、灰のように肉体が霧散し、ただ白骨のみが残った。

 顕家は唖然として動かなくなった死人を見つめる。

「やった……」

 刹那、師直の意識が暗闇に覆われた。


「父上!!」

 義貞は、義顕の絶叫に意識を取り戻した。

 見れば、義顕は正季だけでなく正成にも襲われ、窮地に陥っていた。

 義貞はすぐさま立ち上がり、転がった首を拾うや否や義顕の元へと走り寄る。

 正成と正季が義貞に気付き迎撃体制を整える中、義貞は高く跳躍し、正季の脳天に刀を突き立てた。

「――貴殿を見捨て、死人へ身を落とさせてしまったのは他でもない私だ――」

 正成が、灰と化す正季を悲しげに見下ろす。その隙に、義貞は正成の懐へ飛び込む。

「――しかし、もうそのような貴殿の姿はもう見たくない――」

 正成は、刀を捨て、義貞を受け入れるように手を広げた。

「――だから目を覚ましてくれ、正成殿……」

 義貞の刀が、正成の眉間を貫いた。

 正成の表情から凶暴性が抜け、かつての穏やかな笑みが浮かぶ。

「正成殿……」

 気が付けば、頬を涙が伝っていた。

 正成の唇が小さく動く。「ありがとう」と言った、そんな気がした。

 その体が力無く崩れる。義貞は正成の亡骸を優しく抱き締めた。


「……それでは、円観と文観に死人に変えられた者達は皆眠ったのだな」

「そのようです」

 数日後、義貞と顕家は、あの寺の焼け跡で落ち合っていた。

「ただ、死人に襲われ感染した者達は戻っていないですし、師直殿曰く、寺から遺体は発見されていないようですので、おそらく円観も文観も死んではいないかと」

「師直殿生きているのか……。さすがしぶといな……」

「ええ……」

 ただ、気掛かりは師直の腕の傷だ。しかし顕家は黙っておいた。あの男なら少々の事では死なないはずだ。

「そういえば、義貞殿、一度亡くなったというのにお元気ですね」

「ああ。道誉殿が『死人が死人を食らえば腐敗が止まる』と言っていたと師直殿が教えてくれた」

 顕家が、ぎょっとして義貞を見た。

「まさか正成殿を食べたのですか!?」

「ああ……。死人は媒介が破壊されると灰となるようだが、正成殿だけは肉体が残っていた。私の体を使ってくれと正成殿が言ってくれたのだと思う、多分」

「びっくりした。……しかし、これどうしましょう」

 二人の膝には、合わせて七つの骨壷が置かれていた。

「私が預かろう。東国へと帰る道すがらに然るべき地で供養しよう」

「では供養は任せます。私は引き続き文観等を追います」

「帝はいいのか?」

「北畠顕家はもう死にました」

「そうか……」

 おもむろに、義貞が骨壷を手に立ち上がる。

「霧が濃くなってきた。私はそろそろ失礼する。貴殿も無理はしないようにな」

「すぐに帰りますよ」

「文観の件もだ」

「はいはい」

 そう言いながらも顕家も満更でもなさそうだ。歩み出した義貞も小さく笑っている。

「それでは、縁がありましたら又会いましょう」

 応、と手を振る義貞の後ろ姿は、やがて霧の向こうへと消えていった。

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