粉
その男は平凡だった。
小さな神社の宮司の次男として産まれた。
だからといって受験や就職で有利になるわけではない。
もっとも神道の問題が出る倫政では少しは役立ったが、全て神道の問題ではない。成績も普通であった。
就職する時期になっても、平凡なのは変わらない。宮司も面白そうだが、すでに長男が継いでいる。
結局、平凡な会社に就職することになった。
彼はいい加減、その平凡な人生に飽きていた。もっと刺激的で楽しい人生を…
ある日、彼がバーで一人呑んでいるとスーツ姿の男が近付いてきた。
「お話があるのですが」
「セールスマンかい、遅くまで営業お疲れさま。だけど俺にはなにもいらないよ。もっとも、平凡な人生を簡単に変えられるものがあるなら別だが…」
「実はそれを持ってきておりまして…」
「なに…」
彼はおもむろに小さな瓶を取り出した。
「こちらの粉でございます」
「なんだ、これは」
「いわゆる惚れ薬ですね。これを気になる人振りかければ、どんな人でも惚れさせられます。ただし、これで一回分です」
「本当か」
「じゃあ、私が使いますか」
男は彼と一緒にバーから出た。
繁華街は夜でも明るく、まだ多くの人たちが歩いていた。
「ではどうぞ、誰を私に惚れさせましょうか」
「じゃあ、あそこにいる白いコートを着ている…」
「わかりました」
男が女性に近付き、いきなり瓶の中の粉をかけた。
すると、女性が、まるでもともと恋人だったかのように男についてきた。
「どうです、この通り」
「うむ、これはすごいな。でもその女性は…」
「大丈夫ですよ」
男が別の粉をかけると、女性は狐につままれたように帰っていった。
「今もう一つ持っておりますが」
「…いくらかかるんだ」
「こちらは無料でお譲りします」
「なに…」
「嫌なら私は失礼しますが」
彼は考えた。
さっきの様子を見ると、本物らしい。別段、ダメでもともとだ。どうせ無料なら、もらってもよいのではないか。
「まぁいい。貰おう」
「ではどうぞ」
男は彼に薬を渡すと足早に帰ってしまった。
次の日、彼はよくその薬を見た。
瓶にはよく分からない異国の文字で何か書いてある。中身の粉は鮮やかなピンク色だ。
何か不思議な雰囲気を醸し出している。
間違いない。彼はこの粉の効果を信じるようになった。
彼はこの粉を誰に使うかいつも考えていた。
会社の仲の良い女性に使おうか。
いやいや、もっとよい人がいる。
昔憧れていた美人の同級生に使うか。
いやいや、もっとよい人が…
周りの友人たちが結婚しても、彼は結婚していなかった。
なぁに、大丈夫。俺にはこの粉があるさ。
他人が心配しても全くなにもしない彼を見て、周囲の人たちは不思議がった。
やがて彼の兄が子供をつくらず死んだ。そのため彼の親はなんとしても彼に結婚させようと、見合いをさせた。
しかし、彼は全て断った。こんなに素晴らしい粉があるなら、見合いなんて結構。きっとどうにかなるさ…
彼も年老いて、病院のベットにいた。
結局、あの粉を使わなかった。あのとき使っていれば…
そんなことを考えていた彼の部屋に誰かがやってきた。
「あ、お前は…あの時の…」
「ええ、私はあの粉をあなたにあげた者です。」
「何年も経っているのになぜお前はあの時のまま…」
「まあ、私は悪魔だからですよ。
あなたの家系は悪魔払いで有名な宮司の家系だ。
その能力を持つ方々は私たちに対して営業妨害しているようなものなので、私が消してるんです。
前にあなたのお兄さんには子供ができないように呪ったのですが、気付いた父親に危うく消されそうになりましてね。
もっと安全にできないかと策を講じてその粉を使ったんです。
もしあなたが使っていれば、あなたの勝ちだったのに…」