第34話 「守りたい人」
「ひあっ……くっ、んっ……あっ、サ、サクヤちゃんっ」
ベアの触れれば壊れてしまいそうなほど華奢な白い首から、血を吸い出していく。俺の腕の中で抱きかかえられているベアが足をモゾモゾと動かし、ギュッと俺の着物を掴む。
吸い出した血を地面へと吐き出し、再び毒を吸い出す為にベアの首に顔を近づけていく。ベアの顔は今まで見たこともない位に赤く上気しており、何時もの勝気な瞳には涙が浮かんでいる。
ベアの口から小さく嬌声が漏れ、その吐息が俺の頬をくすぐる。
「サ、サクヤちゃん……、はぁっ、ま、待って……」
「すまんベアさん、嫌なのは分かるがもう少しだけ我慢してほしいのじゃ」
「ち、ちがっ、わ、私、首がよわ――ひぅっ!」
ベアの力ない抵抗が弱々しく俺の肩を押すが、俺が血を吸い続けると観念したのかギューと俺の体に手を回し抱き付いてくる。
「ああっ……ンッっ、んんーーーっ!」
互いに抱き合う形で何度目かの血を吸い上げた時、声を漏らさないよう必死に口をつぐみながら身をよじらせ悶える。
俺が首から唇を外し地面に吸い出した血を吐き出したのと同時に、ベアが力なく俺の体に寄りかかった。
「はぁっ、はぁっ……」
俺に寄りかかりながらハァハァと呼吸を繰り返すベアの姿を見て、彼女のやけに妖艶な姿に俺の顔が気恥ずかしさで熱くなる。
自分の行った大胆な行動にようやく気付いた俺は、急激な緊張感に襲われる。
ななな、何かトンデモない事をヤッてしまった気がするぞ! ベアさん顔真っ赤にしてるけど、怒ってるのかな? いや、怒ってるだろうなぁ……。
でもおかげでだいぶ顔色は良くなってきてるし、この様子なら毒の方の問題は解決かもしれない。
……かわりに俺とベアさんの間に問題が生まれそうだけど。とにかく今は何か喋らないと!
「えーっと、あ、汗も引いたみたいだし、ひ、一先ずは大丈夫じゃと思うのでゴザルでおじゃる」
もはや滅茶苦茶な口調になりながらも俺は何とか言葉をひねり出す。ベアからは乱れた呼吸しか返ってこないが、何故かその腕は俺の体に回されたままだ。ギュッと俺の着物を掴んだまま離す気配が無い。
「ベ、ベアさん? 大丈夫でおじゃるか?」
「…………サ、サクヤちゃん」
不意に顔を上げたベアは、互いに鼻の先が触れあってしまいそうな程に近く、どこか官能的な表情と色っぽい吐息に俺は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
至近距離で見つめ合いながら、ゆっくりとベアが顔を近づけてくる。ベアがそっとまぶたを閉じ、俺の首の後ろに手を回した。
やけに静かに感じるこの空間で、俺の心臓の高鳴りだけがやけに自分の中で響く。
どちらも拒絶の色を示さない。相手の存在を確かめるように、俺たちはゆっくりと唇を近づけていく。その唇が触れあいそうになるその瞬間、中性的な甲高い声が静かな空間を引き裂いた。
「お前ら、なにしてんの?」
唇が触れる直前で停止した俺たちの横には、緑色に輝く光の玉がプカプカと浮いていた。その声は明らかに引いている声だ。ドン引きだ。
我に返った俺とベアがバッ! と離れる。
うわぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁ! 何してんだ俺はぁぁぁぁ! 何をしようとしてたんだ俺はぁぁぁぁっぁ!
