第8話 「ジークフレン将軍」
この状況を誰が予測できただろうか。木造の家で俺の目の前にいる女性、ジークフレンと名乗る人物がゴルガ帝国の将軍であると。
更に先程の兵士の報告を聞くに、ジークフレンは俺が参戦する予定の、森での戦場に向かう可能性が高い。もしその戦場で会う事があれば、気まずいどころの騒ぎではないぞ……。
「すんすん」
部屋の椅子に座って小さくなっている俺のそばに寄ってきたジークフレンが、顔を近づけ俺の匂いを嗅いでくる。
「……な、なんじゃ?」
「サクヤ、汗かいてる。くさい」
「んなっ!?」
あ、汗くさい!? 男の頃はそんな事言われても何とも思わなかったのに、何か傷つく! ま、まずい。感性が体に引っ張られている……。だが汗くさいか……。
俺は自分の腕を上げ、露出されている脇の匂いを嗅いでみる。
「すんすん」
うっ。こう言うと変態みたいだが、到底自分のモノとは思えない女の子特有の甘い匂いと汗くささがする。いかん、逆に興奮する。
「温泉、入る?」
「……へ?」
「こっち、最近温泉が湧き出た」
そう言い若干頬を赤く染め妙に張り切っているジークフレンが、俺の手を引き部屋の外へと連れて行く。して、連れてこられた先には小さくも見事な温泉が湧き出ていた。暖かそうな湯気で辺りが白くなっている。
温泉はムラクモ国でも人気だ。まさかよその国、それもゴルガ帝国の将軍の家で入れるとは。
「誰かと一緒に温泉入るの、夢だった」
そう言うジークフレンは、突然服を脱ぎ始めた。純白の髪に引けを取らない程、白く透き通った肌が露わになる。
って、どど、童貞には刺激が強すぎるっ!
慌てて俺は両目を隠しその場にしゃがみ込んだ。
「ななな、何をやっておるのじゃ!!」
「? 温泉に入るのに、裸にならなきゃ」
「いいいいや、わわ、わらわがおるのにそんな――」
「女の子同士、恥ずかしくない」
……あ。言われてみればそうか。そうなのか?
女の子同士だったらいいのか? 俺は、裸の女性と混浴しちゃっていいのか!?
バッと勢いよく立ち上がった俺は、意を決し着物の帯に手をかけ解いた。ファサッ、と帯がその場に落ち着物が緩む。
「……ゴクッ。い、いくぞ」
自分でも顔が真っ赤になっている事が分かる。俺はそのまま着物も脱ぎすて、下にきていたやけにピッチリしている黒の肌着からも解放され、生まれたままの姿になった。
お、おぉぉぉおっ!
こ、これが女の子の体なのか!
震える手で、ゆっくりと自分の胸へと手を伸ばす。慎ましい胸の先に指が触れる。
「んっ……」
思わず体がビクつき声が漏れてしまった。な、なんだこの感覚。
も、もう一回だけ――。
「……サクヤ? 何してるの?」
「わぁっ! なな、何でもないのじゃ!」
すでに湯に浸かっているジークフレンからの疑問の声が飛んできて、俺は慌てて両手を離す。
あ、危なかった。完全に我を失っていた。
取り繕うように桶で体を流した俺は、急いでジークフレンと同じ温泉へと浸かる。ゴーレムとの戦闘でたまった疲れが癒されていくのが分かる。
「はぇ~。良い湯じゃ~」
「……ふふっ」
「どうしたのじゃ? 急に笑って」
くすくすと小さく笑うジークフレン。ほほ笑みは良くしていたが、声を出して笑うとは珍しい。
「なんだか妹が出来たみたいで、嬉しい」
「わらわが妹?」
「……うん、ジークお姉ちゃんって呼んで」
感情の変化が乏しい人物だと思っていたが、どうやら表に出すのが苦手なだけの様だ。現に今も、表情の変化さえないが眼だけはキラキラと輝いているように見える。
「ジ、ジーク姉」
「ジークねぇ?」
さ、さすがにお姉ちゃんと呼ぶのは気恥ずかしすぎる。俺の中での妥協の結果、口から出た言葉はジーク姉だった。
「うれしい。ギュー」
頬を赤く染めたジークフレンが、あろうことか俺の体に抱き付いてきた。互いに裸である現状、ベアの時と違い相手の肌の感触が直に伝わってくるわけで。
ベア以上に大きな胸であるジークフレンの体が、俺の体に密着する。形を崩すジークフレンの胸と、気持ちの良いスベスベした肌が重なり合い俺の頭は爆発しそうなまでに混乱していた。
「まま、待つのじゃジーク姉!」
「やだ。サクヤもお姉ちゃんにくっついていいよ?」
「く、くっついて良いのか!?」
ガーン! と言った効果音がなりそうな勢いで俺は驚愕した。まるで発想に無かった。お、女の子同士なら抱き合っていいのか!?
