始まりの出会い
コロナ通りの食料庫は表から見てもただの倉庫にしか見えなかった。
タルや木箱が積み重なっていて、人が入れられるような牢屋は見当たらない。
となると、床のどこか、壁のどこかに隠し部屋があるはずだ。
歩き回ったり、壁を叩いたりして調べるのが定石だけど、時間は限られている。
ここは影を広げて、一気に全体を調べるか。
「床下に影が漏れた。地下室か」
影を広げて地面を這わせてみると、カーペットの下に空間があることが分かった。
そのカーペットをめくってみると僅かに何かが刺さりそうな隙間がある。
そこに影を入れてみると、どうやら隙間は鍵穴になっているようだ。
その鍵を影で操って開けてみると、カチャッという音とともに床が少しだけ浮いて、横に滑った。
下の階に降りる階段が続き、階段の先には南京錠のかけられた頑丈な扉があった。
ここまで厳重だと、入って欲しくない場所だと自白しているようなものだ。
これもまた影で鍵を開けて、中に人がいるのをそっと確認すると――。
「なっ!? っ!?」
見張りの口に猿ぐつわとなる布をはり付け、声を止めながら首を絞める。
すぐに意識を失ってぐったりした見張りを放すと、何かの視線を感じた。
「……思った以上に多いな」
鉄格子の牢屋が三十個ほどは並んでいる。
その中から虚ろな目をした少女達が俺を見つめていたんだ。
「全員薬の影響を受けているか……」
人が来ても声をろくに出せないほど、意識がもうろうとしているのだろう。
自分に値札がつけられていて、買われていくなんて微塵も想像していないと思う。
でも、その中で一人だけ焦点の合った目でこちらを見つめてくる子がいた。
恨みも通り越した諦めの色が映った瞳を持つ、金髪エルフの少女だ。
抵抗力がよほど強いのか、薬の支配を逃れているようだ。
そのせいか、そのエルフだけは値札が貼られていなかった。
「君は意識があるのか?」
俺の問いかけに少女は無言を貫き、頷きすらもしなかった。
ただ見定めるかのように俺の目をジッと見つめている。
とりあえず、俺の話を聞いてはいるのだろう。
「トンプラッタはここにいるのか?」
そう尋ねると少女は目をそらして俯いた。
本心は分からないけど、あまり聞かれたくない質問だったようだ。
俺が人買いだと思ったのかも知れない。
「俺はトンプラッタを殺しに来たんだ」
俺が目的を口にすると、少女は俯いた顔を上げて再度俺の目を見てきた。
そして、数秒後ゆっくりと手をあげ、奥の扉を指した。
「ありがとう」
とりあえず礼を伝えると少女はあげた手を下ろした。
そして、ぼんやりとした表情で天井を見上げたまま固まってしまう。
エルフは人嫌いが多いと聞くが、それでも対応が随分と不思議なエルフだった。
指さしでの答えが本当か嘘かは分からない。
警戒しながら扉を開けて廊下を進もうとすると、後ろからぞろぞろと階段を下る足音が聞こえた。
数は三十人。カチャカチャと剣や鎧の擦れる音も聞こえる。恐らくトンプラッタとその手下だ。
「トンプラッタ様はいつも特別な商品を入荷しますが、普通の奴隷は扱わないのですか?」
「没落貴族のお嬢様は高値が付く。有名であればあるほど、自分の下に置く快感が増すのだよ。醜い物乞いを飼っても自尊心は満たされん。美しく身分の高い人間か、特別な力を持つ人間を飼うからこそ、自分を飾れると思う人間が多い。そして、そういう人間ほど高い金を出すのだよ」
「ですが、そんなな人間をどうやって仕入れるんですか? 普通は難しいのに、こんなにもたくさん」
「身分の高い人間や強い人間ほど人を食い物にしてきた分、自分が食い物にされるとは思っていない。実に楽な商売だ」
「へぇー。是非その技を勉強させてもらいたいですねぇ」
「そうだな。例えば君が不倫して隠し子がいることを知る方法なんかを勉強するとワシに近づけるかもな」
「おっと、やぶ蛇でしたな」
「そうやっておどけられるから、君は商売相手になるのだよ」
トンプラッタと奴隷を買いに来た相手で間違い無さそうだ。
にしても中にいると思ったら、外に出歩いていたとはな。
狙うはトンプラッタが扉を開けて中に入ったタイミングか、この場を部下に任せて背を向けて逃げる瞬間か。
出来れば逃げて貰える方がありがたい。
「おや、ネズミがいるようだ。ワシの忠実な下僕達よ。ネズミの居所を探せ」
どうやら倒れている敵に気がついたな。
それにしては落ち着きすぎだ。まるで、侵入者がいてもいつものことだと言わんばかりに冷静な声を発している。
とりあえず、身を隠しながら近づいて来た敵を一人ずつ始末して――。
って、あれ? 牢屋の鍵を開け始めた?