頭を抱えチラリと横目でベアを見ると、同じくベアも胸元に手を添えながら目をグルグルと回し混乱した様子で頭を抱えている。
「え? お前ら。え? この一大事な時にお楽しみ洒落込んでたんスか? そうっスか、いや、スゲーっス先輩。俺っちには真似できないっス」
「ちちちち違うのじゃ! わらわたちは毒を吸い出していただけで、やましいことは何もしていないでおじゃる! そ、そうじゃろ? ベアさん!」
「そ、そうそう! ホント、何もしてないわ! キスしようだなんて思ってないから!」
慌てて翠の神に説明をする俺とベアの2人。とうの翠の神は、すすすっ、と俺たちからわずかに遠のく。
「ほーん。近頃の毒の吸い出し方法ってエロいんスね。ほーん、ほぉーーん」
エロいをやけに強調する翠の神の冷めたわざとらしい言葉に、俺とベアさんの顔は更に赤く染まっていく。
「そ、それよりも、翠の神は何故ここにいるのじゃ?」
1度俺は大きく咳払いをし、ようやく本来の口調を取り戻した。対して翠の神は、思い出したかのように俺の顔面に光の玉を激突させる。
「そうだった! 褐色の野郎がすげぇ勢いで神樹の方に向かってきてんだよ! お前はやく俺っちを助けに来てくれ! 俺っち戦いとかマジ苦手だから! 平和主義だから!」
「う、うむ! そっちで戦えるのはルンレッタと例のハイエルフだけじゃったな」
「はぁ!? 前に言っただろ! 無反応クイーンだからねあの子! シエラはこの騒ぎにも無反応だからね!」
神樹に住んでいるシエラというエルフ王家の生き残りが、この騒ぎにも無反応だと? だが、あの魔力の弓矢を見た途端、ギヴはエルフ王家に伝わる魔装弓だと言っていた。あれはシエラが放った弓矢では無かったのか?
「せっかくルンレッタを【神技】使いにしてお前らの援護させたのに! お前らその後イチャイチャおっぱじめるんだから、たまったもんじゃねぇよ!」
「ル、ルンレッタが【神技】使いにじゃと? それに援護って、ならあの魔装弓はルンレッタが?」
「そうだよ! てか褐色野郎もうすぐそこまで来てっから! これで俺っちが死んだらお前らのせいだからな! 俺っちビックリするくらいあっさり死ぬからな! この神殺し!」
怒涛の勢いで翠の神が喚き散らす。神とは思えないほど混乱しまくっている翠の神を眺め、俺は逆に落ち着いてきた。
ようやく状況が頭の中で整理できた。神樹には現在翠の神とシエラというハイエルフ、そして試練を終わらせ【神技】使いになったルンレッタがいる。
そして、その3人の中で戦えるのはルンレッタただ1人だけ。その神樹にギヴとシャーロットが向かっているという状況だ。
唯一分からないのはギヴの目的だ。死者復活の秘術の為の材料であるエルフと妖精の生贄の調達ならば、わざわざ神樹に行く必要はないハズだ。
「とにかく無駄話は後じゃ! わらわも急いでそちらに向かう!」
「わ、私も行くわ!」
立ち上がった俺に続きベアも腰を上げるが、フラッとよろめき俺が咄嗟にその体を支えた。
「毒はまだ完全に抜けきっていないみたいじゃ。ベアさんはここで待っていて」
「……そんな、また貴方に助けられるの、私……」
悔しそうにベアの顔が曇る。その顔を見て、俺は優しくベアの体を抱きしめた。
「えっ!? サ、サクヤちゃん。なな、なにをっ!?」
「……前にベアさんが言っておったじゃろう。『好きな人を守りたい』って。それはわらわも同じじゃ。好きな人を守る為にわらわも戦いたい。だから、だから今回はわらわに任せてほしい、ベアさんを守る為に」
「サクヤちゃん……。うん、ありがとう……」
納得した様子でそっと抱きしめ返してくれたベアに、俺の顔に小さく笑みが広がる。
「あのー、お2人さん。俺っち死亡3秒前くらいなんですけど? もういい加減にしてくれやせんかね?」
「あっ! そ、そうじゃな! では、司 咲夜、参るのじゃ!」
言葉では表せない暖かい気持ちを心に秘め、俺は黒蝶丸を握りしめ神樹に向かって走り出した。