恐る恐る、俺はジークフレンの体に手を伸ばし抱きしめようと……。
「やっぱり無理じゃあ!」
「あ」
バシャンッと軽快な音を上げ、俺は真っ赤になった顔を両手で隠しつつ温泉から出て行った。疲れを癒すどころか、逆に疲れがたまった気がする……。
♢♦♢♦
夜、ジークフレンの案内の元俺はゴルガ帝国の国境へと来ていた。道中何人か兵士が見回りをしていたが、視界に入らない様ジークフレンは完璧に避け無事に国境沿いにたどり着いたのだった。
「この先に行けば、蒼の領土に入る」
「ありがとうジーク姉。助かったのじゃ」
国境の外に出ようとした俺の腕を、咄嗟にジークフレンが掴む。その顔は、眉が下がり眼尻に僅かな涙を溜めている。
「……本当に出ていくの?」
「……うむ。わらわにはやるべき事があるのじゃ」
「……そう」
ジークフレンが力なく手を放し、俺は片足を上げ国境を跨ごうとしたその瞬間、ジークフレンが口を開いた。
「サクヤ、次からはもっと慎重になった方が良い。現在、ゴルガ帝国は他国のギルド冒険者を受け入れてはいない」
「え?」
俺が国境を跨ぎ終え、ジークフレンと俺がそれぞれ国境を挟んで対峙する形となると、ジークフレンの手に紅い魔法陣が現れ、そこから巨大なハルバートが召喚された。
ジークフレンが俺の顔の横へと、無骨なハルバートを突き出す。
その眼は先程までのほんわかな気配など微塵もない。兵士に殺すと言い放った時と同じ、殺気を纏った瞳だ。
「ジ、ジーク姉……」
「違う。私はゴルガ帝国軍所属。ジークフレン将軍だ」
ジークフレンの頭上に現れた魔法陣が、ジークフレンの足元へと一気に下がると同時に、赤い鎧が現れジークフレンの全身へと装着された。
続いて地を揺るがすほどの咆哮が辺りに響き渡ると、中型のドラゴンが1匹ジークフレンの横へと舞い降りた。赤い鱗で全身が覆われ、黒い鎧を着けられたドラゴンだ。
グルルッと喉を鳴らし、獰猛そうな瞳で俺を睨み口の端から炎を上げている。
「次会う時は戦場だサクヤ。私は『紅蓮の竜騎士』としてお前を殺す」
「ぐ、紅蓮の竜騎士!?」
全部、全部ばれていたのか。俺がギルドの者であると語ったその時から。全部知っていてなお黙っていたのか。
しかも、俺を国境の外へと逃がす手助けまで。何を考えている? ジークフレン。
だが、ここで戦うのは不利だ。回りには沢山の帝国軍の兵士がいる。
甘かった。俺は戦争に参加しているのだ。もっと、慎重に動くべきだった。
見抜かれていた悔しさから俺は、ジークフレンを睨む。
相対するジークフレンはそれに対し小さく笑みを浮かべると、隣に降り立ってきたドラゴンの背に飛び乗り月夜の空へと消えていった。
ジークフレンが去って行った空を見上げながら俺は、拳を強く握りしめ戦場となる森へと急いだ。