「ネズミを殺せ」
トンプラッタの命令で捕まっていた奴隷達が一斉に牢屋から這い出て、地面を這いながら俺を探そうと動き回りだした。
その異様すぎる光景に思わず動けなくなった。
焦点の合っていない目をした少女達が地面を這い回り、あー、うー、とうめき声をあげながら俺を探している。
どうやら薬の効果でトンプラッタの命令を聞いているらしい。
その中で一人だけ牢屋に引きこもり続けている子がいる。一人だけ意識の残っていたエルフの子だ。
そのエルフの子にトンプラッタが近づいていく。
「フィーネ、相変わらずお前は言うことを聞かないな。さすがはハーフエルフと言った所か。薬を使っても魔力を押さえ込むので精一杯で意識の死に至らない。だが、喜べ。より強力な薬を開発した。さぁ、お前の心をワシに寄こせ。辛いことは全て忘れて、夢の中で生きろ」
トンプラッタの手には赤い液体の入った注射器が握られている。
どうやらフィーネというエルフの子に使おうとしているみたいだ。
遠距離からナイフを投げて止めようにも周りに捕まった子達がいすぎて、射線が防がれてしまっている。
別にエルフの少女が操られようが、トンプラッタさえ殺せれば良い。
任務だけを考えればそれが一番合理的だったけど、俺はそんなのは嫌だった。
「トンプラッタ!」
わざと大声をあげてトンプラッタの注意を俺に反らす。
すると、すぐにこっちに気がついた。
「ネズミだ! 下僕どもヤツを取り押さえろ!」
トンプラッタの号令で傭兵達ではなく、捕まった子が俺に飛びかかってくる。
剣を持った傭兵達はその後ろから機をうかがっているだけだ。
こいつらまさか捕まえた子ごと俺を刺すつもりなのか?
なら、こちらも容赦はしない。自らの意思でトンプラッタの手足として動くのなら、切り落とす。
「影渡り」
俺は影を伝って囲みを脱出すると、敵と認定した傭兵達の影に回り込んで、次々に首を背後から刈り取っていった。
「ガッ!?」
「ぐあっ!?」
「なっ!? ワシの傭兵が!? 三十人の傭兵がたった一分で!?」
あっという間に傭兵達を斬り殺し、俺は残されたトンプラッタの前に姿を見せた。
「次はお前だ。トンプラッタ」
「くっ……ワシの天運もここまでか」
「強いヤツは自分が食われることに気付かないだったか。その通りになったな」
「そうだな。その通りだ! 立ち上がれワシの下僕ども!」
突然視界に影が現れて振り向くと、首の取れた傭兵達が剣を振り上げて俺に向かって飛びかかってきた。
「っ!? 影縄!」
「ちぃっ! 役に立たない肉塊どもめ!」
咄嗟に影で敵を縛り付けると、首のない身体が動きを止めた。
人は首を切り落とされれば間違い無く死ぬ。
首を切り落とされても動ける例外は少ない。
その例外を思い浮かべれば答えはすぐに分かった。
「闇属性の死者操作が本業だったか。《ファンタズマ》はお前の技をかかりやすくするための薬ってところか」
「ほぉ、そこまで調べたか。若いわりに今までの暗殺者より出来るな」
トンプラッタは余裕の表情を浮かべて、指をパチンと鳴らす。
すると傭兵達の落ちた首が宙に浮き、身体に乗っかった。
「首を落とされて驚いたのは俺を油断させるための演技だったか」
「ワシに雇われないか? 代わりに最上位の地位と使い切れないほどの金を与えよう」
「悪くない話しだね。初仕事でこんな大型クライアントに見初められるなんて」
「そうだろう? お前は地位と金を。ワシは安全を。双方良しというやつだ」
「あぁ、そうだな。だが、断る!」
俺はトンプラッタの誘いを断り、彼の胸に向けてナイフを投げた。
そのナイフが深く突き刺さり、トンプラッタが血を吐いてうずくまる。
