不幸の連鎖
いつもいつも私は不幸だったのです。
ただ、なんと言いますか大きな不幸があるのではなく小さな不幸がポツポツと泡のように湧き出てくるのです。
泡沫のように消えてはまた生まれ、不幸は私の心を蝕んでいます。
例えばあの男から何気なく言われた言葉が、人形のように扱われた振る舞いが胸に刺さって生まれた小さな泡粒のような不幸たちが凝り固まって私をいつも不幸な状態にしました。
誰にこんなこと説明しているのでしょうか。
あんまりにも滑稽ですね。
もう敬語もなしだ。毎日つまらない言葉や倫理観に縛られやがってクソ野郎が。なんなんだよ。一体全体誰が決めたんだよ。人を殺しちゃいけませんはわかる。殺しちゃ人が減るからな。労働力も減る。
それ以外だ。なんで色々と縛られなきゃいけないんだ?不倫をして何が悪い?外野は引っ込んどけ。タバコを吸って何が悪い?根性焼きするぞ、テメェの脳みそ。
あぁ、そうだよ。自分が一番嫌いで大好きで死ねばいいと思ってるよ。こんなくだらないと思っている倫理観に縛られて逃げることも立ち向かうこともせずにダラダラと生きている自分が大嫌いでしょうがない。
偉そうなことうそぶいては逃げて逃げて。
なんなんだよ。おかしいよな。なんて滑稽なんだ。最高に面白くて笑えてきた。
* * * * * *
母の日記を読むことはいけないことだとわかっていたけれどここまで酷いとは思わなかった。
序盤でもこんなにも酷いなら、読めば読む程深みにはまっちゃうのかな。
あの人はどちらかというと善良な人だった。私のことを娘として可愛がってくれた。
でも、あっけなく死んだ。交通事故で。頭ではわかっていた。母は私より先に死ぬものだと。でも内心あの人は生きているんじゃないかと思ってしまう。あの優しく私を呼びかける声が、聞こえるような気がする。
「私はどうしたらいいの?」
ふと、声に出してしまった。今まで母のために生きてきたような私にはあまりにも酷なことだ。
あの人の日記に倫理観に縛られるなんてって言ってるけどあの人は人一倍倫理観に囚われていたし、それで苦しんでいた。
あの人はタバコも吸わなきゃ不倫もしない現代には珍しい貞淑な人だった。
ただ、驚くほどに決断力がなかった。この貞淑な妻でいれたのもあの男が母に貞淑であるよう、倫理的模範であるよう決めたから。
私が小学校を入学してすぐに、あの男が仕事で家にいなくなった。おかげであの男の役目が自然と私にお鉢がまわってきた。母は本当にくだらないことであってもなにかと私に決断を迫った。
「この服どうかな?」
「あの人はこう言ってるけどあなたはどう思う?」
私の意見を聞いたあと母は決まってこう言うのだ。
「さすがあの人の娘ね。あなたがいないとお母さんひとりじゃ何
も決められないわ。」
母はあの世で私がいなくて大丈夫だろうか。四十九日まであと二週間だけどちゃんと天国にいくかそれとも地獄にいくか選べたのかな。
私がいなくちゃなにもできない、何も決めれない母を助けにいかなくちゃ。
だってこれが私の生きる意味なんだもの。
* * * * * *
火葬場で父親は娘の日記を読んでいた。
天涯孤独となったこの男には付き添うものは誰もなく、娘だった女が骨になるのを待っている。。
母親のために死出の旅に付き添う孝行者の娘さんがいてよかったねと昔ならいわれるのだろうか。今では俺は世紀の大悪党だ。母親が死んで傷心中の娘を、思春期特有の不安定さがある娘を何故ちゃんとみてなかったんだって。
俺は家族のために仕事をしてきたつもりだ。妻のため娘のために。なのになぜ妻も娘も俺を置いていくんだ。家族じゃなかったのか、俺達は。
妻も娘にも経済的にも苦しい思いをさせたことは無い。仕事で妻と娘に関われないのはしょうがないじゃないか。
妻に貞淑さを求めちゃいけないのか?箱入り娘で何も知らず自ら決断する能力もない女に妻とはかくあるべきだと教え導いただけだ。
娘を放ってなどいない、ただ関わろうにも関わらせてももらえなかった。娘は小学生の時から子どもらしからぬ顔付きをした可愛げのない娘だった。
だが、「父」としてそんな娘を愛さなければならなかった。
それを娘は拒否して俺に目さえ合わせてくれない。
娘が何を考えてるかなんて見当もつくはずがなかったんだ。
娘の生きる意味がなぜ死ぬ理由になったのだろうか。
わからない。本当にわからないのだ。
「そうか。」
父親で夫だった男は呟いた。
「俺はそもそも家族ですらなかったんだ。あの2人の。」
もうじき、得体の知れない女の骨が焼き上がる。
その骨からはきっと腐臭がするんだろう。
なぜかそんな予感がした。
一人の滑稽な男は重い腰を上げると、女達の不幸の象徴の日記を破り捨てた。
得体の知れない女達の骨を抱えて男は独り生きていくのだ。