第32話 「ダークエルフの呪い」
傷口を抑えながら、ギヴが後ずさる。
俺の中の毒は完全に浄化された。もうあんな失態を犯したりはしない。
「……ククッ、まさかエルフでもない女のお前が魔婚の儀を受けていたとはなぁ。よそ者の人間は良くて、ダークエルフの俺が認められないとは、相変わらずクソな連中だぜ……」
「ダークエルフ?」
「……お前は知らないだろうが、エルフ族には稀に魔力が暴走する可能性を秘めた異端児が生まれる。そのエルフは生まれたその瞬間から災いを呼ぶダークエルフと呼ばれ、村から追放されるのさ」
「それがお主ということか」
ギヴは、ギリッと強く歯を食いしばると翠の領土に広がる森を睨む。
「あぁ。この褐色の肌がその証だ」
「……では、お主は復讐をする為にこの翠の領土に?」
「復讐? 違うな、俺はそんな下らねぇ真似はしない」
復讐ではない? なら何の為にこんな組織を率いてまで翠の領土に攻め入ったんだ。……いや、ゴルガ帝国で出会った3人組の野盗が言っていたな。「上玉が手に入った」と。まさか――。
「エルフと妖精を、奴隷として売り飛ばす為か?」
「ハハハッ! まぁその女にのされたアホ共の目的はそうだな! だが俺は違う。俺はエルフと妖精、1人ずつ手に入ればそれで構わねぇ」
「……何を企んでおる?」
「お前も風のウワサ程度には聞いた事あんだろう。死者を復活させる秘術。その材料としてエルフと妖精の生贄が必要なんだよ」
「し、死者を復活させる……じゃと?」
ギヴは傷口を抑えていた腕を前に突き出すと、ギュッと握りこぶしを作る。その手は血にまみれており、ポタポタと地面に滴り草木を赤く染めている。
「そうさ。『聖戦』が終わった後の2000年間、俺はその秘術に必要な材料を世界中からかき集め続けた。全ては俺の人生を狂わせたあの女、クレアを蘇らせる為だ」
「クレア?」
「……俺の魔婚相手だ。とは言っても、ダークエルフだった俺は式なんざ挙げちゃいねぇがな」
「魔婚相手……」
そう語るギヴの顔は、昔を懐かしむかのように目が細められていた――。
♢♦♢♦
――約2000年前。
エルフの森にて、1人の褐色の肌をした男が、魔物に馬乗りになり何度も短剣で刺突している。その瞳は己以外信用しておらず、目に映る全てに対し怒りの炎を燃やしていた。
すでに息絶えている獣型の魔物に対し、どれだけの返り血を浴びようと男は短剣を突き刺す手を緩めない。どれだけの時間が過ぎただろうか、すでに腕は幾度となく繰り返された動きによって感覚を失い、元の姿が何なのか分からない程にグチャグチャになった魔物の姿を見て、ようやく男は息を乱しながらも立ち上がる。
所々破れているボロボロのシャツで、男は額の汗を拭った。
「はぁ、はぁ……。クソッ、魔人共が暴れて以降やけに魔物の数が増えてやがる」
忌々しそうに男は足元に転がる魔物の頭を蹴り上げた。その視線は、食い荒らされた食糧庫へと注がれている。
「俺の食いモン台無しにしやがって。魔物が食えりゃあこんな苦労しなくて済むのによぉ。……あ? なんだこれ」
怒りを抑えられない男は、魔物の脳天にもう一刺ししようと短剣を振り上げた瞬間、自身との戦闘中に斬り裂かれた魔物の腹から小さな人間のような腕が出ていることに気付いた。
不信に思った男がその腕を掴み引きづり出すと、銀色の髪に金の双眼をした1人の妖精が姿を現した。生まれてこの方他のエルフとの交流をした事無い褐色の男は、初めて間近で見る妖精を興味深く手のひらに乗せた。
「ハッ、魔物に丸呑みにされてたのか。妖精ってのは悪意を感じ取れるらしいが、随分と間抜けな奴もいるんだな」
すでに妖精が死んでいると思い込んでいるその男は、乱暴にその顔を指でつつく。外部からの刺激を受けた妖精は、意識を取り戻し大きくせき込み始めた。
「うおっ!? コイツ、まだ生きてんのかよ。だがご愁傷さまだな、魔力供給でしか生きていけない体ってのは不便だろう」
「――――……」
その場に捨てようと男は考えるが、自分の手のひらの上でせき込み続ける妖精と目が合い、その動きを止める。
「チッ、ありえねぇだろうが一応やってみるか……」
純粋な興味本位と僅かな良心が、男に妖精に魔力を注ぐという決断を下させた。男は慎重に自身の赤黒い魔力を銀髪の妖精に注ぎ始める。だが、その顔は何かを耐えるように必死な形相を浮かべている。
「クソッ! 魔力が暴走をッ! ……おら妖精さんよぉ、呪われた俺の魔力を吸収できるもんならしてみやがれ」
体中に血管が浮かび上がり、男の瞳がどんどんと血走ってゆく。これがダークエルフに与えられた呪いである。生まれたその時から体内に桁外れな量の魔力を有しているが、それを扱おうとすると魔力が暴走を起こし制御が効かなくなる。
男の息が乱れていくのとは対称的に、銀髪の妖精は次第に呼吸が整い始め、いつしかその背中には赤黒い羽が創り上げられていた。