「何故だ……」
「俺とあんた以外の人間が悲しむ」
「お前とは何の関係もない人間のために……地位と金を捨てるというのか」
「金ならあんた以外からも貰えるからな。それに悪事はいつか報いを受けるもんさ」
「お前の……その人殺しも……いつか報いを受けると良い……あの世で見ておるぞ……」
トンプラッタはそう言ってこときれた。
人殺しの報い。報いを受けた人間から言われる皮肉に俺はため息を吐く。
自分の罪に勝手に人を巻き込むな。
「さてと、それじゃ、人質を解放するかな」
解毒薬を全ての奴隷達に与えて洗脳から解放した俺は、嬉しそうに地下牢から逃げていく少女達を影から眺めていた。
これで良かったんだ。ここで俺が出て行って有名になる必要は無い。
影でそっと生きていけば良いと思っていた。
でも、一人だけ逃げない子がいたんだ。その子がどうにも気になって、俺は姿を現してしまった。
「フィーネだっけ? 君は逃げないのか?」
フィーネは俺の問いかけに答えない。
ただジッと俺の目を見つめている。まるで、俺の言葉を待っているように。
「家族はいないのか? 帰る場所はないのか?」
この問いかけにフィーネは首を横に小さく振った。
地獄から救い出したはずなのに、フィーネは帰る場所が無いせいで地獄のあった場所に留まっている。
それが何故か悲しく思えて俺は手を差し出していた。
「俺のところに来るか?」
村を捨てた時に師匠がかけてくれた言葉を、俺はフィーネに問いかけた。
フィーネは首を横に振らず、ただジッと俺の目をまた見つめてきた。
それを肯定だと受け取った俺は彼女の身体を抱きかかえ、影の扉を通じてアジトに帰るのであった。
○
アジトであるマンションに帰った俺はフィーネをとりあえずソファに置いてみた。
相変わらずフィーネは口を硬く閉ざしたまま、一歩も動こうとしない。
そんな彼女の前に俺も座ってジッと彼女の目を見つめてみた。
そうして何もしないまま二時間くらいお互いに見つめ合い続けたら、ぐぅーという情けない音が彼女のお腹から聞こえた。
牢屋で過ごしていた時はろくに食事を取っていなかったのだろう。
「あぁ、もう朝だもんな。朝ご飯にしようか」
俺の提案にフィーネは頷きすらしなかった。
でも、首を横に振らないのなら肯定だと分かっていたから、俺は二人分の食事を用意して彼女の前に皿をおいた。
ハムとトマトとレタスを挟んだ簡単なサンドイッチが二つ机の上に並ぶ。
でも、フィーネは手を出すこと無く、固まったままだった。
毒なんて入れていないんだけどな。
「やれやれ仕方無いな」
俺は彼女を抱きかかえると、自分の膝の上に乗せた。
そして、小さくちぎったサンドイッチを彼女の口に近づけた。
「ほら、こっちの俺の分をあげるよ。自分の食事に薬なんて入れないから、安心して食べて良いよ」
「あ……」
フィーネが小さく開けた口にそっと白いパンを入れる。
もごもごと小さく顎が動くのに合わせて、硬くなっていた彼女の身体が少しだけ柔らかくなっていた。
少しは警戒をといてくれたのだろうか。
フィーネは自分からパンをちぎって自分で食事を食べ始めた。
そんな彼女の頭をゆっくりとなでる。
「名前言ってなかったな。俺はマグナだ」
「マグナ……」
「可愛い声だね」
フルフルと首を横に振ってフィーネがまた黙り込む。
初日に交わした言葉はそれだけだった。
フィーネは俺の上から動こうとせず、ただされるがままに俺に頭を撫でられて、気付いたら眠っていた。
それもよほど疲れていたのか、二日ほど目を覚まさなかった。
二日後、フィーネが目を覚ますと、何故か初日より警戒心を見せた。
