第37話 「ギブアンドテイク」
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生命の気配を感じることの出来ない静寂な森の中に、ギヴは立っていた。自身の体を観察するが、どこも怪我を負っている様子は見られない。
動物の鳴き声1つ聞こえない中、風がゆったりと吹き抜け木々が揺れる音だけが耳に入ってくる。
「……静かすぎる。あの魔人はどこに消えた? 【神技】使いの連中はどうなった?」
不自然なほどに静かな森で、ギヴは周囲を見渡す。
「――ギヴ様」
「――!?」
突如自分の背後から聞こえてきた声に、ギヴの体はこわばった。
気が遠くなるほど昔、聞いたことのある声。
気が遠くなるほどの間、忘れる事の無かったあの声。
ギヴはゆっくりと声の主へと振り返る。失った2000年間を噛みしめるかの如く、そこには出会った頃と変わらない笑みを浮かべた、クレアの姿があった。
「……クレア?」
「ふふっ、ギヴ様ったら。どうしたのですか? そんな泣きそうな顔をして」
口元に手を当て、クレアはくすくすと小さく笑う。
「――――♪」
「……シャーロット」
クレアの肩の上には、同じく楽しそうに笑顔を浮かべた銀髪の妖精が座っていた。シャーロットはギヴの肩の上に移動すると、嬉しそうに金色の双眼を細め彼の褐色の肌を伝う涙を優しく拭う。
「……そうか、俺は死んだのか」
ポツリと、ギヴが口をこぼす。言葉を発した瞬間、憑き物が落ちたかのようにギヴの顔は和らいでいった。
『聖戦』以降ずっと、共に歩んできたリーシャ以外に警戒を解くことは無かった。だが、その苦しみから今解放されたのだと、ギヴは実感する。
「クレア、ここはどこだ? あの世ってやつか?」
「いいえ、ここは現世と死後の世界の間にある空間、わたくしとギヴ様の思い出の森、です」
「……思い出? あぁ、なるほどな」
眉をひそめ周囲を改めて見渡したギヴは、この場所がかつて自分が住処にしていた場所であることに気付いた。魔物に破壊された食糧庫に、野ざらし状態となっている寝床。
間違いない、ここは2000年前の翠の領土だと、ギヴは確信した。ようやく事態を掴めたギヴは、腕を組み目の前にいるクレアへと視線を向ける。
出会った頃と同じ、ドレスに身を包んだ姿のクレア。ブロンドの髪も、その瞳も、生きていた頃と変わらない美しさのままだ。
「ハッ、相変わらずドンくさい女だな。その死後の世界とやらにも辿りつけねぇで、ここで迷子にでもなっていたのか?」
かつての自分を取り戻すかのように、ギヴは皮肉たっぷりに言葉を発する。普通であれば相手の機嫌を損ねかねない発言であるが、当の本人であるクレアは幸せそうに微笑む。
「ふふっ、ギヴ様は随分と変わられましたね。少し老けたのではないですか?」
「ハッ! テメェが早く死に過ぎなんだよ。あの頃は人間で言えば、互いにまだ15歳くらいだっただろ」
「そうですね、ギヴ様の顔も見上げなければ、よく見えなくなってしまいました」
出会った頃は同じくらいであった身長も、今となっては大きく差が開いてしまっている。ゆえにギヴは嫌でも痛感する。クレアは死んだあの日から時間がとまっており、自分だけが成長してしまった事を。
「それにしても、なんで後ろ姿だけで俺だって分かったんだ? 見た目だけじゃねぇ。お前が死んで以降、俺は確かに変わった。裏社会じゃ俺の名を知らない奴はいねぇし。金だって腐るほど手に入れた。見てくれよ、この服をよ」
そう言うと、ギヴは着崩して胸元がはだけている貴族の服を自慢するようにクレアに見せ付ける。どこか芝居がかった動きで調子よく服の裾をひるがえすギヴに、クレアとシャーロットは楽しそうに笑う。
「もうボロボロの薄汚ねぇシャツを大事に着ているギヴ少年はいねぇ。誰にも負けないくらいの力も手に入れた。魔力の暴走だって抑えられる。昔この場所でお前に教えた俺の野望は、この手で全部つかみ取ってみせたぜ?」
「ふふっ、さすがはギヴさ――きゃあっ!」
両手を合わせギヴを見上げるクレアを、彼は突然強く引き寄せ力のかぎり抱きしめた。相手のことを考慮する余裕も無い程、ギヴの不器用な抱擁にクレアはうっすらと頬を染め抱きしめ返す。
「……なぁ、なんで死んじまったんだ。お前が死んだあの日から俺の心にぽっかりと穴が開いちまったみたいでよ。どんだけ金集めたって、どんな地位にのし上がったって、その穴が満たされねぇんだ」