「――――! ――――♪」
力を取り戻した妖精が、ヒュンと軽やかに空へと飛ぶ。必死に暴走する魔力を押さえ込みながら、男は妖精の姿を眺め口はしを吊り上げた。
「……ハ、ハハッ。ハハハッ! テメェの羽まるで血に染まってるみてぇじゃねぇか。ダークエルフの魔力ってのは、妖精の見た目をクソ悪くするみたいだな!」
自嘲気味に声を上げて笑う男と、その男の顔を眺めクスクスと口元に手を当て銀髪の妖精も楽しそうに笑う。
「チッ、俺が何で笑ってんのか分かってないのかこの妖精。まぁどうでもいいや。お前のご主人はその羽を見てぶったまげるだろうぜ。憧れの魔婚相手がダークエルフだったなんてな」
暴走を抑えた男は冷めたように真顔になると、短剣を鞘へ納め立ち上がった。
「面倒事はゴメンだ。サッサと村に帰ってご主人に新しい羽を創ってもらえ。じゃあな」
シッシッと妖精に手を振ると、男はその場を離れていく。
だが、妖精は1度首をかしげるとニコニコと男の背中についてゆく。
「――――♪」
「……おいテメェ、帰れっつってんだろ。着いてくんな」
「――――? ――――♪」
男は不快感をまるで隠そうとはせず、しかめっ面で妖精を睨む。それに対しての妖精の返答は、ほがらかな笑顔を向けることであった。
「……なんだっつうんだこの妖精は。普通俺の姿を見たら悪意感じ取って逃げてくのに……」
男に対し一切の恐れを抱いてない妖精は、男の肩に座ると西の方角を指さす。
「あ? そっちは神樹がある方角だろ。村はもっと北だ」
「――――!」
「あぁ? 何が言いたいのかサッパリ分かんねぇ」
頬をぷくっと膨らませ妖精が西の方向を指さし続ける。心底面倒くさそうに男は妖精の指さす方向を眺めると、その奥から1人のエルフが近づいてきた。
美しいブロンドの髪は腰のあたりまで伸び、上等そうなドレスを着込んでいる。随分と育ちの良さそうな見た目ではあるが、その頭には葉が何枚も乗っかっており、ドレスも道中で枝に引っ掛けたのか小さくほつれ汚れてしまっている。
「シャーロット! どこに行ったの? シャーロット!」
ブロンドのエルフは口に手を添えキョロキョロと辺りを見回しながら、草木をかき分け褐色の男の前に現れた。
透き通るような綺麗な白い肌のエルフを見て、男は憎悪の表情を浮かべ舌打ちをする。その女エルフが憎いのではない。
育ちの良さそうな相手と自身を見比べ、ボロボロのシャツを大事に着込んでいる自分があまりにも惨めに感じたからだ。
「まぁ! シャーロット!」
女は男の肩に座っている妖精を見つけ、小走りで近づいていく。その拍子に足元の小石につまづいてしまう。
「きゃっ!」
倒れ込みそうになる女エルフ。勿論男はその体を支えようとはしない。結果、ベチャ! と女エルフは派手に地面に倒れ込んだ。
「い、いたた……」
「……ハァ。妖精に似てご主人も間抜けらしいな」
ドレスが土で完全に汚れてしまっているが、女エルフは気にした様子も見せずに立ち上がりシャーロットと呼んだ妖精を抱きしめる。
「もう、また勝手に神樹から抜け出して! どれだけ心配したと思ってるんですか!」
「……神樹? あそこにゃハイエルフの連中しかいねぇハズだが」
口元に手をやり、訝し気に男は女エルフを横目で見つめる。その視線に気づかないのか、女エルフはシャーロットの背に創り出された赤黒い羽を見つけ頬を染めた。
「シ、シャーロット! そそ、その羽は!」
「あー……。残念だったな、ダークエルフが魔婚あい――」
「なんてカッコいいのでしょう!」
「は?」
両手で頬を包みながら、女はシャーロットの姿を眺める。シャーロットも自慢げに腰に手を当てると、クルクルとその場で回転し全身を披露している。
「この日をどれだけ夢見たことか。まるでおとぎ話みたいです、行方不明の妖精を追って魔婚相手に出会うだなんて。貴方様がこの羽をお創りに?」
「あ、あぁ。いやアンタ、俺が誰だか分かってんのか? ダークエルフを知らねぇほど頭スカスカじゃねぇだろ?」
「勿論存じています。それが何か問題が?」
「はぁ?」
女エルフはうっとりとした顔で手を組み笑みを浮かべた。
「運命が貴方様とわたくしを引き合わせたのです。ダークエルフとハイエルフの違いなど、何の関係があるのでしょうか」
「ハ、ハイエルフだと? エルフ王家の者なのかテメェ」
「テメェだなんて。わたくしにはクレアという名前があるのです。貴方様のお名前は?」
にっこりと、クレアと名乗った女エルフがほほ笑む。天然なのかイマイチ会話がかみ合わない相手に、男は苛立たし気に小さく舌打ちをする。
だがクレアの笑みが男の目にはやけに眩しく映り、逃げるように視線をそらし男は呟いた。
「ギヴだ。ギヴ・テイカー」
「……ギヴ様、ですか。素敵なお名前ですね」
これがギヴとクレア、2人の運命を大きく狂わせた初めての出会いであった……。