俺の姿を見た途端、ベッドから飛び起きて、部屋の隅に逃げてしまったのだ。
ちょっと傷ついた。
「あ……」
「なんで……あなたはあたいをいじめないの……? あたい……ハーフエルフだよ?」
「ハーフエルフは確かに珍しいけど、いじめる必要はないだろ」
「……怖くないの?」
「いや、俺の方が君に怖がられているし……」
「なら……またあたいを売るつもりなの?」
「いや、売らないよ。せっかく助けたのにもったいないだろ」
「……ホント? なら、なんのためにあたいを連れてきたの……?」
「信じてくれと言っても、信じにくいのは分かるけどね。でも、うーん……何のためにか」
かといってこれからどうするかってのも全く考えていなかった。
この子は帰る居場所もない子供だ。
追い出したら本当にまた売られそうだしなぁ。ちゃんと自分で仕事を見つけて一人で生きて行ければ――。
って、そうか。俺が今までしたことじゃないか。
「助けた君が幸せに生きるために、一人で生きていく力をつけて欲しいから、だな」
「一人で生きていく力?」
「うん、悪い人に連れ去られないように。それと自分で居場所を作れるように、人生をやり直して欲しくて、君を連れてきた」
「変なの……。あたいの親でも家族でも無いのに……」
「俺もそうだったから。そういう場所が俺は欲しかった。俺も村に捨てられたから。だから、君を拾ってきた」
「……あたいは何すればいいの?」
「そうだなぁ。まずはお風呂に入ったらどうかな? 何日も入ってないだろ。ちょっと甘すっぱい臭いがする」
「ーっ!?」
俺の指摘にフィーネは顔を真っ赤にして身体を丸めた。
その反応を見て、俺は自分がやらかしたことに気がついた。
長い間師匠との会話しかしていなかったせいで、俺も素の状態でのコミュニケーション能力が育っていなかったらしい。
後々になって思い返せば、俺がフィーネを拾ったのは、人間らしい交流を取り戻したいというのが、本当の理由だったのかもしれない。
○
昔話を語り終えた俺達のところに、フィーネがやってくる。
すると、トウカはすぐにフィーネのもとに駆け寄って、何故かフィーネの周りをくるくる回りながら、くんくんと匂いをかいでいた。
「な、なに? トウカちゃんどうしたの?」
「異臭なし」
「な、なんのこと?」
「マグナと出会ったフィーネは異臭がしたと聞いた。私も臭いをかげばフィーネを理解出来ると思考した」
「やめてー!? あの頃の話はしないで!? マグナさんに生意気な態度とっちゃった黒歴史なんだから! というか、もう臭くないよ! ちゃんと毎日お風呂入ってるもん!」
「残念……」
「そんなことで残念がらないで!?」
焦るフィーネを見て思わず俺は笑ってしまった。
あの頃に比べれば表情も随分豊かになったし、頼もしくなった。
俺のしたことは間違っていなかったと思わせてくれる生き証人だ。
そして、俺の願いを継いでくれる大事な人の一人だ。
「なら、フィーネに問いたい。生きる力と居場所は手に入ったのか?」
トウカの疑問にフィーネは優しく微笑んだ。
「うん。私にはこの家とみんなとマグナがいる。トウカちゃんもその中の一人なんだから、何でも遠慮無く聞いてね」
「把握した。ならば次は恋人とは何かを教えて欲しい」
「恋人かー。って、ええ!?」
「リンファが誇っていた。恋人というものは誇れる職業なのか?」
「……マグナさんがいるから、別の部屋で話そうね」
「否定する。それは困る。私にはマグナの護衛任務がある。マグナのいる所で話せば良い」
「……マグナ、助けて」
久しぶりに本気で困っているフィーネを見て、俺はさらに笑うのだった。