「…………先程質問されましたよね? なぜギヴ様だって分かったのかを」
クレアがギヴの体を、その存在を確かめるかのようにシッカリと抱きしめる。
「そんなのあたり前です。ギヴ様はわたくしに光を与えてくださった、運命の相手なのですから」
「ハッ、何を言うかと思えば。ダークエルフの俺が光を与えた? 逆だ、魔人が翠の領土を襲ったあの日、お前は俺に会う為に神樹から離れて森を歩いていただろ。神樹にいれば、シエラと一緒に守り人の連中が守ってくれたハズだ。……俺が、お前の命を奪ったに等しい。恨んでもいいくらいだ」
過去の記憶を呼び覚まし、ギヴはギリッと歯を食いしばる。そんなギヴの様子を眺め、クレアは彼の頬に触れた。
「それは違います。ギヴ様はわたくしに、全く違う世界を見せてくださいました。ギヴ様と共に過ごす時間は、そのどれもがわたくしにとって夢のような体験で、胸の中が暖かい気持ちでいっぱいになって、そして……」
そっと、クレアがギヴと唇を重ねキスをした。
「愛おしい人を想う幸せをくださいました。貴方様を恨むはずがありません。わたくしは、ギヴ様を愛しているのですから」
心の底から相手を想う優しい笑みを浮かべ、クレアは再びギヴを抱きしめる。僅かに体を震わせながら、ギヴは零れ落ちそうな涙を抑え口はしを吊り上げた。
「……これだからエルフの女は。愛おしい人を想う幸せだと? ハッ、ロマンチストすぎるんだっつうの」
「ふふっ、当然です。エルフの女はみんな運命に夢を抱き、世界でたった1人の男性を愛するのですから」
現世と死後の世界の間で2000年の時を超え再び出会った2人のエルフは、己の人生と運命を大きく変えた相手をただただ強く、抱きしめ続けた――。
瞬間、彼らを囲う森から一斉に魔力の粒子がキラキラと輝き始め、2人を包み込んだ。ギヴとクレアの瞳に魔力の輝きが反射し、その粒子と楽しそうにシャーロットが戯れる。
「森が……、森が俺たちを祝福してくれてんのか? ダークエルフの俺を?」
「……2人きりの魔婚式、ですね。森も認めてくださったのです、わたくしたちの愛を」
美しい森の粒子に囲まれながら、ギヴはクレアの両肩を掴みその瞳をまっすぐに見据えた。
「クレア、俺はお前の事を――」
語るギヴの言葉を、クレアはそっとギヴの唇に指を添え止める。
「ギヴ様はまだ死んでおりません。まだやるべき事が残っているでしょう?」
「俺の、やるべき事……」
「私はずっと、ギヴ様をお待ちしております。だから、ギヴ様はどうか最後まで生き抜いて」
そう告げるとクレアとシャーロットの体が次第に透けていき、ギヴの掴んでいた腕が通り抜けた。ゆっくりと、クレアたちの体が天へと昇っていく。
「クレアァ!」
「どうか忘れないでください。ギヴ様は1人じゃないってことを――」
透けた体は粒子となって完全にその場から消え去ってしまう。同時に、森が白い光に包まれていく。クレアたちが消えた空を見つめながら、ギヴが呟いた。
「……いつか必ず、お前に会いに行く。ありがとよ、クレア」
褐色のダークエルフの体が、まばゆい白の光に包まれた――――。
♢♦♢♦
「!?」
俺たちの目の前で心臓を貫かれ瞬間動かなくなったギヴが、突如としてャンドゥフのレイピアを握りしめた。ゆっくりと、ギヴが目の前にいる魔人の男を睨みつける。
「まさか、我が一撃を受けて無事でいるなどと!」
「……死ぬわけにはいかねぇ。クレアと約束したんだ」
「訳の分からぬことを!」
レイピアをギヴの体から抜きャンドゥフが大きく後退する。ギヴの傷は神樹からの魔力の粒子によって急速に癒されていく。
「ギ、ギヴ様……?」
「シエラ、リーシャ。今更許してもらおうだなんて思わねぇ。だが、お前らはこの俺が守る」
迷いを振り切ったかの如く、どこかすがすがしそうな表情のギヴが短剣を構えャンドゥフを睨みあげた。
あの短い間で何がギヴを変えたのかは分からないが、今は好都合だ!
「ギヴ、助太刀するのじゃ!」
ギヴの隣で俺も黒蝶丸を構え、その俺の姿にギヴの口はしが吊り上がる。
「ハッ! 礼は言わねぇからな、お嬢ちゃん!」
「ふっ、お主に言われても気持ち悪いだけじゃ!」
「ハハハッ! ちげぇねぇ! さぁ魔人野郎、俺たちが遊んでやるよ!」
威勢の良いギヴの言葉に、ャンドゥフの顔が怒りに歪んだ。
「我を愚弄するか矮小な者共が! いいだろう、神さえ屠る我が剣技、受けてみよ!」
魔人と【神技】使い、人知を超える力を持つ者たちの戦いが、翠の領土を覆う森のはるか上空で始まった。




